2016/DEC/17 「難民の叔父アナトレ」

中央アフリカはまだ内戦が終わってない混乱の国だ。バンギは国連治安維持軍がいて、戦闘が起こることは無さそうたが、北部や東部ではセレカと呼ばれる反政府組織連合がまだ暗躍中だ。外務省の海外渡航安全情報ではシリアやアフガニスタンと同じく、国中で待避勧告がでていて真っ赤だ。日本大使館もなく、JICAも来ていない。

この国で内戦が始まってから百万人近くもの難民が隣国に避難して暮らしている。この国で誰かに会うなど期待もしていなかったが、ヤウンデでマリオンの家にお世話になっているときに、演劇のイベントで中央アフリカからの難民のピコと知り合った。彼は中央アフリカ北部で暮らしていたが、ある日ゲリラが村にやって来て、ゲリラへの参加を強要されたので、難民としてカメルーンに逃れた。

ピコはバンギに行くなら、叔父さんがいるから連絡したらいいと、連絡先を教えてくれていた。バンギの町は特に見所もなく、2日も歩けば、することが無くなったので、叔父さんに連絡を取ってみた。

バンギにはインターネットの使える場所が殆どなく高級なホテルやカフェに限られていた。町の中心のレバノン人経営のGrand Cafeは立地もよく、wifiが使え重宝していた。ここにはUNNGOで働く白人が食べに来ていて、いかにも外国人用という感じだった。高いので、いつもアイスだけ頼んでwifiを使っていたが、ここのwifiはセキュリティが無いので、店の外でも使える。しかし、バンギは通りで携帯をいじっていると、強盗に持っていかれるし、なんかひもじいので、いつも中で注文して、椅子に座ってwifiを使うことにしていた。

バンギは軍隊がしょっちゅう巡回しているので、戦闘などはないが、実際にはスリや強盗は酷い。人もこの内戦のせいで、まともな仕事もなく、一般犯罪の統計など無いだろうが、隙あらば誰もが窃盗犯になる。しかも外国人が道を歩いていることはまず無いので、町を歩いているとどうしても目立つ。UNNGOの人間は車でしか移動しない。

町を歩いていれば、しょっちゅう何か買ってくれだとか、金をくれだとか言われし、人もけしてフレンドリーではない。どこか、金を持った奴が歩いてるという目で見られている感じがする。これだけで人が悪いとは言えないし、どんな国でも良い人間もいれば、悪い人間もいるのだが、バンギに限って言えば、雰囲気がよいとはとても言えない。

電話をするとピコの叔父さんのアナトレは、わざわざGrand Cafeに迎えに来てくれた。アナトレが乗ってきたタクシーに乗り込み、彼の家まで向かった。アナトレの家はバンギの中心から12キロほど離れていて、村っぽかったが、アナトレはここもバンギ市内だと言った。タクシーのお金を払おうとするとアナトレが払うといい、払ってくれた。この時は、まー迎えに来たのだからタクシー代は彼が払ってもいいだろうと思ったが、後から彼の家や、生活を見るとこっちが払うべきだったと後悔した。

アナトレの家は小さな平屋で塀に囲まれていて、手前に小さな庭があった。トイレ、シャワーはなく、隣の家の庭のトイレを使わせてもらっていた。アナトレの甥っ子が7人くらいいて、奥さんや彼の娘も一緒に暮らしていた。この辺りの家を見る限り、この辺では現金収入は無さそうだ。キャッサバや現地で取れるバナナなどを食べていればそれほどお金はかからないかも知れないが、現金収入がないというのは、さっきのタクシー代はこの家では大変な出費と言うことになる。

アナトレは家族を紹介したあと、奥さんにコーヒーをいれるように頼んだ。心配していたがアナトレは英語が話せて、中央アフリカの暮らしを色々教えてくれた。ピコがカメルーンに亡命した理由もこの時ははじめて聞いた。

アナトレは肉や魚はかなり高価だと言った。そして子供達は学校には行ってないという。この国では無償の学校は機能を失い、有料の学校へ通うには金がかかるので、なかなか通えないという。内戦の悪いところの一つは、内戦の間、教育を受けない子供達が生まれてしまうことだ。この子供達は内戦が終わったときに教育を受けていないため、 仕事につくこともできないし、そのあとに教育を受けた人たちに負けてしまう。

アナトレは、パスター(キリスト教の宣教師)をしている。元々キリスト教ではなかったが、ある日、神の声を聞いたらしい。でも、どちらかというと経済的な理由からだと思う。きっとパスターをしていれば、教会からは少しはお金が出るのだろう。もちろん誰でもなれるわけではないだろうし。

アナトレは夕食を用意してくれ、二人でつついて食べた。トマトとオクラを煮込んだソースに小さな牛肉の塊が3つほど入っていた。きっとこの家ではかなり奮発した料理だ。アフリカ人は見知らぬ人には、かなり警戒心があるが、知っている人間には異常なくらいよく振る舞う習性がある。このアナトレも甥っ子の知り合いということで、目一杯の接待をしてくれているに違いない。

アナトレの家から帰るときには、既に真っ暗になっていた。アナトレの家には電気が来ていたが、電気を引いてない家が多いのと、街灯は無いので大通りまでは真っ暗闇の中、村の中をアナトレに付き添われて歩いた。ここは井戸もなく、水は買わなければならないという。厳しい暮らしだ。この国が発展するにはかなり時間が必要だろう。







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