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2015/NOV/9 「Truck Drivers」

朝起きて、昨日見たディート50%の虫除けスプレーを買いにいった。こんな強い虫除けは日本では見たことがない、さぞかし肌に悪いのだろう。でもアフリカではきっと役立つことだろう。帰りにスーパーでクッキーとリンゴ、白ワインを船中用に買った。

宿に戻って、レセプションに電話を借りてSalamis Shippingに電話をする。アテネからイスラエルへの船は貨物船しかなく、キャビンはトラックのドライバー優先なので当日まで乗れるかはわからないといわれていた。電話にはメールでやり取りしていたカズレリという女性が出て、今日の船に乗れると教えてくれた。今日乗れなければ1週間待たなければいけなかったのでホッとした。

イスラエルの宿を調べてから荷詰めをした。イスラエルは物価が西ヨーロッパ並みなのですこし気が重くなった。宿をチェックアウトするとついにヨーロッパから中東へ入るのかーと感慨深かった。先週同じ船に乗ったホンダさんからはキャビンのホットシャワーの出が良いと聞いていたので楽しみだ。

ラブロン港へは市内からバスで2時間で、アテネの3つの港の中で一番遠かった。ラブロンの町中でバスは終点だったが、運ちゃんに港へ行くと言うと、任せておけ的な感じで港まで乗せてくれた。ここからは貨物船しか出てないので、トラックしか見当たらなく、かなり殺風景な場所だ。サラミスのオフィスはコンテナハウスで2人の男がお茶を飲んでいた。今日の船に乗ると言うと、パスポートのコピーを2枚くれて、1枚は港の入り口で、もう1枚は船のキャプテンにわたすように言われた。

港にターミナルはなく、コンテナの間を歩いて船までたどり着いた。サラミスの船はすごい大きさで40ftコンテナが横に7列、縦にも8列くらいは入りそうな内部空間があり、上のデッキにも同様のスペースがあった。船のスタッフに話すとキャビンに案内してくれて、設備や食事の説明をしてくれた。キャビンはシャワー付の個室でベッド、クローゼット、机があり、快適そうだった。

オデッサで会った本田さんは少し前にこの船に乗ってイスラエルに渡ったが船の中にPatagoniaのジャケットを忘れてきてしまったらしい。もしあればもって行くと約束をしていたのでスタッフに「先週乗った日本人がジャケットを忘れたらしんだけど見かけた?」と聞くと見てないと言う。「彼はどの部屋に泊ったの?」と聞くとそこへ案内してくれて、扉をノックした。中にはすでに乗客がいたが、扉を開けると黒いジャケットが壁にかかっていて、「クローゼットの中にあったよ」と教えてくれた。これで本田さんにもう一度会うことになりそうだ。

船内を見て回わっていると、休憩中のスタッフに「バングラディッシュか?」と話しかけられる。今まではネパール人に間違われることが多かったけどバングラディッシュは初めてだ。「日本人だよ」と答えると「ハイファに行くのか?」と言うので「そうだよ。車はないけどね」と言うと、「じゃーなんで船で行くんだ?」と不思議がる。飛行機のほうが安くて、早いので的を得てはいる。少し考えて「旅には情緒が必要だよ」と答えた。彼らはエジプト人だと言い、この船のスタッフはキャプテンと数人を除いてすべてエジプト人だと教えてくれた。

夕食は5時から6時なので食堂へいくと、すでに料理がテーブルに並べてあった。食事はかなりのボリュームだ。本田さんからは昼と夜はビールが出ると聞いていたが、テーブルには良く冷えた7UPが置いてあった。ドライバーは思ったより少なく、テーブルには5人しかいなかった。他にも3から4人いて全部で10人弱だ。太ったドイツ人はクロアチア人の相棒とイベント用のトレーラーでイスラエルをインテルのイベント設営のために周るという。彼らのトラックは内部が展示ブースで、側面が開くようになっている特別仕様だ。ハンガリー人のドライバーはキプロスのスポーツイベント資材を運んでいるという。照明の運送が遅れていて、キプロスに着いてもしばらく待たなければいけないとボヤいていた。さらに太ったオランダ人ドライバーは66頭の豚を運んでいるといった。ブランド豚で毎日様子を見る必要があるらしく、トラックもセミオープンのため、豚の匂いがデッキまで届く。彼がキプロスで降りると聞いて安心した。イスラエル人の男はピックアップトラックにバイクを積んで、アムステルダムからスペイン、モナコ、イタリア、ギリシャと旅して、イスラエルの家族に会いに行くと話した。みんなフレンドリーでなかなか楽しい船旅になりそうだ。


キャビンのシャワーは聞いていた通り力強く、実に気持ちが良かった。アテネで買った白ワインを飲みながら明日はあの豊富なお湯で洗濯だなと考えた。





2015/NOV/8 「アテネの丘に」

アテネには10年前に来たことがあるので、チュミ設計のアクロポリス博物館だけ見ようと考えていた。これは10年前にはなかったものでギリシャの数少ない現代建築のひとつだ。

アテネの町はあまり記憶になかったが、歩いてアゴラのあたりに着くと、見覚えのある景色に出た。そこには広場があり多くの人が座って休んでいた。地下鉄の駅もあり、大変な賑わいだ。10年前ここにはアフリカ人たちが折りたたみテーブルでサングラスを売っていた。警察が来るとテーブルをすばやく折りたたみ一目散に逃げていたのを思い出した。アフリカ人たちはいなかったが、似たようなサングラスは今もいたるところで売られている。彼らはもっといい仕事を見つけることができたのだろうか。

博物館のあるアクロポリスの裏側への道をすすむ。カフェや通りにはたくさんの観光客がみられる。この時期でもアテネと南の島には観光客が来ているようだ。裏の広い遊歩道にはたくさんのストリートパフォーマーがいたが、ここでは禁止されているらしく、警察につぎつぎと解散させられている。操り人形を見ていた子供は目の前で操り人形のおじさんが突然警察に怒られて、キョトンとしている。町中落書きだらけのアテネでもなぜかストリートパフォーマーには厳しいようだ。

遊歩道のすぐ脇には昔雑誌で見たことのある外観の博物館が建っていた。博物館の下には遺跡があり、コンクリートの杭で浮いたエントランスデッキから見られるようになっていた。3層の箱がずれて重なっているというアイデアはディティールの表現で大きく失敗しているように思えた。アイデア、デザイン(設計)、実現(施工)という3つのプロセスはなかなかすべて上手くいかないものだが、アイデアとデザインまでは設計者の能力しだいだ。この手のデザインはアイデアの視覚化をしくじるとガッカリしたものになる。チュミのアクロポリス博物館も上手くやったとはいいがたかった。

博物館を出て、まっすぐ歩くとアクロポリスの入り口があった。昔入ったことがあったので迷ったが、せっかくなのでもう一度見てみることにした。入り口のゲートからの坂を登り、神殿の門とニケ神殿に出た。ここはあまり覚えてなかったが、そこから中に入るとパルテノン神殿への緩い坂にでて、昔来た時のことをはっきり思い出した。全く同じ光景だ。
ゆっくりと歩いてまわる。何故か昔見たときより建物が増えた気がする。よく見ると新しい石材が足されて、建っている柱や梁が見える。ひょっとしたらどんどん作り直しているのかもしれない。この分ならガウディのサクラダ・ファミリアより早く完成しそうだ。でも完成しちゃっていいのだろうか


アクロポリスを出て、手前の岩に登ってみた。上には多くの人がいて、そこからアクロポリスを眺めていた。森の上にそびえる岩山のアクロポリスはすばらしく、神殿の門の階段を降りる人が良く見え、スケールを与えていた。10年前に来た時は何故いろいろな建築家がこれを見て感動したと言うのかわからなかった。見に来てよかったなーと思った。







2015/NOV/7 「岩の上の修道院」

昨夜、宿に着いたのは夜11時半を過ぎていた。朝食付き25ユーロはこのあたりでは最安だったが、シャワーのお湯はほぼ水だった。メテオラは岩山の上に建つ修道院群で10kmの範囲に点在していた。シーズン中はバスが走ってるが、今は無いらしい。宿からは登りだし、修道院へのアプローチではかなり急なアップダウンがあるのでバイクを借りようとも考えたが、最近の運動不足を解消できるので歩きでまわることにした。

宿を出てどんどん山のほうへ進んで行くと岩の上に修道院が見えた。よく建てたなーと関心もするが建築としてもかっこいいと思った。岩山頂上部いっぱいに建てられた建物の淵は岩と一体化しているように見える。彼らは迫害から必死で逃れるためにこのような場所にこのように造ったのだろうが、結果興味深い景観を造り出した。いろいろ考えてデザインしても悪いものもあれば、デザインなど意識せずに作られたいいものも沢山ある。どちらが良いというのではなく、どちらもデザインだとおもう。

さらに登ってルサヌ修道院を見てから、ヴァルラアム修道院とグランメテオラ修道院を見て回った。グランメテオラ修道院は一番大きな修道院で、一度谷の下のほうに降り、そこから洞窟っぽい中を通り岩肌を削って作った階段を登っていくと入り口に達するというドラマチックなアプローチだ。以前リゾートホテルの設計をする機会があり、建物へのアプローチをいかに面白くできるかということをさんざん考えたが、グランメテオラ修道院はそれらを軽く凌駕するものだった。メテオラの修道院はとんでもないロケーションに建っているのでどれもアプローチはわくわくするものだった。

そこからは4キロくらい歩かないと残り2つの修道院にたどり着けないのですこし悩んだが、結局6つの修道院をすべて歩いていくことにした。行く途中に展望台のような岩があり、大勢の旅行者が登っていた。岩上からはルサヌ修道院と岩山の絶景が見れた。よく写真で見かけるのはここからの写真のようだ。

なんとか最後の聖ステファノス修道院を見終わるとすでに3時半だった。今日の6時発の電車でアテネに向かう予定なので山の中のトレッキングコースを駆け足で町まで下った。宿には4時半に着き、荷物を詰め替えた後、駅に向かった。


カランバカを出た列車は11時にアテネに着いた。アテネ駅には来たことがなかったが、とても小さく汚かった。列車も落書きだらけだし駅の外にでるとアフリカ系の人たちと娼婦が徘徊していた。夜なので通りは殆どの店がシャッターを下ろしていた。夜のアテネは何処もかしこも落書きだらけだ。降りたシャッターには例外なく容赦ない落書きがあり、道も汚く、EU加盟国の首都とはとても信じられなかった。ギリシャ大丈夫だろうか。









2015/NOV/6 「イオアニナ」

朝起きて、レセプションの扉をノックするが、やはり誰もいない。仕方ないのでテーブルに宿代16ユーロを置いて出ることにした。結局一度も宿の人に会うことなくチェックアウトだ。よくこれでやっているなーとあきれる。

バスでケルニアに戻り、歩いてフェリーターミナルへ向かう。9時発のフェリーにぎりぎり乗れた。最後はバックパックを背負って猛ダッシュだったが、最近は背負ったままかなりの距離をあるくのでふくろはぎが鍛えられ、背負ったままでも10015秒は出せそうだ。

フェリーには昨日まで続いた5日間のストライキのせいで大量の人が乗っていた。船は日本の中古船らしく、いたるところに日本語の表記がある。1階のラウンジの窓には障子も張ってあった。障子の前でギリシャ人たちがコーヒーを飲んでいてかなりミスマッチだが日本の船の評判は上々のようだ。

船は1時間半でイグメニツァに着き、そこからイオアニナ行きバスを探すがバスは1時間半後なのでバスターミナルでコーヒーを飲んで待つ。まわりには同じ船の人もコーヒーを飲んで話しながらバスを待っている。実にのんびりとしたものだ。バスの時間を船に合わせればいいのに、そういうことができないのがギリシャだ。


イオアニナに着くととりあえず、バスターミナルのロッカーに荷物を入れて、旧市街へ歩きだした。途中宿があったので、値段を聞くと25ユーロだった。この町にもホステルはなく、25ユーロは最安値の分類だ。どうせ観光客もいないので後で決めればいいかと観光を続けることにする。イオアニナ旧市街は城壁に囲まれてはいるが、中は殆ど住宅で建物は新しそうだった。湖に面した角に要塞が2つあり、それらはなかなか良い雰囲気で、多くの人が座って湖を眺めていた。モスクの脇のアリー・パシャの墓は覆っている鉄格子が有機的でかっこいい。モスクの段に腰をかけてしばらく湖を眺めた。ギリシャは本当にのんびりとした国だ。


ここに1泊して、明日メテオラに行く予定だったが、メテオラがあるカランバカまではバスで2時間なので今日移動してしまうことにした。バスは8時までなくバスターミナルで2時間以上つぶしたが、バスターミナルのWifiはここ最近では一番速く快適だった。


バスがカランバカについたのは1030だった。宿はそこから1.5kmほど坂を登ったところだ。周りにはライトアップされた巨大な岩山がそびえている。メテオラはきっとこんな岩山の上に建っているのだろう。明日は早起きだ。






2015/NOV/5 「うそつきエディと怠慢グリーク」

ギリシャではメテオラだけは立ち寄ろうと決めていた。10年以上前にギリシャを旅したときにいけなかった場所だ。メテオラに行くにはイオアニナでバスを乗り換える必要があるようだった。エディはイオアニナはキレイな町だぞとすすめるので、そこで1泊してからメテオラに向かうことにした。イオアニナ行きバスは朝の630だ。前日にチケットオフィスで「明日乗るよー」と伝えてバスの座席表に名前を書き込んでおいた。ガラガラなのでチケットは当日買うことにした。

チケット代以外の余ったレクを使いきり、宿に戻りエディと酒を飲み始めた。エディは海の向こうに見える明かりを指差してコルフ島だと言った。コルフ島はギリシャだがかなり近いようだ。エディはサランダからも船が出てて、毎日9時と13時にあるという。コルフ島で1泊しても、8日の夜までにはアテネに着けるだろう。「本当に船はその時間なんだな?」と聞くと、エディは「間違いないから宿の心配をしろ」と言う。コルフ島をググルと島の中心地のケルキラはベネチア時代の街並みが世界遺産にもなっていてキレイだった。折角だし行ってみるかと腕時計のアラームを5時半から7時半にセットしなおした。

8時に起きてエディに別れを告げ、宿を後にした。港は海岸の一番端にあった。チケットはすぐ近くの代理店で買えと言われたので行ってみると、船は13時のみだと言う。9時はコルフ島からサランダに来る船らしい。宿に戻って寝ているエディーの鼻を塞ごうかと思ったが、ターミナルのカフェでコーヒーを頼んでテラスの席に座った。暖かな陽気でとても気持ちよく、宿の10倍は早いWifiがあったのでしばらくまったりしていると、うそつきエディもだんだん許せてきた。

出国手続きはターミナル内で行い、船は時間通りに出発した。なぜかパスポートに入国記録がなく、少し揉めたが、「まーいいよ」と言うことで出国させてくれた。税関もバックパックの口をあけたら、日本人だしね的な感じで「もういいよ」と終わった。良い国だ。

船はたったの45分でコルフ島のケルキラに着いた。これで19ユーロは高すぎる。サランダの宿3泊分以上だ。

宿を決めずに来てしまったので、バックパックを背負ったまま旧市街を歩いてまわる。町は細い路地が入り組んで、白い建物に緑の窓とベランダがベネチアのようだ。オシャレなカフェも多くなかなか良いところだ。少し行った所に海にせり出した要塞があり、その中のカフェに荷物を置かせてもらうことにした。ついでにWifiで宿を探した。ケルキラの町にはホテルしかなく、最低でも30ユーロだった。島で唯一のホステルは15Kmほど離れた町でそれでも16ユーロもした。

日が暮れるまでケルキラを見て回り、バスでホステルのある町に向かった。海岸沿いでバスを降りると辺りは真っ暗だった。通りにはレストランやカフェらしき建物が並んでいたが、殆ど閉まっていて、人も見当たらない。完全にシーズンオフだ。近くのスーパーで宿の場所を聞いてひたすら歩く。しばらくするとネットの写真で見た建物があった。だが、窓はすべて雨戸が閉まっている。裏へまわると側面のバルコニーのひとつに2人の欧米人が見えた。裏の入り口から通路に入ったが1階には誰もいない。2階も誰もいないようなので、さっきの欧米人の部屋をノックすると、1人が出てきた。彼は「ここのレセプションは殆どいなくて、たまに現れるがかなりインフォーマルでまだ子供だ」と教えてくれた。彼らも来たときに誰もいなくて、鍵の開いている部屋を勝手に使ったと言う。他の部屋の扉を押してまわり、開いていた部屋を指して「とりあえずここにしたら?」と言うのでその部屋に泊ることにした。


ギリシャの破産危機のニュースをしょっちゅう見るが、ここの人々を見るかぎり全く危機感は感じられない。町には日中カフェでボーっとしてる人が山ほどいるし、働いている人も座っているのが仕事だと思っている。観光名所は1500には閉まるし、お店も11時から14時まで休みというところが殆どだ。そして、この宿はレセプションさえいない。観光が一番の産業ならもう少し頑張れば良いが、それもない。EUからの救済金を貰えば、きっとそれに甘え、何も改善はなく、また半年後にお金と言うだろう。一度破産してもらうのも長い目で見れば悪くないと思える。








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