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2017/FEB/5 「西アフリカのNY」

ケープコーストから国境までは、タコラディでミニバスを乗り継ぐ必要があった。多分アクラからアビジャン直通のバスもあるので、それも考えたが、残り現金が少ないので刻むことにした。これが直通バスより安かったかは謎だが、ケープコーストタコラディ9.5セディ、タコラディ国境17セディでそれぞれ荷物代で2セディと3セディ取られた。ガーナではたいてい運賃の2割程度の荷物代を払った。

国境は歩いて越えて、コートジボアール入国。髄膜炎の予防接種を受けてないと、国境で受けることになると聞いていたが、黄熱病のカードを見せると「オッケー」と入国させてくれた。

アビジャンに着いたのは夕方5時過ぎで、歩いて調べていた宿へ向かった。アビジャンの町はラグーンで分断された土地にあり、西アフリカのNYと言われる高層ビル街プラトーが北側にあり、ラグーンを挟んで南側に庶民の住むトレッシュビルがある。安宿は当然トレッシュビルにしかなく、カオスな雰囲気のトレッシュビルの路地には小さな商店や屋台が出ていて旅人には便利なところだった。

調べていたHotel Madaniは久しぶりに見る本当に汚い宿で、シングルルーム4000CFA(800)と、多分この町では最安の部類なのだろうが、網戸も蚊帳もなく、シャワー室の窓が網戸もない穴なので蚊が入り放題だった。トイレ無しの部屋だと3500CFA(700)だったが、その部屋は何故か床が水びだしだったのでやめておいた。ベッドのマットレスは端以外はぺったんこで背中で底の木の板の形がおおよそ把握できるほどだ。そして、東アフリカ以来の南京虫が登場。大小合わせて10匹ほど殺したが、この部屋にはその10倍は潜んでいることだろう。ブログでこの宿を勧めていた旅人は本当にここに泊まったのだろうか?

アフリカの宿は3,4年前の情報で、まー普通の宿でも、今はボロボロということが少なくない。メンテを知らないアフリカ人の宿が綺麗なのは建って数ヶ月だ。ここもその旅人が泊まった時は開店直後だったのかもしれない。

時刻は既に夕方で、トレッシュビルの未舗装の路地は騒がしい。道路を思いっきりふさいで小さなゴールを置いてサッカーをしている。通行人はボールを避けながら、端っこを歩かないといけないし、そもそも車は通れない。随分無茶なことをするなーと思ったら、トレッシュビルのそこかしこで行われていて、大人も子供も参加し、ギャラリーも集まって大賑わいだ。そういえばコートジボアールは去年アフリカネイションズカップの優勝国だ。やはり、これくらいやらないと強くはならないのかも知れない。たしかに日本にはここまでの情熱はない。

北へ向かって歩いていくと碁盤の目のような路地の先に高層ビルの群れが見えた。あれが噂に聞く西アフリカのNYに違いない。ビルの景色へ真っ直ぐに進んでいくと、大きな橋があり、その向こう岸がプラトーだった。空は夕焼けから夜に変わっていた。ネオンや電光看板でビルが光っている。巨大なLEDスクリーンさえ見える。アフリカとは思えない光景だ。まさかこんな景色を西アフリカで目にするとは思わなかった。橋を渡るのは明日に取っておくことにした。

その夜はネイションズカップ決勝戦が行われ、カメルーンがエジプトを下して優勝した。コートジボアール人達はやはり黒人のカメルーンを応援してたようで、終了のホイッスルと共にトレッシュビルには歓声が鳴り響いた。












2017/FEB/3 「ケープコースト」

コートジボアールのVISAが降りたその日に、ケープコーストへ移動した。ところが、気がつくと乗っていたバスはケープコーストを通り過ぎて、タコラディという町にいた。既に夜9時半でこれからケープコーストに行く方法もないので、バスに一緒に乗っていた男が安宿探しに協力してくれ、1泊した。

そして、今朝早く、ミニバスでケープコーストに到着。時刻は10時半。既にスゴい暑さだ。バスは町の中には入らず、ペル ジャンクションというところで止まった。昨日バスでケープコーストに気がつかなかったのは、運転手が、ケープコーストとは言わず、ペル ジャンクションと言ったからだ。

町中を歩いて、有名なケープコースト城へ向かう。なかなか立派な建物だ。アクラのジェームス フォートに比べて、遥かにキレイにしてある。さすが世界遺産は違う。

ケープコートにはオアシスという快適なドミのある宿があるのだが、着くといっぱいで泊まれなかった。目の前にはビーチがあり、ケープコースト城のすぐ横だ。外にはソファが並んでいて、オープンなバーになっている。ここのドミ20セディは、今までの宿と比べるとスゴいコスパだ。

仕方なく、オアシスのスタッフに教わった安宿へ向かった。そこもオアシスに安さではひけをとらなかったが、クオリティは天と地ほどの差があった。こっちは完全ローカル御用達の宿だ。

宿に荷物を置いてから早速ケープコースト城を見てみることにした。必ずガイドがつくようで、他に外国人が5人ほどいるグループに入った。奴隷が入れられていたチャンバーや船に乗せられるまでに通る通路、お仕置き部屋などを見て、船着き場への扉をくぐると、そこは漁村だった。当時は門をくぐったところから奴隷を船に乗せたそうだ。

40セディ(1026)の入場料にしてはかなりしっかりしたガイドで、二時間近く訛りのない英語で説明してくれた。ここはガーナも力を入れているのか、他に比べると観光のクオリティが異様に高い気がした。


城の近くのビーチでは子供たちが遊んでいる。大西洋は相変わらず波が高いが、なかなかよい雰囲気だ。オアシスに泊まれていたら、ケープコーストに長居してもいいなーと思った。









 








2017/FEB/1 「アッラーフ アクバル」

アフリカのサッカー人気はスゴい。この数ヵ月アフリカネイションズカップで、アフリカの町はどこも多いに盛り上がっていた。そして、今週の日曜はついに決勝だ。

今日は準決勝のうちのひとつ、エジプトvsブルキナファソが行われた。前半20分くらいまでホテルのレセプションで見て、飯を食いに出た。安食堂でも皆テレビに首ったけだ。どう見ても何も飲み食いしない近所の若者たちでいっぱいで、飯を頼むとオーナーはそいつらの視線を遮るようにテレビの目の前に特等席を用意してくれた。

飯のあと、宿の近くのバーでビールを飲みながら、バーのオヤジと後半戦を見た。タンクトップのいかにもローカルなオヤジはどうやら、決勝でガーナとブルキナが当たることを望んでいるようで、ブルキナを応援している。因みにガーナは明日、準決勝でカメルーンとあたる。この辺りはやはりブラックアフリカとアラブの人種の違いのためだろう。黒人は黒人に仲間意識があるので、アラブ人のエジプトには勝ってほしくないのだ。

ブルキナがサッカーが強いとは聞いたことがなかったが、ショートパスと個人技、思いきりの良さが素晴らしい。一方エジプトは堅実な、まるで日本を見るようなサッカーだ。試合は互角に進んだが、オヤジの期待とは裏腹に後半69分にエジプトがゴール。

エジプト人はゴールを入れた後、芝生に膝まづいて、イスラムの礼拝の時のように額を地面につける。たぶんアッラーフ アクバルと唱えているのだろう。オヤジも知っているのか、あいつらアッラーフ アクバルって言ってるんだぞと見下したようにいう。

それからはブルキナはロングパスに頼り始め、ダメな時間が過ぎたが、オヤジとショートパスでつながないとダメだねと話しているとに、見事にショートパスから同点ゴールを叩き込んだ。オヤジは大喜びして、俺の言った通りだと勝ち誇って言った。

試合は延長戦に入り、それでも決着がつかす、PKまでもつれ込んだ。するとエジプトは一人目がいきなり外した。オヤジは一気にテンションが上がり、外にいた客も入ってきて、PKを見始めた。3本目を終えて2-3。ブルキナが勝ちそうだ。ところが4本目でブルキナが外して、エジプトが追い付く。エジプトキーパーとイレブンはまた礼拝の時のように額を地面につけ、アッラーフ アクバルと唱えている。隣を見ると、テンションが上がりすぎたオヤジが、イスラム教徒でもないのに同じようにアッラーフ アクバルと唱え、額を床につけていた。一体どっちを応援してるのか分からないが、きっと興奮してマネせずにはいられなかったのだろう。

そして5本目、なんとエジプトキーパーがまた止める。エジプト奇跡の逆転勝利。画面ではエジプトの選手や監督が抱き合っている。客はブルキナを応援してたようで不機嫌そうに出ていってしまった。

オヤジはどこか吹っ切れたようで上機嫌に「明日はガーナだぞ!また明日な」と店を出るときに爽やかに言われた。翌日のガーナvsカメルーン戦でガーナは敗れてしまうのだが、このオヤジと一緒に見ることが出来なかったのが残念だ。


2017/JAN/31 「アクラ」

アクラの宿も軒並み値上がっていた。4年前の情報では、中心部のYMCA5セディ、郊外の安宿が10セディだったのに、今は25セディと35セディと3~5倍に上がっている。ちょっと異常な上がり方だ。一瞬闇レートがあるのでは?と疑ったが存在しなかった。宿代以外も同じように上がっているのなら、現地人の生活は大混乱だったはずだ。

ガーナは2007年にギニア湾で油田がみつかり、2011年から商業生産を開始した。これはかなりの注目を集め、2011年、ガーナは経済成長率は14%という驚異の数字を叩き出した。その後も3~8%程度の成長率を維持している。本来ならセディは高くなりそうなものだが、何故か40%も価値を失った。そして、4年間で宿代が4倍にもなるイルフレ。いったいどこで失敗したのだろう。そう言えばキンタンポの宿の男も前の大統領が悪かったからインフレが起きたと言っていた。ガーナは今年から新しい大統領だ。男は今年から良くなるはずだと期待を込めていたが、アフリカでは誰が大統領をやってもそう変わらない。

そんなわけで、昨夜遅くに郊外の宿に着いて、一番安い35セディ(905)の部屋が満室と言われたときはショックだった。50セディ(1293)より安い部屋がなかったので、5045に値切って、次の日に35の部屋が空いたら移ることにした。

ガーナは西アフリカでは比較的発展している国かと思っていたが、アクラは見事なまでにアフリカンタウンだった。まばらに建つ高層のビル以外は低密度な都市計画の中心部と、未舗装の路地と高密度の低層商業兼住宅地。灯台の建つ南西海沿いは殆どスラムだった。夜には町の中心でも明かりは疎らで、暗闇のなかを沢山の人が家路につく。そんななか道路に巨大な立体交差があったり、南アのチェーンスーパーマーケットがあったりと少し発展してる感を出している。周辺国との違いは、イギリス統治時代やオランダ統治時代に建てられた建物が町中に残っていることだろう。これらもけして状態がいいわけではないが。

アクラで面白いのは市場の外まで市場のようなマコラマーケットと灯台のあるジェームスタウンだろう。ジェームスタウンは最初にイギリスが上陸してきた場所で、この辺りにまず居住地をつくったらしい。イギリスの建てた奴隷施設ジェームスフォート、灯台、フィッシャーマンヴィレッジ、ジェームスタウンの王様のパレスと色々あるが、フィッシャーマンヴィレッジを見下ろす眺めはなかなかだ。この辺りは中心地に隣接してるとは思えないくらいスラムなので、路地を歩くのも面白かったが、治安が良さそうには思えなかった。













2017/JAN/29 「Kintampo Waterfall」

昨日、ガーナ国境を越え、国境からそう遠くないボルガタンガという町に1泊した。ガーナの通貨セディは4年前と比べて、40%近く価値を失っていて、高インフレが発生しホテルは何処も調べていた金額より3倍以上に高かった。その上、どこのホテルも安い部屋はうまっていて、歩き回った末にカトリック ゲストハウスの50セディ(1293)の部屋に落ち着いた。1000円を越える宿に泊まったのは久しぶりだ。土曜日だからなのか朝4時くらいまで近くのクラブから爆音が聞こえ、朝の5時にはモスクからアザーンがながれだした。快眠の隙を与えない完璧なコンビネーションだ。

ガーナの見所を調べていたときにキンタンポという所にある滝の写真を見て、スゴそうだったので行ってみることにした。

ボルガタンガからミニバスに乗り、キンタンポには夕方4時過ぎに着いた。滝は町から七キロくらい北にあり、シェアタクシーで2セディ(51)でたどり着けた。滝は3つあったが、最後の滝以外は、見なくても差し支えないレベルだった。

3つ目の滝は段々になって、幾筋にも滝が分断されている。だがこれも写真で見たようなダイナミックなものでもなく、地元の人が週末に遊びにくるレベルだ。

観光に力を入れているというガーナ。この分だと観光資源にはそんなに恵まれていないのかもしれない。











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