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2017/APR/7 「西サハラの首都」

ラーユーンはスペイン統治時代はへんきょうの燐鉱山の町だったが、スペイン撤退後はサハラアラブ民主共和国の首都とされている。といってもサハラアラブ民主共和国政府はアルジェリアにいるので、完全にモロッコの支配下にあり、ここに住む人達もモロッコから移住してきた人達だ。

ダクラを12時に出発して、ラーユーンには夕方7時半に到着した。ダクラの町を出ると半島をすこし走るのだが、一切の人工物もなく、乾燥した大地に水色の水面が美しい湾が眺められた。浜辺を歩く人がポツンと見えたが、全く観光化されているはずもなく地元の人間だけが遊びにくるのだろう。

ラーユーンはダクラよりも大きく、建物の密度が高い。なによりも町として完成している感じがある。バスターミナルは町の外れで、安宿を探していると通りがかった姉妹が手伝ってくれた。出来るだけ安い宿と言うと、親戚の家につれていかれ「ここでいいか?」と聞くので、親戚の家に泊まれるのかと思ったら、その親戚から宿泊拒否された。

その後、姉妹は近くのかなりローカルな宿に案内してくれたが、そこでも何故か宿泊拒否されたので、中心部で宿を探すことになった。町の中心はチィラと呼ばれる所で、2つのランダーバートが隣接して、脇には公園があった。ここは街灯や店の明かりで夜でもかなり明るかった。公園には大勢の人がいて、噴水では子供達が遊んでいた。ダクラといいモロッコは夜も人が出歩いていて賑やかだ。

広場の近くに何とか安い宿を見つけて、荷物を置いてから夕飯に出掛けた。宿の近くには屋台が並んでいて、鉄板で焼いた小さなハンバーグやソーセージをパンに挟んで売っていた。これらは驚きの安さで一つ5DH55円)とカフェオレ一杯よりも安かった。オレンジジュースがグラスで売られていて一杯1DH11円)と水以下の値段だ。ラーユーンまでのバスの休憩所で食べたタジンは35DH385円)もしたのに、ここでは夕食が6DHで済んでしまった。モロッコに来たのは15年も前なので物価も覚えてないが、現地人の生活物価はこんなものなのかもしれない。ダクラもラーユーンも宿は800円くらいで西アフリカとそう変わらないが、どこもwifiとホットシャワーがあるし、部屋も西アフリカの安宿に比べるとはるかに清潔だ。ここにはモーリタニア以南とはもはや完全に違うスタンダードが存在している。もうブラックアフリカは抜けたのだ。



























2017/APR/6 「サハラアラブ民主共和国」

モロッコの南部には西サハラと呼ばれるエリアがあり、サハラアラブ民主共和国が帰属をめぐってモロッコと争っている。国連の仲介で1988年に合意した帰属を巡る住民投票も無期延期状態で、モロッコの実効支配が続いている。サハラアラブ民主共和国の政府は隣国アルジェリアにいるし、抵抗を続けているポリサリオ戦線もモロッコがモーリタニア国境付近に建てた砂の壁と呼ばれる防壁に阻まれて戦況は芳しくない。

ヌアディブから西サハラへ行くにはシェアタクシーで一気に西サハラのダクラまで行くか、国境まで行って、ダクラ行きのバスに乗る方法がある。シェアタクシーならヌアディブから乗り換えなしなので楽だが12,000MRO3,700円)と高めだ。ヌアディブから国境までのタクシーが2000MRO616円)でそこから4kmのノーマンズランドを渡って、モロッコ側の国境からバスがあるというのでそのほうが安く済むだろう。アレックスはバスは二時間おきにあると言うが、夕方にしかないとも聞いたこともある。

アレックスは色々なことを知ってるが自分の情報を疑わないのが難点だ。彼は他の国のビザ情報などでも彼の情報と違うと絶対間違いだと強く否定する傾向がある。そんなアレックスだが、旅人には親切なヤツで、ヌアディブで車売買をしている男を知っていて、その男に国境までのシェアタクシーを頼んでくれた。ホテルに迎えに来てくれるのでガラージ(バスターミナル)に行く必要はない。アレックスはまだモロッコビザ待ちなのでヌアディブに滞在しなくてはならない。「もう1泊したらどうだ?」としきりに勧めてきたが、ここはそんなに魅力的な町ではない。

翌朝8時にシェアタクシーが来て、国境には30分くらいで到着した。ヌアディブの町から外は何にもない砂漠で、国境もパタゴニア並みに地球の果てだった。運ちゃんにノーマンズランドの向こう側まで行けないかと聞くとオッケーと言うので、行ってもらったが、着くとあと1000MRO308円)払えと言い出して揉めた。結局余っていた450MRO138円)を渡して済んだが、後味の悪い出国となった。

モロッコのイミグレは日本人だとは分かるととてもフレンドリーで、窓口に殺到していたモーリタニア人達をあと回しにしてスタンプをくれた。国境の外には商店とカフェが何件かあり、トラックが数台留まっていた。その先にはまた砂漠が永遠に続いている。両国の間には4kmのノーマンズランドかあると言うが、実際にはヌアディブからダクラまで数百キロずっとノーマンズランドだ。

イミグレは国境からダクラまでシェアタクシーもあると言っていたが、タクシーは出ないようだった。皆、待ってろと言うが、結局1日に1本だけしかない午後4時のバスに乗ることになった。アレックス情報はやはり信用がならない。国境を越えてくる車が通るので乗せてくれるか聞いてもアガディール行きで、乗せてはくれなかった。ダクラは半島にあり、寄ると往復80kmくらいのロスになるからだろう。

ダクラまでの道はずっと砂漠で400kmもの距離に町はおろか民家すらなかった。左手には大西洋が見える。こんなに人口密度の低い国も他にはないのではないかと思って調べると2.1/km2とあった。西サハラが独立できたなら国土の100%が砂漠で世界一の低人口密度の国ということになる。それはそれでいい謳い文句になるだろう。

ダクラには夜の9時過ぎに着いた。町の入り口からは道路に電灯が並び、公園には遊園地のような電飾が施されていた。モーリタニアと比べるととんでもなく電気の多い町に感じる。かなり人工的に作られたようなで町の真ん中に更地の区画があったり、町の外れにやたらと綺麗な道路だけが延びてたりして、まだこれから町が作られそうな感じだ。周辺数百キロに他の町はなく、こんな町が突然砂漠のなかにあるというのも不思議だ。西サハラ問題でモロッコ政府は実効支配の既成事実を作るのに邁進していると聞く。そのためにこの町には政府からお金が注ぎ込まれ、住民も保証された収入と税金免除につられてモロッコから移住してきた人が殆どだ。実際、町はモロッコの町と全くかわりない。

安宿を歩いて回り、Hotel Aigueという中心の宿に落ち着いた。夕飯を食べにでると外には露店が並び、人々はカフェでお茶をしていて賑やかだった。10時過ぎなのに子供達が遊び回ってる。街にいる人はほとんどがモロッコ人だ。

将来的にはモロッコ人が現地人より多くなり、住民投票してもモロッコの思惑通りになるだけかもしれない。世界にはこんなところが幾つもあり、武力でしか解決されないのは残念でならない。









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