ラベル エストニア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル エストニア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015/SEP/22 「生きた博物館」

パルヌの近くにはキフヌ島という伝統的な生活を守っている人たちの住む小さな島があり、‘生きた博物館’と呼ばれていた。そこには是非行ってみたいと思っていた。

あいにくパルヌからの船は、木、金、日曜しか出てないので、翌朝、バスでムナライド港へ行き、そこからフェリーで島に渡ることにした。

寂しげなフェリーターミナルは、中に太ったおばさんが一人座っているだけで人気がしなかった。しばらくして出航したフェリーは1時間でキフヌ島へ着いた。たぶん観光客は一人だ。他の乗客は地元民なので船がつくとさっさと家に帰っていって、一人取り残されてしまった。ターミナルの中にはスタッフすらおらず、子供のお絵かき程度のキフヌ島の地図が張ってあった。これが役立つかはわからないが、ほかに地図は持ってないので携帯で写真を撮っておく。

レンタルの自転車がたくさん停まっているが、人がいない。すると、ターミナルの建物には2階があり、そこに人の気配があった。裏の階段から2階にあがり、扉を開けるとまた太ったおばさんが座っていた。自転車をを借りたいと言うと、鍵を持ってきてくれた。

島には町のようなものはなく、中心に教会と小さな博物館があり、他は民家が点在しているだけのようだった。途中、何件か商店らしきものもあったが、スーパーなどは見当たらなかった。外を歩いている人はほとんどいない。まー商店街があるわけでもないので、みんな家の中にいるのだろう。民族衣装を着て暮らしてると聞いたが、外に人がいないので見られない。

せっかくなので博物館を見てから、島の南端の灯台を見に行った。1階建ての家しかないこの島では一番高い建物だろう。と思ったら近くにもっと高いアンテナが建っていて、がっかりした。


島の中をぐるぐると自転車で回ったが、3人くらいしか人は見かけられず、皆、伝統衣装のスカートは履いてなかった。今のところスカートを履いていたのは博物館のスタッフだけだ。生きた博物館は死んでしまったのだろうか。すると、後方の道を自転車に乗った伝統衣装のおばあさんが颯爽と通り過ぎていった。追いかけようとしたが、自転車を遠くに停めていたので追いかけられず、走りすぎていくおばあさんを見送った。生きた博物館は、かなり重病だが、まだ死んではいないようだ。







2015/SEP/20 「スイスのチャリダー」

タリンからサーマレー島へ行くことに決めて、宿をチェックアウトした。スタッフにサーマレー島の安宿を調べてもらうと、ドミトリーはすべていっぱいだった。すべてのホステルを当たってもらったが空きはなく、あとはホテルに泊るしかないと言う。安くとも35ユーロくらいだ。サーマレー島もどうしても行きたいというわけでも無いので、急遽行き先をパルヌに変えた。ホステルを調べてもらうとそっちは問題なさそうだった。タリンもそうだが、エストニアはホステルが不足してる。LCCの台等による急激なツーリズムの発展に供給が追いついてないようだ。

パルヌまではバスで2時間で着いた。小さな国なので移動は楽でいい。
調べておいた宿は古い建物を改修したようだったが、タリンのようにオシャレではなく、古いとしか説明のしようのない宿だった。ドミにはスイス人が一人、窓際のベッドにいるだけだった。彼はルーカスといい、自転車でスイスから出発して、ドイツ、スカンジナビアを走破して、エストニアに来たらしい。バルト3国のあとは西へ向かうという。冬はアルプスでスキーのガイドやってるから、それまでにスイスに帰ると言った。

スカンジナビアでは毎日テント泊で、2週間誰にも会わないこともざらだったと話した。でも白夜で夜遅くまで走れるから、朝の苦手な彼には良かったらしい。ただし、物価はエストニアの3倍だ。

ベッドのまわりには大量の荷物があったが、すべてスタッフバックに分けられていて、装備類はかなり充実していた。他にも山に登ったり、カヌーをしたりとかなりアウトドアマンで、クライミングやスノーボードの話で盛り上がった。英語のあまり上手くないルーカスはその分、笑顔で補ういいやつだった。

街を歩きに出て、すこし離れたところにあるビーチまで歩いた。泳ぐにはもう寒く、散歩をしている人がぱらぱらといるだけだった。ビーチにはたくさんの遊具が設置されていて、ひとつだけ離れた位置の象の滑り台が、浸水しかけていたのが妙にシュールだった。

ロシア以降は人の写真を取ろうとすると、断わられ続けた。ここでもやはり人々は写真を嫌ったが、物乞いのおじいさんだけは写真を撮れと言って、撮った写真を見せると笑顔で去っていった。有名人のようで周りの人達から道で挨拶されていた。、
やはり人の写真はいいもので、変化する表情や偶然の一瞬を捉えるということには常に惹かれる。もうすこし写真が上手く撮れるようになりたい。





2015/SEP/19 「キノコの森」

エストニアは調べてみると、タリン以外では島と国立公園が有名らしい。

ラヘマー国立公園はタリンのすぐ近くにあり、アクセスが良かった。公園自体はかなり広範囲だが、その中で興味のある湿地帯だけなら、日帰りできそうだったので、宿は移動せずに行ってみることにした。

朝、朝食を食べ、同じ材料でサンドイッチを作って、フルーツと水と一緒にサブバックに入れた。バスはバスターミナルでなく、駅前から出発なので楽だ。乗るときに伝えていたので、運ちゃんは公園へ入るT字路で降ろしてくれた。

湿地帯は木の桟橋が架けられて、よく整備されていた。天気は曇りですこし風が出ていたが、草花が風に揺られて、湿地帯にはぴったりの雰囲気を醸し出してくれた。入り口付近には団体が固まって歩いていたので、抜かしてすこし早足で歩いて距離をとった。しばらく行くともう周りには誰もいなくなって、見渡す限りの自然の中にいた。針葉樹林の間を縫うようにはしる湿地帯の池は空を反射し、赤や黄色のコケが地面を覆い、その上に紅葉した草が生い茂り、とてもカラフルなランドスケープを作っていた。さぞかし空気も美味しいだろうと大きく深呼吸をしてから、桟橋をどんどん歩いた。

2時間くらい歩くと桟橋が終わり、森の中の道がすこし続き、1本の道路に出た。そこにはベンチがあり、車が数台停まっていた。きっとここから歩き始める人もいるのだろう。
ベンチに座り、サンドイッチとプラム、平らな桃をひとつずつ食べた。道がわからなかったが、道路の反対側の道を進むことにした。そこはトレッキングルートというよりは車の轍が森の中へ続いていた。とりあえず、北へ向かって歩くことにした。7キロも行けば幹線道路に出られるはずだ。

奥へ進むと、轍はどんどん別れていき、いろいろな角度の轍の道が森の中のいたるところを走っていた、かなり不自然だ。しばらく行くと、車が停まっていた。見回すと、いろいろな方向に車が見えるし、歩いてる人もたくさんいる。しかもどう見てもトレッキングという格好ではない。近くにいたおばあさんに近寄って聞いてみるとキノコを取りに来たと教えてくれた。手にある篭の中には数種類の見たことのないキノコがベリーと一緒に入っていた。

帰りはあまりにバスが来ないのでヒッチを試みたが、2時間経っても一切車は停まらなかった。バルト3国ではヒッチという甘い考えは捨てよう。






2015/SEP/17 「ヨーロッパ」

サンクトペテルブルグからエストニアへのバスは€14にしては快適でWifiまであった。ロシア出国はすんなりと手続きが終わり、国境の橋をバスで越える。この国境は川を挟んでロシア側は厳つい要塞、エストニア側には古城が向かい合っていて、なかなかの景観だ。こんな豪華な国境は見たことがない。

タリンのバスターミナルに着いて、とりあえずATMでお金をおろす。出てきたお金は当然ユーロ紙幣だが、それを見て、ついにヨーロッパに入ったんだなと実感した。タリンのバスターミナルは明るく近代的で、スタッフも英語が通じた。いいところだなーとしみじみとロシアの切符売り場を思い出した。スタッフに旧市街への行き方を教わり、トラムに乗った。

タリンの旧市街はヨーロッパの他の有名な旧市街と比べても、とても美しい中世の姿を保っていた。西ヨーロッパ、北欧からの観光客が多く、週末は宿の確保が難しいほどだ。宿は2軒ほど回って、なんとかドミトリーのベッドを確保できた。街は旧市街とは別に新しいシティーセンターがあり、旧市街は主に観光客用になっていた。プラハやクラコフなど世界遺産になるほどの旧市街は、ほとんどがこういったつくりで、まるでディズニーランドのようだ。ヨーロッパではイタリアだけが例外だろう。そういう意味でサンクトペテルブルグは古い街が今でも町の中心で生活の場というのが良かった。


旧市街の東側に城壁に登れる場所があり、城壁の上から街を眺めた。そこにはオレンジ色の瓦屋根が街を覆い、屋根の間からは緑があふれていた。ここはもうヨーロッパだ。






Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...