2016/NOV/27 「カメルーン山」

カメルーン山登山ツアーはツアー会社に朝6時集合だった。オフィスに着くと韓国人のクンやガイド、ポーターは既にオフィスに集まっていた。

昨日、登山のためのガイドとポーターを探していると、市場近くのツアー会社に行けと言われ、そこでクンと出会った。彼はモロッコから南下してきた旅人で、翌日からの登山を既に申し込んでいた。ツアー会社で話を聞くと、ガイドとポーターはツアー会社でしか見つけられないと、どう考えてもウソとしか思えないことを言い、クンは明日から登るから、それに加われば安くなると言ってきた。登頂には一泊二日必要で、値段は一人だと97,000CFA19,400円)、二人だと77,000CFA15,400円)だ。カメルーンの物価を考えるとかなり高い。明らかに外国人向けのツアーだ。

細かな質問には答えない、ダラダラとこのツアーがいかにボッタクリではないかを語るスタッフはディスカウントには一切応じないし、「ホントは今日は休みだったのに店を開けてやってるんだ」と恩着せがましいことを言う。「じゃーいいよ」と言って一旦店を出ると、夕方なので店を閉め始めてしまった。このとき韓国人のクンは既にお金を払ってしまっていて、キャンセルは出来なかった。多分二人で交渉に当たれば、値が下がっただろうが、既にクンが払っているだけに、こっちだけ安くすることも出来ないので、値引きが難しい。
他にも会社はあるらしいが、多分値段はそこまでかわらないだろう。ガイドとポーターを個人で見つけることが出来なければ、結局ツアー会社で頼むことになり、もし、一人で申し込めば3割りほど高くなってしまう。出来れば明日から登りたかったし、ナミビア以来久しぶりに旅人にあったので、一人で登るよりは楽しいだろうと、クンのツアーに加わることにした。

クン、ガイド、ポーター二人とタクシーでまず登山口へ向かった。曇っているのでまだ肌寒い。ボイアの町は斜面にあり、町の上の方は標高が900mくらいある。登山口は標高1000mだ。西アフリカ最高峰のカメルーン山は4040m。一日目のキャンプ地は標高2800mなので、二日目は1200m登って、3000m降るというかなりハードな日程だ。一日で3000mも降ったことは今までにない気がする。

登り始めると、まず、森の中を登り、しばらく行った国立公園の管理事務所の小屋で休憩した。ポーター達はかなり後ろにいるようで、彼らを待つのにだいぶ時間がかかった。それからも休憩の度に彼らを待つ事になった。ツアー会社はキャンプ地に早く着けば、一日目に山頂に登ることも出来ると言っていたが、このポーターを待つ時間があるかぎり、不可能に思えた。

森を抜けるとサバンナの様になり、見晴らしがきくようになった。と言っても雲がかかっていて、そこまで景色が見れるわけではない。この山は常に曇っている気がする。ロンプラにもミスティマウンテンとかかれているし、ボイアに着いてから、カメルーン山には常に雲がかかっていた。当然ツアー会社は山頂は晴れていると断言していたが、そんなに都合よく晴れるはずがない。この辺りが、東アフリカよりもさらに酷くなったところだ。人々の言うことが適当で、道を聞けば知らないのに適当な場所を説明したり、年中曇ってる山にも絶体晴れると言い切ったりする。

一つ目の山小屋で、ランチを食べたが、パン、6つ割りのプロセスチーズだけだった。ツアー会社のスタッフが自信満々で、ツアー費用の詳細を説明して、食料に14,000CFAと言っていたのが、このスカスカのパンとプロセスチーズと言うわけだ。

キャンプ地に着いたのは午後2時を過ぎたくらいだった。政府が観光客用にロッジを建設中で、今のところテント泊しかない。建設現場で働いている労働者が12人ほどいて、彼らの寝泊まりする小屋はある。ショックなのは建設資材を運ぶためにトラック用の道があることだ。ここまで苦労して登ってきて、着いたらトラックが留まっているというのはなかなかこたえる。

天気が回復してきて、眼下にボイアの町やリンベの町、大西洋が見えた。この山が町から本当に近いのがよくわかる。町で流している音楽まで聞こえる。

ポーターの一人が野菜パスタを作り、夕食になった。紅茶かなにか飲み物はないの?と聞くと、ミントが生えてるので、ミントティーが作れるといい、お湯にその辺に生えていたミントをドッサリいれた。

正直、120ドルも払ってこんな物しか出せないのかと失望したが、ガイドやポーターに罪はない。別に山でいいものを食べたいとは思わないが、金額とクオリティがここまで離れたツアーはアフリカでも珍しい。我々は地域にお金を還元しているというが、それは現地のガイドやポーターを使っているというごく当たり前のことだけで、それ以外にツアー代金から、周辺の村へお金が行くわけではない。口だけアフリカンは他人のことなど一切気にしない。

夜になると気温も下がり、カメルーン人達は寒い寒いと言い出した。この辺りでこんな気温はないので、彼らからしたら極寒なのだろう。だが実際には7月に訪れたハラレの宿の庭でテント泊したときの方が、よっぽど寒かった。

テントはクンが持っていたアメリアで買ったというなかなか立派なものだった。東アフリカでは皆、ケニアやタンザニアで買った中国産のテントを使って旅するが、それらのテントはすぐに壊れるので風のある山では使い物にならない。


夜になるとボイアの町の灯りがすぐ下に見えた。明日の天気だけが不安だ。










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