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2015/MAY/13 「山頂アタック」

3時に周りの音で目が覚めた。みんな出発の準備をしている。寝る前に準備は済ませていたので起きあがって、顔を洗ってから、食堂へいく。1回目の朝食を他の人と一緒に食べて、外でみんな集合した。簡単な注意を受けてからいよいよ登り始めた。

登山道はひとつしかなく、細いので300人以上が登ると列渋滞になる。抜かせないので基本的に前についていくしかない。しばらく進むと高木は這い松に変わり景色は少し開けてきた。うちのパーティーは完全にばらけて誰がどこにいるかまったくわからない。とりあえずどんどん前に進む。みんな空気が薄くて苦しそうだ。


100人くらいは抜かしたろうか。いつの間にか前には数えるほどのヘッドライトに明かりだけになっていた。しばらくすると、前に歩いているうちのパーティーの若いドイツ人を見つけた。他はもっと後ろのようだ。とりあえず彼についていくことに。それからしばらくすると誰も前にいなくなり先頭になったことに気がついた。


後ろを振り向くと両手にストックを持った同じパーティーのカナダ人のおじさんがすごい形相で登ってくる。それに合わせるようにドイツ人もスピードをあげて登り始め、競争の様相を帯び始める。たいぶしんどいなーと思いながらドイツ人についていく。息はあがりっぱなしだ。そして3人とも2mと離れずに、すごい勢いで登っていく。


急な岩場を登りきると、突然ドイツ人が大きな声で叫んだ。どうやら山頂に達したようだ。時計を見るとまだ4時過ぎで真っ暗だ。カナダ人のおじさんも登ってきて息を整えている。3人でハイタッチで祝福する。思ったより簡単に登れたなーとホッとしたが、よく考えると日の出まではあと1時間半はありそうなことに気がついた。


不安通り、15分もすると寒くて耐えられなくなってきた。すべての服を着て上から雨具を着る。そしてバックパックを敷いて上に寝て、バックパックのレインカバーを出して上半身をもぐりこませた。これが今できるすべてだと思った。頭の中で、なぜあんなに急ぐ必要があったのだろうという疑問が反復するだけの長い長い時間がすぎた。


気がつくと山頂はずいぶんにぎやかになっていて、レインカバーを取ると50人くらいに囲まれていた。うちのパーティーの皆も、おおかた目にはいった。東から最初の太陽の光が出てくるのが見え始め、まわりから歓声が沸く。次々とカメラのフラッシュが光る。みんな記念撮影や抱き合って喜びを分かち合っているが、こっちは1時間半も前からも山頂で待っていたので身体は芯から冷え、それどころではない。


早く降りてあのボルネオ一熱いシャワーを浴びたいと思った。




2015/MAY/12 「ボルネオ島一熱いシャワー」

コンテナの中の2段ベッドの上の段から、夜中に発病した下痢で3回起きてトイレに行かなければならなかった。日本から持ってきた下痢止めを飲み、なんとか朝を迎えた。

シャワーを浴びに外へ行き、シャワー/WC小屋に入る。肌寒いから水温が低ければやめようかなとひねると信じられない熱さのお湯がでた。「おおー!」と一人で盛り上がっていると、隣のシャワーからも似たような叫び声が聞こえてきた。しかし、いざ浴びてみると温度調節にはかなりのテクニックが必要で、しかたなしに我慢して高温で浴びることに。浴び終えて外に出ると、隣で浴びてたオランダ人も出てきて「ボルネオ島で一番熱いシャワーだ!」と笑ってこっちを見た。


登山の準備に着替えて外に出ると、コンテナの背景にキナバル山がそびえていた。昨日は雲で見えなかったが今朝は快晴だ。あまりの高さに本当にこれに登るのかと弱気になる。

ラウンジへ行き、朝食にオムレツを作り、トーストにチーズを乗せて焼き、コーヒーを入れて食べているとJungle Jackがきて、「キャンセルが出たから今日登れるぞ」と教えてくれた。まったく同じものをもう一度作り、今度はすべてトーストに挟んでサンドイッチにして、ランチ用の紙袋に入れた。テーブルにあったバナナ2本も一緒に入れた。


われわれのガイドは二人で、キナバル山の麓に住む原住民だった。先頭を歩く、見た目と名前のギャップが大きいジェニファーと名前は忘れてしまったが最後尾を歩く無口の男のガイドだ。ジェニファーは週に2回もキナバル山に登頂し、さらに山頂でSIMカードを売るというビジネスウーマンだ。ガイドの二人は登山口で合流し、本当に簡単に登山計画を説明した。そこで皆ジェニファーに続いて歩き始めた。

中腹の山小屋はラバン・ラタという標高3200mに建つ食堂小屋を中心に、いくつかの宿泊小屋が回りに建てられている。ほぼすべての小屋はステラ・サンクチュアリ・ロッジが所有し、例外的にひとつだけがJungle Jackの手配する登山者が泊るロッジだった。食事はビュッフェなので、どちらの登山者もラバン・ラタで食べることになっている。といってもJungle Jackの小屋に泊るのはせいぜい20名程度で残りはすべてステラなので、ほとんどはステラの客である。普通キナバル山登山=ステラという認識だと思う。

朝食の時にJungle Jackはみんなに60RMキャッシュバックできると言い出した。彼の説明だとラバン・ラタの食事(夕食×1朝食×2)は60RMで登山費用には、その60RMの食事券が含まれているという。そして、それは食事のときにほとんどチェックされないらしい。つまり、その食事券を買わなければ、われわれが払う登山費用から60RMを返すというのだ。ただし、見つかった場合は各自の責任となる。大抵、食事券のチェックは最初の数名だけであとはチェックされないらしい。なので1630から始まる夕食には、すこし遅らせて1730から行けというのが彼の作戦だった。


1日目の登山は軽いので1330には山小屋に着き、おのおの好きなように時間をつぶした。皆で時間を確認してから1730に夕食へ出かけた。首から下げる登山許可証はストラップの部分がステラの客のものとは違うので、食事には持っていかないように言われたのを思い出してベッドの上に投げた。


Jungle Jackの言ったとおりチェックはなく、ステラの客同様にビュッフェをいただくことができた。山で食べるものとしてはなかなかの食事だ。食事の後、夕日を堪能してから小屋に戻り寝る準備をした。せっかくの登山なので新調したMombelの寝袋も持ってきたが、残念ながら登山で日の目を見ることはなさそうだった。ぎゅうぎゅうに配置された2段ベッドはかなり攻めた構造になっていて、上の人が寝返りをうつと、上の段が落ちるんじゃないかというくらい大きなきしむ音をあげ、その恐怖に一晩中おびえるスリリングな山の夜を演出してくれた。





2015/MAY/11 「Jungle Jack」

翌朝起きるとイギリス人がすでにミーゴレンを食べていた。この宿は気持ち程度の朝食が付いている。麦茶のようなコーヒー(飲み放題)と食パン、良いときはジャムが付くが、これは滞在中2回しか見られなかった。イギリス人は用意されたものでなく、自分で調達してるらしい。

これからどうするかと聞かれて、キナバル山へ登りたいがステラ サンクチュアリ ロッジから返答がないと答えると、ステラに泊る以外でキナバル山に登る方法があるという。キナバル山は東南アジア最高峰で4095.2m、通常、中腹の山小屋で1泊して2日目に登頂、下山となる。中腹の山小屋というのがステラ サンクチュアリ ロッジでベッド数に限りがあり1日に登れる登山者が制限されている。この予約を個人で取るのが、かなり大変でホームページでは大抵空きはなく、メールしても返信が来ない。そして値段も高い。ツアー会社を通すと、予約を取れるが15001800RMくらい取られるらしい。


イギリス人曰く、ステラ以外にもう一社ロッジがあり、その窓口になってるのがJungle Jackという男だという。Facebookでのみ連絡が取れるという。早速Facebookで調べてみる。よく焼けたおっさんにたどり着く。とりあえずメールを送って登れるかきく。返事はランダムでいつ来るかはわからないらしいがすべて込みで600RM程度で登れるらしい。これは破格だ。


銀行へお金をおろしに行こうと下へ降りたときに無愛想な太ったレセプションに、「Jungle Jackを知ってるか?」と聞くと、「知ってる」という。「連絡してあげようか?」というので「できるの?」と頼むとケイタイから電話をかけて話しだした。「いつ登りたい?」と聞くので「明日は?」い言うと、明日はできるかわからないけど明後日は確実だという。そんなに急で登れるのか?とかなり疑問が浮かぶ。そして値段は680RM だという。聞いてた金額より80RM高い。「600だと聞いたんだけど?」と聞くと、「今は680だ」という。話をしているとイギリス人がちょうど降りてきて「2週間くらい前に登った旅行者が600と言ってた」と言うと、太ったレセプションは少し怒り出し、「そうしたら自分でJungle Jackに聞いたらいいじゃないか、私は親切で聞いてあげたのに」と話を聞かなくなってしまった。

Skypeで電話してみるかとPCをもって降りてくると、それを見たレセプションは携帯で電話をかけはじめ、こっちへ来て「Jungle Jackだ。自分で話してみろ」という。うーん。これでは話がすでにまとまってるだろうと思いながら電話を受け取る。予想通りJungle Jack680RMだという。「その値段がいやならステラで泊ればいいじゃないか。680でいいなら手配する」という。選択肢がなくなってしまった。

「いつ登れるの?」と聞くと「キャンセルが出れば明日、そうでなければ明後日」という。また登る前日と降りてきた日に彼のロッジに1泊づつする必要があるらしい。
「明日は不確定だから明後日に行くよ」と言うと「今から来たらいいじゃないか?明日だめなら、もう一泊泊ればいい。食事も宿泊費も込みだ。なにも心配は要らない。何泊しても問題ない」という。どんなロッジなんだ?と余計不安になる。だいぶめんどくさいやつに捕まってしまったかもなと思ったが「じゃー今から行くよ」と返事して電話をきった。

Jungle Jack Lodgeはキナバル公園の入り口から1キロ手前の道路沿いにあり、キナバル公園行きのバスに途中で降ろしてもらえた。ロッジというかコンテナハウスだ。迷彩色のコンテナが3つ置いてあるのとコンテナの間に屋根のかかったラウンジだある。外にはシャワーとWCもあるようだ。すでに標高は1800mなのでかなり涼しい。

ラウンジに入ると、すでに今朝登頂し、降りてきた6人が座っていた。その中のインド人は異常な疲れを見せているがそれ以外は皆元気そうに見える。同じバスに乗っていた韓国人の女性も、どうやらJungle Jackでキナバル山に登るようだ。他にも明日登るというイラン人がテーブルにいた。それからまもなくの間にどんどん登山者が到着した。カナダ人中年男性、スイス人中年女性、オランダ人カップル、かなり若いドイツ人カップル、俺を含めて9人になった。


Jungle Jackはかなりのハイテンションで人が到着するたびに本当に簡単に施設の説明をした。ラウンジにはガスコンロやトースターもありパン、卵、チーズ、コーヒー、ティーが食べ切れないほどあった。奇跡的に気持ち程度のwifiもつながる。Jungle Jackは「ここにあるものは何でも好きなだけ食べていいけど、使った皿は必ず洗え」と全員に伝えた。まったく同じことが壁にも大きく書いてあるし、ここではよっぽど大事なことのようだ。


夕方になるとJungle Jackは「夕食に行くぞ」と皆を連れて近くの中華料理の安食堂に連れて行った。明日の朝にあと3人合流すると言ったが、俺の分の山小屋予約だけはまだキャンセル待ちだと言った。大丈夫か?


Jungle Jackはタンクトップの中華系マレー人でかなり人の話を聞かないし、同じフレーズを何度も繰り返す50くらいの中背男だ。食事中に明日の朝の予定を説明し始めた。7時くらいにおきて、各自ラウンジにあるもので適当に朝食を食べて、さらに自分のランチもラウンジにあるもので適当に自分で用意することらしい。この辺で大きく予算削減に貢献してるように感じた。出発は9時とのことで登山としてはかなり遅い。

夕飯後に宿にもどり、Jungle Jack Lodgeで唯一有料の13RMの密輸入ビールを2本開けて、ラウンジでみんなで話をして過ごした。ビールはなぜかホンジュラス産だった。




2015/MAY/10 「コタキナバルへ」

セブ発のエアアジアは予想通り遅れ、1時間おくれてコタキナバルへ到着した。遅れたおかげで着陸のときに夕日が海に沈み、雲にところどころ遮られた夕日は日章旗のようにドラマチックに変化をした。アクシデントの後に良いことが起こると、いつも「Giftだな」とこころのなかで思う。旅をしているとこういうことがたくさん起きる。それは旅を計画しすぎるなと言っているようで旅はもっとハプニングに満ちた面白いものになるんじゃないかと期待を呼び起こす。

コタキナバル空港はかなり近代的でフィリピンと比べるとかなり発展してるそうに見える。空港から市内へもすんなりバスで中心部まで行き、そこから少し歩くと泊ろうと思っていたホテルへたどり着けた。セブとは大違いだ。

ホテルは経営者が日本人と聞いていたがカウンターには無愛想な太ったマレーシア人女性がどっしり座りタブレットを絶えずいじっていた。レセプションからはレセプショニスト含め日本人的繊細さはまったく感じられない。部屋に通される途中、欧米人のかなり年配の少年のような格好の男性が良くわからない言葉で話しかけてきたが、よくわからなかった。


部屋は特にキレイでもなかったがコンセントが多いのと中央にテーブルとベンチチェアーがあり長くいるには便利そうだった。部屋から出るとまたさっきの男性が今度は英語で話してきた。どうやらさっきはマレーシア人だと思ってマレー語で話したらしい。確かにマレーシアはフィリピンと異なりマレーシア人のバックパッカーもいる。その辺も含め経済的にはフィリピンよりやはり豊かなんだろう。


その男はイギリス人で9週間この宿に住んでるらしい。もう25年も海外をぶらぶらと暮らし歩いているそうだ。一度話し出すと止まらないし、人の話を聞かない。30分くらい話を聞かされたあとに原住民から買ったというお酒と発酵途中の米を食べさせられた後に、ようやくスーパーの場所を聞き、ビールと水を買いに出かけることができた。

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