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2016/MAR/27 「カセセの医療事情」

スタンリー山から戻った翌日、また高熱が出た。疲れからかなと思ったが病院に行くと登山前の細菌感染がまだ残っているといわれた。また抗生物質をもらい二日ほど飲んだがよくなる気配はない。しかも今回は嘔吐を繰り返し、熱も下がらない。

再度病院へ行くと今度は別の抗生物質を点滴で投与した。八時間に一回投与する必要があるので、そのまま病院に一泊し、翌日の夕方にホテルへ戻ったが、その翌日にまた病院へいき同じ抗生物質を再度投与した。


この病院は宿泊しても食事もでないので自分で調達しなければならない。小さな町でレストランは限られているが、何処も酷い味だ。医者の勧める町一番レストランへも行ってみたが、メニューの半分は材料がなく作れないと言う有様だ。メニューにはピザやパスタもあるが、パスタは何故か中華料理の欄にある。ちなみに中華料理の欄にはパスタしかないのだが。結局作れるのはローカルの羊や牛のシチューやフライドチキンやポテトだけだった。この町のローカル料理は、すべて味付けが濃すぎてかえって体調が悪化しそうだ。

この病院では毎回違う医者が出てきて、今までの経緯を毎回説明する必要があった。患者の情報の引き継ぎがまったくない。投与した薬の種類も患者に聞かないと分からない始末だ。しかも、しょっちゅう病院からいなくなり、たいしたことのない処置に何時間もかかる。病院に医者が一人もいないという状態がよく起こる。早く大きな町の大きな病院に移らないとャバそうだ。

カセセの病院のベッドには蚊帳が着いている。病院のベッドに蚊帳が付いているのは始めてみたが、よく考えると、ここはマラリア汚染地帯で、現地人も警戒するほどマラリア多発地帯だ。体力の低下している今刺されればイチコロだろう。早くここから脱出したいが、今の体調ではとても移動できそうにない。病院も医者も酷いし、まともな飯を食うところさえないが、移動もできないので、しばらくここでマラリアに怯えながら頑張るしかない。いやな悪循環にはまり込んでしまった気分だ。

少しでも良くなった、無理してでもルワンダへ抜けよう。

2016/MAR/19 「過酷な山頂アタック」

山頂アタックは標高4541mにあるエレナ小屋からだ。昨日、ブジュク小屋から5時間かけてエレナ小屋に到着した。ブジュク小屋からの登りでは、湖と渓谷が眺められる素晴らしいビューポイントがあった。急な峠を越えるとエレナ小屋があり、目の前のMt.Bakerの逆側には下山ルートの渓谷が広がっていた。この山域は本当に広い。ここまで来ると、さすがにもう樹木はなく。岩と苔だけだった。小屋からはマルガリータ峰は見えなかったが、他の山の頂にも氷河があるのが見え、テンションがあがる。やはり岩山はかっこいい。

朝の4時に簡単な朝食を食べてからエレナ小屋を出発した。夜中に雪が降ったようで、岩肌の上に薄い雪が被さり、それが凍りついて、危険極まりなかった。滑るのでゆっくりとしか進めず、氷河に着くまでの登りにかなりの時間を要してしまった。氷河の手前でアイゼンを装着して、ピッケルを握り、氷河に飛び乗った。氷河は二つあり、最初の氷河は比較的平らなので、ロープは必要ない。氷河を歩いているうちに、あたりがうっすらと明るくなり始めた。霧がかっているので周りがすべて赤く染まって、不思議な感じだ。まるで赤い空気の中を歩いているようだ。

氷河を渡りきると、また岩場が待っていたが、ここも昨夜の雪があり、アイゼンを着けたまま歩くと、雪が薄く、岩にアイゼンの刃があたり歩きづらかった。しばらく進むと少し下りがあり、そこを降りると、そこには雲海が広がっていた。太陽が上がり始め、雲の隙間から光を出して、あたりを照らしだした。雲の下に広がる谷には、湖が雲を反射しているのがみえる。すばらしい景色だ。後ろを振り返ると、マルガリータ峰と2つ目の氷河が見えた。かなりの斜度だ。いったいどこから氷河に取り付くのだろうか。

ガイドのデニスを先頭に、急な岩の斜面を登り、氷河の端にたどり着いた。ここでデニスがハーネスにロープを結びつけ、全員をつないだ。まず彼が、目の前の氷河を上り始めた。かなり角度があり、なおかつ大きなクレパスの横を登らなければならず、危険極まりない。ガイドが登りきり、ロープを張ってから後を追う。ピッケルを刺しながらアイゼンの前爪で一歩一歩登る。これはもう普通の旅行者が気軽にこられる山ではない。全員がロープが垂れない用に距離を置いて、氷河を登り続けた。先頭のデニスは、雪で隠れたクレパスの場所にXマークを書いて進むので、そこは踏まないように登る。ガイド達のハーネスはあまりにぼろぼろで、壊れた部分を紐でつないでいる。これで誰か落っこちたら、彼らのハーネスはもたないだろう。しかも、デニスのアイゼンは旧式で何度も紐が解けて、そのたびに立ち止まり結びなおした。よくこんな装備でこんな山を登るなーと思ったが、ウガンダではアウトドアの装備を購入できる店はないので、あるものを使うしかないのかもしれない。

氷河を登りきると、大きな氷柱があり、そこはまるで雲海の上に浮いているかのようだった。その氷柱の横を通り、裏側の雪の斜面をトラバースすると、あとは頂上まで急な岩場になった。標高は5000mを超え、ここが最後の登りだったが、空気の薄さで息切れが激しく、苦戦した。30分ほど登ると、岩山の先端にマルガリータと書かれた看板がみえた。ようやく山頂だ。残念ながら、下から上がってきた霧に追い抜かれ、山頂はガスって、何も見えなかった。時間を見ると10時をまわっていた。予想よりもはるかに時間がかかった。こんなに大変だとは思ってなかったが、降りはもっと危険だろうと不安がよぎった。しかも今日はエレナ小屋からさらに先の小屋まで降らないとならない。いったい何時間歩くのだろう。

待っても晴れる気配はないので、15分ほどで山頂を後にした。これまで1日に歩く時間はそれほど長くなかったが、山頂アタックの日だけ信じられない過酷さだ。ただし、この日の景色は前日までとは比べ物にならないほど美しかった。たぶん今までアフリカで見た中で一番の景色だろう。





















2016/MAR/17 「コンゴの国境」

ルウェンゾリはコンゴとの国境をつくる山岳地帯で、昔はコンゴ側からも登山ができたという。内戦が始まり、終結後も武装ゲリラがコンゴ北西部のジャングルに潜伏したため、コンゴ側は、もはや登山どころではない。。

3日目の今日は標高3962mのブジュク小屋まですすむ。道は相変わらず緑が覆い茂っていたが、いくつか開けた湿原があり、晴れていたので景色がとてもよかった。湿原には尾瀬ヶ原のように木の桟橋があり、歩きやすい。森の中に入ると苔だらけだ。さらに進んで渓谷斜面のトラバースを歩いてゆくと、ついにスタンリー山の最高峰マルガリータ峰が見えた。二つの尖った岩山の間には氷河がみえる。ここから見るとあんなところを登るのかーと心配になる。まだかなり距離もある。たしか、マルガリータの山頂アタックは明後日の予定だ。

大きな湖を越えて、1時間ほど進むと今夜の山小屋があった。チャイを作ってもらい、休んだ。ここからはMt.Bakerがよく見える。天気は不安定だが、少したつと晴れ間が見えてきた。この山の真ん中には何故か滝のような白いラインが見える。ガイドに聞くと、それは石灰石だと教えてくれた。

ガイドにあらかじめ、コンゴ国境へ行きたいと伝えておいたので、休憩の後、山小屋から裏側へ登り始めた。急な登りを登りきると、開けた峠のようなところに出た。標高は4300くらいはあるが、まだ妙な形の木が生えている。日本ならとっくに森林限界を超えていて、生えていても這松くらいのはずだ。赤道近くだけあって、生態系も日本の山とはまったく違う。



ガイドは峠が下りはじめるところで立ち止まり、そこがコンゴ国境だと教えてくれた。ここから2日ほど降るとコンゴの最初の村があるらしい。とりあえずコンゴに入ってみようと、少し先のコンゴ側に立ち、ガイドたちと記念写真を撮った。カンパラの宿でオーストリア人からコンゴVISAの取り方を教えてもらっていたが、結構お金がかかるし、国境付近しかいけないので、ここでコンゴに少し踏み入るのとそう変わらない気がした。しかも、ルウェンゾリのコンゴ側の人たちは基本的にここのガイドやポーターと同じ人種で、話す言葉も同じだ。やはり、キンサシャへ行けないのであれば、わざわざVISAを取ってコンゴへ行かなくていいような気がした。












2016/MAR/15 「Rain Maker」

 昨日1日休むと、熱は下がり、体調も良くなった。もう1日休むか悩んだが、登山してるうちに体調も良くなるだろうと今日から登ることにした。

前日にレンタル品の確認をしたが、用意すると言っていた物は全て揃ってなく、ハーネス、アイゼン、アイゼンを付けれる登山靴だけしか用意されてなかった。無いものは明日、国立公園入口にある、彼らの事務職で確認すると言うが怪しい。全額今日払えと言うが、半額だけ払い、明日、道具の確認をして、揃ってなければ登山はキャンセル、全額返金と一筆書いてもらった。

今朝、迎えの車で国立公園入口の事務所へ行き、ガイド、ポーター、コックと会った。道具は用意していたが、持ってくると言っていたヘッドライン、サングラス、防寒着はなく、自前のものを使用することになった。防寒着だけはガイドのフリースを貸してくれることになった。

国立公園入口で、登録を済ませ、エスコートの軍人二人が加わった。仕事とはいえ、1週間の登山に付き合わされるとは不運な軍人達だ。しかも、使うことのないであろう、ライフルと弾も運ばないといけない。

パーティーはガイド二人、コック一人、ポーター7人、エスコート二人の計12人と膨れ上がった。こんな大きなパーティーをわざわざ編成してもらって、すこし恐縮だ。

ゲートの標高は1600mくらいで、今日は2500くらいにある小屋まで行く。赤道近くで亜熱帯なので、景色はかなりジャングルだ。湿気が多く、苔がいたるところに生えている。

小屋に着く前に雨が降り始め、レインウェアを着ていても小屋に着くころには、かなり濡れてしまった。エスコートの軍人達は小屋に入らず、外の岩の下で焚き火を起こして、お茶を作り出した。この小屋は軍隊の訓練で使っているようで、他にも軍人がライフルを担いで登ってきた。濡れた靴や、靴下は焚き火で乾かしてもらうことにした。

このルウェンゾリ国立公園は365日、雨が降ると言われている。そのせいで森の中は苔だらけなのだろう。野口健が「こんなに神秘的な山は見たことがない」というのも、赤道直下で通年降りつづける雨が作る生態系のことだろう。ガイドのデニスが、ルウェンゾリとは彼らの言葉で‘Rain maker’という意味だと教えてくれた。どうりでたくさん降るわけだ。











2016/MAR/13 「スタンレー山」

ウガンダに入ってから、ウガンダとコンゴの国境にルウェンゾリ国立公園というのがあり、5000m級の山が雪を戴いて山脈を作っていることを知った。その中心がスタンレー山で5109mはアフリカ第三位の高さを誇っていた。この山に惹かれたのはキリマンジャロ、ケニア山が共に独立峰なのに対し、連峰だったことだ。独立峰ということは富士山のように登ってる時には周りに景色はない。だが、スタンレーは連峰なので、登っているときに周りの山が見られる。つまり北アルプスのようなものだ。アフリカにそんなところがあるとは全く知らなかった。ネットで調べてもこの山に登った旅人のブログは見つからず、唯一見つけたのはアルピニストの野口健の登山のブログだけだった。野口健は「こんなに神秘的な山は始めてだ」と書いていた。

登山の詳細はカンパラの宿でツアー会社のパンフレットがあり、詳しく見ることができた。この山は国立公園の入り口からかなり距離があるので、スタンレー山の最高点マルガリータピークに登頂するには最低1週間必要なこと。国立公園の中には無人の小屋しかないので、ガイド以外にコック、ポーターがかなりの人数必要なことが分かった。またキリマンジャロのように大量のツーリストが来るわけではないので、装備のレンタルが乏しい。この会社が用意するのはアイゼン、ピッケル、ハーネス、ロープのみとなっている。そして料金は3人以下の場合1200ドルプラス国立公園入園料とある。入園料は135ドルなので1週間で245ドルだ。キリマンジャロに登るより高い!

流石にこの値段では登れないなーと思ったが、ロンプラにはもう一社名前があり、カッセセに事務所があるので、カッセセに行って聞いてみることにした。

昨日カッセセに着くとフォートポータルで出始めた熱が、酷くなり39まで上がってしまった。ホテルのスタッフにツアー会社を聞くとホテルに呼んでくれ、レセプションで話をすることができた。男はレンタルに登山靴や寝袋、暖かい服も加えて、全て込みで1400ドルだといった。やはりそんなものかーとガッカリしたが、「予算がないんだ」と言うと「じゃーいくらだ?」と言うので「900ドルだ」と言うと、首を傾げた。

「せめて1000ドルは出せないのか?」と言うので「900が上限なんだ」と言うとちょっと待てと言い電話を始めた。高熱でもう話をするのがしんどいので、そろそろ決められないとまずいーと思った。男はしばらく話をしたあとに、電話を切って、「オッケーだ」と答えた。

予想外に値段が落ちて、これなら行ってみようかなとおもった。しかし、熱が39もあるので、取り合えず病院に行くから、出発は早くとも明後日以降だと伝えて別れた。男は「カッセセから国立公園までは自力で来い」と言うので、「それも含むようにボスに話してくれ、含まなければ行かないよ」と言って病院へ向かった。

カッセセには大きな病院はなく、ホテルから歩いて5分の所にあるクリニックに駆け込んだ。太っちょの女医は体温計で熱を計り、血圧と脈を見てから、血液検査の為に採血をした。そして、熱を下げるために臀部に注射を一本。ジプチの時と同じやつだ。これを打つと直ぐに熱は下がる。

しばらくすると、血液検査の結果がでて、マラリアではないことが分かった。白血球の数が落ちてるようで、女医は多分食べ物からの感染症じゃないかと話した。隣の看護婦は何やら注射の用意を始めている。そして、腕をゴム手袋で縛ってから注射を打つ直前に「この辺りはマラリアが酷いからマラリアの予防薬も打つよ。注射と飲み薬を3日間飲めばいい。あとは抗生物質の注射ね」マラリア予防薬は頼んでないよと言うが、この辺の人は皆、同じ予防薬を定期的に打ってるよという。針も一回打つだけで、両方の薬を入れられるからと言われ、まーいいかなと腕を差し出した。まず、マラリア予防薬を2本注入。そのあと立て続けに抗生物質を注入した。

注入が終わると急に気持ち悪くなり、目眩が始まった。そして、足と腕が痺れてきて、大量の汗が出始めた。吐き気が酷く、バケツをもらい何度も吐いた。痺れは全身に広がってきた。顔から滝のような汗が流れている。これはヤバイなと思ったが、ドクターは出掛けてしまったらしく、看護婦はドクターに電話をかけるがつながらない。看護婦は薬のアレルギーだという。しばらくして吐き気が収まり、今度は下痢が襲ってきた。トイレに篭り今度は下痢と戦う。その間も額から汗が床にボタボタ流れ小さな湖を造った。これは昔、中米で拳銃強盗にあっとときよりヤバイと思ったが、20分もするとなんとか痺れが引いてきた。下痢も出しきると一段落したのでベッドに戻り、横になった。なんとか乗り越えたようだ。ようやく看護婦がドクターに連絡が取れたようで、患者は安定しましたと報告していた。

酷い脱水症状になっていたので、点滴をつなぎ、二本打ち終わると気分もだいぶ良くなってきた。

ドクターも戻ってきて、「アレルギーあるって何で言わなかったのー」とふんぞり返って笑っている。はち切れんばかりに出っ張った腹をぶん殴ろうかと思ったが、そんな力はもはや出ない。

結局アレルギーはマラリア予防薬が原因か抗生物質が原因か分からないので、マラリア予防の飲み薬は飲まないことになった。そもそも頼んでないし。抗生物質の飲み薬も注射したものとは違う物に変えた。今度のはそんなに強くないらしく、これから8日間飲み続けることになる。ドイツ製と聞いて、なんとなく安心感がある。ちなみに変える前のはMade in China

この病院はヤバイなと思ったが、抗生物質さえ飲めば終わるだろうと薬をもらってフラフラしながら宿へ戻った。このときはこの病院と長い付き合いになるとは思いもしなかった。




2016/MAR/12 「小人の国へようこそ」

フォートポータルへ来たのはピグミーの村を訪れるためだ。ピグミーとはコンゴ、ウガンダに住む背の低い狩猟民族で、昔、コンゴに住むピグミーの本を読んだことがあり、最後の狩猟民族と呼ばれるそのピグミーに是非とも会ってみたかった。

ピグミーの村はフォートポータルからは、乗り合いバンで2時間ほどいった場所にあり、日帰りで訪れることができる。その村は元々そこにあったわけではなく、政府が決めた場所に移住させられてきたらしい。つまり観光用ピグミーだ。

乗り合いバンを降りた街道から、2キロほどのとこにウガンダ人の村があり、その端に鉄条網で囲まれたピグミーの集落があった。まるで動物園のようだ。なぜ鉄条網で囲う必要があるのか疑問だ。

村の中に入るとすぐに男が寄ってきて、「見学にきたのか?」と言ってきた。奥に通されて、簡単な説明をされ、「入村料は70,000シリングだ。」といった。高い!20ドルくらいだ。でもその後ディスカウントするとあっさり17,000まで下がった。あの強気な言い値はなんだったんだ。


ピグミーは成人でも150cmくらいと背が低い。小さいおじさんがたくさんいて、小人の国にきたようだ。村にはたくさんの子供もいて、彼らは外国人に興味しんしんでカメラの前から離れない。ただ、すぐにお金お金と言ってくるが。女の人たちはまったく興味を示さないで、家事をしている。試しにチャパティを作っている女性に挨拶してみると、「1000シリング」という答えが返ってきた。

ここのピグミーは畑を持っておらず、このあたりでは、とても狩ができそうには見えないので観光客からのお金で生きているっぽい。タイの首長族の村も似た感じだった。ここで暮らすことが幸せなのか分からないが、建物の配置が規則正しいのと村が鉄条網で囲まれているので、強制収容所のように見えてかなしい。ここに来ても彼らの文化的なものはとくに感じないし、森で暮らすピグミーの姿とはかけ離れていることだろう。これなら無理にここに住ませずに、森のなかのピグミーを訪れるツアーをつくったほうがよっぽどいいと思う。












2016/MAR/10 「立ち小便のいざこざ」

セセ島から同じルートで戻るのが嫌で、島を横断し、そこからフェリーで西岸へ渡ろうかとおもった。幸いセセ島の中心部から乗り合いバンが出ていて。それがそのままフェリーに乗って湖を渡り、マサキという町までいっていた。

湖を渡るフェリーをまっている時に何も無い道の端の草むらで小便をしていると、警官が来て、「ここは外ですると罰金だ」と言った。「え!草むらだよ。トイレもないし」というと「看板に書いてあるだろ! 」と言い、指をさした先にはウガンダ語で書かれた小さな看板が道端に立っていた。「これがそうなの?ウガンダ語が読めなかったから分からなかったよ」と言うと「ダメだ。罰金だ」と言ってきた。「そういうルールなら悪かった。でも看板が読めなかったんだし、罰金は勘弁してもらえないかな?」というと「じゃーディスカウントしてやる。半額でどうだ?」「えー!勘弁してよ」「ボスと話せ」ということになり、割腹のよい男がやってきた。その男は話を一切聞こうともせず、腕をつかんで「こっちへ来い」と警察署へひっぱりだした。ボスは何故か最初から怒り心頭で、「こんな何も無いところでトイレがあるとは知らなかったから、ブッシュで小便をした」というと、「ウガンダは国中ブッシュなのか?先進国だからアフリカを見下してるのか?」とよく分からないことを言い出し、払わなければ牢獄に入れるといった。「謝ったし、もう二度としないよ」と言っても、聞く耳をもたすに「なぜ謝らない!アフリカだから馬鹿にしてるのか?」と、どんどんひとりでエスカレートしてゆく。そして、「牢獄に入れるから靴を脱げ」と言い、こっちも「脱ぐけど、大使館に連絡させてくれ」と頼むと、「大使館はなにもできないぞ!」と叫んだ。たまたま同じバスに乗っていた、泊まったホテルの従業員が、心配して警察署にやってきて、「私が謝るから、彼を釈放してくれ」と懇願してくれた。所長はその後もずっと、文句を言い続けたが、しばらくすると「しかたない。もう二度とするなよ」といって、釈放してくれた。まさか立小便で牢獄に入りかけるとは思わなかった。こんなジャングルジャングルした島の草むらでも、そんな看板があるとは、ウガンダは油断ならない。気をつけよう。

マサキは小さな町で特に魅力を感じなかったので、そのままンバララという町までのバスに乗り、移動した。ンバララはそこそこ大きな町でスーパーもあったので、昼飯を食い、宿を探した。ただ居心地のよい宿はなく、この町に見所があるわけではないので、一気にフォートポータルまで行くことにした。

フォートポータルはツーリストがよく来るので、なかなか居心地が良さそうだった。夜、宿の近くには屋台が出て、安く食べることもできた。旅人たちがこぞって絶賛するロレックスという、チャパティに卵と野菜を入れたものは、安いだけで特別美味くはなかった。旅人のブログで見る情報は読者を引き付けるため誇張されていることが多く、そこそこ旨いものは絶品!、そんなに美味しくないものは食えたものではない!という具合に変更される。ロレックスもまー悪くは無いが、チャパティと卵、野菜と塩以外の味はしないし、毎日こればっかは食べる気がしない。それよりは屋台の焼き鳥のほうがはるかに旨いとおもった。






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