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2016/OCT/30 「悪名高きコンゴ入国審査」

朝、外から聞こえる声で起きると、アウゴスト達は既に起きていた。お湯を作ってくれ、それで顔を洗って、歯を磨いた。久しぶりにぐっすり寝たので体調がよく感じる。

奥さんが、ホットミルクと食パンの朝食を用意してくれ、それを食べると出発した。今日は、ウイジェからマケーラまでバスで移動し、時間が早ければコンゴ民主へ入国、遅ければそこで1泊という感じだ。現金が残り4000しかなく、マケーラで泊まるには厳しいので、すこしだけ両替しておく事にした。アウゴストと乗り合いタクシーで両替屋へ連れていってもらい交渉したが、1ドル400クワンザにしかならないので、20ドルだけ替えた。そこからさらに乗り合いタクシーでバス会社へいき、人が集まるのを待った。

アウゴストと一緒にサンドイッチとジュースを飲んでから、お礼とお別れを告げてバスに乗り込んだ。バスといっても、ハイエースだ。まー小さい分待ち時間はすくなく、40分もすると出発した。

道は整備されていて、5時間くらいでマケーラに着いた。着くなり壮絶な客引き合戦が始まり、なんとか満員寸前のハイエースに乗ることができて、滞在は30秒とかからなかった。ただし、ここまでのバスが2500クワンザとこっから国境までが500クワンザなので、今朝両替したクワンザは丸々残ることになってしまった。これは、アンゴラの9日間の滞在でかかった費用が、ナミビアドルから両替した1万円程度で済んでしまったことを意味する。アフリカのなかでもスーダン並みの出費の低さだ。

国境はマケーラから30キロほど離れた所にあり、国境の向こうにはコンゴ民主の
キンバラという町がある。ここは悪名高いコンゴの国境。気を引き閉めなければならない。

まず、アンゴラのイミグレに行く、小屋の窓口に列ができていた。何故か現地人はお金を払っている。ワイロを払わないといけないのか?と思ったが、通りがかった職員が中に入れてくれ、アンゴラ人を待たせて優先的に審査をしてくれた。勿論ワイロ請求もなく。しきりに、上司が部下に「ツーリスト、ツーリスト」と急かしている。税関もほぼノーチェック。ただ、ゲートから緩衝地帯に出ようとすると兵士が「1000クワンザ」と立ちはだかった。「もうキャッシュはないよ」と言うが、道を開けない。どうしようかと思ったが、イミグレ職員が警備に道を開けるように話して、無事出国完了。

50m歩くと別のゲートがあり、すぐ横にイミグレの小屋があった。こっちは全てのスタッフが金出せオーラを出していて、いつ来るか?と構えているとまず、名前やら生年月日を質問して、それを用紙に記入した女性が、書類を書き終えた所で手のひらを出して「10ドル」と言った。「何でだよ」と言うと「代筆してもらうと皆払うんだ」と言うので、「そもそも、お前がこっちの言ったことを聞き取れないから、殆ど自分で書いたじゃんか」とツッコミ、さらに「高いビザ代払ったんだから、他は金取るな」と言うと終わった。暫く待たされてから、チーフと面接。このチーフは英語は話さないが、すごく丁寧でワイロのワの字もでなかった。そして、部下に必要書類を書くように告げて、別室へ移動。その部下は机に座るなり「20ドル」と言い出した。なんだこの隙あらば的な、散発的なワイロ請求は。払わないと突っぱねると「ビザとは別に入国に金がかかるんだ」と見え透いたウソを言うので「コンゴ民主のビザがいくらか知ってるのか?110ドルだぞ!それ払ってここにきてんだよ!」と言うと諦めた。その後はビールを買ってくれとしつこかったが全て無視。作った書類は、また別の人に渡り、そこで軽い賄賂請求をかわして無事に入国スタンプが押された。

そのあと税関へ行き、荷物を全て出して調べられ、続いて黄熱病のワクチン接種証明のチェックがあり、終わったーと安心していると、別の小屋からコッチヘ来いとお呼びがかかった。これが想像以上の時間を費やされた。ボロい机に座ったおじさんが、色々質問してきて、言葉が通じないので、英語ができる人が呼ばれた。おじさんは南アフリカでビザを取ったのに、ナミビア、アンゴラを経由して入国したのが問題だと言い出した。本来なら南アから飛行機で入国しなければならないと話した。そんなこと聞いたことがない。ビザ申請で旅程まで提出してるのに今さらそれはない。しかもパスポートには入国スタンプが押されたのに、彼が文句言ってそれをひっくり返せるとは思えない。これは一体なんの為の面接だ?

ところがおじさんはしだいに怒りだし、時間が経ってもいっこうに収まらず、終いにはさっき入国スタンプをおしてくれた職員が呼ばれてイスに座らされた。おいおい、まさか今さらダメでしたはないよなーと心配していると、英語の通訳が、おじさんの言ったことを訳した。それは「あなたはこの問題をお金で解決する気はありますか?」だった。「しねーよ!なんで金なんだよ!ワイロ請求にしたって前置きが長すぎだよ」と怒ると皆黙ってしまった。


そしてなにやら身内話を始め、最後は「今回は特別に入国」となった。おじさんは部下の一人にパスポートを渡し、ビザの内容を書き写すように指示をした。だが、おじさんの指差したページは隣国コンゴ共和国のものでコンゴ民主共和国のものではない。この部下も言われた通りに隣国コンゴ共和国のビザの内容を写している。ほとんどコメディだ。何はともあれ国境を渡ってから2時間を要した入国審査はこうして幕を閉じた。








2016/OCT/29 「アフリカで2番目の滝とアンゴラで2回目の民泊」

ルアンダからのバスは10時間もかかった。てっきり夜にはマランジェに着いて、朝までターミナルで寝れると思っていたが、着いたのは4:20だったし、寝る場所が無いほど人が寝ていて場所とりに苦労したので、殆ど寝られずに、朝6時に警備に起こされた。バスの中でも、やたらと検問もあるし、夜通し大声で話続けるアンゴラ人のせいで寝れなかった。何よりルアンダに続けて、ターミナルで寝たので体力が回復しない。

マコン社のスタッフらしき男が、「何処に行くんだ?」と聞いてきたので「カランドゥラ」と答えると「なぜ、ロンベで降りなかったんだ?分岐からタクシーで行った方が近かったのに」と言ったが、ロンベを通過したのは夜中3時くらいで、ターミナルのないロンベで降りるに降りれなかったのだ。ルバンゴでのバンデット(強盗)のこともあり、アンゴラが全く安全というわけでないことが分かったのもある。

スタッフの男は通りでミニバスを捕まえて、運ちゃんに何やら話して、「これで、カランドゥラ行きの車まで連れて行ってくれる」と言った。ミニバスは町の中心を過ぎて、更に進んでから左に曲がった。市場的な場所の近くに止まり、何台か停まっていた車のドライバーに話をして、「これがカランドゥラ行きだ」と言って下ろしてくれた。その車はフォードのピックアップトラックで、まだ誰も乗っていないが、四人集まれば出るという。カランドゥラまでは1000クワンザ(220)だ。

50分ほどで人が集まり、一時間ほど走るとカランドゥラの町に着いた。アンゴラに入るのが大変なこともあり、あまり知られてはいないが、ここにはアフリカで2番目の規模の滝がある。町から5キロの所にあり、歩けなくもないが、バイタクが往復300クワンザというのでバイタクにした。滝までは舗装路があり、小さな展望台がひとつあるだけで、周りはジャングル。なかなかの水の量で迫力がある。だが事前情報で落差100mとかいう人がいたが、それはないと思う。2番目の規模とはいっても、ヴィクトリアフォールに比べれば、20分の1くらいなので、そこまで期待していくとガッカリするだろう。

町に戻り、このままコンゴ民主の国境へ抜けれるか聞き込みをした。するとカランドゥラからウイジェまでバスがあり、そこからマキーラという町までバスで行けば、国境へのシェアタクシーがあると分かった。しかも、30分とせずにウイジェ行きのバスが来た。かなりボロかったが、ミニバスでなく、大型バスだ。ウイジェまでは2500クワンザ。

Mapsmeでは距離は230kmくらいなので、4時間もあれば着くと思っていたが、信じられないほど遅く、パンクもあり、11時前に出たのに、着いたのは18時だった。時速にすると33km/hだ。

二泊連続でバス会社の待合室だったので、睡魔が酷く、今日はベッドに寝たかった。乗客のなかには、バス会社で朝まで待って、朝イチのバスに乗るというおばさんがいたが、ウイジェに泊まることにした。英語の単語を20個くらい知っている乗客が、心配して、「何処に泊まるんだ?」と聞いてきた。ウイジェに泊まりたいが、現金はあと4000クワンザしかなく、何処かで両替が必要だと男に相談すると「今夜はうちに泊まれ」ということになり、明日の朝に闇両替を探すことになった。

アウゴストというその男の家は、町の手前のスラムのなかにあり、荷物を下ろすと家から人手を連れてきて皆で荷物をはこんだ。日干しレンガにトタン屋根というスラムの一般的な家だったが、なかなか広く、ソファやダイニングテーブルがあった。

家には何人も人がひっきりなしにやって来て、挨拶をした。アウゴストとその兄弟、友達は、そのまま夕飯を一緒に家で食べた。ここでも女の人たちは一緒には食べない。あとで食べるのだろう。アフリカにはこういった男性優位な習慣が残っている地域が多い。ナミビアからずっと持っていたパスタと玉ねぎを使ってもらおうと渡した。しかし、今夜の主食はライスだったようで、出てきた夕食はライス、パスタ、キャベツ千切り、マトケ、焼魚と主食がダブってしまった。

焼き魚は2匹あったので、遠慮して一匹の半分を自分の皿にとったが、あとで全部で6人分だったとわかり、申し訳なくなった。

食事のあとは、町に出るといい、アウゴストの兄の車で男5人でくりだした。アンゴラミュージック全開で、皆身体を揺さぶりながら何処かへ向かっていく。どうやらアウゴストはウイジェの町を見せようと思ったらしく、数ヵ所で止まり、写真を取るように言った。ウイジェの町は灯りが少なく写真を撮るには暗すぎだ。だが、皆、写真を撮ると満足そうに喜んだ。

その後、路上の掘っ立て小屋のバーで車を止め、酒をのんだ。ここも大音量のアンゴラミュージックで、踊ってる人が沢山いる。アウゴスト達も、ビールを飲みながら踊っている。アンゴラのナイトライフはこんな感じなのだろう。飲んでる人は皆、フレンドリーでガハガハ笑いながら、30秒に一回くらい握手をして、抱き合い、またガハガハ笑う。実に幸せそうだ。ビールを3杯ご馳走になってから、12時過ぎに家に戻った。


アウゴストの奥さんはリビングの土の床に寝床を作ってくれていた。疲れはピークに達していて、顔だけ洗い横になるとすぐに寝てしまった。














2016/OCT/28 「発展する首都」

ロビトからのバスは朝の3時くらいに首都のルアンダに着いた。もっと早く着いて、5時間くらいは寝れると思っていたが、2時間ほど横になると清掃のおばさんに起こされた。アンゴラのバス会社の待合室は必ず朝の6時に床掃除を始め、起こされて追い出される。待合室は24時間開いているが、着くのが遅いとまともな睡眠は取れない。テレビでは24時間大音量で映画を流しているので、早く着いてもよく寝れるというわけではないが。

ルアンダは宿が高いと聞いていたので、荷物をかついで町に出るのは止めようと、バス会社の待合室に荷物を置いて、町に出ることにした。バスターミナルの外は朝から客引きや路上の物売りで賑やかだ。路上でサンドイッチを買おうと思ったが、いつも100クワンザ(22)だったサンドイッチが250(55)もするのでやめた。バス会社の待合室には綺麗なカフェがあり、小さなピザパンとコーヒーで1000(220)くらいだ。明らかに今までと物価が違う。

ミニバスで、空港へ行き、空港での両替レートを見てみることにした。ドルを買いたいと言うと、2軒ある両替屋は両方とも「ドルはない」と答え、スタッフが堂々と「空港の外で闇両替から買え」と言った。レートは100ドル500,000クワンザらしい。これはドル買いのレートなので、ドルからクワンザは480,000くらいだろうか。ナミビアドルからクワンザのレートと変わらないレートだ。

次にルアンダの観光名所を回った。石油の出るアンゴラの首都ルアンダはまさに建設ラッシュの様を呈していて、海岸沿いが整備され、そのすぐ脇には高層ビルが立ち並んでいる。アンゴラの他の町からは想像できない発展具合だ。ただし、町の大半はスラムが広がり、ここでも貧富の差の大きさがうかがえた。

独立の英雄ネトの廟、サン ミゲル砦を見てから、町に降りると、ボロボロの建物の前でパラソルの下でビールを飲んでる人達がいた。手招きするので、行くと皆、あまりの暑さで真っ昼間から日陰でビールを飲んでいた。

ビールを2本飲むと、3本目はおばさんのおごりだった。この暑さのなか、日陰で飲むビールはうまい。ルアンダでもビールだけは150クワンザ(33)と安かった。すると、隣の店の男が突然英語で話しかけてきた。アンゴラで英語を話せる人は始めてだ。そんなに流暢ではないが、意思疏通が図れる。久しぶりに英語が通じるのは実に心地よい。

ここには昼間からひっきりなしに人が来ては、ビールを飲んで出ていく。サラリーマンみたいな格好の男達も車で乗り付け1杯飲むとまた仕事に戻っていく。この暑さで、これだけビールが安ければ、少し喉が渇いたらビールとなるのはわかる気がする。

男に安宿を聞いてみると「6000クワンザならある」と言うので連れていってもらうことにした。そこは町の中心で海辺にも近かった。古い建物で、水は出ないが広めのバストイレ付きのツインルームで6000クワンザと、多分この町ではかなりお得な宿だ。これならここに1泊してから、ムバンザコンゴへ北上して、コンゴ民主へ抜けるのもいいなと思った。

町を歩いてまわってからバスターミナルに荷物を取りに戻った。既にムバンザコンゴへのチケットを買ってしまっていたので、窓口で日付を変えてもらおうと思ったが、急にルアンダの東400kmにあるアフリカ第2の滝を思い出した。行き方も分からないし、行こうかどうかかなり迷ったが、後悔が残らないよう行ってみることにした。ターミナルで荷物を見張っていてもらった警備に聞くと、マランジェまで行き、そこからカランドゥラ行きの乗り合いタクシーに乗ればいいと教えてくれた。

窓口で行き先を変更したいと言うと、あと1時間後の18:45発だと言われ、急いで水とサンドイッチを買って、それに飛び乗ることになった。アンゴラではなんとも計画のない旅をしている気がする。情報が少ないので、予定が立てられないと言うのもあるが、こういうのは久しぶりで、旅をしている実感がすごく湧く旅だ。ツーリストのいない国を旅するのはやはり面白い。










 










2016/OCT/26 「アンゴラのビーチ」

3,4時間と聞いていたルバンゴからロビトのバスは8時間以上かかった。この国も人のいうことは当てにならない。途中通ったベンゲラは、南部アフリカで見た大型スーパーが幾つかあり大きな町で便利そうだっが、かなり広域に広がっていては歩いて回るにはなかなか大変そうだったのでとばした。

ロビトにあるマコン社のバスターミナルは、真夜中に着いたため門が閉じられていて、通りで下ろされたが、門番がゲートを開けてくれ、ルバンゴ同様、待ちあい室で朝まで寝ることが出来た。

朝になると床掃除が始まり、追い出され、通りの物売りから路上で調理した炒り卵を挟んだサンドイッチを買って朝食にした。100クワンザ(22)と相変わら安い。

町の中心までの行き方を聞き、通りでミニバスに乗り、アフリカーナと呼ばれる青空市場まで行き、そこから別のミニバスに乗り換えて、町の中心メルカドムニシパルで降りた。Rua 25 de abril という通りに3軒ほど宿を見つけたが、安い部屋はなかった。1軒は4000クワンザ(880)の部屋があったが、埋っていて、8500の部屋しかないと言われてやめた。アンゴラの宿はどうも外国人を毛嫌いしている傾向がある。少し待てばチェックアウトの時間なのに、それには触れずに部屋はないと断言する。

他に宿はないかと通りを歩いていると、一人の女性が話しかけてきた。アナと名乗るそのアンゴラ人女性は、始め英語で話してきたが、実は英語は挨拶程度しかできず、結局スペイン語で会話をした。アナは親切にも宿探しを手伝ってくれるという。

アナはコンパウンドと呼ばれるエリアに行けば安い宿があるという。何処だか分からないし、行っても宿があるかも怪しい。するとアナはついてこいと言い、何やら小汚ない空き地に入っていった。その奥のガレージの様な家にいって、そこの子どもに何やら話すと子供は電話をし始めた。アナはコンパウンドにある宿だと言い、予算は?と聞くので5000と答えると、電話で5000の部屋があるか確認してくれた。

そのあとメルカドムニシパルに戻り、そこからミニバスに乗り、そのコンパウンドと呼ばれるエリアに向かった。バスを降りると男が寄ってきて、荷物を持ってくれた。どうやら宿のスタッフらしい。路地に入ったところにあるHOSPEDARIA combinadoと書かれた小さな宿は、通気が悪くカビ臭かったが、シャワー、トイレ付きの部屋で5000クワンザだった。シャワーベッドからはちゃんと水が出たし、電気もついた。さらに驚くことにシャワーはお湯も出た。まさかこんなとこでお湯が出るとは!この宿はかなりの掘り出し物だ(トイレの排水の臭いとカビ臭さがなければ)

アナはチェックインを見届けると、帰っていった。なんていいやつなんだ。見返りも一切求めない。アンゴラは強盗以外はいい人が多い気がする。

宿から2分歩くと海があり、綺麗ではないが、現地の子供が泳いだりしている。あちこちに船があり、漁師らしき男達があばら屋で飯を食べている。メニューは無く、料理もパスタの上に魚の切り身を一つ載せたものだけだった。これも300クワンザ(66)ととてつもなく安い。味はエチオピアのパスタより少しましな程度で魚はなかなかだった。

ロビトには大陸から細長く延びた半島部分が細長い湾を造っていて、その中に港がある。大陸から続いたその半島の大西洋側はずっとビーチになっていて、5キロくらいは延びている。そんなにビーチは整備されていないが、半島の先端にはよくわからない船のモニュメントがあり、湾の入口の狭くなった所では釣りをしている現地人がたくさんいた。

この辺りには綺麗めのバーが何軒かあり、現地に住むポルトガル人が子供を連れてきたりしていて、ツーリストのいない謎の国家アンゴラの中でもリゾートらしさが感じられる。ただし、海はナミビア同様、綺麗ではない。汚れているのではなく、インド洋の様にエメラルドグリーンの色をしていないということだ。波も高いし、色は青グレーだ。

この辺りにはポルトガル植民地時代の建物も少し残っていて、綺麗ではないがロビトの見所がこの半島であることはわかる。半島の中ほどに一軒のレストランがあり、1階にバーカウンターがあった。ここにはエスプレッソマシンがあり、ちゃんとしたエスプレッソが飲めた。300クワンザ(66)とビールが二本買えてしまう値段だが、値段がおかしいのはビールの方だろう。この国では南アフリカのビールやジュースも見かけるが、不思議なことに南アフリカで買うよりも安い。南アフリカ産の有名なシードル`Safari'も、ここでは350クワンザ(77)で飲める。闇レートが関係していることは確かだ。

ストリートフードばかり食べていると物価が分かりづらいが、食堂で食べれば1000~1500クワンザ(220~330)はするので、そこまで物価が安いわけではない。現地人もしっかりした人は、道の食べ物は買ってない。しかし、安くすませようとすれば、アフリカでも一二を争うほど安くできるのでバックパッカー向けの国といえる。


暗くなる前に町の中心でネットカフェを探しに行ったが、どこもwifiはなく、置いてある信じられないくらいスローな古いパソコンからではGmailのセキュリティのせいでメールも見れなかった。Gmailのセキュリティは旅行先で現地のデバイスからアクセスしようとすると認証が必要になり、面倒だ。それにしてもアンゴラはインターネットの普及が他のアフリカ諸国と比べても遅れている。町はそこそこ大きな建物もあるのだが、水道や電気のないエリアも多い。これでは現地に着いてからインターネットで情報を集めることは難しいだろう。かと言ってアンゴラのガイドブックなど存在しない。人に尋ねて得た情報で前に進むしかない。まるでドラクエだ。



 
















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