ラベル レソト の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル レソト の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016/SEP/29 「セモンコンロッジ」

昨夜は20時過ぎにセモンコンロッジに着いた。モコトロンからバスで7時間半で首都マセルに着き、マセルでミニバスに乗り換え、席が埋まるのを1時間ほど待って、さらに3時間半の道のりだった。すでに真っ暗でよく見えなかったので、ミニバスの運ちゃんがロッジまで送ってくれたのだが、レセプションの建物の前で車を止めると、車のホーンを鳴らしまくり、レセプションの白人のおばさんはかなり不機嫌そうに出てきた。それでもチェックインを済ませて、スタッフがキャンプサイトへ案内してくれて、真っ暗の中、テントを張り、寝袋にもぐりこんだ。

ところが、標高が2200mくらいだったので油断して着込まずに寝ると、夜中寒くて全く寝れなかった。こんなに寒かったのはジンバブエのハラレでテント泊した時以来だ。と言ってもマイナスとかいうレベルでなく、多分、5度前後だろう。モンベルの寝袋#3の設定温度は覚えてないが、長旅でくたびれてしまった寝袋は8度くらいまでしか快眠は期待できないことが分かってきた。

外が明るくなり、少し気温が上がってからテントからはい出て、直ぐにキッチンでコーヒーをいれた。身体が冷えきっている。このキッチンはスタッフと共用のようで、クリーニングのおばちゃんが入ってきて「あんたテントかい?昨日は寒かったろー」と話しかけてきた。おばちゃんも朝食のようで、紅茶を入れ、戸棚からパンを出してきてかじり出した。粉末のトマトスープに持っていた玉葱、トマト切って入れてスープを作り、僅かに残っていたパンをつけて食べた。

明るくなって見ると、この宿はかなり良くできた宿で、建物やインテリアの感じもとても良い。何より渓谷のような場所の渓流の畔にあり、自然を感じられる素晴らしいロケーションだ。一番奥の建物に白人オーナーが暮らしているようで、彼がいいセンスの持ち主なのだろう。以前リゾートの設計をやっていたこともあり、アフリカでもこの手のホテルに来ると、部屋を見せてもらっていた。早速クリーニングのおばちゃんに頼み、各種ヴィラやスイートの部屋を見せてもらった。完成度は有名リゾートチェーンには及ばないが、14000円の宿としては、抜群にいい。レソトの伝統的な建物の円形の物と、切妻のものがあり、全て茅葺きと石壁で統一されている。そのなかに建物グループ毎にキッチン棟や外部テーブルなどが配置されていて、自分達で調理ができるので長期滞在者にもバックパッカーにも良い。斜面の上の方にドミトリーもあり、そっちにもキッチン棟がある。テントなら1100ロチ(730)でこんな素晴らしい所に泊まれるのはスゴい。丘の上には厩舎があり、ホテルの真ん中に通る坂道には馬に乗った人がパカパカと歩いて通る。ただ、更なる拡張工事をしているようで、新しく建てているエリアはそこまで魅力的ではなかった。配置が規則的すぎるし、十分な緑もなく、歩かせる距離が長すぎる。既存の部分は密度が高く、建物と建物の間が上手くランドスケープでデザインされていて、全体的に上手く解かれているように感じた。

セモンコンにはレソトで一番という滝がある。しかも、この宿から歩いていけるらしい。レセプションで地図をもらい、宿のある斜面を登り始めた。

なだらかな地形が続いて、その先に村がある。綺麗な村ではないが、馬に乗った男と沢山すれ違った。ここでは馬に乗る人がたくさんいて、いい雰囲気だ。通りがかった村人に頼んで住居の中を見せてもらった。円形の石積壁に茅葺き屋根。中央には火をおこして調理をする場所があり、壁際に鍋や食器の棚があった。横にはベッドが1つ置いてあったが、今は隣に建てた、新しい四角い建物で寝ているという。何処も変化の波があるのは仕方ないことだ。

お礼を言って、その家を後にした。そこから30分も歩くと緑の大地に大きな亀裂が見えてきた。近づくと深さ200mはありそうな渓谷になっていて、滝はここにあるに違いなかった。崖沿いに東へ巻いていくと、滝が見えてきた。雨季ではないので、水量は多くないが、地面の裂け目のような渓谷に落ちてゆく、なかなか迫力ある光景だ。

しばらく歩き回り、滝を見ながら昼飯を食べる場所を探した。ちょうど滝に向かって張り出した崖があり、そこで持ってきたランチを食べた。風もなく、滝の音以外、何も聞こえない。向こうに馬に乗った村人が通ってゆくのが見える。ここもなかなかいいところだ。














2016/SEP/27 「南部アフリカ最高峰」

モコトロンを朝に出て、サニパスへ向かった。サニパスはレソト東部の南アとの国境で、峠の一番上にイミグレがある。レソト北部から東部にかけて続く、500mほどの高さの崖がレソト、南アの国境で、ここからはその地形がよくわかった。周囲にはなにもなく、イミグレの隣の崖の上に、サニトップシャレーという割と豪華な宿があり、そこの離れがバックパッカー用のドミトリーになっていた。常に風速20mくらいはありそうな風が吹き、なだらかな緑の丘のような地形が延々続いている。標高は2850mで日差しは強いが、夜はかなりの寒さになる。ここはどこかチベットのような雰囲気がある。

ドミトリーの値段を聞くと、1250ロチ(1850)とべらぼうな値段だったので、テントを張ろうと思ったが、とても中国産テントでは太刀打ちできる風ではなく、渋々ドミトリーに収まった。ここでテントを失うわけにはいかない。

着いた日は、昼前だったので、午後から馬を借りてハドソンズ ピークへ行ってみた。近くに住む遊牧民が、馬を二頭連れてきて、一緒に2時間半で往復した。料金は3時間分取られたが、それでも270ロチ(2000)と南アに比べるとかなり安かった。景色も良く、距離もそこまで長くなく、ここはお薦めのルートだ。

そして今日はここへ来た目的の、南部アフリカの最高峰タバナ ントレニャナに登る。高さは3482mなので、600mくらいしか登らないが、サニパスからは17キロ以上離れていて、往復9~11時間かかる。道が分からないので、宿でガイドを手配してもらっていた。

朝の6時にガイドが迎えに来て、出発した。天気は曇りだ。風が強く、かなり寒い。今にも雨が降りそうで怖い。寒いので、コーヒーをいれようと思ったが、昨夜、ここに泊まってるドイツ人学生グループにライターを貸して返してもらってないことに気がついた。この時間では寝ているだろう。起こすのも悪いので、コーヒーを諦めてランチのサンドイッチを作り、ランチの材料の残りを朝食がわりに食べて、出発した。

風が強く、太陽が出てないので寒い。ガイドも相当に着こんでいる。回りにはなだらかな丘のような山が続いている。

寒さと風でうつ向きながら、前に進む。しばらくすると、サニパスからトラバースして、その奥の地形に入った。だが、景色はさっきとかわらない。向こうまでずっと、なだらかな丘が続いている。他には何にもない。なんか思っていたのと違うなーとこの辺りで気がついた。天空の国と呼ばれるレソトは、確かに標高はあるが、南アフリカからちょうど切り立った崖を越えたような地形で、その中はなだらかな緑の丘が続いている。景色としてはあまりドラマチックではないということだ。しかも、まっ平らと言うわけではなく、歩けばそこそこ傾斜を感じる登りと下りの繰り返しだ。多分、この山は南部アフリカ最高峰といっても、全然ポピュラーではなく、ツーリストも来ないので、歩いていても、一時間に一度くらい羊飼いとすれ違うくらいで、誰にも会うことはない。

まーこういうのも悪くはないが、ちょっと距離がながい。これだけ歩いても殆ど似たような景色なので、あまり歩く気力が湧いてこない。

途中川があり、少し休憩した時に、ガイドが「写真は撮らないのか?」と言うので、数枚取った。距離は長いが、ガイドと二人なのでかなりのハイペースで歩いた。9時間で戻れば、午後4時まであるという、モコトロン行きのミニバスに乗ることができる。ここは悪くないところだが、宿が予算オーバーなので今日のうちに移動したい。

幾つかの谷を越えて、丘の上に上がったときにガイドが「あれがタバナ ントレニャナだ」と指差した。「あれかーー。。。。」山というよりは完全に丘だ。回りにも同じような起伏があり、そこが一番高いと言う以外の何でもない。しかも、まだまだ距離はありそうだ。見なきゃ良かったと思った。

まーでも、ここまで来て登らないのも無いなと気を引き閉めて、早歩きて進む。まるでガイドと競歩してるくらいの歩きで、タバナ ントレニャナの最後の登りまでやってきた。流石に最高峰らしく、ここからは風が半端ない。前に進むのもキツいくらいだが、辛うじて風は右から左へ流れているのでなんとか進める。確か今日の天気予報は降水確率50%、風速40mだった。

頂上直下で、あとはここを登ればというところに着いた。風の音がスゴい。ゴアジャケットのフードを被って、一気に頂上に上がると、そこは信じられないくらいの風で、真っ直ぐ立つのでさえ、厳しかった。歩いても飛ばされそうになるし、頂上には石を積んであるだけで、標識も何もなかった。ここはきっとツーリズム的に全く重要では無いのだろう。ガイドとなんとか上がってきたが、風が強くて、声も通らないし、風のない頂上裏側に行けとジェスチャーするのが、精一杯だ。取りあえず、風に負けずになんとか写真撮影をして、裏の岩の下に避難した。

ここは風が通らないようで、落ち着いていた。ガイドと共にランチを食べ、少し休んでから帰路に着いた。

帰りは、早くつくことだけを考えて歩いたが、途中から雨に合い、ずぶ濡れになった。油断してタイパンツで来たのが間違いだった。濡れた身体に追い討ちをかけるように強風が襲う。寒い。

30
分ほどで雨は止み、そのあとはずっと曇りだったが、冷えた体が暖まらずに寒かった。

宿に戻ると3時前で、9時間はかからずに戻ってこれた。本当は直ぐにミニバスに乗る予定だったが、風邪を引くので暖かいシャワーを浴びることにした。ドイツ人達はもう出たようで、いなかった。結局ライターは戻ってこなかった。ダメなドイツ人達だ。

シャワーを浴びて、着替えて、荷物を纏めた。まだミニバスがあるかは分からなかったが、取りあえずサニパスの上のイミグレに行くことにした。ここで、止まる南アからのミニバスに乗ればいいらしい。

風は更に勢いを増して、道路を歩くのが困難になっていた。なんとかイミグレの建物に行き、イミグレスタッフに「ミニバスは来るかな?」と聞くと「どっから来たんだ?VISAはあるのか?パスポートを見せろ」と言ってきた。「日本人はVISAは不要だよ」といって、パスポートを渡すと「入国スタンプないぞ!」と言う。確か、レソトに入ったときレソト側にはイミグレも何もなく、他の乗客に聞くと「問題ない。出国の時、南ア側でスタンプ貰うんだ」と言われたので、そのまま、ここまでやってきたのだった。「不要って言われたよ」と言うと、「そんなわけないだろ!」と少し怒こっている。だが、南アの出国スタンプを見せると、入国スタンプを押してくれた。「あと何日いるんだ?」と聞かれて「5日くらいかな」と答えると、スタンプに5DAYSとボールペンでしっかりと書かれた。やっぱり、入国スタンプ無しでいいわけない。

そのあと直ぐにきたモコトロン行きのミニバスに無事に乗ることができ、サニパスをあとにした。恐ろしい風で車も横転するじゃと心配したが、想像以上の人数と荷物が乗っていて風で飛ばされる心配は無さそうだった。






















2016/SEP/25 「アフリカで唯一のスキー場」

朝の7時にハリスが、タクシーランクまで送ってくれた。ハリスは朝5時から仕事に出たが、7時にわざわざ戻ってきて、送り届けてくれた。なんていいやつなんだ。

タクシーランクには、10人くらいのレソト行きのタクシーを待つ人がいたが、タクシーはなかった。一時間ほど待つとプレトリアやヨハネスで走っているハイエースの大きいバージョンのトヨタ・クオンタムがやって来て、皆乗り込んだ。アフリカ全土でミニバスとして活躍する中古のハイエースだが、狭くてあまり快適とは言えない。それが南アではクオンタムという一回り大きな車種になり、椅子の数しか人も乗せないので大分楽だ。

クオンタムは町から30分ほどのレソトボーダーへ行き、皆を下ろして帰っていった。南ア出国手続きをして、ゲートを出るとトレーラーハウスが止まっているだけで、何もない。ここでレソト側のバスが来るのを待つらしい。トレーラーハウスが軽食屋だったので、コーヒーとリンゴを買い、他の人達と一緒に座って待つことにした。ここはずいぶん景色のいい国境だ。

しばらくするとハイエースが一台やってきた。これがレソトの北部の町、ボタボテに行く。南アからレソトに入り、クオンタムからボロイハイエースになったのは、国の豊かさを反映した感じがした。


ボタボテまでは未舗装で、三回ほど橋のない川を渡らないと行けなかったが、道中景色がよく、素朴な村が見れて良かった。ボタボテで泊まろうかと思っていたが、モコトロン行きのミニバスがまだあるというので、そこまで進むことにした。

モコトロンは4時間半ほどかかり、着いたときには既に日が暮れかけていた。道中、噂にきくアフリカで唯一のスキー場が見えた。山あいの乾燥した大地に、1本のスロープが見える。幅10m、長さ500mくらいだろうか。リフトらしきものはない。雪は一切見当たらず、茶色の草に覆われた地面が広がっている。アフリカ唯一のスキー場というか、アフリカ唯一のスキースロープだ。どれだけの客が来るのか分からないが、下の方にスイスにでもありそうな、ロッジが見える。とてもシュールな景色だ。もう2ヶ月くらい早くここにくれば、アフリカでスノーボードが出来たなーと少し心が惹かれた。

モコトロンは宿を調べてなかったので、町の人に聞いて、数件あたり、Boikhethelo Guest Houseという宿が、150ロチ(1,095円)にまけてくれたのでそこに泊まることにした。ツーリスト用の高い宿でレソト伝統住居を模した建物になっている。大分大きな部屋でベッドが4つもあった。これで150ということは本当に客がいないのだろう。ここのおばちゃん達は人懐っこく、陽気で、一人しかいない宿泊客の為に色々と世話してくれた。

飯を食いに出ると、通りで何処からか名前を呼ぶ声が聞こえた。暗かったので、誰がいるのか分からなかったが、声は近づいてきて、隣の敷地からだと気がついた。よく見ると女の人が立っていて、ウガンダのカンパラで会った、アヤさんだった。5ヶ月ぶりくらいだ。この暗闇でよくわかったなーと感心した。アヤさんはGrowという宿に泊まっていて、そこはテントが張れるらしい。さっき目の前を通ったときは看板がなく、宿だとは気がつかなかった。アヤさんのテントは、前に見たアフリカ縦断者御用達のチャイナテントではなくなっていた。フライシートの付いたちゃんとした物に見える。聞くと、前のは骨も折れ、雨で水没し、買い換えたらしい。あのテントは軽くて安いが、雨にも風にも弱いのが難点だ。

一緒に夕飯に行こうと思ったが、週末でレストランはすべての閉まっていて、辛うじて開いていたスーパーで食パンと鯖の缶詰を買って、Growのキッチンで食べた。

もう10年くらいワーホリやボランティアを挟みながら旅を続けているアヤさんは、この後、モザンビークのマプトで、魚市場の中にオープンする日本食居酒屋のオープニングを手伝うという。最近、マプトの魚市場の経営権を日本企業が買ったらしく、その会社が市場の魚を使って刺身とかを提供する店を出すという。アヤさんは知り合い経由で、3ヶ月ほど手伝ってくれと頼まれたらしい。

南アではスーパーでも寿司が売っているほど浸透している日本食だが、モザンビークでは見るとこはなかった。北部しか回ってないが、あの国はこの辺りでマラウィに並ぶ、貧しさだった。アフリカに山ほどいるJICA隊員と大使館員、南アからの出張者を目当てにしてるのだろうか。ただ、モザンビークはツーリストは少ないが、東アフリカで一番の海を持ち、かなりポテンシャルの高い国だ。ひょっとしたら今後の発展を確信しているのかもしれない。その日は、久しぶりの知り合いとの再会で、遅くまで旅の話で盛り上がった。






















Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...