ラベル チャド の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル チャド の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016/DEC/29 「自国の外では大人しく」

夕方にマオを出発したジープは、オネールとドライバー以外に6人のチャド人が乗りこんでいた。車のなかでは終始アラブ語で、オネールは端っこで一人静かだ。子供扱いなのか、チャド人たちはオネールには冷たい。彼らから見たら、他の国のアフリカ人は信用ならないのだろう。

砂漠の中、道なき道をすすむ。何本かジープの轍が砂の見えるのだが、幾つもに別れたり、またくっついたりどこへ向かっているのかは分からない。日が沈むと真っ暗で明かりなど一切ない。GPSもなしに本当に国境へ着けるのか不安になる。

夜の9時くらいに集落で止まり、そこで用意されていた焼かれたヤギの足一本を切り分けてチャド人達が食べた。金を払ってる気配はなく、これが運賃に含まれているのかは不明だ。

さらに夜の砂漠を走り続け、チャドのチェックポストで全員の身分証の確認があった。多分この辺りが国境のはずだ。時間は深夜12時過ぎ。軍人達も殆どが寝床に入っていて、毛布に入ったままなんとか身分証を確認してもらった。オネールはやはりここでも金をむしり取られた。

ここで寝るのかなと思ったが、ジープはさらに3時間ほど進んで、周りに何もない所で止まった。チャド人たちは丸められたゴザをジープの屋根からおろして地面に広げ始める。ゴザの中には毛布が入っていて、各自、好きな場所で寝始めた。ドライバーもゴザに毛布だ。チャド人達は荷物や毛布などをゴザでくるんで紐で結んでひとつの荷物にしている。寝るときは紐を解いて、ゴザを敷いて毛布を掛ければ何処でも寝られる。これがチャド人の旅のスタイルなのかもしれない。

寝袋を出して地面で寝ようと思ったが、あまりに寒いので、車の中で寝ることにした。オネールは毛布がなく、シーツのような布をかけてガタカダと震えながら、車の中で横になっている。もう3時過ぎで一体何時に起きるのかも分からない。

寒さで寝付けないまま5時過ぎにドライバーに起こされた。たった2時間しか経ってないし、まだ真っ暗だ。皆、いそいそとゴザを折り畳んでいる。何故こんなに早く出るのか分からない。

荷物を屋根に積み終わると、すぐにジープは走りだし、2時間ほどでチェックポストのような所に着いた。どうやらここがニジェールのイミグレのようだ。やはり軍人たちはテロリストにしか見えないが、軽いワイロ攻撃のみで入国スタンプが貰えた。他のチャド人たちは手こずっていたが、暫くすると皆問題なく車に戻ってきて、ジープはまた走り出した。だがジープにはオネールがいない。チャド人達に「オネールはどうしたんだ?」と聞くと、「彼は入国できない。チャドへ引き返す」と答えた。

ジープは全く待とうとしない。ドゥアラから1週間もかけて、なんとかここまで来たのにまさかの入国拒否。アルジェリアで大学へ行く金を貯める計画が。。。オネールはアフリカは何処も腐敗してるから問題ないと言っていたが、アフリカの腐敗も隅々まで行き届いているわけではなかった。よく考えると彼がこれまで賄賂を払って通過したカメルーンとチャドは国家腐敗ランキングで過去同列一位に輝いた栄誉ある腐敗国家だ。同じアフリカでもこうやってちょっとやる気のあるイミグレがあれば、呆気なく止められてしまう。オネールはこのあとどうするのだろう?ドライバーも乗客も全く同情はなく、オネールを置いて走り出した。アフリカ人は他所のアフリカ人には厳しい。

イミグレのすぐ先には町があり、そこがニジェール最初の町ギギミだった。そこからディファまではバスは走ってないので、またジープになる。この車の乗客のうち4人はアガデスまで行くというので一緒に行くことになった。ドライバーは通りでジープを探してくれ、チャド人達がジープのオーナーに交渉して一人6000CFA1,200円)でディファまで行けることになった。ディファへのジープの運ちゃんは、町で更に3人ほど人を乗せてから出発した。

ディファまでの道は途中から舗装道路になった。道路の両脇にブッシュマンの家のような枝を集めてできたドーム状の小さな家がすごい数並んでいるのが見える。その近くには真っ白の大きなUNICEFのテントがある。よく見ると枝を集めて建てた家の屋根に張られたビニールシートにもUNICEFのマークが見える。大きなテントにはたくさんの人が列を作っていて難民キャンプのようだ。同じようなキャンプをディファまでに何度か見かけた。

後で聞いた話ではディファは今、ボコハラムの活動が盛んな場所らしく、ボコハラムは村を襲い、村人を虐殺し、金や食料を奪い、女の人をレイプしたり誘拐したりしている。やはりあのキャンプはそういった村から保護された人のために国連が建てたものだ。だがカメルーンで見た中央アフリカの難民キャンプに比べ、建物がショボすぎる気がした。

ディファには昼過ぎに着き、13:30発のザンデール行きのバスに乗ることができた。ニジェールのバス代は異常に高く、ディファからザンデールで8000CFA1,600円)、ディファからアガデスは17,000CFA3,400円)もした。カメルーンのようにバス会社は、各々バスターミナルを持っていて、バスターミナルには雑魚寝スペースがあり、翌朝に移動する現地人がたくさん寝ていた。ギギミの町では中部アフリカ、西アフリカ両方のセーファーフランが使えたが、ディファでは西アフリカセーファーフランでないとコーヒーさえ買えなくなっていた。


一緒にきたチャド人達もザンデールまで一緒だった。チャド人達はチケットを買うときに何故か揉め、なかなか売ってもらえなかった。スタッフからの対応も冷たく、バスを待つ間、ゴザの上でかたまって静かにしていた。オネールがチャドでアウェイだったように、今度は彼らがアウェイになる番だ。アフリカ人は自国の外では大人しい。









 






2016/DEC/28 「出稼ぎ少年オネール」

6時に宿を出発した。シスターが中庭越しに手を振っているのが、薄暗いなか見えた。このキリスト教会施設のスタッフは本当にいい人達だった。15,000CFAの部屋に5000で泊めてくれたし、コンゴ人のシスターがフランス語を教えてくれたり、色々と良くしてくれた。日本人シスターには会えなかったが、清潔な宿で休むことができた。

グランモスクまで歩いて、そこからミニバスでテシャ モソロへ。前日そこからマオ行きのジープが出てると聞いたが、テシャ モソロにつくと、ここではなく、さらに先にマオ行きのジープのターミナルがあると言われた。人に教えてもらって、また別のミニバスに乗り込み、運ちゃんにマオ行きのジープ乗り場へ行きたいと言うと、中心から6キロほど北にいった所で降ろされた。

街道から入ったところに数台のジープが荷物を屋根に積んでいるのが見える。近くに寄ると、客引きが寄ってきて、腕やバックを掴まれた。値段は10,000CFA2,000円)と聞いていた通りで、一台はすぐに出ると言うので、それにした。

一時間ほど走ってマサクリという町を過ぎると、そこからは未舗装の道になった。しかし、この道は未舗装道路ではなく、車の轍が何本かあるだけのサヘル地帯を好きなように進んでいくものだった。暫くは集落もあったが、途中からは本当に何もないなだらかな地形をすすむ。まるでサファリで国立公園の中を走っているかのような光景だ。牛やヤギの群れが見える。

地面はだんだん砂になってきて、そこそこ深い砂地を走るようになった。ジープしか交通手段がないのもうなづける。ラクダも出てきた。もう砂漠だ。それでもたまに集落があったりとこんなところにも人が住んでいる。砂漠の中に谷のような地形があり、そこにはヤシの木の森があった。一応雨も降るのだろう。

マオまでは7時間半ほどかかった。マオは砂漠の中の町といった趣があり、町に入るとラクダに乗った人や、ロバに乗った人がたくさんいて、なかなか面白かった。日干し煉瓦でできた家の壁で街路ができて、道は全て砂だ。こんな所にこんな町があるなんてと言った感じだ。

ジープに、まず警備の事務所に連れていかれ、そこで降ろされ、そのままジープは何処かへ行ってしまった。荷物を下ろしてないので、またもどって来るということなのか。運ちゃんがなにか言っていたが、言葉が分からないのでどうなってるのか分からない。

警備の事務所で、パスポートを見せて登録を済ませる。机に座った偉そうな人に「アラブ語は話せるか?」と聞かれたが、アッサラーム マレーコムとシュクランしか出てこなかった。スーダンで結構覚えたのに。もう一人の男が少し英語が出来、このあと警察へ行くように言われた。

歩いて3分の警察署にいくと、建物の前の木の下で6人くらいの軍服の男がたまっている。チャドは軍服がいまひとつ統一されてないのでライフルを持って屯してるとゲリラにしか見えない。色々な質問にあい、パスポートの内容をうつし、しばらく待たされた後、出国スタンプをもらった。国境ではスタンプは貰えないらしい。若い男のワイロ攻撃がなかなか終わらなかったが、最後は偉そうな人がもういいよとパスポートを返してくれた。
再度、警備の管理事務所に行って、さっきの英語の分かる男に「ジープがバックパックを持ってどっかいっちゃったんだけど?」と聞くと、「あー、きっとジープ乗り場だ」といい、彼の車で送ってくれることになった。

男は運転しながら、今日は水曜だから市が立つので、外からたくさんの人がやって来てると教えてくれた。それで町がやたらと活気づいていたわけだ。毎週水曜だけだというので運が良かった。こうやって当たり前にラクダやロバで売り物を運んでくる人達が行き交う光景は情緒があってよい。

マーケットの先の道路の端にジープが何台かとまっていて、それが国境行きのジープだと教えてくれた。そしてここまで来たジープの運ちゃんもその近くにいた。「バックパックは?」を聞くと、既に国境行きのジープに積んだと言う。ちょっと手際がよすぎる。
バックパックを返してもらい、今日は今から出たら夜に国境に着いてしまうので、一泊して明日の朝に出ると伝えた。と言っても英語とフランス語を織り混ぜた会話で伝わってるのはよくて半分くらいだろう。

宿はあるのか聞くと「警察に泊めてもらえ」と言う。まーお金かからないだろうからいいかと思ったが、男は「国境行きのジープは夕方にしかでないぞ」と言った。「え!そうなの?じゃー国境には朝に着くの?」と聞くと「そうだ。夕方7時くらいに出て、道中、道で寝て、朝に国境だ。それしかない」という。それならばここに泊まる理由はない。今日の夕方に出ることにした。

男は国境行きのジープの運ちゃんに後で警察に迎えにくるように伝えて、それから町中を車で案内してくれた。この町には数は少ないがトラックがとまっていて、それらはンジャメナやニジェール、リビアからだと教えてくれた。驚いたことにこの町の一角にはリビア人の市場があった。

男は「町の外にラクダマーケットもあるけど見たいか?」と聞いてきたので「是非」と答えて向かってもらった。このマーケットはラクダだけでなく、全ての家畜を扱っていて、開けた場所に牛やラクダ、ヤギ、ロバが集められていた。マオは思ったより見所のある町だ。

警察まで送って貰うと、そこでさっきのドライバーが待っていた。ドライバーと一緒に彼のジープまで歩き、荷物をジープに詰め込んだ。このジープは国境の先のニジェール側のギギミという町までいくらしい。値段は20,000CFA4,000円)と高いが、他の人も同じだけはらっていたのでこんなものなのだろう。

車の横に英語を話す中学生くらいに見える男の子がいて、通訳をしてくれた。さらに飯を食い、持っていた現金を小銭以外、西アフリカセーファーフランに替えた。今まで使っていたのは中部アフリカセーファーで、ニジェールから西では使えなくなる。これも英語のできるその子が助けてくれた。

その子はオネールといい、カメルーン人だと教えてくれた。ドゥアラ出身のため英語が出来る。よく見るとオネールはカメルーンの若者のようにボロい洋服を着ていて、この町では子供も皆、イスラム服なので、かなり浮いていた。なんだこの子は?という目で他のチャド人が見ているのがわかる。見た目は同じ黒人でもここは完全にアウェーなのだろう。
「ニジェールへ行くのか?」と聞くと「そうだ。アルジェリアまで行く」と答えた。「アガデスから北上してタマンラセットか?」と聞くと小さくうなずいた。驚いた。このルートは20年以上昔に、バックパッカーを魅了したサハラ縦断ルートだ。だが、アルジェリア、ニジェールの政情不安でリスクが高まり、このルートを通る旅人はもういない。しかもオネールはパスポートさえ持っていない。

「ドゥアラからはどうやって来た?」と聞くと「ヤウンデ、マロア、クセリでンジャメナだ」と言う。マロアからクセリ経由は今はかなり危ない所だ。現地人にはボコハラムも関係ないらしい。オネールはチャド国境では10,000CFA2,000円)払って通して貰ったという。「アフリカは何処も腐敗してるから、お金を払えばパスポート無しで旅行できる。便利だろ。アルジェリアについたら、アルジェリアパスポートを手に入れるよ。アルジェリアには親戚がいて、タマンラセットで何年か働いて大学に行くお金を貯めるんだ」と話した。そんなものなのか?と思ったが、それにしてもこの若さで、こんな密入国を繰り返して出稼ぎに行くとはたいした子供だ。

オネールはジープがマオを出るときに警察のチェックポストで6000CFAを払わなければならなかった。国境でもきっと金を請求されるだろう。怪しい学生証しかもたないオネールがアルジェリアまでだとりつくのは、大変な道のりだ。






































2016/DEC/27 「ゴザレストラン」

昨日申請したニジェールビザは何の問題もなく、今日受け取れた。こんなに対応の良い大使館は久しぶりだ。

ンジャメナの町はグランモスクとマルシェくらいしか見所がなく、それらも特別すごいわけではなかった。町並みも面白いわけではなく、歩いていても綺麗ではないし、砂ぼこりが酷いだけだ。しかも、この国は写真が取れない。町中で取ると警察が来たり、人に呼ばれて、「何を撮ってるんだ?許可証は持ってるのか?」と質問をうける。人に写真を取っていいかと聞けば必ずダメと返ってくる。中央アフリカも写真が撮りづらく、最近はまともに写真が撮れてないので旅の気分もいまひとつ上がらない。

チャドは一見ムスリムの国かと思っていたが、実はクリスチャンやローカルな伝統宗教も結構ある。ムスリムの割合は50%強といったとこらしい。しかし、クリスチャンは南部に住んでいるので、北部や首都ンジャメナ周辺ではムスリムが圧倒的だ。ンジャメナで外を歩いている人はターバンを巻いて、イスラム服というのが多い。さらにチャドは砂ぼこりが酷いのでターバンを口にも巻くし、日差しが強いのでサングラスをかけるので、一見みんなテロリストに見えるので怖い。普通の格好なのだろうが、どうしてもイスラム過激派っぽく見えてしまう。さらに町には警備のため、軍人がビックアップトラックの荷台に乗り込んで、カラシニコフ片手に巡回している。この警備兵たちも軍服はばらばらだし、先述の口まで巻いたターバンとサングラスのせいでツーリストにはボコハラムと見分けがつかない。トラックにポリスと書いてなければ、逃げだすところだ。

ンジャメナでは昨年ボコハラムに市場と警察施設を攻撃されただけに、まだ警備はかなり厳重で、かなりの数の警備兵が配備されている。ボコハラムも警察施設を襲うというのがすごい。本気で戦争する気だ。

国境をまたぎ活動をしていたボコハラムに手を焼いて、去年からナイジェリア、チャド、ニジェール、カメルーンが協力して封じ込み作戦を進めているので、ボコハラムはチャド湖周辺に追いやられたと聞いた。追い詰められたボコハラムはテロを頻繁に起こして抵抗を強めている。チャド湖は今、アフリカで絶対に近づいてはならない場所だ。

町を歩いていても常にジロジロと見られる。そしてカメラを見られると必ず「ジャーナリストか?」と聞かれる。この国でカメラを持っている外国人はツーリストではなく、ジャーナリストなのだ。中央アフリカでもそうだったし、ソマリランドも同じだった。

こう言うと人が良くないように聞こえるが、普通にいい人もたくさんいる。道も親切に教えてくれるし、ジャポンと言えば反応もいい。ただそんなに旅人にはかまってこないだけだ。

チャドのレストランは今までの中部アフリカの国とはだいぶ違う。薄暗い窓のない建物の入り口にカーテンが掛かっていて、入口で食券を買う。それを中でスタッフに渡すと、料理が運ばれてくる。中はゴザが敷いてあり、靴を脱いで座り、手を洗う水が料理と一緒に銀のトレーで運ばれてくる。レストランは男しかいなく、皆ゴザの上で好きなところに座って黙々と飯を食べている。勿論普通のもっとオープンなレストランもあるが、客が入っているのはこのゴザレストランだ。料理は数種類あり、ヤギを煮たもの、内臓をスパイスで炒めたものなどで、フランスパンかライスと一緒に食べる。特に面白くないンジャメナで良かったのは、このゴザレストランくらいだ。










2016/DEC/25 「ハルマッタン」

朝起きて外に出ると、朝靄のように辺り一面、白がかっていた。既に太陽が出ているはずなのに、はっきりとは見えなく、薄い雲の背後に太陽があるように輪郭だけ見えた。乾燥地帯の乾期に雲などあるわけもないので不思議だなーと眺めていると、細かな砂ぼこりが空を覆っていることに気がついた。これが噂に聞くハルマッタンかもしれない。やたらと埃っぽく、太陽があたらないので気温も上がらない。不思議な感じだ。

バイタクでバス会社のターミナルに向かおうとしたが小銭がないことに気がついた。この辺りでは大きな札は一切受け付けない。

運ちゃんが案の定、お釣りがないと言うと、なんとホテルのスタッフがバイタク代を払ってくれた。やはり、モスリムの国は歓待文化が生きている。

7時発と聞いていたが、オフィスに行くとバスは9時発だと言われ、実際には10時に出発した。バスは大型で一応冷房まで聞いていて立派だ。砂ぼこりが酷く窓は一切開けられない。

ンジャメナには午後3時に到着。バスにはタクシーやバイタクの客引きが群がり煩いので、その場を離れ、地図を見ると、調べていた宿はバックパックを背負っていくには遠すぎることが分かった。近くの屋台でオムレツサンドとコーヒーを飲んで、宿までのバイタクの値段の相場を聞くと、250CFA50円)くらいで行けることがわかった。客引き達の言い値は1000CFA200円)。ンジャメナのバイタクはかなりボッてくる。

調べていた宿はCentre d'accueil de Kabalayeという覚えるには長すぎる名前で、着いてみると一番安い部屋でも15,000CFA3,000円)もすると言われて唖然とした。確か川沿いに行けば5000CFAくらいの連れ込み宿もあるとクンが言っていたが、中心から遠く、かなり劣悪な環境らしいのでできれば行きたくない。

このキリスト教会系の宿は日本人シスターがいるというのでそこが唯一の突破口だ。レセプションに「日本人シスターがいると聞いて、遠路遙々やってきた。長旅で宿代にそんなには使えないが、なんとか安くしてもらえないか?」と聞くと「日本人シスターは今ンジャメナにはいない」と言われてしまった。あとはひたすら値切るしかない。ダメかと思ったが、ボスに電話してくれ、逆にいくらなら払えるんだ?と言うので5000CFAというとそれで通ってしまった。自分で頼んでおきながら、こっちもそれは値切りすぎだろと驚ろいた。

そう言えば、今日はクリスマス。ここは教会付属の宿だし、教会で大きなミサとかあるのかなーと思って聞いてみると、「いや、なにもないです」と返ってきた。ンジャメナのクリスマスの夜はとても静かなものになりそうだ。






2016/DEC/24 「チャド入国」

5時半に宿を出て、バス会社へ向かった。まだ辺りは真っ暗で、灯りも少なく迷いそうだ。昨日のうちにチケットを買っておいたので、それをカウンターで見せて、座席を確保してもらう。ターミナルにはたくさんの人がいて、相変わらず人々は大量の荷物と一緒で、そこらじゅう荷物だらけだ。

外でチャイを飲んで、携帯をすこしだけ充電した。結局宿は一晩中電気が戻ることはなく、一切充電出来なかったので、昨日の朝から携帯は切れたままだった。ガルアは電気事情が悪すぎる。

カメルーンの中部以南では、コーヒーや紅茶に後から砂糖を混ぜていたが、この辺りでは既に入っているので、ブラックという選択肢がない。中央アフリカもデフォルトで大量の砂糖が入っていた。この辺りから北へ進めばもっとイスラム色が強くなり、お茶に入れる砂糖も増えてくるかもしれない。スーダンのコーヒーを思い出す。

バスは7時半に出発。割りと早めにバスに乗り込んだが、何故か一番先頭の席にいたおじさんが、ここに座れと言うので、さんざん空いてる席があったのに、3人掛けシートに二人の大きなおじさんに挟まれて座ることになった。しかも、ここに座れと言ったおじさんは英語が出来ずただ狭いだけだ。

3時過ぎにヤーグアという、国境の町に着いた。そこからはバイタクで10キロほど行ったところに川があり、その川がチャドとの国境だ。

川際には警察のための掘っ立て小屋があり、警察のチェック、税関、イミグレと三回にわたりワイロ請求をうける。これらはカメルーン讚美で問題なく切り抜くことができ、最後は笑顔でボン ボヤージュと言って見送ってくれたりする。カメルーン警察はどこか憎めない。

1000CFA200円)を払い、ピローグ(手漕ぎ船)で川を渡る。タンザニア、モザンビーク国境を思い出させるような光景だ。こうやって手漕ぎ船で国境を越えるのは情緒があっていい。

ところが、チャド側のイミグレは全く情緒がなく、川際の隣接して4つもある無意味な警察の小屋へお金をたかられに顔を出さなければならない。それぞれ5mと離れていない小屋は、一つ終わると次の小屋へ行けと言われ、そこでまた金をたかられる。最初の警察のチェックではまず6000CFA1,200円)と言われ、払わないと言うと、「じゃーカメルーンに戻れ」と突っぱねてきた。ものすごく強気なので説得にはめちゃくちゃ時間がかかる。しかも、4回にわたる金をむしり取ることしかしない謎のポリスチェックを全て終えると、実はイミグレはここにはなく、近くのボンゴールの町にあるという。

このワイロ攻撃をしのぐのに着岸してから一時間以上かかった。最近のワイロ攻撃をかわす言い訳は、ビザを見せて、「ほらこんなに高いビザ代を払ったんだよ。アフリカ人がIDのみで、国境越えるのとは違うんだよ。大使館でもビザ代を払えば、国境で払わなくていいと言われたよ」と説明するのと、今までにもらった各国の日本大使館の領事の名刺をちらつかせる。大事なのは現地人が皆払っているが、彼らはビザ無しで国境を越えているからだと違いを強調すること。これは周りに金を払っている現地人がいたとしても、払わないですむ大義名分ができるので、入国審査官もじゃーいいよと言いやすい。これでダメならこの国はとても人が良いと聞いてきたとか、本当によい国だと聞いてきたと言うと、最終的にはボン ボヤージュということになる。

国境からはバイタクでボンゴールの町へ行き、そこの警察署で入国スタンプをもらった。
これでようやく入国完了。あとで数えるとチャドが130ヶ国目だった。そして今日はクリスマスイブ。なんだかめでたい気分だ。

時間を見ると既に15時を過ぎていて、ンジャメナ行きのバスはないようだった。もう少し探せばあったのかもしれないが、ンジャメナに着くのが遅くなり、宿探しに難航しそうなので、今夜はこのボンゴールに泊まることにした。

バイタクにそのまま安宿まで連れていってもらい、2軒目で5000CFA1,000円)の部屋が見つかり決めた。名前はオーベルジュ ホライゾン。中部アフリカでの宿探しは5000CFAというのを目安にしていた。

ボンゴールは砂ぼこりが酷く、バックパックも服も砂だらけだ。乾燥していて喉もカラカラなので、早速ビールを探しに出た。町は街道のみ鋪装されていて、あとは未舗装だ。未舗装の道は所々深い砂だったする。殆どの家は日干し煉瓦の壁で囲まれて、その壁が路地を作っていて、いわゆる砂漠気候の町の造りだ。

日干し煉瓦の壁の一つの鉄扉の前にバイクが何台も留まっている建物があり、中を覗くと、中庭のような空間に15人程度の客がいて、ビールを飲んでいる。当たりだ。
ビールは750CFA。カメルーンより少し高い。よく冷えたビールをくれと頼むと、瓶の周りに氷の着いたCASTER(中部アフリカでよく見るビールの一つ)が出てきた。こんな冷えたビールはキンシャサ以来だ。

二人組のおじさんの隣に座り、グラスについで喉に流し込んだ。素晴らしい冷え具合だ。これだけ乾燥した国で飲む冷えたビールはいつもの2倍旨い。隣を見るとおじさん達が、じっと見ているので乾杯の仕草をすると、返してくれた。よく見ると、隣のおじさんは見たことのないビールを飲んでいて、聞くとチャドビールだという。チャドはイスラムのイメージが強く、飲み屋さえ無いのかと心配していたが、なんと自国限定のビールまであった。実はそんなに厳しくないのかも知れない。

CASTERを飲み終え、チャド限定ビールのGALAを頼んでみた。今度もよく冷えたものが出てきたが、味は微妙だった。不味くはないが、これ迄のメジャーなビールに比べるといまひとつな感じだ。

だが、この2本目を開けると、3本目は隣のおじさん達から届いた。チャド人はなかなかいい人たちだ。イスラム教徒には訪問者を歓待する傾向があり、良くしてもらった経験がおおい。何時から飲んでいるのか分からないおじさんたちのテーブルはビール瓶で一杯だ。見知らぬ国で一人、人からの親切はとても暖かく感じる。こんなクリスマスイブも悪くない。














Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...