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2016/JUN/22 「ザンビアの友人」

ザンビアには以前一緒にイラン、コーカサスを旅をしたタエちゃんの友人がいると聞いていて、会うことになっていた。その友人はアフリカを旅して、その後、ザンビアに住んで仕事をしているという。昨日からメッセージを送っていたが、今日ようやく返事がかえってきた。昼前に彼がよくwifiを使いに行くというホステルに集合ということになった。


その友人、正樹くんはひょろっとして、浅黒い肌の、少し年下の青年で、事前情報で躁鬱病と聞いていたので、どう接すればいいのかなーと考えていたが、いたって普通だった。彼の旅の話を聞くと、タエちゃんとは五年くらい前にカイロで会ったのだと教えてくれた。彼女は西アフリカをまわってから、カイロへ飛んだと言っていたので、そのときだろう。

正樹くんはそれからずっとアフリカだという。東、西、南アフリカを回り、ザンビアに住み始めて1年半になるという。ユーラシアやアメリカ大陸には目もくれず、五年以上もアフリカにいるという人には始めて会った。「アフリカは何処が良かった?」と聞くと「ケープタウン」と即答した。意外な答えだったが、これだけアフリカを回ったなら、きっといいんだろう。ケープタウンには6ヶ月もいたらしい。「他には東ならエチオピア、西ならナイジェリアかな」と言った。エチオピアには1年半いたらしい。もはや旅してるとは言えないんじゃという滞在時間だ。ザンビアに住んでいるのも、旅の一部なのかも知れない。ちなみに友人のタエちゃんは彼に勧められて、この夏ナイジェリアを旅していて、年末にまた戻るらしい。ナイジェリアに関しては、ボコ ハラムの非道ばかり聞こえて来るので、近づこうとも思わなかったが、行けば案外いい国なのかもしれない。

「なんでザンビアに住んだの?」と聞くと、「本当は南アが良かったが、先進国並みの南アでは、簡単にビジネスにはいる余地がない」と話した。確かに南アは仕事をする上での法整備も進んでいて、外国人が勝手に金儲けするのは難しそうだ。他の国なら税金さえも払わないでも良さそうだし。

彼は中古の日本車を売っている。と言っても、売るのは知り合いの同業パキスタン人に頼んでいるので、ほぼやることはないという。ザンビアでは中古車の輸入販売はパキスタン人が牛耳ってるらしい。彼らは日本にも親族を送り込んで、ネットワークを構築しているので、そこに入り込むのは、なかなか大変だし、やっている人間が多く、価格競争の結果、利益率がかなり下がってしまったらしい。なかなかうまい商売があるわけではないようだ。

話が一段落すると、正樹くんが勧める近所のレストランへ行き、遅めのランチを食べた。T-ボーン ステーキを頼むと、絵にかいたような豪快な肉が運ばれてきた。これまでのアフリカでは、メインの量が少く、ペース配分を考えながら大量の主食を食べるということに慣れすぎていたので、この潔い肉のボリュームには感動だった。そして、この肉の柔らかいこと!マラウィの固い肉とは大違いだ。こんなに旨い肉はムパタ サファリ クラブで食べたポークチョップ以来だ。

正樹くんとは飯のあと別れて、あとは街中を歩いたり、マーケットを見に行ったりした。ルサカの町は、線路を越えるとガラリと雰囲気がかわり、路上の人、物売りで人口密度が100倍に膨れ上がった。まるで街中マーケットのようだ。線路の向こうのきれいなショッピングモールやアメリカの田舎町のような雰囲気に惑わされたが、ここもしっかりアフリカなんだなと思った。

ルサカまでのルートはかなり前に考えたものだったが、ルサカからのルートは、まだ決めてなく、何通りか考えられた。ここから南アまでどうやって行くかを決めなくてはいけない。

ザンビア以南でVISAにお金がかかるのは、ジンバブエだけなので、なんとでもなりそうだったが、ヴィクトリアフォールをザンビア側で行くか、ジンバブエ側で行くかが悩みどこだ。ネットで調べてみると滝の8割はなんとジンバブエ側で、ビューポイントもたくさんあるとあったので、ジンバブエ国内を見て回って、最後にヴィクトリアフォールにいって、そこからボツワナ、ナミビア、南アというのが効率良さそうだ。ただし、ザンビアは他に行くところも無くなってしまった。そこそこ名の知れた国立公園もあるが、ケニアやタンザニアでサファリをしたし、周辺国でも見所はサファリというとこが少なくないので、もはやサファリにはよほどのことがなければ行かないだろう。そんなに動物好きではないし。ザンビアをルサカしか見ずに出るのは不本意だったが、「ジンバブエが待っている」と自分に言い聞かせた。














2016/JUN/20 「ルサカの繁栄」

マラウィのリロングウェからのバスは12時間以上かかって、ザンビアの首都ルサカに着いた。首都から首都への移動はアフリカでは初めてだ。なんだか色々飛ばしたようで寂しいが、道中の景色は国境近くのチパタを過ぎるとずっと森林だったので、見所も無かったように思えた。

ルサカにつくと、既に日も暮れかけていて、調べていた宿まで歩いた。リロングウェに比べるとかなり肌寒く感じる。たぶんルサカの標高が1200mあるのと、かなり南に移動したからだろう。

調べていたFlintstone Backpacker泊60クワチャから70クワチャに寝上がっていたが、マラウィに比べるとインフレ率は低いように思えた。これくらいなら他のアフリカ諸国とかわらない。マラウィでは二年くらい前の情報から値段が倍というのも珍しくなかった。マラウィが異常なのだ。


宿はキッチンもあり、ホットシャワー、wifiとマラウィでは無かったものが当たり前のように揃っていて、疲れを取るにはいいところだ。ツーリストよりも仕事で泊まってる客が多く、長期で住んでる人も結構いた。彼らはジンバブエ人やインド人達で、わりときれいな格好をしている。キッチンで調理をしていると、彼らと会うので何人かはすぐに顔見知りになった。

宿の近くには先進国並みのショッピングモールがあり、あまりの綺麗さに驚いた。中は空港のように広く、スーパーも日本よりも洗練されていて、何でも売っている。当然ここで買い物できる人は限られているのだろうが、モザンビークやマラウィではこのレベルの商業施設はちょっと考えられなかった。何よりきれいな格好をした黒人を見るのは、かなり久しぶりな気がした。同じバスでリロングウェから来たマラウィ人は、さぞビックリしたことだろう。

通りの車の交通量は多く、相変わらず中古の日本車が独占している。碁盤の目のような道路には広めの歩道というか緑地帯があり、大きめの敷地に壁で囲まれた低層の建物がポツンポツンと建っているのは、どこかアメリカの地方都市のようだ。ただ、歩いている人が少く、それなりの人口が住むにはどうも、人や建物の密度が低すぎる気がした。これで一国の首都の人口がくらしているのだろうか?いくらザンビアでも200万人くらいはいるだろう。


アフリカ南部は南にいくにつれて、発展してゆくと聞いたことがあるが、このあたりから変化がでてくるということなのかもしれない。この分だとボツワナ、ナミビアあたりはさらに発展していることだろう。南アフリカに関しては、以前会った旅人が「アフリカ縦断のご褒美のようなところ」というくらいだから、ほぼ先進国なのかもしれない。当然物価もあがっていくのだが。


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