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2015/JUN/21 「ひさしぶりのたんぱく質」

昨夜の雨は朝には止んでいた。ウグン村はすこし離れたところにも集落があり、こちら側からみると谷に突き出た丘の上に集落が集まっていてとても絵になる村だ。若い娘が石の塀に腰かけ編み物をしていた。

調理小屋にいき、コーヒーを頼んだ。ガイドとポーターはやたらとコーヒーを飲むので、コーヒーと砂糖はもうなくなりそうだった。最初砂糖は入れなかったが、疲れてくると砂糖はスプーン3杯が当たり前になった。

また白米、野菜炒め、焼きそばが朝食にでた。基本的に飯は常にこれだ。この焼きそばにコンビーフが入ったり、豚の缶詰が入ったりするがそれ以外の料理が出たことはなかった。食べ終わり荷物をまとめて調理小屋に戻るとポーター達が朝食を済ませたところだった。ふと見ると魚の缶詰をみな片手に持ち中身をすすっていた。その中にはゆで卵のようなものも見えた。ポーターは固まりなんとなく気まずい雰囲気が流れたが、昼にはワメナに戻るしもう食材も不要だと思い、「早く出よう」とだけ告げて外へでた。外ではイケジーがコテカの老人にポーズと取らせようとして家族ともめていた。


最終日だと思うと足取りも軽くどんどん進んだ。途中、谷からワメナの盆地が見える絶景ポイントがあり休憩したが、それ以外は歩き通して帰りのバスを拾うところまで着いた。そこからはガイドが「バスはないのでチャーター車を呼ぶしかない」と予想通りのことを言い出して、チェコ人たちともめ、結局呼んだ車を他の人たちとシェアしてワメナまで戻った。

ホテルのロビーでガイド料の清算をしてガイドたちと別れた。またひと悶着あるかと思ったがガイドはあっさりと2日分差し引いた額で納得した。


マーチンはホテルに3人部屋がないか聞いてくれたが満室だった。あの汚くて高くて水も出ない現地人用ラブホテルにまた戻るのかと思うとトレッキングの疲れが倍増した。マーチンたちのホテルは一人だと1300,000Rsでそれはないなと思い、宿に預けた荷物をもらいにいくと宿の中華系の女オーナーはあっさり200,000Rsにまけてくれた。心からお礼をいい、荷物を部屋に運びベッドに横になった。シャワーを浴びるとなんとお湯がでた。そんなに熱くはないが水に比べれば100倍良かった。

ワメナは標高が高く夕方以降は寒くて水シャワーは修行にちかかった。夕食には早かったが昼飯を食べてなく、腹が減って気分が悪くなってきたので外へ出て以前食べた食堂でサテー*10本注文した。この4日間は炭水化物ばかりだったので久しぶりのたんぱく質は身体に力が戻ってくるような味がした。オバチャンに「もう10本ね!」というと任せておけという感じで炭火の上に新しい串を並べて団扇でバタバタと扇ぎ始めた。

*自分でググりましょう。








2015/JUN/20 「ラストコテカマン」

6時くらいに目が覚めたので、とりあえず外にでて歩くことにした。まだほとんど外に人はいなかったが、下のほうからコテカをつけた男が上がってきた。挨拶をして握手するとその男はまだ30代のように見えた。今までみたコテカマンはかなり高齢のおじいさんだけでもう長くはなさそうな人が多かったが、彼くらいの年齢のコテカマンは見たことがなかった。10年くらいしたら年寄りたちはみんな亡くなって、コテカをつけてるのは彼だけになっているんじゃないだろうか。ラストコテカマンだ。

写真を撮ろうとするとダメダメという感じの仕草を面倒くさそうにして、颯爽ときつい登りを上がっていった。しばらくすると子供たちも起きたようで周りに寄ってきた。みんなニコニコしているが言葉が通じるわけではないので微笑みあってるだけだ。

ガイドブックにインドネシアの地図が付いていたのを思い出して、子供たちに見せてやるとすごい反響で、みんな釘付けになった。そこでインドネシアの主要な島を指差して名前を言うと、子供たちは復唱した。小さな子供はたぶん地図を見たことがなかったろうし、自分が何処に住んでるかもわからないだろう。最後にニューギニア島の真ん中あたりを指してバリエム谷だと言うとみんな大きな声で「バリエムバレー」と復唱した。マーチンが起きてきて「今日は地理の授業か?」と笑いながら遠くから話しかけてきた。

朝食を食べて、ガイドと今日の宿泊地の確認をした。このペースなら4日でワメナに戻れそうだ。たぶんガイドたちは日数が減り、ガイド料も減るのであまりうれしくはないだろう。

その日は昨日よりも景色がよい道を歩き、橋を渡り谷の対岸に渡り、谷を折り返してウグン村まで歩いた。最後は雨にあい、駆け足で宿泊小屋に駆け込んだ。雨はところどころで晴れ間が見えてバリエム谷には大きな虹がかかっていた。身体が冷えたので調理小屋で火を起こして温まってポーター達が着くのをまった。

この小屋は真ん中で仕切られていて、反対側からは豚の叫び声がたえず聞こえた。つまり豚と一つ屋根の下というわけだ。

6日の予定が4日になり食料が余るのでその日の夕食は豪華にコンビーフの缶詰を全部開けた。残りは卵と魚缶詰、野菜、米、インスタント麺くらいだ。夕食後はまたポーターたちとトランプをしてから部屋にかえり寝袋にもぐりこんだ。雨が降ったのですこし寒い夜だ。







2015/JUN/19 「チームワーク」

翌朝起きてホナイ*から出ると村の人たちがなにやら前の芝生に布を敷いて準備をしていた。コテカのおじいさんたちもさすがに朝は冷えるようでスウェットやジャンパーを着ている。しばらくすると布の上にコテカ**やら髪飾りなどのお土産がずらりと並べられた。ここは本当に観光客用にできている村のでようでげんなりした、子供も母親も写真を撮ろうとするとお金と言うし、ほとんど笑うこともなかった。

ガイドが朝食のコーヒーとパンを用意して、3人で外で食べ、荷物をまとめて出発した。ガイドにもう少し1日に歩く距離を増やすようにマーチンが話をした。

その日は何度か川を渡り、その度に谷からの登りがありきつかった。昼くらいに大きな村に着いたが、マーチンはなるべく先まで行きたいようでみんなを説得してすこし休憩しただけで出発した。ガイドはここで泊ろうと思っていたようで、反対したが前日が2時間しか歩かなかったので今日はもっと歩くということで納得した。どうやら彼らはあまり歩きたくないようで6日というのも彼らのペースでの話で4日くらいに短縮できそうだった。


さらに2時間くらい歩いたところで昼食を取った。この2時間は腹が減って力が出なくてしんどかった。ポーター達も文句を言いはじめ、途中何度も座り込んで抵抗した。


ガイドたちが飯の準備をしてるときにその家の人達が小屋に来て、一緒にガイドたちと火を囲んでお茶を飲んだり、村で取れたアボカドを買ったりした。コテカをつけたおじいさんも火にあたって、なにやらガイドと話をしている。キリセとは明らかに違う空気でようやく奥まで来たのかなと感じられた。マーチンは外で不機嫌そうに飯を食べ、イケジーは村人の写真を撮るのに夢中だった。このパーティーはお世辞にも良いチームワークとは言えなさそうだ。

飯の後にガイドとポーターを説得してさらにもう二つ先の村まで進んでその日は足を止めた。村にはトレッキング客用のトタン屋根の家があり、そこで寝ることになったが、ガイドたちは前日同様に調理小屋で寝るようだ。その村の人たちはとてもフレンドリーではじめはカメラを向けると逃げてた子供たちも最後はみんなで集合写真を撮るまでにいたった。子供たちは遅くまで遊んで欲しいようでずっとまわりをうろちょろし、こっちを見ていた。ただイケジーは写真を撮るのが強引で相手が怒ってしまってもお構いなしという無礼者なのでどの村でも基本的に嫌われていたし、マーチンは常に機嫌が悪そうで笑わないので村人は近寄らなかった。この二人は1ヶ月の休暇でパプアの少数民族を見にきているらしく、基本的に自分たちの目的が達成できればいいという感じで、コテカを着けたダニ族の写真をとることとトレッキングで身体を動かすこと以外には興味を示さなかった。


夕食後チェコ人たちが部屋に帰った後にガイドたちとトランプをした。彼らは昨夜から賭けトランプをしているようで、大貧民に似たゲームをしていた。ポーターの一人に教えてもらいながら参加したが、ルールがかなりランダムでほとんどポーターにやってもらう感じになってしまった。

* 自分でググりましょう。
**  自分でググりましょう







2015/JUN/18 「バリエム谷トレッキング」

夜トレッキングをするか考えて、せっかくだから谷へ入り、村を回ろうと決めた。

7時にホテルの朝食を食べにレセプションに行くとインドネシア式コーヒーと味のしないパンだけだった。歯を磨こうとすると蛇口の水が出てこない。スタッフに伝えるとホテルの裏のドラム缶の中の水を使えと言われた。200,000Rs払ってこんなホテルは他には無いだろうと笑えてきた。昨夜もいきなり女の人の叫び声が聞こえて、扉をたたく音がホテルに響き、その部屋からダニ人女性が飛び出していった。どうやら現地人にはラブホテルのように使われているようでトラブルも多そうだった。


トレッキングに行くからチェックアウトだと伝えて、チェコ人達の宿へ歩いた。チェコ人たちは歓迎してくれたが、ガイドは人数が増えるならガイド料を上げる言い出しもめることになった。1日のガイド料を300,000から400,000Rsにするのと市場で追加の食料を買って今のポーターの人数で足りるか決めるということで話がついた。チェコ人とガイドは昨日市場で食料を購入済みだったので、途中市場で俺の分だけ調達する必要があり、ガイドが必要なものを選びお金を払った。

市場もスーパー同様すべてべらぼうに高かった。チェコ人は野菜も卵もチェコよりも高いと笑っていた。さらに一人100,000Rsずつ払って野菜を調達した。チェコ人は一人は30代半ばの背の高い男でマーチンといい、もう一人はイケジーという背の低い65過ぎのおじいさんだった。イケジーは英語が苦手だが、自分の見てきた民族の話をするのが好きで一人でどんどん話をし常にニコニコしていた。マーチンはあまり話さないし笑わないが英語がイケジーより上手いので基本的には彼がイケジーの通訳をした。面白いくらい正反対の二人組で面白かった。


彼らはワメナに来る前にデカイという町に行きそこからコロワイというツリーハウスに住む民族の村にトレッキングに行ってきたといい、写真を見せてくれた。コロワイの人は以前は2030メートルくらいの高さの木の上に家を建てて暮らしていた民族で写真で見たものはジャングルの上から屋根が見えるものもあり、見たことのない光景だった。ダニ族と違ってコテカもつけないで紐みたいなものでチンコを縛ってあるようだった。ただし、30mもの高さのツリーハウスは昔のもので今は45m程度の高さに建てられたものに住んでる家族が少数いるだけで訪れた村では地上で暮らしていたという。


ダニ族同様裸の人は皆無で年寄りが写真を取らせてお金をもらうようなシステムができているそうだ。コロワイはいくつかのダニ族の村と同じようになんでもかんでもお金を請求するという親切心のかけらもない場所のようで彼らはトレッキングの途中、川を渡るのを手伝うのに200,00Rs要求され、流れが強く荷物があったのでしぶしぶ払ったらしい。しかも2回。パプアのハイランド地方の村はお金の影響でほんとにぶっ飛んだ場所になってしまったようだ。

ガイドと買い物が終わり、俺とマーチンは自分のバックパックは自分で背負うということでポーターの数が当初の予定通り3人で済んだ。ポーターの3人は英語は話せないがかなり気のいいやつらで、裸足で歩き、市場で買ったズタ袋に食料、調理用具を入れて肩に担いで、時折「ホ、ホ、ホ、ホ」とみんなで掛け声をかけながら歩いた。掛け声をかけてるときは本当に人間とサルの間の生き物に見えた。一番歳のいってる緑のシャツを着たヤリスは首や肩を動かすたびに「ギィー、ギィー」という機械のネジが回るような音を発していたが、何が原因かはわからなかった。彼はバリエム谷の奥の村で唐突にケイタイを取り出して「ハローハロー?」と遠くを見つめる特技があり、みんなを笑わした。

1泊目の予定地のキリセにはバスを降りたところから2時間歩いただけで着いてしまった。途中休憩しているときに後ろからコテカのおじいさんが歩いてやってきた。コテカ以外は何も身につけてないそのおじいさんは何故か折りたたみ傘を左手に握っていた。裸でもやはり濡れたくはないようだ。

キリセは観光客のために作られた感がひどく、ガイドにここ以外に泊れないかと話したが納得しなかった。宿泊者用に作られたホナイという伝統住居には丁寧にマットレスが敷かれていた。


トレッキング客用のホナイとは別にキッチン用の小屋があり、そこでガイドは調理を始めた。夕食作りは3時間を要した。そしてできたのは白ご飯、野菜焼きそば、野菜炒め。焼きそばは野菜炒めにインスタントの麺を混ぜただけなので味はまったく一緒だった。山で食べることを考えれば豪華な食事だ。食事を終えると外はすでに真っ暗でなにもやることが無いのでホナイにもどり寝るために横になった。

ポーターたちが夕食を食べながら話している声以外は何も聞こえない静かな夜だ。








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