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2017/JAN/15 「Happy New Year for Mama?」

ナイジェリア-ベニン国境はアフリカの中でも一二を争う評判の悪さだ。イミグレではパスポートを取り上げられ、金を払うまで返してくれないという。払わずに粘るとパスポートを地面に叩きつけられるらしい。恐ろしい国境だ。

そんな訳でここの国境はかなり心配していた。まずポリスチェックでパスポートの内容を書き写した後に「1000ナイラ」と言われたので、「ビザ取ったときに国境で金は払うことはないと聞いた。むしろ警察の腐敗防止のため払ってはダメだと言われた」と話すと直ぐにオッケー。続いてイミグレでは、審査官が5ヵ国ビザの存在を知らず、ベニン側に入国可能か確認に行ってこい!と無駄に歩かされて、入国可能だとわかるとすんなりスタンプをくれた。イミグレのおばさんは待っていた黒人達を退けて、優先的にスタンプを押してくれ、スタンプを押すと「ハッピーニューイヤー フォー ママ?」と言って手のひらを出した。一瞬何を言ってるのか分からなかったが、「ママ(わたし)にハッピーニューイヤー(プレゼント)はないのか?」と言っていることに気がついた。つまり賄賂を払えと。これがクリスマスシーズンには「メリークリスマス フォー ママ?」に変わるのかはわからないが、万遍の笑顔で、「ハッピーニューイヤー!」と返すと諦めてパスポートが戻ってきた。
どうも他の人のブログにあるような極悪非道な感じではない。随分あっさりと出国できた。最近ナイジェリアで腐敗撲滅運動でもあったのだろうか。もしくはブログで話を盛ってるかだ。

ベニンの首都コトヌーは国境から30kmほどしか離れてなく、シェアタクシーで直ぐに着いた。再び通貨は西アフリカセーファーフランに戻った。国境からコトヌーのシェアタクシー30km1000CFA(185)とレゴスから国境のミニバス100km500ナイラ(114)を比べると、やはりナイジェリアの物価は安かったことを改めて認識できる。

コトヌー中心の少し前で降ろしてもらい、ジャコの知り合いのトルコ人の家に向かった。ジュセルというジャコの友達は、ジャコと一緒にキノコの栽培をしているらしい。何故キノコなのかはよくわからないが、ジャコは農業に興味があるらしく、アフリカで農業ビジネスをしたいと考えいる。このキノコがその第一歩というわけだ。

ジュセルの家は、キノコを栽培しているが、ゲストハウスを営んでいて、フランス人旅行者とインド人ビジネスマンで満室だったため、ソファで寝ることになった。庭にはプールまであるので多分そんなに安くはないゲストハウスだ。ジャコからジョセルにはどういう説明があったのだろうか。部屋に泊まったら普通に代金を取られるような気もする。お金払わないでいいんだよね?とも聞きづらい。


もう夕方だったので、取り合えず近くのレストランで飯を食べ、ベニンビールを飲んで、戻ってソファで横になった。コトヌーもレゴス同様に夜も蒸し暑く、蚊が多かった。








2017/JAN/14 「マココスラム」

昨日、イケジャへバスで向かっているとき、第三メインランドブリッジからメインランド側に巨大な水上スラムが広がっているのが見えた。あれが噂に聴くレゴスの水上スラムだ。

昨夜ジャコが「明日はイングリッシュパブで朝食を食べよう」と提案して、いつもの中国人や台湾人の友達を誘って、今日は朝からイングリッシュブレックファーストを食べた。ジャコは土曜日だが、このあと仕事に行かなければならないらしい。

ジャコにスラムの事を聴くと、彼の昔のドライバーに頼んでガイドしてもらうことができると言い、その場で連絡を取り、午後にスラムへ行く手配をしてくれた。

13時半にジャコのドライバーが迎えに来て、スラムの近くで仕事を終えたジャコと合流した。ガイドに払ったお金は18,000ナイラ(36USD)で、これにはスラムのチーフに払う金や、水上スラムを回るボートチャーター代が含まれている。台湾人のブライアンも参加して3人になったので、人数で割れば一人12ドルということになる。人数が増えても値段は変わらなかったが、手漕ぎボートは乗れてもあと一人が限界だろう。

スラムはマココと呼ばれるエリアで、車で細い路地を進んだ所で止めて、そこから迷路のような路地を歩いた。ここまではナイロビのキベラスラムとそうかわらないのだが、しばらく行くと、船着き場らしき細長いゴミだらけの水路に面した桟橋に着いた。水路の両側には水上住宅が続いている。水は恐ろしく黒く、墨汁のようだ。表面は油でギラギラして水の中が一切見えないし、とてつもない異臭が立ち込めている。桟橋にはボートから降りたひとやボートに乗り込む人で混雑している。

ガイドが一台のボートを捕まえて、皆乗り込んだ。ジャコはお金以外にチーフにお土産用のワインを1本持ってきていて、まず、チーフの家に行き、挨拶し、スラムにいる間、問題が起きないように補償してもらう。後で見たがチーフには6000ナイラ、ボートに2000ナイラほど払っていた。それ以外にもスラムに停めた車を店の人に見張ってもらったお礼や、因縁をつけてきた男に200ナイラ程度手渡していた。

ボートは水路を進み、何度か角を曲がって、チーフの家にたどり着いた。上陸して家に入ると若い男が二人ほどいて、ガイドが何やら話をしていた。ガイドは「今はチーフは不在なので、奥さんにお金を渡そう」と言って、奥さんの居場所を教えてもらった。

また舟に戻り、今度は奥さんがいるという学校の前にやって来た。学校も家と同じく水上にあり、子供達が8人くらい遊んでいる。チーフの奥さんが学校の近くで、ボートに乗っているのを発見して、ガイドがボート越しに話をした。これでスラムでは何も起きないはずだ。
学校は建物の前に小さな校庭があり、子供達が遊んでいる。子供達は顔に白い塗料を塗っていて、舟に向かって手を振ってきた。

このスラムは陸の部分もあるので、水上には主に住宅があり、買い物は陸にあるお店で済ますようだ。なので、水上スラムには床屋と小さな店が、数件あるだけだ。住宅の回りには大抵ゴミが水面を覆っていて、酷いことになっている。今までに見たスラムの中でもこんなに汚いスラムは初めてだ。

スラムの外に向かって、舟を進めていくと第三メインランドブリッジが見えた。視界はかなり開け、目の前には湾が広がっている。

水上スラムから湾に出る所に丸太を4~5本つなげた筏のような物が、百個くらい集まった物があり、子供達が上で遊んでいるのが見えた。ガイドはここは魚市場だと教えてくれた。

恥っこの方に物を売る舟が何艘があるだけで、魚を売る人は見えない。きっと朝に来たら見られるのかも知れない。この丸太の上で行われる市は、なかなか興味深い。

そのあとはまた違う水路へ入っていき、途中から上陸して、迷路のような路地を歩いて、車の所まで戻ってきた。100万人近くが暮らすというナイロビのキベラに比べれば、小さいがそれでも15万人が暮らしているという。多分元々は陸地のスラムだけだったのが、どんどん増えて水上に家屋を建て始めたのだろう。ここの住人は殆どがベニンからの不法移民で、英語すら通じない。現金収入のないベニンの漁村の人が、大都市レゴスに来れば何とかなるだろうと考えて、夜中に海岸線を舟で進んできたのだろうが、ここに来ても仕事はない。人口2000万とも言われるレゴスの縁にはマココよりも遥かに大きなスラムが延々と広がる。多分スラム人口はアフリカで一番だろうし、レゴスはこれからも拡大を続けるのだろう。

その日はスラムの帰りにオリエンタルホテルの中華レストランでジャコに点心をおごってもらい、夕食にはレゴスで一番の寿司レストランで寿司までおごってもらった。ここまでしてもらうとさすがに素直に喜べないところもあったが、ケープタウン以来の寿司は妙にカラフルで妙に旨かった。





























2017/JAN/12 「レゴスの活気」

レゴスは人口的にはアフリカで最大の町だろう。統計はないが2000万人以上といわれる人が暮らしている。この町はレゴス島、ヴィクトリア島、メインランドの3つのエリアからなり、CBDや市場のあるレゴスの中心的なレゴス島と、大使館や外資系ホテル、高級レストランがあるヴィクトリア島に殆どの外国人は住み、メインランドにはミドルクラス以下のナイジェリア人が住んでいる。そしてメインランドのアウトスカートには広大なスラムだ。

昨日はジャコの友人のヤンが車で民芸品の多い市場や自然保護公園へ連れていってくれたので、今日はレゴス島の中心地を一人で歩いて回ることにした。

レゴス島のSMC(セメス)という場所がバスの起点になっていて、そこに行けばだいたいの行き先のバスが見つかった。このSMCはレゴス島の中心地のすぐ南に位置し、そこから歩いて市場やCBDを歩いた。市場といっても大きな屋根の下に市場があるわけでなく、町自体が市場になっている。両側には小さな商店で埋め尽くされた建物が並び、その前には露店が、道には物売りがひっきりなしに行き来している。こんなに歩きづらいのはナイロビのダウンタウン以来だ。

CBDには不思議と火事にあったような高層ビルや、建設途中でストップしたような高層ビルの躯体が空き家状態で放置されている。これだけ人が溢れて、土地が足らないくらいの過密空間でポッカリと使われてないスペースが存在するのが不思議だ。

レゴスも写真はトラブルの元で、市場で写真を撮ると周りの人が、「なにやってんだ!誰の許可を取ってるんだ!」と寄ってくる。それらは大抵イチャモンをつけて金を取る目的なので、あまり取り合わずに、もう撮らないとジェスチャーして逃げるのがよい。ちなみにレゴスの治安は最悪なので街歩きには注意が必要だ。

少し変わったデザインのミナレットをもつグランモスクや、イギリス統治時代の競馬場だったTBSというイベント施設をみたり、対岸に巨大なタンカーが港に停泊しているのを海岸沿いで眺めたりしたが、レゴス島は何処も人で溢れていた。レゴスの活気はなかなかのものだ。


夕方にジャコのフラットメイトのアンソニーが、ナイロビから戻ってきた。その日の夕食はアンソニーが会員になっているヨットクラブで夕飯をご馳走になった。昼間歩いたレゴス中心部とはとても同じ島とは思えない雰囲気でレゴスの港が、対岸でキラキラ光っていた。













2017/JAN/10 「レゴスのジャコ」

レゴスには韓国人のクンから紹介してもらったジャコという南アフリカ人がいて、既に連絡を取ってあった。レゴスではジャコの家に泊まれることになっていて、夕方にジャコの家に着くと門番が敷地に入れてくれた。

ジャコは仕事で7時過ぎに戻るらしく、ジャコの友人の中国人、ヤンが代わりにやって来て家の鍵を開けてくれた。ヤンはよほどジャコと仲が良いのか、勝手に冷蔵庫のビールを出してくれ、さらに自分は冷凍庫のアイスをガツガツ食べ始めた。

ジャコからは今日はバーベキューをするとメールがあった。ヤンは庭でバーベキューポッドに炭を入れて、火を起こしている。しばらくすると、ジャコの友人らしき、中国人と台湾人がやって来た。皆、自国の会社からレゴスへ派遣されてきているらしい。

それからすこしすると、ジャコが帰ってきてそれぞれ自己紹介した。ジャコは思ってたより体格のいい、ポッチャリ系の白人だった。バーベキューのためにわざわざソースに漬け込んでいた肉の塊があったらしく、冷蔵庫から出すとバーベキューポッドの上に置いた。

肉の塊は大きく、なかなか火が通りそうもなかったが、多少赤くてもいいだろうと焼け具合を見て、皿に移そうとすると、ジャコは肉の温度を計る針型の電子温度計を持ってきて、肉に何箇所も差し出した。なかなか几帳面な男だ。ジャコは肉の中心で65度以上になっていれば食べられると力説した。肉ばかり食べる南アフリカ人が言うので説得力がある。わざわざこのために針型の電子温度計を買ったのなら相当の肉好きだ。

塊の肉、ソーセージ、ジャガイモが焼き上がると皆、テーブルについた。中国人二人、台湾人二人に日本人とジャコ。ほぼ全員アジア人で白人はジャコだけ。まるでアジア人パーティーに呼ばれた白人のようだ。

久しぶりにガッツリした肉を食い、ビールやワインもたらふくいただいた。企業の会計士をしているというジャコは羽振りがよく、家にあるものはなんでも食べて飲んでくれと話した。レゴスはなかなかいい滞在になりそうだ。
















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