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2016/AUG/23 「巨大ナマズ」

サカイブ村を朝出発して、急な登りを進む。しばらく行くと大きな岩山があり、その頂上にくると周りが一望できた。

アントエチャには昼過ぎに着いたが、村からのバスは週に2日しかなく、次は明日出発だと判明した。仕方なく、村の入口にテントを張らせてもらい、食堂でここに来た時と同じ、豆の載ったびしょびしょのご飯を食べた。子供たちは今までにテントなど見たこともなく、日が暮れるまでテントのまわりで大騒ぎしていた。サジー弟は「じゃー俺は帰る」というので、やることもないので彼の家を見せてもらうことにした。彼は結婚して日が浅く、新居を建てたばかりだと言った。

サジー弟の新居は村の中腹くらいに家が密集しているエリアにあった。他の家同様、家の前に少しのスペースがあり、中はとても質素だった。いい家だと板の間だったりするが、全て土間で家具もベッドと調理器具くらいしかなかった。サジー弟は近所に「日本人の家がある」と言った。まさかこんなところにも日本人が?と驚いたが、その日本人は日本に住んでいて、この村で暮らしているわけではなかった。

「ここがタクの家だ」とサジー弟が連れて行ってくれた家の中には、歳のいったオジさんが一人住んでいて、「タクはこの家を無償で使わせてくれている」と話した。なかなか立派な家で床はすべて板の間で囲炉裏があり、奥にはゲスト用の部屋があった。窓には伝統的な彫り物が施され、入口脇にはほかの村で見た、鶏を夜入れておく小部屋がついていた。サジー弟の家も5万円くらいで建つと言っていたので、この家でも10万くらい出せば建ちそうだ。日本人からすれば少し高い買い物くらいの感覚だろうから、どうせならフルスペックの家を頼んだのかもしれない。(後でわかったがこのタク氏はここへ来ることを勧めてくれた友人が勤めていた博物館の研究員だった)

オジさんは「もし日本でタクに会うことがあれば、妻が少し前に亡くなったと伝えて欲しい」と言った。「わかった」と答えるとオジさんは安心したように笑った。

ザファマリニの女性の髪型は変わった結い方ををしていて、昨日それが2種類あることに気がついた。カラフルな帽子でわからなかったが、後ろで髪を別けれいる人と一つにまとめている人がいる。サジー弟に聞くと既婚者は別けるのだと判明した。また、ザファマリニの伝統家屋は壁を柱材と板材を交互に繋げて作っていることがわかった。2つに一つが柱なので、使用木材はかなり多いことになる。ところがザファマリニの家には筋交いというものが存在しないため傾いている家が多々ある。ここで筋交いを紹介したら、ザファマリニのエジソンとして後世に語り継がれる存在になるに違いないが、あえて言うのはやめておいた。いずれ彼らが筋交いを発明する日もやってくるのかもしれない。


翌日も朝から子供たちがテントを囲んだ。心配していたバスは無事11時くらいに出発し、サジーが運転手に話してくれ他おかげで、助手席を確保できた。道中、巨大ナマズを捕まえた村人がいて、人だかりが出来ていた。すごい大きさだ。運ちゃんも車から降りてきて見るのかと思ったらお買い上げだった。しかもそこからの道のりを片手でナマズの口に通した紐を持ったまま、アンボシチャまで運転しきった。なかなか根性のある運転手だ。そんな運転手の努力も虚しく、アンボシチャの町につくと、あれほど巨大だったナマズは干からびてふた回り小さくなってしまっていた。





























2016/AUG/21 「計算の出来ない男」

朝起きると、体が痒い事に気がついた。手首、足首、腰に30~40箇所くらいは刺されただろうか。ひょっとしたら出るかな?と思ったのでベッドの上に自分の寝袋を敷いて寝たのだが、防ぎ切れなかったようだ。前に、エチオピアでもトレッキングでやられた。あのときも自分の寝袋で寝て刺され、その後その寝袋に移住した虫達に二週間以上もやられ続けた。今回も寝袋への移住が完了している可能性が高い。

外に出ると、調理小屋にいたザジー弟が「朝食が出来ている」と教えてくれた。朝食と言っても、朝食の食材はたしかフランスパンとコーヒーしかないはずだ。キッチン小屋に入ると、フランスパンはわざわざ適当な長さに切って開いて皿に並べてあった。だが、ジャムもバターもないので、パン以外なにも無い。ジャムくらい買ってくれば良かったと後悔した。ザジー弟は「コーヒーだ」と大きな鍋の中のお湯で暖めていた寸胴を取り出した。直径15cmはある寸胴になみなみ入った黒い液体が見える。「これは?」「コーヒーだ」「渡したコーヒーの粉を使ったんだよね?」「そうだ」「。。。。。。」一体どれだけのコーヒーの粉を使ったのだろう。一杯で十分なのに、15杯は取れそうだ。「これはやりすぎだよ。とても飲めないから一緒に飲もう」と言い、二人でコーヒーをガブ飲みしてフランスパンを食べた。

泊めてくれた家主に10,000アリアリ(330円)渡し、早々に出発した。その日はブォヒチャンディアナ、テテザンルーチャという2つの村に立ち寄り、サカイブという、比較的大きな村に泊まることになった。初日に比べると登り降りが少し楽だった。ザジー弟曰く、サカイブは、ツアーのツーリストが来る村らしい。建物の大多数は金属波板の屋根で小さなソーラーパネルが載っている家が多い。

村に入る手前には棚田が広がっていて、なかなか良かった。村にはツーリストを泊める家が沢山あるようで、泊めさせてもらった建物も完全にツーリスト用で家族は別の所に住んでいた。ファリアリブ同様、家族のキッチンを借りて夕飯の準備に入る。ここでもザジー弟は「チキンを買うか?」と提案してきたが一蹴した。ただ、また野菜と米では寂しいので、卵を買いたいと頼んだ。

今日は早い時間に到着したので、夕飯前に村を歩き回ることができた。相変わらずザファマリニの人は写真を取られることを嫌がるので、写真はあまり取れなかったが、子供たちは外人に興味津々で、すぐに囲まれる。

家に戻るとザジー弟が「卵は買えた」と見せてきた。2つだけ買ったが、今日もオカズを家族とシェアすると言うので、家族分も卵を買い足した。ザジー弟は「今夜は何をつくる?」と聞いてきた。といっても、昨日の残りの野菜、インスタントヌードル2袋、卵4つ、家族から売ってもらう米しかない。まー野菜入りラーメンと目玉焼き、白米でいいんじゃないのと伝え、ニンジンから切り出すように指示を出した。するとザジー弟は「ニンジンは昨日使いきった」と言う。一キロも買ったニンジンを1度の夕飯で使ってしまったらしい。若干ニンジンが多いなーとは思っていたがまさか全部使ったとは思いもしなかった。「なぜペース配分しなかったんだ?」と聞いたが、答えはない。今朝のコーヒーといい、ニンジンといい、あるだけ使うのだろうか。こいつは本当に計算の出来ない男だ。「残った野菜を切って、ラーメンに入れて、米を焚いて、卵を焼いてくれ」と頼んで小屋を後にした。

夕方まで村を見て周り、家に戻ると、サジー弟が「飯くうか?」と聞いてきた。どれどれとキッチンに見に行くと、水を吸いすぎて焼きそばになったラーメンと米があった。頼んだ卵焼きは何故かラーメンの中に炒り卵として登場するというオリジナリティも披露した。もはや、なにも言うことはできなかった。ただ、味の濃い汁を吸いきったラーメンを米にかけて食うと意外にご飯がすすんだ。

飯のあと、外をウロウロしていると団体客を連れてきている別のガイドが、彼らのキッチンに招き入れてくれ、ガイド、ポーターと火を囲んで酒を飲んだ。自家製ラムにオレンジジュースを混ぜたような酒で大きなペットボトルに入ったものを回し飲みした。皆、薄暗いなかでそれをちびちび飲んでいる。壁の向こうには15人くらいのポルトガル人の団体客が夕飯を食べている声が聞こえてくる。聞くと彼らはアンボシチャから12日で来ているという。1泊だと、大抵ここに来て、翌日帰るんだとガイドが教えてくれた。どうやらここはツアー観光客用の村のようだ。























2016/AUG/20 「美しき村たち」

朝起きると、少し体調は良くなっていた。もう6:30で、出なければならないが今から荷詰めだ。なんとか、荷詰めをして宿代を払うと6:48だった。間に合うか怪しいが、やはり、体調が全快ではないので、バスに乗れなくてもいいかなーと中途半端な気持ちで宿をあとにした。

バス乗り場には10分ほど遅れて到着。既に皆、バスに乗って出発間際だった。バックパックを渡して、上に積んでもらってる間に、目の前の店でミルク入りコーヒーと揚げパン2個とドーナツを食べた。値段は聞いてなかったが、300アリアリ(10)渡すと50アリアリ(1.5)返ってきた。とんでもない安さだ。

奥の方に人を掻き分けて乗らないといけないかなーと思ったが、なんと!運ちゃんの隣のシートが用意されていた。しかも、運ちゃんの隣には二人乗るのだが、座り心地がいい窓際の席だ。今までチケット買うときに、ここがいいって言っても、取れなかったのに、今回は何の苦労もなく座ることになった。

アンボシチャを出たバスは途中まで舗装された道を走り、途中から未舗装の道に入った。そこからは、かなり道が悪く、雨季には通行止めになりそうな道だった。途中、幾つもの村がみえた。蔵のように窓がほとんど無い、土壁の家がたくさん建っている。3階建てなのか、高さがかなりあり、密集している。かわった外観だ。

アンボシチャから二時間半で、ザファマニリで一番大きな村のアントエチャに着いた。思ったよりたくさんの建物が建っていて、商店もあり、ビールも売っている。バスから降りると、いきなりたくさんの人に囲まれて、フランス語で話しかけられるが、理解不能でどうしていいか分からない。ここでガイドを雇って、トレッキングに出発しなければならないが、まずは英語の話せる人を探さないとダメそうだ。

すると、一人の男が「オフィスで入場料を払ってくれ」と言ってきた。アンボシチャの自称ガイド達から、アントエチャに着いたらザジーを探せと言われていた。「ザジーという男を知ってるか?」と聞くと「俺がザジーだ。今日、日本人が来ると連絡をもらったよ」と話した。どうやら、あのアンボシチャの自称ガイド達が連絡してくれていたようだ。4000アリアリ(132円)の手数料にしては、かなりいいサービスだ。

ザジーと一緒にオフィスに行き、入場料を払うと「俺の弟がガイドをする」と言ってきた。「え!あなたじゃないの?英語は大丈夫?」と聞くと「問題ない」と言うので、それで行くことに決まった。

ザジーの弟が準備している間に、食堂でご飯を食べ、ここに置いていく荷物を分け、食料をバックパックに詰めた。アンボシチャの自称ガイド達の勧めるままに人参や玉ねぎ、キャベツ、トマトを大量に買ったので、すごい重さだ。玉ねぎやキャベツはわかるが、普通に考えてこんなに人参は食べないだろう。

30
分ほどして、ザジー弟がやってきた。食料を確認してもらうと、パンが足りないと言い、すでに4本持っていたが商店で更にパン4本を買い足した。二泊三日でどうやったら、フランスパン8本も食うのか不明だ。米と芋は村で帰ると聞いたのだが。

全ての準備がおわり、12時に村を出た。バックパックはザジー弟が背負ってくれたが、それでもザジー弟は歩くのが早かった。ザジー弟は英語があまり上手くなく、かわった話し方をした。スゴい体力だねと言うと「ミー ザファマニリ ハビタット。ノー プロブレム」と答えた。ザファマニリに住んでいるから、これくらい問題ないということだろう。ザジー弟とは何とか意思疏通できたが、何故か熱いと冷たいを英語で反対に覚えていて、コーヒーをいれようと言うといつも「コールドウォーターを作る」と言って、混乱を呼んだ。

三時間半くらい歩いて、キドドという村に着いた。キドドは小さな村で、全ての建物が伝統的な住宅だった。周りは村以外に何も人工的な物は見えない。ザファマニリ特有の木彫りの幾何学模様が彫られた扉がどの家にも付いている。女性達は食物の茎を編んだ帽子を被っていて、編んだ髪を後ろで纏めている。信じられないような光景だ。

村の中に入ると、皆こっちを見てきた。子供達は追ってきて、家の影からこちらを伺っている。よっぽど外国人が珍しいのだろう。

キドドが気に入って、ここに泊まりたかったが、ここにはツーリストを泊めてくれる家がないと言うので、次の村、ファリアリブを目指すことに。

ファリアリブへはさらに一時間の距離だった。ここの村も到着すると村人から好奇の目を浴び続けた。

今夜泊まる家に着くと、ザジー弟はさっそく調理を始めたが、何を作るか分かってなさそうだ。さらに、ここの家の人の分も作らないといけないと話しだした。それは聞いてない。それだと食料は足りるか怪しくなってくる。

取り合えず、野菜を切って、スープにしようと言って、切り始めてもらった。さらに村から米を買って、炊くことにした。ザジー弟は
鶏を買うか?と聞いてきたが、1羽単位でしか買えなく、20,000アリアリ(660円)もするのでやめた。買ってもこの家の家族と分けないといけない。

ファリアリブはキドドに比べると大きく、トタン屋根の家も少しだがあり、そこまで感動はなかった。それでも、ツーリストが頻繁に訪れている感じはなく雰囲気は悪くなかった。お世話になった家の周りは、ザジー弟が言うところの「ハウス トラディッショナル」が密集していて、それっぽい一角だった。一つ問題はこの村にはトイレが無かった。ザジー弟もその辺でいつもするように、村人たちもところ構わずといった感じだ。そんな所なので、同然、電気はなく、部屋には蝋燭を置いてくれた。空には信じられないくらい星が見える。久しぶりに月の時間がマッチしたようだ。星は月が出ていると明るくてあまり見えない。月が出る時間が遅いとこれくらいの時間でもたくさんの星が見える。

ザジー弟と夕飯を食べるとあとは何もすることが無かった。まだ七時半だが、あとは好きなだけ星を眺めて寝るだけだ。































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