ラベル マケドニア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル マケドニア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015/OCT/30 「はじめての設計料」

昨夜は毛布を三枚かけたが、夜中に寒さで何度も起きた。寝袋を使うべきだったなーと後悔した。

オデッサで会った本田さんにメールして、イスラエル行きの船に乗れることになったか聞く。すぐに返事がきて、どうやら明日発の船に乗れるとのこと。「今から行けばまだ乗れるか?」聞くと「多分いけるんじゃ」と返信がきた。今からアテネに向かって、果たして明日までにたどり着くのか?宿のおやじに聞くと、ここからストゥルガという町に行けばアルバニアのティラナまで行くバスが9:3012:30にあるという。所要8時間くらいだとして、ティラナには夜に着ける。アテネまでの夜行があれば、昼前にはなんとか着くんじゃないかと思った。すでに10:00なので12:30のバスに乗るにはもうすぐ出ないと間に合わない。

ヨーグルトとクロワッサンを食べながらしばし考える。結局せっかくバルカンにいるんだし、もう少しいろいろ回ってアテネを目指すことにした。次の船は11/9にあるらしいからそれを目指そう。旅をしてて、思うのはまたくればいいと思う所にはだいたいもう行かない。人生で旅に使える時間は、経済的に考えてもそんなに長くない。自分の行きたい場所に生きてる間に全て行く気なら、何処でも満足するまでいて、次に行くようにしたほうが後戻りがなくて、結果効率的だ。これは前回の旅で時間やお金を気にして、南極やイースター島に行かなかったことからの教訓だ。あそこに戻るには大変なお金と時間が必要だ。

下に降りて、おやじに「今日もここの泊まるよ」と言うと喜んだ。なにせ客は他にはいない。おやじは「コーヒー飲むか?」1階のダイニングにいれてくれた。「ラキアも飲むか?」と聞かれたので、何だかわからなかったが貰うことにした。濃厚なトルココーヒーと一緒に出てきたのは、ウォッカのようなお酒だった。とりあえずショットグラスでおやじと乾杯。

おやじはいろいろな質問をしてきたが、職業を聞かれて、建築家と答えると目を輝かせた。おやじは「裏の古い建物を改装してホステルにするんだ」と話し、知り合いの建築家に頼んだという平面図を引っ張り出してきた。かなりシンプルな平面図で既存の壁と柱に壁を足して、客室を6室と中央にラウンジがあった。柱形も出てしまっていて、シャワーやシンクもユニットを置けるところに置いた感じでセンスの欠片も見られなかった。なによりラウンジには採光さえ無さそうだ。

「ホステルじゃないの?ドミトリーは?」と聞くと「欲しい」という。「何処にすればいいと思う?」と聞いてくるので「ここじゃない」と言うと新しい紙に平面図を書けと仕草する。ラキアを注いで飲んでくれと言う。仕方ないなーと壁と柱を元の図面からトレースして、その上にドミトリーのレイアウトを書く。「ダイニングやラウンジも必要だよ」と言うと、「何処に置けばいいんだ?」といい、結局全てのレイアウトを書いてあげる。個室は3つ残して、ドミトリーにはベッドが8個入った。図面にドミトリー8ユーロ/bed, 個室25ユーロと書くと、「そんなにとれるのか?」と大喜びしてラキアをドンドン注いでくる。それはあなた次第だ。ドミトリーは2段ベッドにすれば倍になると言うとおやじの喜びは頂点に達した。おやじは平面図を理解出来ないので、「ここはどうなってる?」といろいろ知りたがり、英語もイマイチなので、スケッチでパースを書いて説明してあげた。結局殆どの部屋のパースを書き、ランドスケープまで提案させられた。

気がつくと昼を過ぎていたので、「そろそろ観光してくるよ」といって立ち上がると、お礼にとバナナとミカンをくれた。もと隈事務所パートナーにしては随分安い代金だが、はじめての設計料としては悪くないなと思った。

オフリドは湖に佇むたくさんの古い教会を持つ美しい町だと聞いたラキアを5杯も飲まされたのでオフリド湖に落ちなければよいが。








2015/OCT/28 「リトルチャイナ」

プリシュティナからスコピエに向かう。ここからはマケドニアだ。また通貨が変わり面倒だなーと考えているうちにスコピエに着いた

予約しておいた宿はネットで見たよりはるかに小さく、客は殆ど中国人だった。通りから扉を開けるとテラスで中国人が8人くらいで中華料理のテイクアウェイを食べていて驚いたが、中にはもっとたくさんの中国人がいた。彼らは旅行客には見えず、背広を着た人や作業着をきた人が多かった。宿の人に聞くと随分長くいると言う。作業着にはCSR 中国南車と書かれていた。

ネットでググると“マケドニアで中国発のヨーロッパでの鉄道事業”というのが出てきた。間違いない。彼らだ。会社名も同じだ。
さすがチャイナ、出張もドミトリーなのだ。他に客はいないし、そもそも殆どの部屋を彼らが占拠している。宿のなかは中国語が飛び交い、かなり賑やかだ。今夜はリトルチャイナだなと諦めてベッドに荷物を解いた。

夕方になりかけていたので、町を見て歩いた。中心部はどこも工事をしていて不思議な町だ。やたら豪華な噴水や、真新しいネオクラシック建築など、つい最近に出来たのだろうと分かるものが多い。なにより異常に銅像が多く照明で煌々と照らされていた。まるでディズニーランドのような町づくりは、最後の大詰めのような状況のようだ。はたしてこれを目指して来る人がいるのかだろうか。ちなみにスコピエの都市計画は日本の丹下健三によるものだ。

夕飯を食べて宿に戻ると、テラスの中国人たちは賭けトランプをしていた。テープルの上には高額紙幣が撒かれていた。













Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...