2016/DEC/28 「出稼ぎ少年オネール」

6時に宿を出発した。シスターが中庭越しに手を振っているのが、薄暗いなか見えた。このキリスト教会施設のスタッフは本当にいい人達だった。15,000CFAの部屋に5000で泊めてくれたし、コンゴ人のシスターがフランス語を教えてくれたり、色々と良くしてくれた。日本人シスターには会えなかったが、清潔な宿で休むことができた。

グランモスクまで歩いて、そこからミニバスでテシャ モソロへ。前日そこからマオ行きのジープが出てると聞いたが、テシャ モソロにつくと、ここではなく、さらに先にマオ行きのジープのターミナルがあると言われた。人に教えてもらって、また別のミニバスに乗り込み、運ちゃんにマオ行きのジープ乗り場へ行きたいと言うと、中心から6キロほど北にいった所で降ろされた。

街道から入ったところに数台のジープが荷物を屋根に積んでいるのが見える。近くに寄ると、客引きが寄ってきて、腕やバックを掴まれた。値段は10,000CFA2,000円)と聞いていた通りで、一台はすぐに出ると言うので、それにした。

一時間ほど走ってマサクリという町を過ぎると、そこからは未舗装の道になった。しかし、この道は未舗装道路ではなく、車の轍が何本かあるだけのサヘル地帯を好きなように進んでいくものだった。暫くは集落もあったが、途中からは本当に何もないなだらかな地形をすすむ。まるでサファリで国立公園の中を走っているかのような光景だ。牛やヤギの群れが見える。

地面はだんだん砂になってきて、そこそこ深い砂地を走るようになった。ジープしか交通手段がないのもうなづける。ラクダも出てきた。もう砂漠だ。それでもたまに集落があったりとこんなところにも人が住んでいる。砂漠の中に谷のような地形があり、そこにはヤシの木の森があった。一応雨も降るのだろう。

マオまでは7時間半ほどかかった。マオは砂漠の中の町といった趣があり、町に入るとラクダに乗った人や、ロバに乗った人がたくさんいて、なかなか面白かった。日干し煉瓦でできた家の壁で街路ができて、道は全て砂だ。こんな所にこんな町があるなんてと言った感じだ。

ジープに、まず警備の事務所に連れていかれ、そこで降ろされ、そのままジープは何処かへ行ってしまった。荷物を下ろしてないので、またもどって来るということなのか。運ちゃんがなにか言っていたが、言葉が分からないのでどうなってるのか分からない。

警備の事務所で、パスポートを見せて登録を済ませる。机に座った偉そうな人に「アラブ語は話せるか?」と聞かれたが、アッサラーム マレーコムとシュクランしか出てこなかった。スーダンで結構覚えたのに。もう一人の男が少し英語が出来、このあと警察へ行くように言われた。

歩いて3分の警察署にいくと、建物の前の木の下で6人くらいの軍服の男がたまっている。チャドは軍服がいまひとつ統一されてないのでライフルを持って屯してるとゲリラにしか見えない。色々な質問にあい、パスポートの内容をうつし、しばらく待たされた後、出国スタンプをもらった。国境ではスタンプは貰えないらしい。若い男のワイロ攻撃がなかなか終わらなかったが、最後は偉そうな人がもういいよとパスポートを返してくれた。
再度、警備の管理事務所に行って、さっきの英語の分かる男に「ジープがバックパックを持ってどっかいっちゃったんだけど?」と聞くと、「あー、きっとジープ乗り場だ」といい、彼の車で送ってくれることになった。

男は運転しながら、今日は水曜だから市が立つので、外からたくさんの人がやって来てると教えてくれた。それで町がやたらと活気づいていたわけだ。毎週水曜だけだというので運が良かった。こうやって当たり前にラクダやロバで売り物を運んでくる人達が行き交う光景は情緒があってよい。

マーケットの先の道路の端にジープが何台かとまっていて、それが国境行きのジープだと教えてくれた。そしてここまで来たジープの運ちゃんもその近くにいた。「バックパックは?」を聞くと、既に国境行きのジープに積んだと言う。ちょっと手際がよすぎる。
バックパックを返してもらい、今日は今から出たら夜に国境に着いてしまうので、一泊して明日の朝に出ると伝えた。と言っても英語とフランス語を織り混ぜた会話で伝わってるのはよくて半分くらいだろう。

宿はあるのか聞くと「警察に泊めてもらえ」と言う。まーお金かからないだろうからいいかと思ったが、男は「国境行きのジープは夕方にしかでないぞ」と言った。「え!そうなの?じゃー国境には朝に着くの?」と聞くと「そうだ。夕方7時くらいに出て、道中、道で寝て、朝に国境だ。それしかない」という。それならばここに泊まる理由はない。今日の夕方に出ることにした。

男は国境行きのジープの運ちゃんに後で警察に迎えにくるように伝えて、それから町中を車で案内してくれた。この町には数は少ないがトラックがとまっていて、それらはンジャメナやニジェール、リビアからだと教えてくれた。驚いたことにこの町の一角にはリビア人の市場があった。

男は「町の外にラクダマーケットもあるけど見たいか?」と聞いてきたので「是非」と答えて向かってもらった。このマーケットはラクダだけでなく、全ての家畜を扱っていて、開けた場所に牛やラクダ、ヤギ、ロバが集められていた。マオは思ったより見所のある町だ。

警察まで送って貰うと、そこでさっきのドライバーが待っていた。ドライバーと一緒に彼のジープまで歩き、荷物をジープに詰め込んだ。このジープは国境の先のニジェール側のギギミという町までいくらしい。値段は20,000CFA4,000円)と高いが、他の人も同じだけはらっていたのでこんなものなのだろう。

車の横に英語を話す中学生くらいに見える男の子がいて、通訳をしてくれた。さらに飯を食い、持っていた現金を小銭以外、西アフリカセーファーフランに替えた。今まで使っていたのは中部アフリカセーファーで、ニジェールから西では使えなくなる。これも英語のできるその子が助けてくれた。

その子はオネールといい、カメルーン人だと教えてくれた。ドゥアラ出身のため英語が出来る。よく見るとオネールはカメルーンの若者のようにボロい洋服を着ていて、この町では子供も皆、イスラム服なので、かなり浮いていた。なんだこの子は?という目で他のチャド人が見ているのがわかる。見た目は同じ黒人でもここは完全にアウェーなのだろう。
「ニジェールへ行くのか?」と聞くと「そうだ。アルジェリアまで行く」と答えた。「アガデスから北上してタマンラセットか?」と聞くと小さくうなずいた。驚いた。このルートは20年以上昔に、バックパッカーを魅了したサハラ縦断ルートだ。だが、アルジェリア、ニジェールの政情不安でリスクが高まり、このルートを通る旅人はもういない。しかもオネールはパスポートさえ持っていない。

「ドゥアラからはどうやって来た?」と聞くと「ヤウンデ、マロア、クセリでンジャメナだ」と言う。マロアからクセリ経由は今はかなり危ない所だ。現地人にはボコハラムも関係ないらしい。オネールはチャド国境では10,000CFA2,000円)払って通して貰ったという。「アフリカは何処も腐敗してるから、お金を払えばパスポート無しで旅行できる。便利だろ。アルジェリアについたら、アルジェリアパスポートを手に入れるよ。アルジェリアには親戚がいて、タマンラセットで何年か働いて大学に行くお金を貯めるんだ」と話した。そんなものなのか?と思ったが、それにしてもこの若さで、こんな密入国を繰り返して出稼ぎに行くとはたいした子供だ。

オネールはジープがマオを出るときに警察のチェックポストで6000CFAを払わなければならなかった。国境でもきっと金を請求されるだろう。怪しい学生証しかもたないオネールがアルジェリアまでだとりつくのは、大変な道のりだ。






































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