2016/DEC/29 「自国の外では大人しく」

夕方にマオを出発したジープは、オネールとドライバー以外に6人のチャド人が乗りこんでいた。車のなかでは終始アラブ語で、オネールは端っこで一人静かだ。子供扱いなのか、チャド人たちはオネールには冷たい。彼らから見たら、他の国のアフリカ人は信用ならないのだろう。

砂漠の中、道なき道をすすむ。何本かジープの轍が砂の見えるのだが、幾つもに別れたり、またくっついたりどこへ向かっているのかは分からない。日が沈むと真っ暗で明かりなど一切ない。GPSもなしに本当に国境へ着けるのか不安になる。

夜の9時くらいに集落で止まり、そこで用意されていた焼かれたヤギの足一本を切り分けてチャド人達が食べた。金を払ってる気配はなく、これが運賃に含まれているのかは不明だ。

さらに夜の砂漠を走り続け、チャドのチェックポストで全員の身分証の確認があった。多分この辺りが国境のはずだ。時間は深夜12時過ぎ。軍人達も殆どが寝床に入っていて、毛布に入ったままなんとか身分証を確認してもらった。オネールはやはりここでも金をむしり取られた。

ここで寝るのかなと思ったが、ジープはさらに3時間ほど進んで、周りに何もない所で止まった。チャド人たちは丸められたゴザをジープの屋根からおろして地面に広げ始める。ゴザの中には毛布が入っていて、各自、好きな場所で寝始めた。ドライバーもゴザに毛布だ。チャド人達は荷物や毛布などをゴザでくるんで紐で結んでひとつの荷物にしている。寝るときは紐を解いて、ゴザを敷いて毛布を掛ければ何処でも寝られる。これがチャド人の旅のスタイルなのかもしれない。

寝袋を出して地面で寝ようと思ったが、あまりに寒いので、車の中で寝ることにした。オネールは毛布がなく、シーツのような布をかけてガタカダと震えながら、車の中で横になっている。もう3時過ぎで一体何時に起きるのかも分からない。

寒さで寝付けないまま5時過ぎにドライバーに起こされた。たった2時間しか経ってないし、まだ真っ暗だ。皆、いそいそとゴザを折り畳んでいる。何故こんなに早く出るのか分からない。

荷物を屋根に積み終わると、すぐにジープは走りだし、2時間ほどでチェックポストのような所に着いた。どうやらここがニジェールのイミグレのようだ。やはり軍人たちはテロリストにしか見えないが、軽いワイロ攻撃のみで入国スタンプが貰えた。他のチャド人たちは手こずっていたが、暫くすると皆問題なく車に戻ってきて、ジープはまた走り出した。だがジープにはオネールがいない。チャド人達に「オネールはどうしたんだ?」と聞くと、「彼は入国できない。チャドへ引き返す」と答えた。

ジープは全く待とうとしない。ドゥアラから1週間もかけて、なんとかここまで来たのにまさかの入国拒否。アルジェリアで大学へ行く金を貯める計画が。。。オネールはアフリカは何処も腐敗してるから問題ないと言っていたが、アフリカの腐敗も隅々まで行き届いているわけではなかった。よく考えると彼がこれまで賄賂を払って通過したカメルーンとチャドは国家腐敗ランキングで過去同列一位に輝いた栄誉ある腐敗国家だ。同じアフリカでもこうやってちょっとやる気のあるイミグレがあれば、呆気なく止められてしまう。オネールはこのあとどうするのだろう?ドライバーも乗客も全く同情はなく、オネールを置いて走り出した。アフリカ人は他所のアフリカ人には厳しい。

イミグレのすぐ先には町があり、そこがニジェール最初の町ギギミだった。そこからディファまではバスは走ってないので、またジープになる。この車の乗客のうち4人はアガデスまで行くというので一緒に行くことになった。ドライバーは通りでジープを探してくれ、チャド人達がジープのオーナーに交渉して一人6000CFA1,200円)でディファまで行けることになった。ディファへのジープの運ちゃんは、町で更に3人ほど人を乗せてから出発した。

ディファまでの道は途中から舗装道路になった。道路の両脇にブッシュマンの家のような枝を集めてできたドーム状の小さな家がすごい数並んでいるのが見える。その近くには真っ白の大きなUNICEFのテントがある。よく見ると枝を集めて建てた家の屋根に張られたビニールシートにもUNICEFのマークが見える。大きなテントにはたくさんの人が列を作っていて難民キャンプのようだ。同じようなキャンプをディファまでに何度か見かけた。

後で聞いた話ではディファは今、ボコハラムの活動が盛んな場所らしく、ボコハラムは村を襲い、村人を虐殺し、金や食料を奪い、女の人をレイプしたり誘拐したりしている。やはりあのキャンプはそういった村から保護された人のために国連が建てたものだ。だがカメルーンで見た中央アフリカの難民キャンプに比べ、建物がショボすぎる気がした。

ディファには昼過ぎに着き、13:30発のザンデール行きのバスに乗ることができた。ニジェールのバス代は異常に高く、ディファからザンデールで8000CFA1,600円)、ディファからアガデスは17,000CFA3,400円)もした。カメルーンのようにバス会社は、各々バスターミナルを持っていて、バスターミナルには雑魚寝スペースがあり、翌朝に移動する現地人がたくさん寝ていた。ギギミの町では中部アフリカ、西アフリカ両方のセーファーフランが使えたが、ディファでは西アフリカセーファーフランでないとコーヒーさえ買えなくなっていた。


一緒にきたチャド人達もザンデールまで一緒だった。チャド人達はチケットを買うときに何故か揉め、なかなか売ってもらえなかった。スタッフからの対応も冷たく、バスを待つ間、ゴザの上でかたまって静かにしていた。オネールがチャドでアウェイだったように、今度は彼らがアウェイになる番だ。アフリカ人は自国の外では大人しい。









 






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