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2015/JUL/23 「久しぶりのインド」

スリランカ最後の夜は結局またYMCAに泊った。

朝出る準備をして、最後にコロンボ市内のバワの自邸を見学して、空港へ行くことにした。面倒なのでYMCAからスリーウィラーにYMCA→バワ自邸→バスターミナルと交渉して行ってもらうことにしたが運ちゃんはバワ自邸を知らず30分以上遅れて着いた。

扉をたたくと、男の人が出てきて見学は1日三回のツアーのみで10時のツアーをすでに終わったので次は12時だという。それでは飛行機に間に合わない。「わざわざ日本から来たからみせてくれ」というと奥に入っていった。戻ってくると「OKだ」といい、中に入れてくれた。すると、女の人が出てきて料金は1000Rsだといった。値段はどうでもいいとおもいお金を払うと、その女性は家の説明をし始めた。そして紹介ビデオがあると言い、大きなモニターにビデオを流した。飛行機の時間が気になったが、終わるのをひたすら待つ。

ビデオが終わるとその女性が中を案内してくれた。バワ自邸はいくつも小さな中庭があり自然光と緑をふんだんに取り入れたとても心地のよい空間だ。1室だけゲストハウスがあり、泊ることもできるようだ。ルヌガンガ同様にバワが生涯集めたアンティークがいたるところに置かれていた。

御礼をいって外に出て、スリーウィラーの運ちゃんに急いでバスターミナルへ行くように伝えた。運ちゃんはがんばってくれてなんとか間に合いそうな時間にバスターミナルについて、すぐにバスにとび乗った。ところがそのバスは出発したあと市内をまわり、駅前でとまったまま客引きをはじめて、いっこうに動かない。運ちゃんに「時間ないから今すぐ出てくれ」と言うと、「客が集まったらだ」という。まずいなーと考えていると運ちゃんが戻ってきて「2000Rs払えば他の車をチャーターできる」と言い出した。「馬鹿か!」と一蹴した。

結局それから20分してバスは出発し、なぜか信号で止まったときに前のバスに乗り換えさせられて、空港へ到着した。

走って空港の中に入り、スリランカ航空のカウンターのFirst Classカウンターへならんだ。スリランカ航空はOne Worldなので働いていた頃に出張で飛びまくり手にしたOne Worldのサファイヤカードが使えた。カードをみせると怪訝そうな顔で全身を見られた。他のスタッフを呼んで「こんなカード見たことある?」みたいなことを話している。人を見かけで判断するダメなやつだと思ったが、なんとかチェックインはしてくれた。なんとしてもラウンジを使ってやると走ってラウンジへ向かったが、入り口で搭乗券を見せると時間がないので入れないと断られた。このバックパックを背負った汚い格好でラウンジでくつろいでやろうと楽しみにしてたのに残念だ。

飛行機は定時に飛び立ち、1時間半でチェンナイ国際空港に着いた。5年ぶりのインドだ。空港を出るとタクシーの客引きが大量に押し寄せてきた。インドだなーと無視して進む。警察に市内までの行き方を聞いて、バスに乗った。バス停はすこし離れていたのですでに汗が噴出している。中心部で降りて、リキシャーワーラーにホテルの住所を伝えて乗り込んだ。

ホテルは友人から聞いていた通り廃れていたが、Wifiもあり便利そうだった。ただ物価がかなり上がったようでシングルで400Rsだった。以前インドを3ヶ月旅した時は500円以上のホテルに泊ったのはチャンティガールの2泊だけだったのに。

荷物を置いて、さっそくマンゴーシェイクとチャイを飲みに行く。チャイは10Rsでマンゴーシェイクは40Rsだった。円安のせいでルピーは5年前の1.5倍だ。物価上昇も合わせると全ての物がほぼ倍くらいになってる計算だ。まーしょうがないと思い、夕飯にマサラドーサを食べて宿へ帰った。途中ヒンドゥー寺院を覗くとプージャーをしていた。神輿のようなものを担いだ団体が音楽を鳴らしながらお寺を時計回りに回っている。花を供えるおばさんたちの姿も見られる。寺の中には裸に腰巻だけの神官が見える。南インド特有のゴープラム(塔門)をくぐり寺を出た。路地の人ごみは絶えず、静けさはまったく感じられない。久しぶりのインドだ。






2015/JUL/21 「便利すぎない贅沢」

朝起きると窓から明るい日差しが入ってきていた。ここのところ雨ばかりだったので久しぶりに晴天の朝だ。さっそく外にでて、ゴール旧市街の城壁の上を一周した。

旧市街は45分もあれば一周できるサイズで朝の散歩にちょうど良い。外壁が終わり下へ降りた先にアマン・ガレがあった。強い日差しで汗だくになっていたので、アマンには入りづらいので朝食を食べて出直すことにした。

小さな露天でチャイとコロッケのようなものが入ったサンドイッチを食べた。そして扇風機の前でひたすら汗を乾かす。Tシャツが乾いたのを見計らってアマンへ再度いく。

ここのアマンは以前あったコロニアルホテルを改装してオープンしたというアマンにしては珍しいものだ。自然に囲まれてるわけではなく、中庭式の外に閉じた建物だ。

車寄せの階段を上がると3人ほどのスタッフが丁寧に挨拶をしてくる。やはりアマンはどんな客にも差別なく丁寧だ。スタッフに泊らないんだけど中を見たいというと、エントランスのラウンジだけならいいと言う。他のアマンでは丁寧に案内のスタッフをつけてくれて客室も見せてくれたのに、ここではあまりに見れるエリアが少ない。

「写真も撮らないからもう少し奥まで見せてくれ」といっても断られた。奥にはプールがあり、それを囲むように外部廊下があり客室が外壁沿いに配されているようだった。エントランスラウンジのインテリアはさすがに洗練されていて、他の似たようなホテルとの埋まらない差を見せつけていた。

今日はベントタに泊るのでホテルに帰り荷物をつめて宿を出た。来たときのバスターミナルへ行き、ベントタ行きのバスに乗る。2時間で着いた。ベントタは多くのバワ建築があり、まるでバワタウンのようだ。驚いたことに鉄道駅もバワの設計だった。

中心部のHotel AvaniとBentota Beach Resortを見てまわり、安食堂でカレーを食べた。そしてゴールを出るときに電話でなんとか予約できたルヌガンガへ向かった。ルヌガンガもバワ設計のホテルだが、ここはもともとバワがベントタ郊外のシナモンプランテーションを買い取り、そこに彼の理想の庭を設計して、自分の別荘をつくって週末を過ごした場所だ。ゲスト用に部屋が6つあり、今はその6室に宿泊することができるようになっている。

スリーウィラーがとまると目の前には古びた鉄の門が建っていた。何も標識がなく、裏には緑がうっそうと茂っている。運転手に「ほんとにここなの?」と聞くと間違いないと言う。運転手が大声で門の中に話しかけると中からスタッフらしき男が現れて、門を開けてくれた。入り口からの短い坂を登ると左側に建物が見える。たぶん客室のひとつゲートハウスだろう。そこから右に登っていくと階段があり、その右側に今夜泊るグラスハウスがあった。グラスハウスはブリッジのように全面ガラスの建物が浮いているとてもユニークな建物だ。建物の両脇には外部ラウンジがある。

ルヌガンガのすごいところは1つの客室は1つの建物になっているところだ。そしてすべての建物が違ったデザインでインテリアもまったく異なる。こんなホテルはきっと他にはないだろう。

グラスハウスのベンチに荷物を置いて、階段をあがったメインの建物へチェックインに向かった。メインの建物はリビング、ダイニング、外部ラウンジがあり、他に1組の宿泊客がいた)どこもバワの集めたアンティークの家具が置かれて、独特の雰囲気をつくっている。ひとつとして同じものはないバワの感性の空間だ。

チェックインが済むとグラスハウスへ案内された。グラスハウスはブリッジ状の建物の片側に入り口があり、そこから入るのだが、扉がアンティークのような扉で片方上下に分かれていて、順番に扉を閉めて最後に鍵をするようになっている。内部は細長い平面で玄関、テーブル、リビング、ベッドが同じ空間にあり、バスルームがベッドの裏に区切られている。両側ともにガラス窓なのでカーテンを開けると浮いてるようだ。
ここの家具もすべて他とは違い、ところ狭しと仏像やら絵画、ランプ、扇風機などが置かれている。アメニティーはかなり少なく、石鹸とシャンプーくらいで冷蔵庫もTVもインターネットもない。申し訳なさそうにグラスボトルに入った水とコップがベッドサイドにおいてある。

ルヌガンガはアマンやSixsensesなどの超高級リゾートと比べて、はるかにホテルらしさを消している。すべてバワ個人の感性で作られていてその人の必要なものだけ置かれている。まるでバワの別荘に泊りにきたようだ。そして1棟1室のすべて異なるデザインの建物がバワがデザインした庭、ルヌガンガのランドスケープの中に点在している。シナモンガーデンハウスなどはメインの建物から600mくらいは離れていて、夕食の後帰るのは外灯もないので苦労しそうだ。

メイン棟のテラスの前の芝生の下にはベントタのバックウォーターにつながる湖が広がり、逆側のシナモンガーデンの先にも湖がある。そして周りには緑が広がりまったく人気を感じさせないすばらしい立地だ。カンダラマ同様バワの配置計画は本当に良くできている。

ここのオペレーションはバワ財団がやっていて、サーブスタッフの数も少なく(庭師はたくさんいる)、食事のメニューもセットメニューひとつだけだ。お酒も置いていないし、飲み物はティーとコーヒーのみ。リゾートだと思って来ると不便に感じることが多いかもしれないが、お酒を飲まない友人の家に遊びに来たと思うと、そういったこともすべてこのルヌガンガにはあっているような気がした。

便利すぎないという贅沢もあるのかもしれない。






2015/JUL/20 「攻めるバワ」

ヌワラエリヤからのバスがゴールに着いたとき外は豪雨だった。あまりの強さでバスから出れないので、他の客もしばらく車内にとどまっている。車掌はその客たちにアボガドを売り始め、車内はさながら市場のようになってしまった。

ヌワラエリヤもそうだったが、この季節のスリランカの中央高原から南西海岸まではもろにモンスーンの影響を受け、毎日雨が降る。とりあえず、ゴアの上下のレインウェアを着て、ザックカバーをかけて外へ出て、ゴールの旧市街への門をくぐった。

ゴールはスリランカの町の中で唯一きれいなコロニアルタウンだろう。スリランカにもこんなとこがあるのかとうれしくなったほどだ。旧市街の中央の道を進むとすぐに宿の客引きが来て、「1500Rsで泊れるぞ」と声を掛けてきた。ゴール旧市街の宿は高いと聞いていたので見てみるかと行ってみると、そんなにきれいではなかったが1階の部屋は1000Rsでいいと言う。とりあえず、調べてある宿があるからとそっちも見ることにする。だがそっちの宿はすでに安宿ではなくなっていて1泊5000Rsだった。しょうがないので元の宿に戻り2階の明るい部屋に1500Rsで泊めてもらうことにした。

チェックインを終えると、ゴール近郊にあるバワ建築のライトハウスを見に行くことにした。着いてみるとどうも安いチェーンホテルのようなポップな雰囲気がある。ラウンジへの階段の吹き抜けはまた例のアーティストに頼んだのか手すりに動物や人の金物造作があり、ディズニーだ。階段を上がったラウンジから芝生のコートヤードを見ると片側の壁の木目調はなんと塗装だった。なぜこれがバワのリゾートの中で傑作と言われているかわからない。

だがスタッフはとても親切で客室を3タイプも見せてくれた。たいていのホテルは客室は見せてくれないが、ここは見てる間もスタッフは万遍の笑みだった。

共用部とは異なり客室は面白いつくりで、あえて全面開口を捨て、部屋の開口をデスクの上の両開き窓とバルコニーへの両開き扉だけに絞っているのがとても新鮮だった。部屋によってベッドが外向きに配置されていて、テレビの置き場所は全面開口を捨てたために生じる壁に自然に納まっていた。またバスルームも全面引き戸がバルコニー向きにあり、引き戸をを開けるとバスタブから外が見られるようになっている。バスタブを中心に両側にトイレ、シャワーが正対して、部屋面積の中でかなり広く取られていたのも良かった。

スタッフにお礼を言って、インド洋に面したメインラウンジに行き、コーヒーを頼んだ。夕日が見れるかと思ったが、さっきまでの雨のせいで夕日は隠れてしまっていた。そのかわりラウンジのすぐ前のインド洋は荒れに荒れて、波は大きな岩にあたって見事な水飛沫を飛ばしていた。まるで東映映画のオープニングのようだが、ここまで近いと恐怖でしかない。
バワ攻めるなー



2015/JUL/19 「茶畑の子供たち」

ヌワラエリアは雨季でなければきっとすばらしい場所なのだろう。

南西海岸からのモンスーンの影響でスリランカ中央高地はこの時期毎日雨だ。標高が高いので夜は凍える寒さだが、宿の設備は脆弱だ。

町の周辺には多くのお茶畑と工場があり、こんな寒さなのにツーリストは元気だ。負けずに有名なMackwoods Labookellie とBlue Fieldという工場をはしごする。どちらもカフェが併設されていて試飲ができるが、ツーリストが多く騒がしいのでお茶畑の中へ散策へ出ることにした。

広大な畑の中には働いている人の住居もあり、その子供たちがクリケットをして遊んでいた。近寄ると子供たちは「マネー、マネー」と手を出してくる。こんなきれいの景色の中でたかられるのはとても残念な気分だ。「知らない人にお金をたかってはダメだぞ」と言ったが誰も理解してはないだろう。


お金の代わりにカメラで写真を撮って見せると、どんどん子供は集まって、カメラをつかんで離さなくなった。子供ひとりひとりにカメラを首から下げてあげて、シャッターを押させてあげると行列ができた。遠くの家からも子供が走ってきた。彼らはかなり乱暴で大きな子が小さな子を吹っ飛ばして列に割り込んでくる。弱者はぶっ飛ばされて泣き始める。弱肉強食の世界だ。だが、そういうのは列からはずして、順番にみんながカメラに触れるようにしてあげた。 自分が撮った映像を見れるというのはかなり新鮮だったようで、終わった子供はまた列に加わった。

しばし子供たちを遊んで、お茶畑をあとにして出口へ歩いていると今度はおばあさんが「マネーマネー」と声を掛けてきた。 いったい誰がそれでお金がもらえると教えたんだ。



2015/JUL/17 「リーフとプリウス」

クアラルンプールで再会を果たしたシェリーからアダムスピークという山があると勧められた。

どうも彼女たちはすこし誤解をしているふしがある。彼女たちに会ったのはインド、シッキムでカンチェンジェンガ・トレッキングに行ったときで、最後のカンチェンジェンガを見る峠まで登る手前の山小屋だった。彼女たちのパーティーとこちらのパーティーが同じ小屋で夕飯を作って食べた。峠は標高5000mくらいでそれまでにほとんどの人が体調を悪くしていたなか、ネパールでアンナプルナ内院、カラパタール、ゴーキュピークとトレッキングをしまくった直後で高度順応していたので誰よりも早く登り、戻ってきたのを見て彼女たちはとても驚いていたのを覚えている。その記憶があるので、彼女達はきっとすごい体力があり、山があれば登る人だと思っているようだ。山は好きだが山登りだけしてるわけではないし、あのときほどの体力はない。


そうはいっても勧められると気になるので調べてみるとキャンデーから南海岸のゴールに行く途中にあるようなので寄ってみることにした。

キャンディーから電車でハットンまで向かう。キャンディーは丘陵地帯で電車はさらに標高を上げていった。車窓からは斜面を覆い尽くす茶畑が見える。壮観だ。電車は3時間くらいでハットン駅に着いた。小さな駅で外にでると何もなったが、すぐにスリーウェラーの運ちゃんが寄ってきた。「デルハウスへのバスは?」と聞くと「今は巡礼期でないから無い」といい、「デルハウスまで2000Rsだ」と言う。駅構内に戻り、駅のスタッフに聞くと確かに巡礼期のバスは今は無いが、乗り換えればデルハウスまでバスで行けるらしい。駅から出ると今度は「バス停まで100でどうだ?」とスリーウェラーの運ちゃんたちは言葉を変えてきた。「もういいよ」と言ってバス停へ歩く。


デルハウスまでのバスは景色がよい山道を登り、ダムを過ぎて車道の行き止まりで折り返して止まった。雨が降っていたがゴアのジャケットを羽織って、調べてあった宿へ早足で駆け込んだ。

宿の奥さんは最初1200Rsと言ったが、すぐに1000Rsになった。客は他にはいなく、主人はレセプションのPCで車の画像に見入っている。パスポートを見せて日本人だとわかるとちょっと見てくれとなにやらパンフレットを持ってきた。自動車ディーラーのチラシのようでいろいろな車と値段が載っている。


「日産のリーフが欲しいんだ。スリランカはガソリンが高く、毎日娘を学校まで送るのにかなりお金がかかっている」という。「こんな山の中で電気自動車に乗っても充電する場所ないだろう」というと「日本ではみんな乗ってるんじゃないのか?」というので「だれも乗ってないよ」というと意外そうな顔をした。

「スリランカ政府は電気自動車を推奨してて、電気自動車は税金が安く設定されているので安いんだ」という。 「動画がすごいんだ。動画を見よう」といいPCで検索を始めた。だが山の中のネット速度はすこぶる遅く、動画は静止画のまま動かない。

「こんな山奥でリーフに乗ってもパワーが足りないし、電機スタンドができるまでにあと50年はかかるよ」と言うと「じゃー何がいいと思う?」と聞いてきた。特に車に詳しくもなく答えに困ったので「プリウスでいいんじゃない」と目を合わせずに答えた。彼はとても感謝して、「ありがとう」と言ってネットでまた画像を探し始めた。

明日は晴れてくれないかなーと日が落ち始めた窓の外をみたが、あまり期待はもてそうになかった。





2015/JUL/18 「アダムスピーク」

朝3時に起きたが外は雨だった。日の出はないなと思い、ベッドに戻る。7時に再度起きた。雨は止んでいる。ようし登るぞ!と思い着替えて外へ出た。

通りには誰もいないのでひとり、アダムスピークの参道へあるいていく。今は巡礼シーズンでないので基本的にローカルは登らないらしい。天気が怪しそうなので早歩きで登る。1時間くらい行ったとこで茶屋があったのでチャイとサモサのようなもので朝食をとった。

再び歩き始め、橋が見えたところで僧侶がなにやら呼んでいるのに気がついた。近寄ると手首に黄色い紐を巻いてきて、なにやら念仏のようなものを唱えた。そしてドネーションと言う。インドにたくさんいるやつだ!と思ったが100Rsあげる。スリランカは仏教国だから違うと思ったが、インドとそう変わらない。


そこからは急なのぼりになり、上に登るにつれ風がどんどん強くなった。途中インド人の3人組を追い越した。お腹の出た若い3人は本当に辛そうだった。そこから1時間くらい登ると建物らしきものが見えてきた。どうやらそこが山頂のようだ。近くに寄ると、建物影に7,8人の欧米人の若者がいた。建物はお茶屋のはずだが閉まっていた。かなりの強風で雨も降り出していた。建物の先には鉄の柵があり、その先がピークで仏像が祭られているっぽかった。欧米人に「入らないのか?」と聞くと首を横に振った。そこから先は靴を脱ぐ必要があり、なにも遮るもののないピークは暴風雨の様だった。


ここまで来て入らないのもと思い、靴を脱いで柵の先へすすむ。大理石でできた床は雨で濡れ、強風で煽られて滑りそうだ。そして容赦ない風が襲い続ける。奥に階段があり、その上に屋根がかかっていたのでそこに入る。壁には大きな扉があり閉められていた。たぶんここに仏像かなにかがあるのだろう。とりあえず長居は危ないと思いすぐに引き返した。塗れた足をタオルで拭いて急いで靴を履いた。振り返ると風がうなり声をあげている。まるで巡礼時期を守らないツーリストに怒っている様だ。やはり聖地は巡礼期にこないとダメだなと思った。


帰りはくだりを走って駆け下りた。途中別の場所でまた僧侶が呼び止めてきたが、手首の紐を見せて「もうあるから大丈夫」といって走りすぎた。

宿に戻ると宿の主人が出迎えてくれた。「どうだった?」と聞くので「暴風雨でなにも見えなかったよ」と答えた。それからシャワーを浴びて、出発の準備をしてレセプションに荷物をはこんだ。ちょうどいい時間にバスもあるようだ。宿の主人に「新車はどうなった?」と聞くと「トヨタのパッソにしたよ」と答えた。リーフでもプリウスでもない軽自動車だ。昨日のやり取りはナンだったんだと思ったが、「いいんじゃない」とだけ答えると主人は上機嫌そうだった。


2015/JUL/15 「ブッタの歯」

スリランカのもっとも重要な仏跡はアヌダーダプラの菩提樹とキャンディーの仏歯寺だろう。両者ともホントかなーというところはあるが、スリランカ人はまったく疑わない。
アルメニア、イエルバンにあるノアの箱舟の破片に比べれば、はるかに信憑性はあるが、とりあえず見てみないことにはとキャンディーに着いてすぐに仏歯寺へ向かった。

仏歯寺にはその名の通り仏陀の歯が祀られている。仏陀の死体が焼かれた際に隠してスリランカに持ち込んだという話だ。 仏陀の遺骨はそれが元で国家間の争いが起きるほどもめた末に8つの国に分けて譲渡されたと聞く。そんな中、歯を持ち帰ることなどできるのだろうか?

仏歯寺は敷地へ入るのにセキュリティーチェックがあり、仰々しい。寺の横で入場料を払って、靴を預けて中へ入る。お寺は増築がなされたようで、中央に古そうな建物があり、それを囲むように別の年代の建物が建てられていた。中央の建物に仏陀の歯は収められてるようで、2階に上がり、古い建物と連結された通路のような空間に巡礼者はきて、仏歯が納められた建物の扉へ巡礼していた。この扉は1日に3回プージャのときに開くという。あと1時間で3回目のプージャらしいので扉の前で待つことにした。

床に座って後ろの壁によりかかりスリランカ人巡礼者と一緒に待っていると、どんどん人が増えてきて、扉の前には欧米人と中国人で埋め尽くされてしまった。下の階から銅鑼が鳴り始めて、なにやら始まりそうだ。さらに人は増えて、部屋中に熱気がこもり始めた。なにやら別の列が壁沿いにできていて、その列の人は大きな供え物をもっている。まだ扉は閉まったままだが、その列の人達は扉の建物の中へ横から入っていく、彼らは奥まで行けるようだ。

すると、仏歯のある扉が開いた。欧米人、中国人は押し合いへし合いなんとか扉の前に行こうとする。ガイドと来ている観光客はガイドがなんとか仏歯を見せようと、ぐいぐい中へ入りこむのでたちが悪い。最初からいたローカルは完全に追いやられてしたっている。欧米人と中国人はケイタイで写真を撮ろうと必死でまったくゆずらない。大変なことになってるなーと後ろから扉の正面に立ち背伸びをして、扉の中を見ると。だいぶ奥に金色のコーン型の装飾されたものが見えた。「え?これ?」と思ったがすぐに横から欧米人に押されて出口のほうへ追いやられた。どうやら仏歯は通常入れ物に入っていて、見れるのは入れ物までらしい。


振り返ると扉は閉じられて、ハイここまでーという感じで、見れなかった人が肩を落としていた。扉があいてたのはものの10分程度だ。どうせ入れ物しか見れないなら、来た人全員にゆっくり見せてあげればいいのにと思いながら、お寺の参道を歩いて出口へ向かった。

日が落ちた後のライトアップされた仏歯寺は威厳が漂っていた。






2015/JUL/14 「シーギリアロック」

素泊まり13000円でAgodaで予約したカンダラマホテルは感動のあまり夕食、朝食をホテルで食べてしまったので18000円と結構高くついた。

来たときのスリーウィラーの運ちゃんに9時に迎えに来るように伝えていたので、レセプションで待っていると時間通りにスリーウィラーがタッタッタッタと軽い音をさせながら車寄せへの坂を登ってきた。運ちゃんは「どうだった?」と聞くので「最高のホテルだよ」と答えた。彼は値段交渉をするときにカンダラマに宿泊すると言っても信じずに「往復で1000Rsで待ち時間は1時間だ」としきりに往復での料金を言ってきて、なかなか信じてもらえなかった。

ホテルから町へもどり、今度はタンブッラの町中の安宿で降ろしてもらった。とりあえず溜まっていた洗濯物を洗い、持っていたパイナップル(大)を切って食べた。そして一休みしてからシーギリアへと向かった。

シーギリアにはシーギリアロックという巨大な岩があり、ぜひ見てみたいと以前から思っていた場所だ。

バスが近づくにつれシーギリアロックはバスの中からも見えてきた。相変わらず外はひどい暑さだったが、ここへは昔からきたいと思っていたのでテンションが上がる。さっそくチケットオフィスまで歩いて行き、入場料をしらべる。「Foreigner Adult-3980RS」と書いてある。ここまでの2時間のバス代が35Rsなのに、その100倍以上だ。なんて強気な外国人料金なんだと思ったが、しぶしぶ払う。

シーギリアはシーギリアロックの下も堀で囲まれた遺跡になっていて意外に広い。下から見るとどうやって登るんだと思える岩山は登ってみるとそうでもなく意外と簡単に頂上にたどり着いた。頂上の宮殿跡は建物こそ残ってないが、こんなとこによく王宮を建てたなーとしばらくの間ひたるには十分な景色が広がっていた。周りは見渡す限りのジャングルで今歩いてきた参道がジャングルの中に見える。風が強いが心地よい。

この宮殿遺跡は周りに高台がないので遠くから見る事はできないのが残念だ。もしシーギリアロックの全景とともに王宮も見れたら、きっとマチュピチュを凌駕する壮大な景色になったであろう。ナスカの地上絵のようにそれを見るためだけに大きな展望台が将来建てられるかもしれないが、今は絵葉書にある空撮されたシーギリアロックの写真で十分な気もする。





2015/JUL/13 「カンダラマ」

スリランカは本当に観光立国だ。仏教遺跡のあるアヌダーダプラ、ダンブッラなどは観光客だらけですこし嫌気がさしてきた。遺跡自体は見ごたえのあるものでアヌダーダプラにはブッダガヤで仏陀が悟りを開いた際にその下で瞑想していたという菩提樹の分木が植樹されてある。本当ならとても貴重なものだ。

スリランカに来る前からバワのホテルのうちいくつか泊ってみようと思っていた。ただし、値段も巨匠なのでいくつかを選んで泊ろうと考えていた。バワの建築には実は詳しくないので知っていたのはカンダラマホテルくらいだった。そのカンダラマホテルはタンブッラの街から10キロのカンダラマ湖のほとりに建てられていた。

タンブッラの岩窟寺院を見終わった後に昼食を食べてから、スリーウィーラー*と交渉して片道500ルピーでカンダラマホテルへ行ってもらった。未舗装の赤茶色の土の道を走ること20分、左に湖が見えてきた。右はジャングルとその後ろには岩山が見える。なかなかの自然だ。

車寄せにスリーウィーラーで横付けして、バックパックを背負って下りる。ここの宿泊者でスリーウィラーで来る人はいないようで、かなりはずかしい。レセプションのバックパックを背負った汚い格好の旅行者を見る目はとても冷たい。だが、予約が確認できると丁寧な対応でボーイがバックパックを部屋まで運んでくれた。


建物は岩山に擦り付くように建てられた片廊下のボリュームで客室はすべて岩山と反対側のカンダラマ湖を見下ろしていた。廊下は半外部で岩山との間には十分なスペースがあり菩提樹や大きな岩からなるダイナミックなランドスケープをつくり、廊下には岩がところどころ入り込んでいた。ボーイによるとこの建物は全長1kmくらいあるそうだ。これはインド、カラグプルにある世界一長い鉄道駅のホームやベネズエラ、ギアナ高地の世界一高い落差の滝エンジェルフォールと同じくらいだから驚きだ。


部屋はスタンダードなのでバスタブはなかったのが残念だったが、ところどころバワらしい個性を見て取れた。


カンダラマは外部の地形、自然の取り入れ方が絶妙で建物自体は張り出た水平スラブと箱だが、自然との調和が高いレベルで成し遂げている。これは自然との調和を謳った、ぐにょぐにょした建築とは対照的で、建物を曲げて緑化しても自然にはならないと物語っているようだ。不自然な自然を作るのではなく、建物と自然の境界を消すということに専心している。

岩の露出したエントランス、緑に埋もれるファアード、湖へ消えるプールエッジなどすべてが高い完成度を持っている。それらはすべての配置がとても良く考えられいる結果だと思った。バワは設計を始めるときにヘリで敷地を散策したらしい。それを聞いて納得するくらい良く計画されたホテルだ。それに増して周りには圧倒的な自然があり、湖のほとりで像が水浴びをしていたりする。部屋の窓を開けているとサルが何匹も入ってきて危ないくらいだ。廊下型のホテルでこんなにすばらしいものはちょっと思い出せなかった。


唯一、バワお気に入りアーティストによる巨大な安っぽいコンクリート製コブラが外部ラウンジ脇に置かれ、内部を見つめているのは理解不能だった。

*自分でググりましょう。








2015/JUL/11 「巨匠コーヒー」

スリランカは予想以上に観光客の多い国だ。空港に着くとロビーは観光客で溢れかえっていた。
50%がヨーロピアンで40%は中国人で残りが10%という感じだ。中国人はバックパックを背負った若者も大勢いたが、やはりなぜか中国人だと一目でわかるのがかわいそうだった。

空港からのバスがコロンボの市内へ着くと、バザール近くに停まったようで、いきなりすごい人ごみで圧倒される。フルーツや香辛料の屋台がところ狭しと並び、人が人を押し合うように細い路地を進んでいく。スリランカ人は見た目も南インド人と変わらないのでぱっと見、完全にインドだ。いいところなのかなーと宿までの道を歩きながら期待がふくらんだ。


中古で買った6年前のガイドブックがあるので、それに載ってる一番安いYMCAに向かった。


250Rs と書いてあったドミトリーは1500ルピーに値上がりしていた。6年で6倍は激しいなと思ったが、他も値上がりしてるだろうし、ここより安い宿はないだろうから早々にチェックインした。コロンボは相当な暑さでバックパックを背負って歩くと汗が一瞬で噴き出してくる。宿はなるべく1件目できめないと大変なことになるなと不安になる。


ここのYMCAは古い大きな銀行か郵便局のような建物を改装したもので、エントランスはかなり立派で、半外部の廊下に囲まれた中庭もある。スリランカのYMCAは単に宿泊施設というだけでなく、いろいろな活動もしていて毎日何かの市民向けのレッスンがあるようだ。いろいろなレッスンのチラシが張ってあり、筋肉ムキムキのヒゲのスリランカ人が道着をきて、大きく合気道と書いてあるものもあった。


1階に床屋があったので、久しぶりに髪を切った。5分で完了。150ルピー。安い。床屋で大切なのは停電がないことだ。インドネシアのラブアンバジョーの床屋で切ってる途中に停電になり、そのまま椅子に座ったまま30分待った経験がある。地元の人は慣れてるようで隣で散髪してるおじさんは停電中ピクリとも動かず、鏡を凝視していた。あれはなかなか嫌なものだ。ここは大丈夫なようで、Wifiも入るし、カフェも併設されている。値段は安くないがそんなに悪い宿ではないのかもと思った。


腹が減ったので来る道にあった食堂でメシを食べに出る。チキンビリヤニ*があったのでそれを頼むとインドと違って、ビリヤニ*とチキンカレーが出てきた。一口食べるとあまりにスパイスが効いててきつい。インドのビリヤニより全然辛いし、しょっぱい。そして大量だ。まいったなーと思い、コーラを頼んで中和しながらどんどんかき込む。とりあえずお腹は膨れた。値段は300+40Rs。高い。宿も食事もスリランカはそんなに安い国ではないようだ。


疲れていたが帰って20人部屋のドミで、今から寝る気にはならなかったので、とりあえずジェフリー・バワの建てたお寺と彼のスタジオを改装したカフェに行くことにした。


お寺はどうでもいいものだったが、カフェのほうは、とても洗練された空間で巨匠のセンスの良さが感じられた。中庭を見ながら飲むコーヒーは格別で600ルピーと値段も巨匠だった。

*自分でググりましょう。




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