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2016/FEB/14 「モヤレ国境」

残りのブル現金を見ると、かなり切り詰めればもうキャッシングはせずにケニアへ抜けられそうだった。もはや、民族への情熱が薄れているので、コンソは1泊だけで、翌日の早朝のバスでケニア国境のモヤレに向かうことにした。

モヤレ国境は悪いニュースが絶えないが、到着すると全くそんな雰囲気もなく、世界中にある、どうでもよい国境の一つだった。5週間過ごしたエチオピアを去るのは全く感傷には触れず、余ったお金の使い道に全神経を集中した。結局マキアートを飲んだが、ミルクが牛でなく山羊だったらしく、かなり微妙なものだった。

エチオピアイミグレへ歩いていき、スタンプを押してもらってから、国境を渡った。これでケニア入国。1ヶ月半も滞在したエチオピアを実にサッパリと出国した。ケニアはサファリ以外のイメージがないので、どんな国か楽しみだ。

情報では午後2時と3時にナイロビ行きのバスがあると言うので、3時発に乗りたいところだ。

イミグレに入ると、もぬけの殻で、外のの軍人に聞くとスタッフは昼飯を食べに行ってしまったと言う。既に2時半で、かなり焦ったが全く汲んでくれず、電話してくれと言っ
ても、出来ないと言うだけだった。仕方なく椅子に座って待つことにする。

少しすると太っちょのイミグレのおねーさんがやって来た。2:45まで昼飯というのはやり過ぎだろ!と怒ろうと思ったが、まったく悪ぶらずにフレンドリーだったので止めておいた。事前に東アフリカヴィザを取得してたので、スタンプ押すだけで審査終了。すぐさま、軽い上り坂を駆け上った。通りに出たところにバス会社のオフィスが幾つかあり、聞いて回ると、今日これから出発のバスは一社のみで、3時発ということだった。すでに3時は過ぎていたが、バスは遅れているようで、なんとかチケットをゲット。荷物を床に置き、階段に座って汗が引くのを待った。これで明日の朝にはナイロビだ。




2016/FEB/12 「わがままスイス人とカロ族」

昨日会ったスイス人達が泊っているGOH Hotelへ約束の6時に行くと、ドライバーはすでに門の外で車に乗って待っていた。時間より早く来て待っているエチオピア人など見たことがないので驚いた。まだ夜明け前で外は真っ暗だ。ドライバーのジョバンニは信頼できそうだ。彼は出発時に半額、帰ってから半額の支払い条件をすんなり承諾し、もし、カロ族の村までたどり着けない場合も全額返金するといった。

しばらくするとスイス人とドイツ人のおじさん達がホテルから出てきて、皆で車に乗り込み出発した。ジョバンニのハイエースは快調に飛ばし、途中日の出を迎えた。ディメカとトゥルミの中間で、右折して未舗装の道へ入った。ここからが道が悪くなるはずだ。だがジョバンニはこの道はあたらしい道で、前の道よりもいいのでハイエースでも大丈夫と自信たっぷりだ。

しばらく行ったところの分岐をさらに右折して、もっと悪い道に入った。だがジョバンニは見事に悪路を乗り切り、数えきれないほどのヤギの群れを見ながらカロ族の村、コルチョに着いた。村の入り口に車を止めると、目の前は崖でその下にはオモ川とどこまでも続く、ジャングルが広がっていた。これが話しに聞く景色だ。上から眺めるオモ川は崖の下で曲がって、その先へ流れている。壮大な景色だ。ただ、すぐにカロ族に囲まれて、写真を撮れ攻撃がはじまった。しかも、カロを訪れる人は少ないと聞いていたが、ツーリストを乗せたランクルは3台停まっていて、写真撮れ攻撃にあっていた。

村に入る前に入村料を村の長に払う必要だあったが、スイス人は、もうひとつ奥の村も行きたいと言い出し、そっちの村を見てからどちらの村に入るか決めると言い出した。ただ、すでに村の前の風景の写真を撮ってしまっているので、ガイドはここの入村料は払わないとカロ族が納得しないと言うと、機嫌を悪くしてしまった。そもそも、もうひとつの村に行く話はなかったし、そっちの村は景色はよくないのであまり興味も無かった。ドイツ人がスイス人をたしなめ、お金を払って村に入ることになった。このスイス人はそもそも車の手配も人探しもせずに、こっちが用意した計画に乗っただけなのに、高いと不満をこぼしていた。

村の中を歩いて周ったが、「フォト!フォト!フォト!」「ブル!ブル!ブル!」とムルシ族と大差ない。集団でなにやら穀物をすっているが、シャッターを切ろうものならそこにいる全員が金払えと一気に迫ってくる。一人5ブルなので怖くて集団は撮れない。カロ族はボディペイントで有名だが、ほんとに普段からこんなペイントしてるの?という見た目のカロ族もたくさんいる。ヒッチでトゥルミまで乗せてくれた、エチオピアに住んでいるジョンがムルシ族が頭にフルーツやら、壷を載せてるのは写真を撮ってもらうためで、もともとそんな格好ではなかったと言っていた。ツーリズムによって本当の彼らの姿が損なわれてしまったのだろうが、カロ族にもそれは言えそうだ。なんかエチオピアの民族は格好こそ違うが、やることはまったく同じで、「フォト!フォト!ブル!ブル!」しか言わないので、なんだか悲しくなる。

しばらく村人を見て回り、崖で普通の子供達と遊んで待っていると、スイス人とドイツ人が戻ってきた。スイス人はジョバンニにもうひとつの村へ行くように話しているが、今からではジンカに戻るのが夜になる。ジョバンニは6時にはジンカに戻ると言っていたし、何よりもうひとつの村もここと同じようなに写真をせがまれるだけだ。ドイツ人と一緒にスイス人を説得し、ジンカへ帰ることになった。ジョバンニは帰りに停まりたいところがあれば、何処でも止めるから行ってくれと約束した。

帰りにディメカにより、水を買い同じ道をジンカへ走った。スイス人は何故かジョバンニには話さずこっちに写真を撮りたい場所に差し掛かると「ここで停まってみようか?どうおもう?」と聞いてきた。停めて写真を撮りたいなら、ジョバンニに言えばいいのにこっちに言うので、いちいちジョバンニい停めてくれとこっちから伝えなくてはならなくて面倒極まりない。それでジンカが近付くと殆ど写真は取れなかったと言い出し、カロ族の村に行くだけでこの出費は高かったといい始めた。今までのエチオピア人を見るかぎり、ジョバンニは時間も約束も守る、軌跡のエチオピア人だ。しかも、客引きでなく車のオーナーなので値段も下げられた。その辺の事情も分からず文句ばかりいうこのスイス人はカロ族以上に手に負えない存在だった。

ひとまず、無事にカロ族の村に行けたお礼をジョバンニに伝えてから、GOH Hotelの前で車を降りて、スイス人達に別れを告げた。もう彼らと会うこともないだろう。

この後はオモラテにダサネチ族を見に行こうとおもっていたが、カロ族、ムルシ族を見て、いっても少し違う格好の人たちが同じことをしてくるんだろうなと考えると、もうこれ以上、他の民族を尋ねようという気にはならなかった。旅をするときは、ひとつの場所に滞在する長さは事前に決めず、その場所に満足したら次へ進むのが理想だと常々考えている。そろそろオモバレーを離れる時間ということだろう。
















2016/FEB/11 「人集め」

オモバレーで見てみたい民族はハマル族、ムルシ族、カロ族、ニャンガトン族、ダサネチ族だった。その中でカロは車をチャーターする必要があり、安く訪れるには人集めがいるので苦労しそうだった。ムルシ族の村と違い、ジンカから遠いので行く人も少ない。

アルバミンチで狂犬病ワクチンは南部ではアルバミンチにしかないと言われたので、今日は狂犬病のワクチン接種のためにアルバミンチへ戻る予定だったが、昨夜、ジンカのジェネラルホスピタルに行くと、なんとワクチンがあり、無事3回目の接種ができた。

そんなわけで、今日は朝からカロへ行く旅行者を探していた。ところが、少数民族めぐりをする人たちは、時間節約のため殆どの人がアルバミンチでツアーを組んでいるので、ジンカにはツアー客以外の外国人がほとんどいない。ホテルへ毎日やってくる客引き達を総動員して、町にいる外人を探した。

ジンカのメインストリートをネットカフェへ歩いていると、かなり歳のいった欧米人のおじさんが客引きの捕まっていた。横から入り、「カロ族へ行かないか?」と言うと、おじさんは「カロ族がどんな民俗か、どこに住んでるか、行くのにどれくらいかかるかまず説明しろ」と言った。なんか面倒な外人だ。客引きが「横からはいってくるな!」とうるさいので、おじさんに「興味があれば教えてくれ」と言ってその場を離れた。
ネットカフェの外のベンチでコーヒーを飲んでるとさっきのおじさんがもう一人のおじさんとやってきて「さっきの話を聞かせてくれ」と頼んできた。もう一人のおじさんのほうが話がわかりそうだったので、カロ族の行く人を探していること、カロ族の村へはジープをチャーターする必要があること、カロ族はボディーペイントで有名で、村からはオモ川が眺められることを話すと、彼らの行きたい村も名前を知らないだけで、実はカロ族の村だったということが分かった。面倒なほうはスイス人で、もう一人はドイツ人だった。彼らは今日はカイヤファールのマーケットへ行くというので、こっちが車と他に行きたいツーリストがいない探してみると約束して、夕方にまた会おうと言って分かれた。

バスターミナルへ行き、車を探すとジープは3500ブルもする。高いなーと思って、宿に戻ろうとすると、一人にミニバスの運ちゃんが話してきた。彼は「ここだと他の客引きがいるから外で話そう」といい、値段を聞くとジープでなくとも行けるといい、彼のハイエースで行けば2800ブルでいいと言った。ジープで無いと厳しいと聞いたと言うと、彼は昔、カロ族の村に住んでいたので問題ないと言い切った。さらに値段を2500ブルまで値切り、連絡先を聞いて、明日の朝6時に待ち合わせをして分かれた。これで車は確保できた。ジープで無いので予想よりかなり安くなった。

宿に戻ると、オーナーが日本人が一人チェックインしたと教えてくれた。会いに行ってみると60前後のおじさんで、なにやら「このホテルは外人から宿代をボッてる」と超不機嫌で、あのスイス人以上に面倒くさそうだ。ただ、頭数が増えれば交通費がかなり安くなるので、話をすると、「エチオピアはねー ボラれるか、戦うかの2通りしかないよ。僕は常に戦うけどね」と聞いても無い返事が返ってきた。予想以上に面倒なおっさんだ。さっき交渉した車の話をすると、「もっとぜんぜん安くなるよ。僕もそこ行きたいから、僕が車ちょっと調べてみるからさー 待ってよ」と言うので「それではお願いします」と言って部屋に戻った。

おっさんは世界中旅してるようで、超強気だ。それでももっと安い車が調達できるなら助かると思った。しかし、午後におっさんを訪ねると、「この町はみんなグルで、値段下がんないよー。カロの村行くならジープで、1180ドルだって」と意見を180度変えていた。180ドルだと4000ブルちかい金額だ。しかも、すごい弱気になっていて「僕ね、トラブルはもうやだから、ちゃんとした旅行会社で車を借りたいんだよね。」と言いだした。旅行会社から借りれば、高いのは当然だ。おっさんは「なんかジンカに来てから体調が悪いし、アルバミンチに帰ろうかな」と言いだした。「えーー!それだと人数減っちゃうんですけど。カロ行かないでいいんですか?」と言うと、「昨日、町で歩いてるムルシ族の写真、お金払って撮れたから、僕もういいや」とガッカリの返答が帰ってきた。あんなに強気で俺に任せろ的なこと言っておいて、どうやったらこの短時間でこんなに日和ってしまうのか理解不能だ。

おっさんには本当にガッカリしたが、車はさっき確保してあるので、人探しも切り上げてカイヤファールのマーケットを見に行くことにした。バンナ族のマーケットだが、見た目はハマル族と殆ど変わらない。マーケットはディメカ、トゥルミよりもはるかに大きいが、ツーリストだらけで、イマイチ雰囲気にかける感じだった。


夕方にジンカに戻り、スイス人達の泊ってるホテルへ行き、車の調達ができたこと、他に人は見つからなかったことを伝え、明日の朝彼らのホテルに集合と伝えて分かれた。あとはあの運ちゃんがほんとにカロ族の村までいけるかだ。









2016/FEB/9 「ブルジャンプ」

昨夜、ジョンがホテルに来たときにディメカまで乗せてもらえないかと聞くと二つ返事て快諾してくれた。

朝十時になるとジョンの車の音がして、中庭に車が止まった。車にはエチオピア人が数人のっていて、彼らも乗せて行くようだ。オモラテへ行くと言っていたアッレもやはり、ジンカへ戻るといい、ジョンに乗せて貰うことにしたらしい。

ディメカでは今日もマーケットが開かれていたが、土曜日のマーケットに比べると全く活気がなかった。ジョンにお礼を言って別れ、ブルジャンプの情報収集をすることにした。相変わらず、面倒な客引き達がすぐに寄ってくる来るので、近くのコーヒー屋に入り、コーヒーを飲みながら、ゆっくり店の人に聞こうと思ったが、客引きも入ってきてしまった。その店を後にして、先週土曜に来たときに入ったコーヒー屋へ移動し話を聞くと、ブルジャンプの行われる村までバイクで往復100ブルで行ってくれるという。その辺の客引きは一人500なので、かなり安い。ブルジャンプの見学料が500らしく、合わせて600ブルだ。ジンカの子供ガイドのバグが言っていた2000ブルと言うのは酷いボリっぷりだ。

お店の人にお礼を言って、1時に店に集合してブルジャンプへ向かうことにした。

昼飯を食べてから、約束の時間に戻るとバイクはまだ来てなかったので、コーヒー屋に電話で呼んでもらうと、しつこく付きまとってきた客引きも一緒に来て、「これは俺のバイクだ。値段は一人300でなければ乗せない」と言い始め、バイクの運ちゃん、コーヒー屋も300だと意見を変えてしまった。南部ではちょっと前までいいヤツだったのが、いきなり悪くなったり、話してた値段が変わったりはよくある。これに腹を立てるときりがないので、すぐにその場を離れることにした。もうダメなら歩いて行こうと街道へ出て、村の方へ歩き始めた。客引き達は「コッチヘ来て、話を聞け」と呼ぶが、歩きながら、「お前がコッチヘ来い」と言うと、バイクで追いかけてきた。客引きは「一人100でいいから、ブルジャンプの見学料も俺に払ってくれ」という。多分ブルジャンプのお金はもう少し安くでき、彼らがその差額を貰うということらしい。それでも一人600で済むなら安いなと思い、それで行くことにした。

さっそく、運ちゃんの後に乗り発進したが、バイクは道路から外れて、登り道に差し掛かったところでいきなり止まった。「どうした?」と言うと「エンジンがかからない」と言う。何度キックしてもエンジンはかからず、よく見るとタンクからガソリンがボタボタ漏れている。このバイクはもうダメだ。

すると、すぐ横をハマル族の女性が通りすぎてゆくのが見えた。「シンバル村?」と聞くと軽く頷き、アッチだと仕草する。付いてこいと言い、スタスタとサバンナの中を歩いてゆく。運ちゃんに「バイクが動かないなら、この人に付いていくからもういいよ」と言うと、「ガイドがいないとダメだ。俺も行く」と言って引かない。「バイク代は払わないぞ」「それでいい。ただしブルジャンプのお金は俺に払ってくれ」「本当のブルジャンプのお金はいくらなんだ?」「。。。400だ。100は俺のガイド料だ」やはり、ブルジャンプの値段は500ではなかった。ただし、それでも、言葉の通じないハマル族の女性に付いて行って、ブルジャンプに辿り着けるかは微妙だ。「よし、それでいいよ。ブルジャンプに案内してくれ」と言って、運ちゃんも徒歩で行くことにしたなった。

30
分ほど獣道を歩くと開けた所に40人くらいのハマル族が集合している場所に着いた。外国人は見当たらなく感動したが、一時間もするとランクルが4台くらいやって来て、外国人は10人くらいになってしまった。

大きな壺でコーヒーの殻を煮た飲み物を飲んだり、歳のいった男は酒を飲んだりして、くつろいでいる。女達は座り込んだり、踊ったりしている。柵で囲まれた小屋がひとつあり、そこに今日もブルジャンプをする若者がいた。かなりの長身で立派なモヒカンだ。以外にフレンドリーで握手をして、写真も取らせてくらた。

スケジュールがまったく読めないなか、着いてから二時間くらいが経ち、向こうでむち打ちが行われるとガイドが教えてくれ、若い女性と男衆、ツーリストが歩いて大きな木のある場所へ向かった。

数人の男性が女から渡された木の枝で女を打ちはじめた。ピシッという音がしたが、女は全く痛い素振りは見せないだけでなく、笑顔だ。他の女は笛を吹きながら回りを跳び跳ねて待っている。一人が打たれるとすぐに他の女が男に木の枝を渡す。そして男の前で両手を広げて「自分を打て!」と構える。3人ほどの男に対して女達は20人はいるから、男は囲まれ、次から次へとむち打ちを懇願される。暫くすると、男はむち打ちを拒み逃げるが、女達は追いかける。何度も繰返し打たれて背中には赤い血が滴っている。木の下では男衆が若い男が顔にペイントを施しはじめた。

ハッキリいって、むち打ちは見ていて気持ちいいものではない。暫くすると気分が悪くなりなり、もういいかなという感じになる。彼らは動物ではなく、同じ人間だ。痛くないわけがなく。打つ方にもやり過ぎないようにしている様子がある。女性達はトランス状態にも見える。目を虚ろにして男にむち打ちを懇願する姿は狂信的だ。

ひと段落して、元いた場所に戻ってきたが、その後も何度がむち打ちがあり、5時半位にようやく、ブルジャンプをやるという村へ移動し始めた。ハマル族達は一斉にその方向へあるきだし、ツーリストは途中まで車で移動し、そこから川を渡り、20分ほど歩いて小さな村に着いた。

太陽はだいぶ低くなり、遠くから牛が連れられてくるのが見えた。村人の人数は150人くらいに膨れ上がり、中央では女達は踊り、男達は素っ裸になったジャンパーを囲んで何やら、最後の儀式をしている。それが終わるとジャンパーと顔にペイントを施された若者は森の中へ走っていき、その間に男達は牛を引っ張って並べている。10頭ほどの牛が男たちに押されられてなんとか並べられた頃にジャンパーともう一人の男は戻ってきた。牛の前に立ち、牛の列を見つめて、タイミングを見計らっている。

牛を押さえている男達が、ジャンパーに道をあけると、素っ裸のジャンパーは牛に向かって走り出した。牛に乗りやすいように手前に子牛がいたが、ジャンパーは勢いよくジャンプして、大きな牛の背中に飛び乗った。190cmはあるモヒカンの長身ジャンパーが大きな牛の背中に立つのはすごい迫力だ。ジャンパーはそのまま牛の背中を走り抜けて、向こう側に飛び降りた。そして、今度は向こうからコッチヘ同じように牛の背中を飛んで、駆け抜けた。すごい身体能力だ。休むことなく、飛び込むタイミングを図って、またこっち側からジャンパーは牛に向かって走り出し、牛の背中に飛び乗った。牛の列の真ん中で牛が列から走り出した、男が牛の群れのなかに落ちるのが見えた。失敗だ。ブルジャンプではジャンパーは4回落ちずに牛を乗り越えなければならない。4回成功するまで何度もチャレンジする。また男衆が牛を整列させる。息を整えたジャンパーはまた牛に向かって走り出した。牛の背中を2回ほど踏んだところでジャンパーは牛の間に消えてしまった。


あたりは暗くなり始め、仲良くなってディメカまで送ってくれると言ってくれていたドイツ人が、もう出ようと言うので彼と一緒にブルジャンプを後にした。その後すぐに、後ろのほうでひと際おおきな歓声が聞こえた。きっとあのジャンパーがブルジャンプを成功させたに違いなかった。

あのハマル族の男は今日、無事に成人になることができた。これからもずっと、ハマルのおとこ達はこの成人儀式を乗り越えて成人になってゆくのだろう。























2016/FEB/8 「トゥルミのマーケット」

今日はトゥルミでマーケットの日だ。先週土曜にディメカのマーケットに行ってたので、同じハマル族のトゥルミはいいかなーと思ったが、ディメカで見れなかったブルジャンプを見れるのではと思い、トゥルミのマーケットに行くことにした。ムルシ族の村へ一緒に行ったアッレもマーケットに行くと言い、一緒にいくことになった。

このブルジャンプはハマル族、バンナ族の男性が成人になるための儀式で、これをクリアしないと結婚ができないらしい。ブルジャンプがいつ何処で行われるかはランダムだと聞いていたが、実際にはマーケットの日付、場所ににかなりリンクしていると思った。なぜならブルジャンプを見るにはツーリストは見学料が必要で、1500ブル程度払う。20人見学者がいれば10,000ブルの収入になる。他のツーリストのブログでは一度に100人ものツーリストが見学したというのもあった。これだと50,000ブルという大金だ。ブログの人の見たものは、明らかにツーリスト向けに行われたもので偽物の可能性もあるが、現金収入のない村人達の立場で考えると誰も見に来ないでブルジャンプをするよりは、ツーリストが少しでも着てくれたほうがお金になっていいはずだ。オモバレーに来るツーリストは必ずマーケットを見に行くので、マーケットの日に、その近くの村でブルジャンプを行うようにするのが、ツーリストを集めるには都合がいいというわけだ。

ジンカからトゥルミへのミニバスを探したが、ディメカまでしかなった。トゥルミでマーケットがあるのにそこまでの交通機関がない。オモバレーの交通はそれほどに脆弱だ。しかたなくディメカ行きのミニバスに乗り、そこからヒッチをすることにした。ヒッチは困難を極め、3時間くらい待ち続けた。途中エチオピア人の車やバイクが停まったが、バスの3倍以上を吹っかけてくる。ここでは親切なエチオピア人は皆無だ。

もう今日はディメカで泊るのかなーと思い始めたころに西欧人の運転するランクルが止まった。話をするとトゥルミまで行くといい、快く乗せてくれた。もちろんタダで。
60代にみえるその男はジョンというスイス人で奥さんがエチオピア人なので2年前からエチオピアに住んでいるという。話をすると実にいい人で、彼は他のヒッチをしていたエチオピア人も乗せてやるほど気前がよかった。ただ運転は荒く、トゥルミまでの道中、ヤギを一頭轢き殺した。

トゥルミはディメカからそんなに離れてなく、40分ほどで到着し、町の中心のツーリストホテルで降ろしてもらった。たぶん、ここはトゥルミに来る外人の殆どが泊る宿だ。ロンプラでオモバレー南部を周るためのハブと書かれてはいるが、町というよりも村で、ディメカのほうがまだ発展している。宿もたぶん2件しかないし、商店も2件くらいしか見当たらない。食事もホテルで取るしかなさそうだった。とりあえず、部屋を見せてもらいチェックインを済ませ、マーケットを見に行くとこにした。

トゥルミのマーケットはディメカ以上に小さく、本当にここで何か売り買いしてるんですか?という感じだったが、ここのほうがハマル族の衣装がより伝統的だった。ほとんどすべての女性が革の前掛けのようなものを着ているし、おっぱい丸出しの人もけっこういる。市場というよりは集会のような感じだが、お土産屋だらけのディメカのマーケットよりも素朴でいいなーと思った。

集まったハマル族の人達は、なにか買いに来たというより、世間話をしに来たという感じで、みんなかたまって座っている。このあたりはディメカでも同じで、異常におおきな集団が座り込んでいるのをたくさん見た。ハマル族のマーケットは案外そういうものなのかなーとなんとなくそういう風景にも見慣れてもきた。

宿にもどり、ブルジャンプがあるか聞くと、昨日近くの村であったので、今日は無いという。ただ、明日はディメカであるらしい。どうやら、トゥルミは空振りだったようだ。でも明日ディメカであるなら、かなり高い確率で見ることはできそうだ。問題はまた交通手段が無いことだ。ジョンは明日ジンカへ戻るといっていたので、また乗せてもらえるか頼んでみよう。
















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