2016/JAN/11 「ダナキルツアー」

ダナキルツアーの2日目は早朝に酸性のお湯が涌き出て、鉱物と化学反応をして黄色や緑色の池を作り出している場所に行った。そこから塩湖で塩を採掘している場所を見学し、宿泊地の町に着いた。

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日目もそうだが、途中何度もトイレや景色、ラクダ等で止まる。景色はどうでもいいものだし、ラクダは一回であきる。見所は今朝見た池と最後に行く火山だが、それで四日間というのはかなり密度が薄いツアーだ。そして飯のクオリティは何もない山の中で調理するシメン山トレッキングよりはるかに低い。道中の食堂やホテルで食べるのにあそこまで酷いのはケチっている以外に考えられない。このツアーで600ドル払っている外人もいる。インセインだ。

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日目は9時に出発し、ズット移動で5時くらいに火山へのトレッキングのキャンプに着いた。出発前に夕飯を食べたが、昼飯を食べたのが2時間前なのでとりあえず腹に入れようという感じだった。

火口まで三時間と聞いていたが歩き出すとスゴいペースでこれで三時間あるけるのか?と思ったが、道は平坦で二時間半くらいで簡単に火口に着いた。

火口は縁まで近づくことができ、すぐそこで溶岩が動き、何度も弾けていた。弾ける前に黄色く輝く溶岩がキノコのように盛り上がりそれから大きく吹き飛んだ。スゴい迫力だ。火口の周りは熱で肌が焼かれそうなくらい熱い。弾けた溶岩は縁までとどいているのもある。危険極まりない場所だ。トルクメニスタンの50年間燃え続けているガスクレーターを思い出したが、それよりもはるかに迫力がある。

夜は火口近くのキャンプで星空ベッドだった。寝てる間に噴火しないことを祈る。






















2016/JAN/9 「ITバックパッカー失格」

エチオツアーのオフィスに9:40に行くともうツアーの説明が始まっていた。スゴいたくさんの人が集まっていた。そのあとジープに別れて乗り込んだ。ジープには合計7台で参加者は28人だ。ツアーにはスーダンで会ったイギリス人やアスワンで会ったドイツ人のベンがいて、再会を喜んだ。他に日本人の男の子が二人いて、二人とも一人旅だった。

ダナキルツアーは日本人にスゴい人気で今まで会ったアフリカ南下をする日本人はこぞってダナキル、ダナキルと話をしていた。エチオピアと言えばラリベラと少数民族だと思っていたが、中にはラリベラって何ですか?という人もいる。最近分かってきたが日本人は日本人のブログを見て旅をするので、行くところが偏る。ロンプラのような見所全てを紹介しているガイドブックを読んで自分で行き先を決めるのでなく、前に行った人が行った場所を同じ交通手段で同じ宿に泊り旅をしている。日本人御用達の地球の歩き方は辺鄙な地域はツアーを前提にしていて、バックパッカーには全く役に立たない。ゴンダールでも日本人は皆決まった宿に泊まっていたし、日本人のブログには出てこないシメン山は日本人は皆無だった。普通はスゴいところだー!と感動するが日本人はブログで見たところだー!と感動する。そういう人たちになにか違和感を感じ始めた。

若い子に教えてもらった旅人ブログやそれを携帯に保存するアプリは便利だが、こういった弊害もあるのかと認識した。アフリカは思ったよりも旅が簡単で宿も着いてから探せばなんとかなる。時間さえあれば現地で情報を集めた方がいいし、その方が現地の人との出会いがある。何よりハプニングがどんどん起きる。

実際しばらく人のブログは見ていなかった。ITバックパッカーとしては失格かもしれない。

ツアー初日は塩湖に行き、夕焼けを眺めた。塩を採集しているので塩のブロックを運ぶラクダの隊列が塩湖の薄い水面を歩いてきて、通りすぎていった。その夜は外に置かれたベッドで星空を見ながら寝たが、星空はシメン山には到底及ばなかった。風が強く砂を運ぶので顔は砂まみれだ。朝起きたらきっと大変なことになっているだろう。















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