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2016/DEC/22 「ガルアのチャド領事館」

バンギからのトラックに揺られること三日間、国境には昼過ぎに到着した。ここでトラックを降り、パスポートチェックを受けてから、バイタクでイミグレへ向かう。来たときと全く逆の手順だ。イミグレスタッフは覚えていたようで、「チャドへは行けなかったよ」と話すと、「だから言っただろう」と得意気だった。部屋にはレバノン人らしき男が二人スタンプ待ちだったが、彼らを退けて先にスタンプをくれた。あのレバノン人達は賄賂を払えと言われていたに違いない。部屋を出るときにイミグレスタッフは「ボン ボヤージュ」と言った。

続いてカメルーンイミグレ。荷物検査はあったが、賄賂請求はなし。実にすがすがしい出国だ。

さらにバイタクでバス会社のオフィスへ向かうと13時40分発という、ピッタリのバスがあった。なんだか今日はいい日だ。

ところが、やはりそんなにうま進むはずもなく、ガルアまで六時間くらいだと聞いていたのに、バスはそもそもガルアまで直通ではなく、ンガウンデレまでしか行かなかった。そこでさらに窓口でチケットを見せて次のバスに予約を入れてもらい、そのバスが来るのを3時間以上待った。結局ガルアに着いたのは朝の4時だった。

寒いし、真っ暗だ。バス会社のターミナルにはたくさんの人影が見える。皆、イスラム教徒が着る長いローブ風の服を来ていて、今までのカメルーンとはだいぶ雰囲気が異なる。バスを待つ人、ただ朝を待つ人、皆何処か疲れている。5時になると敷地の中の、モスクと書かれた縁石で縁取られただけの場所に人が集まってお祈りが始まった。ンガウンデレのターミナルにも礼拝スペースがあったが、これもやはり南部にはなかったものだ。

朝の6時になり、すこし空が明るんできたので調べてあった宿へ向かった。しかしHialla Village Hotelは値段表には5000CFA(1,000円)から部屋があるのに10,000CFA(2,000円)の部屋しかないと言われ、他の宿を探すことになった。そしてバイタクの運ちゃんに任せて、たどり着いた宿は安いだけが取り柄の宿で、テレビのある部屋やエアコン付きの部屋など何種類か値段の違う部屋があるのに、停電で肝心の電気がなく、値段の違いが全く反映できてなかった。連続の移動で疲れていたが、すぐにチャド領事館へ行かなければならない。宿のスタッフに聞いて、バイタクで領事館へ。

チャド領事館は町の中心からかなり離れていて、今までに見た中で一番無防備な領事館だった。敷地のゲートは開きっぱなしだし、一人だけいる警備の男も日陰で仮眠中で、建物の扉もフルオープンなので勝手に中に入ってスタッフを探さなければならない。スタッフもかなりユルく、「ビザね。問題ないよ」と細かなことは聞くこともしない。実はチャドVISAの為に送ってもらったインビテーションレターにある入国予定日は、既に過ぎてしまっていて、フォトショップで加工していたので、現地に電話されたらどうしようと心配していたが、特に確認もなかった。ただし、今は領事が不在なのでビザが出せないと言われた。

運が良かったのは、加工したインビテーションレターの入国予定日を明後日にしていたので、彼らも明後日入国なら今日中にビザが必要なんじゃないかと頑張ってくれたことだ。結局領事に電話して、オッケーが出てその日にビザを貰うことができた。この領事館からするとチャドは人が良さそうな気がする。

待っている間に椅子に座って室内を見渡すと、壁に額に入った写真をみつけた。ピックアップトラックの荷台にカラシニコフを持って、ターバンで顔を覆った兵士達が写っていて、一番前に似たような格好のサングラスをしたオッサンが構えている。兵士たちは皆ばらばらの軍服なので、統一感がなくまるでゲリラの中隊だ。だが写真の下には大統領、イドリス・デビと書いてある。言ってみれば大使館に飾ってある大統領の写真ということなのだが、どう見てもテロリストかゲリラの大将にしか見えない写真だ。なぜこんな写真にしたのだろう。この領事館からするとチャドはヤバイ気がする。



2016/DEC/13 「中央アフリカの移動」

昨夜バスがガロアブライに着いたのは夜中の12時を過ぎた頃だった。真っ暗の町中でバス会社の周りだけが物売りで賑わっていた。バイタクを捕まえて、5000CFA(1,000円)以下で泊まれる宿へ連れていってくれと頼むと、2件ほど断られてから、ようやく空いている宿が見つかった。値段は2500CFA(500円)とカメルーンの宿では今までで最安だった。
朝起きて、宿のスタッフに中央アフリカへ行くと言うと、ここから国境までバイタクで200CFA、国境からUNの護衛隊が出るベロコまでは500CFAだと教えてくれた。

国境には500mほどの緩衝地帯があり、手前にカメルーンイミグレがあった。その横のポリスチェックですごく親日な警官からパスポートチェックをされ、そのあとイミグレに行くと、無愛想な軍人が「5000フラン」とだけ言いはなった。またワイロかと少し幻滅したが、「いいや払わない」と突っぱねると「いや、払え」と引かない。それならと「カメルーンに入ってからは警察からもイミグレからもワイロを請求されたことがない。カメルーンはワイロのない国かと思ったよ」と言うと何も言わずに出国スタンプをくれた。もちろんカメルーンは賄賂大国だ。国連の世界の汚職国家ランキングで1位に輝いたことを冗談っぽく話す国民に国を変える意思は一切感じられない。

続いて、中央アフリカ側。中央アフリカのイミグレは国境から1キロほど進んだところにあり、朝飯を食べてから向かった。中央アフリカのワイロ攻撃はかなりひどいと聞いていたが軽くかわすことができた。

そこからバイタクにのり、UNの護衛隊と共に移動するトラックが集まるベロコまで移動した。ロベコは道路沿いにトラックが何十台と停まっていて、直ぐに分かった。護衛隊と移動するためには登録が必要らしく、一つの建物にドライバーらしき男達が集まっていた。
黒人しかいないのでアジア人はかなり目立つ。直ぐに男達が集まってきて「カミオン?バンギ?」と聞いてきた。カミオンはフランス語でトラックだ。そうだと言うと男たちは20,000だ!とか30,000だ!と好き放題の金額を言ってくる。多分ここにいるのは本物のドライバーではないだろう。ドライバーと話すからと言って、歩き出すと英語を話す男が「いくらで乗りたいんだ?」と言ってきたので、5000と答えると「荷台でいいのか?」と聞くので「いや、室内がいい」と言うと「ついてこい」と言い、建物の中を突っ切って、裏に出た。そこは大きな駐車場のようになっていて、たくさんのトラックが留まっていた。
男は幾つかのトラックの運ちゃんに値段を聞いてくれたが、最低でも8000CFA(1,600円)だった。そこで「7000にならないか?」と聞いたが値引きには一切応じる気配がない。そもそも他のドライバーは言い値が15,000以上なので話にならない。

もう一回りしてから決めようと、男にお礼を言って別れた。現地人たちは荷台に乗っているが、これでは雨が降ればひとたまりもない。何より、荷台で2泊3日はチョットしんどい。それからドライバーを数人あたったが、10,000以下という人は現れなかった。しかも駐車していたトラックは徐々に敷地から出ていき始めた。これはまずいと思って、さっきの8000CFAのトラックを探し、何とかトラックを確保した。クンも10,000CFA払ったと言っていたので、きっと8000CFAは安い方だ。しかもこのドライバーはカメルーンの北西部出身で英語ができる。

敷地にはUNのヘルメットをかぶった浅黒い男達がいた。これが国連の治安維持軍かーとよく見てみると、肩に日本とよく似た国旗がある。ただし、色は緑に赤。これはバングラディッシュだ!なつかしい。アフリカで見るバングラディッシュ人はかなり親近感がわく。バングラディッシュを旅したときは同じ人間だと思えなかったが、黒人しかいないここでは、まるで親戚のようにさえ感じる。

話しかけてみると、「おー!日本人は友達だー」とやはり思った通りフレンドリーだ。「ここにはどれくらいいるの?」と聞くと「1年の任期だ」と答えた。彼らはベロコからバンギの護衛を担当していて、ロベコにはキャンプがあり、1500人ほどの兵士が配備されているという。

「中央アフリカで何してるんだ?」と聞かれ「旅行だ」と答えるととても驚いた。「治安は問題ないかな?」と聞くと「治安は問題ない。一番の問題は言葉だ」と答えた。「こっちの英語を彼らは理解しないし、彼らのフランス語は理解できないんだ」。確かに兵士間で意思疏通できないだろう。

見ていると彼らは現地人とは一切話をしないし、中央アフリカの軍人が挨拶してきたときも、かなりぎこちないフランス語の返事をしていた。さすがにバングラディッシュにも黒人はいないし、なんだこの真っ黒な奴等は!といった感じなのかも知れない。彼らからしてもここは異境の地なのだ。しかも中央アフリカの黒人の軍人が威張っているのに対して、彼らはどこかオドオドした感じでアウェイ丸出しだ。小心者の多いバングラディッシュ人の人柄が出ていてどこか面白い。まー、言葉が一番問題と言うくらいなら、治安はそこまで問題では無いのだろう。

午後の2時半に駐車場を出たが、すぐに停まりさらに2時間ほど待たされた。この日は150kmしか進まないらしい。100台にもなろうかというトラックの編隊は移動にとてつもない時間がかかる。

夕方にボウアという本日のキャンプ地に着いた。と言っても街道沿いに露天が並んだだけの村で、トラックは1ヶ所に集められた。トラックの荷台の現地人たちは、地面にゴザを敷いて横になり始めた。トラックの下が雨のときも濡れないから人気らしい。ドライバーはみんなこうやって寝るんだよと言うが、砂ぼこりが酷い。ドライバーの助手はスーダンで泊まったときに寝たような木のベッドをトラックから降ろして、寝る準備をしている。車の中で寝るのはドライバーだけのようだ。

仕方なしにテントを張ることにした。外でも寝れなくはないだろうが、夜にやっぱり寝れなくて張るよりはいいと思って、最初からテントにした。テントは珍しいようで、回りにはすぐに人だかりができてしまった。

現地人は皆こうやってトラックの荷台にのり、地面で寝て2泊3日過ごすのだろう。中央アフリカの移動はなかなかハードだ。

















2016/DEC/10 「マンゴーの木の下」

朝遅めに起きると、子供たちもマリオンも出掛けてしまっていた。コーヒーをいれてキッチンにある残りもので朝食にした。この家はしっかりした朝食を作る習慣はなく、フランスパンにジャムやらヌテラやら好きなものを塗り、コーヒーや紅茶やら好きなものをいれて、勝手にとる感じだ。始めは戸惑ったが、慣れれば気軽なものだ。

朝食を食べ、洗濯をして、日本大使館から借りた本`クジラと日本人' を読み終えた。この本はなかなか面白かった。他にも`エビと日本人'という本が出ているようで気になったが、これは大使館にはなかった。大使館からは他にも`フランスの外交力'、 `アフリカ大陸探険史' 、`アフリカの大疑問'を借りて読んだ。`フランスの外交力'は西アフリカを旅するなら良い事前知識になるだろう。東アフリカもそうだったが、やはり単に旅するだけでは分からないことも多い。色々な本を読んで実際に行ったときの感覚と擦り合わせるというのがその国をよく知る方法だと思う。`アフリカ大陸探険史'も18世紀からのアフリカ探検の歴史がわかり面白かった。中でも多くの探検家にとってナイル川の水源を見つけるというのが大きな目的だったことが興味深かった。リビングストンもスタンレーも最大の関心はナイルの水源だった。

ナイル川の水源については2世紀頃、既にプトレマイオスが、「雪を頂く月の山脈のふもとにある2つの湖」と記述している。彼の作ったアフリカ地図は北部については詳細だったがサハラ以南は実際とは大きく異なっていた。この頃にサハラ以南を旅した人などおらず、当然と言えば当然だが、驚くべきことは、この月の山脈というのは実在し、その近くにはナイル川の水源であるヴィクトリア湖があるということだ。実際の水源地はブルンジまで遡るが、ナイルはこの湖から流れ出ている。

そして、プトレマイオスの言う`月の山脈'というのは、実は半年前にポーター8人、ガイド2人、護衛2人を引き連れて登ったルウェンゾリ国立公園のスタンレー山だった。赤道に一番近い氷河を持つ神秘の山だ。これを知ったときは、一人感慨にふけった。

昼過ぎにマリオンと子供達が帰ってきた。マリオンは今日は演劇のイベントを家でやると話した。フランスのNGOが現地人の劇団をサポートするために、大きな家に住む駐在員等の家の庭で月に一度、演劇イベントを開いていた。今日はマリオンの家でやるということらしい。この家の庭にはちょうどいい半外部の小屋があった。

夕方に劇団の人達がやってきて、照明やスピーカーのセッティングを始めた。役者もリハーサルをしている。

マリオンはソファを庭に出したり、客席に蚊取り線香や蝋燭を置いたりと準備を始めたので手伝った。テーブルには飲み物やスナックが用意された。前日に使用人が調理していたのはこの演劇用だった。この家は普段あまりキレイにしていないが、準備が終わるとなかなかそれらしくなった。子供達は通りから家までのサインを段ボールで作った。それには`THEATRE SOUS-MANGVIER'と書かれていた。マリオンが`マンゴーの木の下'という意味だと教えてくれた。彼らは劇場など持たず、こういった人の家の庭で活動をするのでその名前がついたという。いい名前だ。

子供を含めると30人くらいは集まった。辺りは暗くなり、蝋燭の灯りと舞台の照明でとてもドラマチックだ。

NGOの代表の挨拶があり、劇が始まった。全てフランス語で内容は分からなかったが、役者との距離が近く、臨場感があり良かった。演技も思っていたより全然本格的だった。

劇が終わると役者やスタッフも含めて立食パーティーになった。この家の大きな庭と軒下はこういったイベントには最適だ。知り合いやはじめて会う人、劇団の人が皆楽しそうに話している。こういった大きな庭のある家を使って、現地人の活動をサポートするイベントを企画するというのは、とてもいいなーと思った。いかにもフランス人らしい、文化的な試みだ。日本人も農業やインフラだけでなく、こういった事が出来るようになればなーとすこし羨ましかった。








2016/DEC/12 「中央アフリカビザとワイロ」

フンバンへバイクで行っていたデニスが戻って来たのは昨夜12時過ぎだった。寝ているとバイクの音がして分かった。

今日は朝から中央アフリカ大使館へ行き何とかその場でビザを発給してもらえないか頼むことになっていた。もし、ビザがその場で貰えれば、今日のうちに中央アフリカとの国境の町、ガロアブライまで行き、明日の朝、国境を越えた所からUNの護衛隊と移動ができる。ダメなら次に護衛隊の出る土曜まで待ちぼうけだ。

マリオンは娘たちに朝食を食べさせていた。7時過ぎに子供達を学校へ送り、そのまま仕事へ行くというので、大使館の近くまで送ってもらうことになった。家を出る直前にはデニスも起きてきたので、念のためお別れを告げた。デニスは今日出るのか?と驚いていたが、この家には既に10日もいる。「何も出来なかったが、もし日本に来ることがあるなら教えてくれ、必ずお礼をするよ」と伝えた。

マリオンの車は子供達を学校で降ろすと、朝の渋滞のなかバストスへ向かった。渋滞が酷いのでバストス手前のランダーバートで降りて歩くことにした。マリオンにもお礼を言って、ビザが取れたかどうか後でメールで知らせると言って別れた。

大使館には8時半についた。敷地にはいると、金曜日に来たときにいた男達がいて、挨拶してきた。レセプションは全く英語が通じなかったが、その男達が通訳してくれ、今日、どうしてもガロアブライに向かいたい事も説明してくれた。

レセプションは「75,000CFAだ」とだけ言った。なんか聞いてたより高いぞと思ったら、壁に値段表が貼ってあり、ビザ50,000CFA、エクスプレス+15,000CFA、申請処理費+5000CFAとなっている。足しても70,000のはずだ。この申請処理費というのもかなりいかがわしいが、それでもさらに5000ほど上乗せしてることになる。

レセプションに「間違ってるでしょ?」と言うと、建物の中の部屋に通された。そこで書類まみれの机に座った男が、英語で挨拶をして来た。彼が領事担当に違いない。「明日の朝、国境からのUN護衛隊と移動を共にしたいので、直ぐにビザを貰うことは出来ないか?」と聞くと「心配するな」と心強い返事が帰ってきた。「値段は50,000プラス、エクスプレス代金15,000でいいんだよね?」と聞くと「申請処理で5000と書いてあるだろう」と答えた。やはりこの5000は払わないといけなさそうだ。「では合計70,000CFAですね?」と確認すると「そうだ」と答えた。

受け取りは11:00だと告げられた。今すぐって訳ではないのかーとすこし焦ったが、それでも十分に良い結果なので、ここで引くことにした。

まだ9時なので、日本大使館へ行き、借りてた本を返却し、情報ノートを少し写したりした。まー結局ここには大した情報はなかった。2014年以降は情報が無いし、そもそも北上者は誰もいないようだった。

10時半に中央アフリカ大使館へ戻ると、レセプションの男は何やら時計を指して、まだ早いみたいなジェスチャーをしてきた。さらに男は「インビテーションは無いのか?」と聞いてきて、「ノー インビテーション ノー ビザ」と何処かで聴いたようなセリフを言い出した。「いや、申請したときには何も言わなかったじゃん」と言おうにも英語が通じない。すると「大使は外出中で13時まで戻らない。10,000CFAでインビテーションを作ってやる」と言い出した。「えー!そりゃーないよ。エクスプレス代金払ったのにまた金取るのか?」と言うと、「じゃー13時に大使が戻るまで待ってろ」と突き放してきた。

仕方なく、外のベンチで他の男たちと待つことに。もう11時ちかいが、このままだと午後までもつれる。遅い時間にもガロアブライ行きのバスは出てるのか不明だ。

すると、先程の男が建物の中へ入るように言いにきた。これは領事担当に訴えるチャンスとばかりに、部屋に入るなり、一気に説明を始めた。インビテーションをとる宛もないし、そんなことしてたら明日の護衛隊に間に合わない。なんとかインビテーション無しでビザを出してほしいと訴えたが、領事担当は「インビテーション無しでビザを取るとペナルティを払わなければならない」とさっきとはニュアンスが違うことを言ってきた。因みにパスポートは彼の右側にビザが貼られて置いてあるのがチラッと見えた。このまま隙を突いて奪えば終わりだと一瞬頭によぎったが、やはり説得してパスポートを返してもらうのが正しいと思った。領事担当は「ペナルティを払えば直ぐに大使に話してビザを貰える。時間が無いんだろう」と言ってきたが、「もうビザはパスポートに貼ってあるじゃん」と言うと、「お前は我々には何もくれないのか?」と露骨な賄賂請求に変わった。

「中央アフリカは内線で疲弊してしまったが、人が素晴らしいと言うから、楽しみにしているんだ。ようやく戦争も終わりが見えてきて、これから一気に国が変わるというときに国を見ることはとても有意義な旅になるだろう」と力説して、最後は「御願い!」と三回続けて言うと渋々パスポートをこちらに手渡してきた。

お礼を言って、直ぐに部屋を出た。レセプションにも全く言う筋合いのないお礼を告げて、ゲートを出た。11時8分。なんとか中央アフリカビザをゲットした。

大きな通りに出てタクシーを捕まえて、マリオンの家に戻った。家族は全員出払っていたが、食事係と掃除係、警備の男がいた。皆にこれから中央アフリカへ向かうと別れを告げた。皆「ボン ボヤージュ」と見送ってくれた。流石に10日もいたので、彼らとも随分仲良くなった。娘達とは全く仲良くならなかったが。

マリオンの家からはバス会社の集まるところまで徒歩圏なので、歩くことにした。久しぶりのバックパックは重く感じる。直ぐに汗が吹き出してきた。

随分南の方にツーリスティックという会社があり、直ぐに出ると言うので乗ることにした。まーどこも聞くと直ぐに出ると言うのだが。


ツーリスティックは期待を裏切らずそれから30分で出発した。これでガロアブライには夜には着くだろう。カメルーンに来て以来、今日は珍しく物事がうまくすすむ日だ。



2016/DEC/9 「ナイジェリアビザ取得」

今日はもう金曜日。ナイジェリアビザを申請してから1週間が経ってしまった。今日取れなければ、また不毛な週末をすごし、来週大使館へ通う日々が待っている。何よりこの後中央アフリカビザをとる必要があるので、カメルーンビザの延長も考えなければならなくなる。ナイジェリア大使館。本当に迷惑な奴等だ。

昼前に家を出ようとすると、珍しくデニスがまだ家にいた。あれ?仕事は?と思って聞くと「今日の午後からモトクロスバイクでフンバンという町まで行く」と言う。そこでは2年に一度の祭りがあり、日曜の朝にクライマックスがあるので、それに合わせて行くらしい。

マリオンは仕事の現場視察で水曜から家にいないのに、今度はデニスまでいなくなる。この家には3人も娘がいるのに問題ないのだろうか?デニスは出発の準備で忙しそうで、バックパックにテントや必要な装備をくくりつけている。全く会話のない子供たちと残されるのは、居心地が悪くなるなーと思ったが、まー向こうも気にはしないだろうからこっちも気にしないことにした。

いつも通り、大使館へ行く前に焼き魚とマニョークの昼飯を取り、2時過ぎに大使館へ向かった。領事担当は4時に来いと言っていたが、念のため2時過ぎに着くと、受付には誰もいなかった。今日はしばらく待っても、いっこうに受付は現れない。

結局言われた4時を20分ほど過ぎたときに受付が現れ、また「待て」とだけ言われた。既に2時間も待っているのだが。このナイジェリアの狂犬は何か言うとキレるので、何も話さないのが正しい対応だとわかってきた。ここは何も聞かずに待つのみだ。

すると5分ほどでビザの領収書にサインするように言われ、ビザの貼られたパスポートが帰ってきた。ついにナイジェリアビザ取得!安堵感が込み上げてきたが、出来れば今日のうちに他の国のビザも申請したい。ビザの内容を確認すると、3ヶ月有効とある。「3ヶ月以内に入国すればいいの?」と聞くと無視。それでも窓口で回答を待ってると「ビザに書いてある通りだ。読めないのか?」と冷たく答えた。聞くんじゃなかったと心からおもった。

ナイジェリア大使館から走って、チャド大使館へ向かうと既に閉まっていた。更に走って中央アフリカ大使館へ。門は開いていたが、中に入ると業務は終わったと告げられた。ナイジェリア大使館の対応がもう少し良ければ、ビザを取れたかも知れない。

来週月曜からチャドと中央アフリカビザを取るのは、カメルーンビザが木曜日に切れるのでかなり厳しい。マリオンがチャドビザを取ったときは受け取りが二日後だったと言っていたので、多分チャドビザは諦めて、中央アフリカのバンギで取ることになるだろう。折角マリオンがチャドの会社からインビテーションを手配してくれたのに。

内戦中の中央アフリカ国境から首都バンギまではUNの護衛隊と一緒に移動するトラックをヒッチするしか方法がなく、UNの護衛隊は火曜と土曜の朝に国境を出発する。

本当なら月曜に国境に着いて、火曜のUNの護衛隊と共にバンギへ向かいたかったが、間に合わないだろう。月曜朝イチに中央アフリカ大使館で頼み込んで、その場でビザが貰えれば、その日のバスで国境に向かうことも出来なくもないのだが。

中央アフリカビザが翌日以降なら、出発は水曜で、カメルーンビザのキレる15日木曜に国境を越えて、土曜まで中央アフリカ側の国境の村で待つことになる。クンは中央アフリカ側には電気も無いので、待つならカメルーン側だと言っていたが、ビザが切れるのでカメルーン側にはいられない。

ナイジェリア大使館のせいで本当に面倒なことになった。


家に戻ると、暫くしてマリオンが帰ってきた。留守番をしていた子供達は嬉しそうだ。こっちも英語の通じる相手が帰ってきて嬉しい。







2016/DEC/8 「ナイジェリア大使館の狂犬」

ヤウンデの週末はフランス三昧だった。土曜日にマリオンにパーティーがあると誘われて、知人のハウスパーティーにつれていって貰ったが、ヤウンデ在住のフランス人の集まりで、話し相手もいなくてかなり気まずかった。別に英語を話せる人がいないというわけではないが、やはり皆集まったときにはフランス語で気兼ねなく会話をしたいのだろう。日曜にもバーベキューがあると誘われたが、同じことになりそうで断った。

マリオンの家は大きな庭があり、旦那のデニスと3人の娘と暮らしていた。お手伝いが来て洗濯や掃除、庭の手入れをしてくれ、夜間はセキュリティーもいる。ここで暮らす外国人には普通なのかもしれないが、多分フランスにいたら彼らはこんな暮らしは出来ないだろう。

子供たちは英語を話さないし、何よりアジア人と話したこともないであろうから、一切話しかけてこない。一番小さな子に関しては、常にこっちは怪しむような目でみてくる。二番目の子は、家にいてもヘッドフォンをして、ローラーブレードをはいているので、そもそも話ができる状態ではない。

マリオンは家族に相談することもなく、家に泊めてくれることを決め、一体どういう説明があったかも分からない。デニスはあまり英語が得意ではないようで、率先的に話してはこないし、直ぐに話もなくなってしまうので、最初に話してからは会話はない。この家ではどこか居場所がないような感覚をおぼえる。

水曜にナイジェリア大使館へビザを受け取りに行くと、受付のおばさんが「まだ出来てない」と言う、「え!水曜って言ったよね?」と言うと「本当はレジデンスでなきゃ取れないのよ!」と逆切れした。本当に何なんだコイツの態度はと思ったが、超低姿勢で「いつ貰えるんですか?」と尋ねると「知らない」とそっぽを向いた。

ナイジェリア大使館を後にして、直ぐに日本大使館へ。こんな時は日本大使館から電話してもらうに限る。

荒田さんに説明すると、直ぐに電話をしてくれた。荒田さんは戻ってくると「15分後にかけ直せって言われちゃいました」と言う。きっとあの受付だ。日本の領事担当者にかけ直せとは、本当に図々しいヤツだ。そのあと荒田さんがかけ直すと、今度は「明日の朝にかけ直せ」と言われて切られたとさすがに仏の荒田さんも困惑ぎみだった。

翌日荒田さんからメールがあり、「翌朝かけ直したところ、領事は大変忙しいと言われました」と書いてあった。あんなに客のいない大使館を見たことがないが、なぜ忙しいのか意味不明だ。取り合えずできることは、ナイジェリア大使館へ通うことだけなので、午後2時に行ってみると、例の受付は「座って待て!」とだけ言い、なにも答えてくれない。他に説明は一切なく、どうしたらいいか分からない。すると、暫くして中へ通された。身なりのいい若い領事担当らしき男がいて、話をすることが出来た。この男は受付の100倍話のわかる男で、旅の理由や、これまで行った国、ナイジェリアに知り合いはいるかなど、質問をして、最後にビザを出すことは可能だと言った。お礼を言って、ビザを貰おうと思ったら、「数日後には渡せる」とわけの分からないことを言い出した。そして受付のおばさんを呼び、外へ案内するようにと指示した。

「なんとか今日貰うことはできないか?今のでビザが貰えることは決定したならあとはシールを貼るだけだよね?」と粘ると、後ろから受付のおばさんが「だったらナイジェリア人が日本大使館で、早くビザをくれって言えば、日本大使館はビザをだすのか?」と怒鳴り出した。そのあともおばさんの怒りはエスカレートして、領事の前でわけのわからないことを怒鳴り続けた。一切無視しして、領事に目を向けると「できるだけ早く出す」と小さく答えた。

おばさんはヒートアップし過ぎて、外まで案内する役割を完全放棄し、結局、領事が扉を開けてくれて外に出してくれた。完全に狂犬だ。外国人に恨みでもあるのだろうか?スペイン人の旅人はこの調子で9回も通うことになったのだ。気の毒すぎるが、自分にも同じことが起きかけていると考えると一気に気分が重くなった。最初は簡単に取れそうだと思ったが大間違いだった。ヤウンデのナイジェリア大使館には狂犬がいる。これは日本大使館に置いてある情報ノートで今後一番大事な情報になるだろう。


そのあとヤウンデに戻ったクンと近くの飲み屋で落ち合い、更にエミリアとジュリアと合流した。エミリアは現地の大学と交換留学で来ているのだが、来年の3月までストライキで学校は閉まると今日発覚したと話した。4月にドイツに帰国なのでもう帰るまで学校はない。一体どんな交換留学なんだ!エミリアは憤慨していたが、ナイジェリア大使館の狂犬のことを思い出すとアフリカはこういうところなんだなーと不思議と同情は沸いてこなかった。






2016/DEC/2 「チャド大使館とナイジェリア大使館」

ナイジェリア大使館に行く前に、チャド大使館を覗いてみた。すこし前の情報ではチャドのビザは写真二枚あれば、その場で貰えるとあった。それなら、チャドのビザを取ってから、ナイジェリア大使館へ行けばよい。

チャド大使館へ行くと、フランス人の女の人が、ビザをちょうど受けとるところだった。終わったのを見計らって、ビザを欲しいと聞くと、「インビテーションはあるか?」と聞いてきた。ポカンとしてるとフランス人が、自分が用意したインビテーションを見せてくれた。年末に家族旅行でチャドに行くらしく、現地の人にナショナルパークに行く手配をしてもらい、そこからインビテーションを貰ったという。うーん。計画的な人だ。マリオンというそのフランス人に陸路でアフリカ一周をしていて、チャドへも陸路で行きたいし、現地に知り合いもなく、国立公園にも行かないのでインビテーションを取るのは難しいというと、それを通訳して領事に伝えてくれた。だが、領事は少し待てというので、3時間も待たされた挙句に「インビテーションなかったら無理」と結果は変わらなかった。
マリオンは「バックパッカーか?どの国を回って、どこへ向かうんだ」と興味を示してきて、なんと家に泊めてあげようか?と提案してきた。ナイジェリア、チャド、中央アフリカのビザをここでとるなら、かなり長い滞在になりそうだったので、宿代が浮くのは大きい。もし迷惑でなければと細心の注意をはらって謙虚に頼むと、「じゃー明日の11時に宿に迎えに行く」といって帰っていった。

続いてナイジェリア大使館へ。相変わらず無愛想な女が携帯をいじっていて、申請書と写真二枚、パスポートコピー、日本大使館からのレターを出すと、「まだ受け取らないわよ!銀行にビザ代金振り込んできな」と書類を押し返してきた。「え?何処の銀行に振り込むの?」と聞くと「紙に書いてあるだろ!」とだけ言う。申請書と一緒に渡された紙をよく見ると、振り込み先があった。スタンダードチャータード銀行だ。でもどこにあるか分からない。女はすでに話は終わりと言わんばかりに椅子にふんぞり返ってしまっている。

すると、後ろに座っていた西欧人が市役所の近くにあるよと教えてくれた。その男は「北上か?」と聞いてきたので「エジプトから一周」と答えると「俺もそうだ」と答えた。いろいろと聞きたかったが、銀行に振り込みに行って、午後2時までに戻らなければならないので、大使館を出た。その男はビザの受け取りに来ていたようで、すぐあとから大使館から出てきて、「かなり時間がかかるぞ。ビザ取るまでに9回も通ったからね」と話した。「三日後って言ってたけど」と言うと「俺も最初そう言われたよ」と答えた。どうやら一筋縄ではいかないようだ。だが、迷ってる時間はないのでタクシーを拾い、銀行に向かった。

なんとか振り込みを終え、2時前にビザ申請を終えた。スペイン人の言っていたことが気になるが、来週になるまでは分からないので、今は考えるのをやめた。中央アフリカ、チャドとヤウンデでとらなければならないビザは多い。しばらくはビザのための滞在を余儀なくされることだろう。







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