ラベル ジプチ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ジプチ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016/JAN/30 「長い長い移動」

Lac Abbeを諦めた今、物価の高いジプチでの療養は高くつくので、今日の夜のバスでエチオピアへ行くことにした。バスは夜の8時発で乗り場まではホテルから歩けなくもなかったが、今日降った大雨で道はぐちょぐちょになり、大きな荷物をもっての移動はシンドイのでタクシーを使った。

滅多に当たらないGoogle天気予報はジプチではドンピシャで日中に信じられないくらい強い雨が襲った。道路が舗装されてないアフリカン クォーターは普段から垂れ流してる臭い汚水を雨水が拾い集め、汚染水で水浸しになっていた。道幅いっぱいの水溜まりとぬかるんだ道はランクル以外のクルマを寄せ付けなくした。昼と夜の二面があると思っていたジプチシティはさらに新しい一面を披露した。

バスは小さなマイクロバスで補助席までいっぱいで出発した。翌朝に国境に着くと聞いていたが、深夜に何もない場所に商店がポツリとある所で止まり、乗客たちはバスを降りるとその商店の周りで持参していたゴザを敷いて寝始めた。完全外部だし、ベットすらない地面だ。しかも、けっこう寒い。

こんなこともあろうかと持っていた銀シートを敷いて、寝袋に入って就寝態勢を整えた。地面の砂利が痛かったが、それ以上に大量の蚊がひっきりなしに連携攻撃を繰り返し、一睡も出来ないまま、四時くらいにモスリムの乗客達がアザーンを大声で唱え始め、朝を迎えた。背中の痛みと寝不足で、言葉少なにバスに乗り込んだ。

国境には早く着きすぎて、結局バスの中で1時間以上待機。何のために4時に起きて出発したのか全く意味不明だ。8時になってようやくイミグレが開き、出国審査を終えた。


エチオピアイミグレの前には電車が見える。「おー!電車かー!」とエジプト以来の電車に盛上り、「何時に出るんだ?」と聞くとイミグレのスタッフは「あと一時間だ」と言うので、デリダワまでは電車で行くことにした。エチオピアの電車は信じられないくらいボロボロで、全ての窓のガラスは取り払われて無く、座席も木製だった。なにより車両は動きそうも無かった。車内には大量の小麦粉の袋や、ビール、ジュースのケースが山積みになっていた。

一時間後と言っていた出発時刻になっても電車は出ないので聞きに行くと、10時に出発すること、所要時間は12時間だということが判明した。地図だと終点のデリダワまではたったの200kmしかない。平均時速17km弱だ。どれだけ遅く走ったらそんなに掛かるのか分からなかったが、実際に走り始めると、自転車と似たような速度しか出ず、しかも何も無いところでしょっちゅう止まり、何処からともなく人が集まってきて乗り降りするので、全く進まない。ダージリンのトイトレインなど比較にならないくらい遅い!恐らく世界で一番遅い電車だろう。それでも精一杯飛ばしたのか、予定時刻より、30分も早い夜の9時半にデリダワに到着した。

駅から荷物を背負ってデリダワの町に降り立つと停電中?と思うくらい暗かった。それなりに大きな町のはずだが、真っ暗だ。それでも建物は見えるので、少ない灯りを便りに宿探しをする。ほぼ徹夜の後に12時間も木製のベンチシートに座っていたので、疲労困憊だが、今夜の宿を探し、明日の朝五時のバスでアディスへ向かわなければならない。そしてアディスでも翌日の朝5時のバスで南部のアルバミンチへ向かう。ジプチシティから34日の長い長い移動だ。アルバミンチでは旨いものでも食ってゆっくりしよう。









2016/JAN/29 「旅の決断」

朝起きると、体調はだいぶよくなっていた。ただし、腹痛はそのままで、貰った薬にも腹痛のためのものは無さそうだった。アフリカの病院はアディスのコリアンホスピタルもそうだったが、一回に一ヶ所だ。熱なら熱の処置をするが、腹も痛くてガスっぽいと言っても、その時はなにもしてくれない。

今日は昼間は休んで、夕方からツアー会社でLac Abbeと呼ばれる湖に行くためのジープの値段を調べに行く予定だ。ジプチは小さな国だが、なかなかの自然がある。アフリカ大陸最低海抜の塩湖アッサル湖や、大量のジンベイザメかやって来るゴウベット湾、そして猿の惑星のロケ地で使われた、湖にライムストーンの尖った山が立ち並ぶ景観、Lac Abbe。見所は多いがどれも車をチャーターする必要があり、かなりのお金がかかってしまう。なので行くのは最初からLac Abbeに絞っていた。

先日、ホテルのスタッフに呼んでもらったツアー会社とは話をしたが、12日で3人以下なら全て込で一人300ドルと言われていた。四人いれば一人225ドルにできるらしいのだが、ここジプチには殆どツーリストはいない。

夕方、町中のお店が開く時間にヨーロピアンクォーターの旅行代理店を見て回ったが、金曜日はモスリムの休日で何処も閉まっていた。諦めて帰ろうと宿へ歩いているときに、声をかけてきた自称ガイドのオッサンが、交渉の末、12日で一人250ドルまで下げてくれた。他にツーリストが見つからなければ多分こんなものだろう。オッサンの携帯番号をメモって、夜の8時までに返事をするといって別れた。

宿までの道をLac Abbeに行くか考えながら歩いた。高熱はもう問題ないが、腹痛が治まらないしお腹は常にボコボコいって落ち着きが無い。さらに天気予報では明日から雨だった。極めつけは、今朝、朝食を買いに行ったときに野良猫に足を噛まれていた。まるで、行くなと言われているようなくらい悪いことが続いている。運勢は信じないが、縁起はわりと気にするほうだ。高熱、腹痛、猫、天気と縁起の良い兆しは何処にも見られなかった。厄年まではまだ時間があるはずだが。

高いツアーに申し込んで、体調が悪くて楽しめないのは、残念なことになりかねないなーと結局諦めることにした。旅をすると決断しなければならないことがたくさんある。本当にそれでいいのか、よく考えて決めるが、後から後悔することも多々ある。この決断を後にどう思うのかはそのときが来ないとわからないだろう。


2016/JAN/28 「物価とクオリティー」

昨日は朝一でエチオピア大使館へ行き、ヴィザの申請をしてきた。その後は町を歩いて回ったが、エチオピアセンターというところで昼飯を食べていると、隣の席の男が話しかけてきて、コーヒーをご馳走してくれた。ここのコーヒーは水道水を沸かして使っていて、ジプチの水道水は塩水らしく、しょっぱくて飲めたものではなかった。その男は「ここには日本の自衛隊のベースがあるぞ」と話し、「見れるかな?」と聞くと「日本人なら入れるよ。送ってあげるよ」というので、その男の車で訪問することになった。入り口で見学したいというと、警備の自衛隊員は少し待ってくれと言い、しばらく外で待っていると、戻ってきて、事前に広報にアポを取らないとダメだと断られた。あんなに自信たっぷりに入れると言ったのに。やはりソマリ人は当てにならない。せっかくここまで来たので、自衛隊員と記念写真を撮って町へ戻った。ソマリアには基地を置けないので、自衛隊はここの基地でソマリアの海賊の取締りをしているらしい。ちなみに寿司ざんまいの海賊撲滅のことを聞くとまったく知られていなかった。

泊っているホテルは何故か客室の上部が隣と繋がっていて、1つのエアコンを2つの部屋でシェアしている。でも何故かリモコンは隣の部屋にしかない。エアコンは好きではないので普段から使わないのだが、昨夜、は隣の宿泊客が夜通し、つけっぱなしで、朝起きると具合が悪くなっていた。熱は37.6とそれほどではなかったが、寒気と喉の腫れがあった。

ビタミンと風邪薬を飲んで、外に出て、戻ってくると、身体はさらにダルくなっていた。お腹も痛くなりガスっぽい。熱を計ると、案の定上がっていて、38.7になっていた。体温計を見るとドンドン気分は悪くなってきた。

ホテルのオーナーに聞くと、すぐ近くに病院があると教えてくれ、行ってみることにした。病院は小さなクリニックだったが、解熱の注射をお尻に打ってくれた。お尻に打ってのは始めてだ。しかも、カーテンは半分くらい開いていて、見られ放題だった。

さらにマラリアの血液検査をしてくれ、点滴もしてくれた。幸いマラリアではなかったが、点滴を受けている間、冷房を16に設定した小部屋に通され、そこにいるように言われた。こんな療法は聞いたことないとが、ジプチ医療を信じることにした。

点滴が終わるとだいぶ楽になり、熱も下がったように感じた。冷房の小部屋が効いたかは微妙だが、診察代を払い、薬局で処方箋を貰って、宿に帰った。

ジプチはフランスからの輸入品がかなり多く、スーパーでもフランスのお菓子やジュース、缶詰、コスメティックが売られているが、医療品もフランス製だ。わざわざ物価の高いフランスからの輸入なので安いわけがない。ジプチの発展具合から見ると、それらは割高で明らかに生活コストをネジ上げている。アフリカン・クォーターで暮らしている人達には手の出ないものばかりだ。フランスからの経済援助があり、フランス製品の氾濫には口を塞いでいるのかも知れないが、近隣諸国から幾らでも安くて似たようなものは手に入るはずだ。
こういう状況が色々な物の値段とクオリティーのバランスを悪くしている要因の一つで、ジプチ以外でもクオリティーと値段の関係がおかしくなっている国を幾つか見てきた。そういう国を旅するとすこし損をした気分になり、バックパッカーには、こころから滞在を楽しむのがむずかしい。

















2016/JAN/26 「ジプチのB面」

ボラメをでたランドクルーザーは、暗闇のなか、ランクルが横転するんじゃないかというほどの、でこぼこ道を走り続けた。ボラメの西には舗装路は一切無いと聞いてはいたが、道は予想以上に悪く、一睡も出来なかった。しかも前日交渉して確保した座り心地のよい助手席で寝ようとすると運ちゃんに「寝るなら後ろの席に行け!」と訳のわからない事をいわれ、結局寝るために後ろの席の人と変わってもらうと、後ろのシートの環境は劣悪すぎて寝れなかった。砂漠の中の食堂らしきバラックに朝4時に着き、みんな食堂の中のゴザの上で寝始めた。3時間ほど横になったが地面が固く、蚊の襲来もあり難を極めた。

朝の8時くらいに出発して、一時間半くらいするとランクルは止まった。乗客は皆降りて、屋根から荷物を下ろし始めた。まさかと思って運ちゃんに聞くと「ジプチ国境だ」と平然と答えた。交渉の時にも乗るときにも、あれほどゼイラまでだと伝えたのに!地図だと来る途中にゼイラを通りすぎたはずだ。運ちゃんに文句を言うが、英語が通じず、何が問題なんだ?とジェスチャーする。通訳してくれた乗客も自分の荷物がくるとそっちに忙しくて、行ってしまった。

このまま同じ道を戻ってゼイラに泊まって、翌日が翌翌日に、またここに戻って来るのも面倒に思えてきて、このままジプチへ入国することにした。そんなわけでソマリランド出国。外務省の海外治安情報のページで真っ赤に塗られているソマリアは大きな問題はなく、ランクルの運ちゃんの勘違いで、すこし早めに旅を終えることになった。

気分を取り直してイミグレをとおり、ジプチに入国。第一感想は暑いのみ!ベルベラも暑かったが、ここはそれ以上に暑く感じる。エチオピアからソマリランドの国境もごみだらけだったが、ここも全く同じだ。ジプチもソマリ人の国だからなのだろうか。やっぱりみんなチャットをクチャクチャしてて、口の中も緑だ。

国境からジプチシティーまでは乗り合いのトラックがあり、近付くとすぐに「一人25ドルだ」と言ってきたが、イミグレで一人300フラン(1.6ドルくらい)と聞いていたので、「一人300フランだろ」と言うとすぐにその値段になったが、バックパックは荷物代で一つ100フラン取られた。

ジプチシティーの中心からすこし離れた所で下ろされたので、そこからは調べていたホテルまで歩いた。道は碁盤の目のように通っているが、舗装された道は大通りだけで、あとは埃っぽい路地で建物はバラックのような波板鋼鈑を張り付けた物が大半で、人が日陰で床に座り込んでいて、スラムのようだ。路地には真ん中に異臭を放つ、黒い水がチョロチョロ流れていて、歩いているだけで身体に悪そうだ。ホントにここがジプチシティーなの?と思ったが、後からそこはアフリカン クォーターと呼ばれるエリアで北側のヨーロピアン クォーターと町を二分するお金のない人がすむエリアだと分かった。

調べていたホテルは一番安い部屋でも値切って4000フラン(26ドルくらい)とソマリランドやエチオピアに比べると遥かに高かった。しかも部屋は全然値段に見合ってない!ソマリランドなら6ドルがいいところだ。


宿代で26ドルも払うのはかなり久しぶりのことで、受け入れられず、とりあえず他のホテルを見に行くと言って宿をでた。

それから5軒ほど宿を回ったが、最初の所より安い所はなかった。そもそもホテルの数も少なく、ツーリストがいないので価格競争が起きてないようだ。一軒だけオーナーがカナダに住んでいたという宿がロンプラに載っていて、そこは最初の宿より少し安かった。



最初の宿よりは綺麗でオーナーが英語が通じるのでそこにすることにした。ジプチはフランスの植民他だったので英語が通じない。皆、ソマリ語かフランス語だ。英語が通じるというのはここでは貴重だ。

宿で3日ぶりのシャワーを浴び、洗濯をしてから夕飯に出た。大通りを歩いてヨーロピアンクォーターを見てから、2つのクォーターの境界を作っているマーケットにくると町は昼間とは見た目が全く違うことに気がついた。昼間は全て閉まってたマーケットが開き、煌々と輝いている。殆ど人が歩いてなかったアフリカンクォーターの路地も人で溢れ、路地の両側にはビッシリとお店が開いている。昼間はスラムに見えたアフリカンクォーターは実に活気がある市場のような町に変わっていた。こんなに昼と夜で姿を変える町は見たことがない。日中、暑くて外に出られないのでジプチは夜に、人が動き始めるのだろう。昼間、宿を探したときにゴーストタウンのようで不安になったが安心した。やはり活気がある町は好きだ。








Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...