2015/MAY/28 「祝い酒」

ダイビングライセンス講習3日目はGili Meno近くでの2ダイブと筆記試験だった。初日に渡されたテキストは連日の停電で読み終えることはできなかったが、今朝早起きしてなんとか3/4までは読み終えた。こうやって勉強したのは15年ぶりくらいだろうか。

1本目のダイブが終わりまだ中性浮力のコントロールにてこずっていた。Gili Menoで昼食をとり日陰で休憩をとり午後のダイブへ出る。機材をつけて確認して、腰を下ろす。「OK?」と聞かれハンドサインでOKと返す。3, 2, 1という合図で後ろに転がり落ちるように水の中へ。インストラクターにOKのサインを送り、下へのサインでBCDの空気を抜いて、息を吐きながら下へ降りる。今日はだいぶ行くなーと思って深度計を見ると24mだった。そこで体を横にし呼吸をして中性浮力を保つ。肺の中の空気の量と息のタイミングで浮き沈みがコントロールできることがわかってきた。息を吸ってとめると浮かび、吐いて止めると沈む。海流に乗ってそのまま進む。横でインストラクターは拍手のハンドサインを送っている。しばらくいくと大きなウミガメがいた。背中を触ると動き出して逃げていく。

コントロールは簡単になり海底の珊瑚に沿って進めるようになった。向こうからさっきより小ぶりのウミガメが50cmくらいのカラフルな魚にかこまれながらやってくる。今度はこっちがよける番だ。浮力のコントロールが気にならなくなると一気に楽になった。最後のダイブは50分もぐりエアーも残り30kまで減っていた。ボートに上がるとインストラクターは「すごいよかったな」といってきた。「楽しかったよ」と答えると「もう何も問題はないよ」と言われた。

ダイブショップへ戻り筆記試験を軽くパスし、仮のライセンスをもらった。本物は1ヶ月以内に郵送されるらしい。これでどこでももぐることができる。行く先々でダイブしてまわる旅も悪いくないな。宿に戻ると日本人のオーナーは良かったねと祝福してくれた。

今日は祝いの酒が飲みたいと思い、ホテルスタッフにバイクで近所の密造酒を作ってる場所へ連れて行ってもらう。このあたりでは米かココナッツで作るらしく作ってる場所は別々らしい。

椰子の葉っぱでできた屋根の下に瓶がたくさん並んでいて、中に、ほんのりピンクの液体が見える。すでに暗かったのでかなり怪しく見えたが衛生面以外は問題なさそうだった。作っているところなのですべて蓋はされていない。ここでは完成はいつまで経ってもこなさそうだ。値段は17000Rsと宿のビールの5分の一だ。いくつか味見をしてアルコールができているのを選んだ。透明のビニールに入れて口を縛ってくれた。

宿に戻り近所で買ったインドネシアの甘い焼き鳥と一緒に飲む。水っぽいココナッツ風味の日本酒といったところだ。途中停電がきたが休むことなく飲みつづけ停電がなおるころにはすべて飲み終えていた。すこし気分が良くなっていた。ボーっとしながら明日はどこに行こうかなと考え始めた。


2015/MAY/25 「ローカルビーチ」

スンギギの町は特にきれいでもなく、面白いものがあるわけでもない幹線道路沿いにできた老舗リゾートだ。海沿いにはリゾートが並ぶが、それぞれ離れているのでスンギギといっても中心からはかなりの距離までスンギギということになる。

Gili Trawanganからダイビングボートでピックアップしてもらい、午後に2本目のダイビングが終わった客をスンギギに送るときに一緒に送ってもらった。前日に連絡を取っていたダイビングショップからスンギギでオープンウォーター講習を受けるならGiliまでピックアップしてくれるというので頼んだものだ。

ロンボク島近くのGiliと呼ばれる3つの小島はすべてのダイビングショップが価格競争防止のために金額を合わせていて、ディスカウントもできない状況だった。それで少しでも安いスンギギでダイビングライセンスを取ることにした。Bagus Diversはインストラクターの奥さんが日本人で彼も日本語が話せた。その奥さんの友人の日本人が経営している安宿の手配もしてくれた。その宿はスンギギ中心から6キロほど行ったところにあり、なんでここに?というロケーションだった。

すぐそこにローカルのビーチがあるとのことだったので夕日を見に行ってみることに。果物の屋台の脇を抜けてアヒルが散歩している空き地を横切ると5分も歩かずに斜面のきついビーチに着いた。夕日に照らされた人影が見える。20人くらいはいるだろうか、小さな子供は裸で波打ち際を元気よく走って遊んでいる。なにをしてるというわけではないがとにかく楽しそうだ。オレンジ色に照らされた走りまわる子供たちは、とてつもないリアリティーと躍動感がある。すごい光景だ。

その日の夕食はインストラクターが家に招待してくれて日本人の奥さんが作った久しぶりの日本食をいただいた。名前のわからない魚の刺身もワサビと醤油で食べると日本の魚のような味がした。「南の魚はあぶらが乗ってないのであんまりおいしくなのよ」と奥さんが言うとおり、焼き魚はパサパサだった。久しぶりに日本酒もいただき、日本食はやっぱりいいなーと自分がいままで食べてきたインドネシア料理の評価をすこしだけ下方修正した。




2015/MAY/23 「船上の夕日」

デンパサールには結局3泊したことになる。最初に泊ったときは値段が気になり、よく思えなかったNakura Familiar Inn は最終的にはとても快適で、出て行くのが惜しくさえなった。昨日の昼に洗濯した服とタオルがなぜかまだ乾かないので12時のチェックアウトまで乾かして出ることにした。

サービスで付けてくれると約束してた朝食はインドネシアスイーツの盛り合わせだった。寒天やら餅、豆、米を固めたものなど数種類の上にココナッツの粉がかかっていて強烈に甘い。とりあえずお湯をもらい、持っていたインスタントのブラックコーヒーを入れて相殺して平らげる。荷物を整理して写真をアップしてからスタッフにパダンバイ港までの行き方を聞き、12時過ぎに宿を出た。


前回同様、宿を出た角からベモを拾いウブンバスターミナルへ。案の定、入り口で客引きに囲まれるが一切無視。中へ突き進む。適当な人を捕まえて「パダンバイ」と言うと、ついて来た客引きがこっちだこっちだと奥へ案内する。そこには小さなバンが3台泊っていて一番手前のがパダンバイ行きだという。値段と出発時間を聞くと70,000Rs13時発らしい。宿の人は40,000Rsと言ってたので「40,000Rs だろ?」と聞くと、ありえないのジェスチャーをする。面倒なので立ち去ると、後ろから「60,000Rs?」と声がかかる。無視して歩き続けると「50,000RS?」に変わる。「45,000Rs ?」と聞くと「50,000Rsがローカルプライスだ」と引かない。まー50,000Rs でもいいかなとOK と返事をする。


インドネシアは市内バスもタクシーも長距離バスもぼってくるので移動はかなり面倒だ。小さなバンは人が集まらないと出発しないし。時間とお金の価値が先進国とは大きくずれている。


バンにバックパックを入れるとすでにひとつバックパックが置いてあり、後ろの露天の椅子にイギリス人の女の子が一人出発を待っていた。聞くともう1時間半待ってるそうだ。「どうやってロンボク島へ行くの」と聞かれて「ローカルボート」だと答えると「いくらなの」と聞かれ、「たぶん36,000Rs」と言うと「そんなに安いのか!」とすごい驚いた。どうやら彼女は少し前にロンボク島へ行った際にバスとローカルフェリー込みで300,000Rs 代理店に払ったらしい。フェリーが情報どおりなら86,000Rsで行けることになる。3倍以上だ。恐るべしインドネシア。


バスは結局一番奥のバンに変わり、13時を少し過ぎて出発した。街中を走るベモ(乗り合いバン)よりも、さらにぼろぼろのバンでがんがん抜かされながらパダンバイへ向かう。乗ってしまったのでしょうがないなと景色を見てうとうとしてると1530に港に到着した。

バンが止まると客引きが中に乗り込んできて「スピードボートか?300,000Rsだ」とすごい剣幕でイギリス人に言い寄っている。横からすり抜けて、港のゲートの中へ早足で入り、警備にチケット売り場を聞く。港は小さく難なくチケットを購入しフェリーへ。すぐに出発のようだ。


船はジャワ島への船と同じ大きさで、中はもっと簡素な椅子が並んでいた。たくさんの売り子が頭にかごを載せて物売りをしている。3人くらいに囲まれる。取り合えずコーヒーと自家製ポテトチップを値切って買い椅子に座る。「後は向こう側に着いてからだなー」と頭で考えながらポテトとコーヒーを口に運ぶ。少したつと船が動き出し、甲板からはパダンバイのビーチと町が見えた。小さくて居心地がよさそうな町だ。


とりあえず船内を歩き回ると上の階にエアコンの聞いた部屋があった。中に入るとインドネシア人が10人くらい布に包まってベンチに寝ている。極寒だ。ベンチはビニール張りでクッションが効いてるので悪くないなと思い、バックパックから寝袋を出して中に入り、ベンチで寝ることに。ちょうどいい温度で快適だ。新調したMonbelの寝袋は残念だが今のところ冷房対策としてしか使われてない。冷房対策としては高い買い物だった。

うとうとしていると窓の外が赤みを帯びていることに気がつく。「夕日が見れるのか?」と後方甲板に出ると空が夕日で真っ赤に染まっている。船の上で見る夕日はかなりドラマチックだ。海と空しかないなか夕日が刻々と色をかえて落ちてゆく。甲板はまるで劇場のようだ。


毎日盛りだくさんだ。



2015/MAY/22 「POTONG RAMBUTNYA」

ブロモ山からデンパサールに帰ってきて、またNakuna Familiar Innに戻る。今度は品のいいおばさんが迎えてくれて、レセプションのすぐ横の部屋へ通してくれた。試しに「ホントにこれより安い部屋はないのか?」と聞くと「無いわよ。代わりに朝食をサービスするよ」と言われた。なんか得した気分だ。

今度の部屋は日当たりがよく、前よりも格段にきれいに見えた。荷物をあけてたまってた服を洗濯し、水シャワーを浴びた。髪を切ろうと思ったがマレーシアで動かなくなったバリカンは、裏側に電圧110Vとしっかり記載があり、ここまでの国はすべて電圧220Vだったことを知る。


腹も減ったし街中を歩いてまわることにする。途中に屋台で飯を食べ、バリ島一大きいという市場を覗く。中に入るとおばさん2人がよってきて、「何がほしい?香辛料はどうだ?50,000Rsだ」とすごい勢いで話してくる。いや、要らないからと進むと2人はついてきて、立ち止まるたびにそこのお店の品物を説明し値段を告げる。しかもどれも割高に聞こえる。面倒になり、早歩きでまこうとするが向こうも必死についてくる。ごちゃごちゃした市場の角と何度も曲がり振り切ろうとするが2人いるので片方が先回りしたりとチームワークも取り入れてくる。参ったなーと一度市場から出て、外をぐるっと回って違う入り口から果物売り場のある1階へ入る。2人はいない。どうやら振り切ったようだ。


落ち着いて果物を物色。マンゴスチンがある。凝視してると試食させてくれた。うまい!が、これはもういいかなとピンクグァバを500g買い、その場でナイフを借りて食べる。甘みがたりない。グァバはイマイチだとジェスチャーで伝えるが伝わったようには見えない。ほかにもスネークフルーツやパッションフルーツがあるので凝視すると試食させてくれた。あまったグァバとパッションフルーツを交換してくれとジェスチャーで伝える。これはわかったようでグァバ大玉2つが大量のパッションフルーツに交換された。なんか得した気分だ。


市場を後にして近くの公園をみてまわり、公園脇のヒンドゥー寺院を参拝。この寺院はデンパサールでは一番重要なものらしい。入り口で腰からサロンを巻くように言われる。そして寄付も要求される。。。。


夕方になり始めたころにもう一度市場へ戻ることにした。市場は昼間とはまったく違って、前面の駐車場や周りの道は食材を売る屋台でいっぱいになっていた。その中を頭に篭を載せた女の人が行き来して買い物をしている。買ったものは頭の篭にいれて、必要なものを次々と買っていく。建物の中は閉まっていて屋外のみのようだが昼間とは活気が比較にならない。小さな女の子たちも篭を頭に載せている。よく見ていると彼女たちは買い物に来た人の買ったものを買い物中に運ぶバイトのようだ。買い物に来た人に話しかけ交渉して、その人が買ったものを頭の篭に入れる。その人が次の店に行くと着いて行ってまた買ったものを篭に入れる。中学生にも満たないように見えるがたくましい。

1時間くらい買い物の雑踏を楽しむとだいぶ暗くなってきた。それと同時にお腹も減ってきたことに気がつく。確かデンパサールには大きな夜市があったなと思い出し、暗くなった道を夜市のある東へ歩き出す。


2キロくらい行くと夜市らしき人だかりが見えた。その手前にガラス張りの小さなお店で髪を切っているのが見えた。POTONG RAMBUTNYAというプリントがガラスにしてあり中の様子からすると床屋のようだ。バリカンが壊れていたのを思い出し、中に入りジャスチャーでバリカンで切ってくれと言う。理解したようで座れ座れと椅子を指差され、首から下に布をかぶせてくれた。5分とかからず終了。値段は13,000Rs。水道は無いようで切った後は靴のブラシのようなやつでごしごしと頭の毛を払って終わり。これならこれからは床屋でよさそうだ。


夜市で飯を食って宿への道で顎を触っていると左のもみ上げの毛が長いことがわかった。せっかくなので宿に戻り久しぶりに髯も剃ってさっぱりとした。左のもみあげだけ長いのが強調されてしまったがここちの良い爽快感だ。




2015/MAY/21 「ブロモ山」

昨夜はチェモロ・ラワン村までのバスが人が集まらず、埋まらない2人分を乗客全員で割ってたどり着くことができた。既に真っ暗でバスの止まった場所から一番近い安宿に泊まった。食堂も商店もしまっていたのでもっていたインスタントラーメンを食って寝た。

朝3時半にセットしていたアラームで起きた。ブロモ山観光の朝は早い。ヘッドライトを持って外へ出ると真っ暗だ。ブロモ山の日の出はプロモ山でなくプロモ山がよく眺められるプナンジャカン山に登る。宿から前日聞いた道をひたすら歩く。しばらくは村の中で途中から山道になる。このあたりから他の観光客も見えてきて安心した。
上にはビューポイントがあり、車道もある。ツアー客は車でここまでやってくるが、歩いてもそんなに大変ではない。

さすがに有名な場所だけあり、かなりの観光客が集まってくる。5時くらいから空が明るみを帯びてきて、うっすらとブロモ山が見え始めた。霞がかった中にプリーツ状の山肌を持ったブロモ山が見える。火口から煙がモクモク上がっている。ブロモ山は大きなクレーターの中にあり、その淵は崖にあっている。崖の上には集落が見える。すごいスケール感だ。太陽が上がるにつれ、ブロモ山は刻々と姿を変え、朝日を浴びたブロモ山は陰影を生み、プリーツ状の表情がはっきりと見える。素晴らしい光景だ。こんなに良い景色だとは思っていなかった。

ここを今日発つので、そろそろブロモ山に向かわないとならない。一度村に戻り、そこから今度はクレーターへ降りる斜面を下った。クレーターは硫黄の匂いが充満していて、身体に悪そうだった。クレーターは砂地でブロモ山まですこし距離があるんで、バイタクに乗った。

クレーターには建物は建ってないが、ブロモ山の麓に一つだけヒンドゥー寺院が建っていた。売店や屋台が立ち並び、観光客様にロバまで用意されていてなかなかの賑わいだ。


頂上へは階段があり、大した高さでもなく、簡単に登ることができた。火口からは煙が上がっている。河口の周りを歩くことができ、なかなかの景色だった。ここは予想以上にいい場所だ。














2015/MAY/20 「Do you have SAMURAI?」

昨夜は空港からタクシーで道中運ちゃんと揉めに揉め宿に着いたのは23時過ぎだった。中庭から入ると真っ暗で近くで寝ていた使用人が部屋へ案内してくれた。130,000Rsだと思ってた部屋は175,000Rsに値上がりしていてかなりがっかりしながら床にはいった。

目が覚めて時計を見ると6時だった。目覚ましは必要なかったなと思い顔を洗ってスタッフにバスターミナルの行き方を聞く。どうやらすぐそばの角からベモ(乗り合いバン)に乗れば着くらしい。荷物をまとめてお湯をもらってコーヒーを作る。スタッフに別れを告げ言われた角まで行くとエンジ色のバンが止まっている。たむろしてる人に聞くと「違う。ブルーのやつだ」という。すると目の前をブルーのバンが通りすぎた。あっ!と思ったら近くの人が止めてくれて乗り込むことができた。インドネシアのベモはフィリピンのジプニーよりも小さく中に入るときに背負ってるバックパックが必ず引っかかる乗り物だ。値段は3キロ先のバスターミナルまでで10,000Rs

ウブンバスターミナルに着くと客引きが車の中まで乗り込んで「どこ行くんだ?」と押し寄せてくる。「プロボリンゴ」と答えると「こっちだ」とバックパックを持って先導する。大きな新しいバスがとまっていてバスの横でチケットを売ってる男がいる。値段と出発時間を聞くと200,000Rsで、今すぐ出るとのこと。「高いなー」と言うと「フェリー代も含んでるしデラックスバスだぞ。乗らないならもう出るぞ」という。プロボリンゴへはバスで港へ行き、フェリーでジャワ島に渡り、さらにバスという方法もありそれなら100,000Rs程度で着ける計算だったが、時間がかかりそうで16時までに着かないとプロボリンゴからブロモ山麓のチェモロ・ラワン村への乗り合いバンがなくなると聞いていたので、そのバスで行くことに。「どこから来た?」と聞かれたので、「ジャパンだ」というと「おおー!」となぜか沸く。「サムライは持ってるか?」と聞いてくる。意味不明だが「もちろんだ」と答える。みんな満足そうだ。


6時間といっていたバスは結局17時半にプロボリンゴに着いた。デラックスバスは道中インドネシア人の客が通路に嘔吐しスーパーデラックスバスになってしまった。


2015/MAY/13 「山頂アタック」

3時に周りの音で目が覚めた。みんな出発の準備をしている。寝る前に準備は済ませていたので起きあがって、顔を洗ってから、食堂へいく。1回目の朝食を他の人と一緒に食べて、外でみんな集合した。簡単な注意を受けてからいよいよ登り始めた。

登山道はひとつしかなく、細いので300人以上が登ると列渋滞になる。抜かせないので基本的に前についていくしかない。しばらく進むと高木は這い松に変わり景色は少し開けてきた。うちのパーティーは完全にばらけて誰がどこにいるかまったくわからない。とりあえずどんどん前に進む。みんな空気が薄くて苦しそうだ。


100人くらいは抜かしたろうか。いつの間にか前には数えるほどのヘッドライトに明かりだけになっていた。しばらくすると、前に歩いているうちのパーティーの若いドイツ人を見つけた。他はもっと後ろのようだ。とりあえず彼についていくことに。それからしばらくすると誰も前にいなくなり先頭になったことに気がついた。


後ろを振り向くと両手にストックを持った同じパーティーのカナダ人のおじさんがすごい形相で登ってくる。それに合わせるようにドイツ人もスピードをあげて登り始め、競争の様相を帯び始める。たいぶしんどいなーと思いながらドイツ人についていく。息はあがりっぱなしだ。そして3人とも2mと離れずに、すごい勢いで登っていく。


急な岩場を登りきると、突然ドイツ人が大きな声で叫んだ。どうやら山頂に達したようだ。時計を見るとまだ4時過ぎで真っ暗だ。カナダ人のおじさんも登ってきて息を整えている。3人でハイタッチで祝福する。思ったより簡単に登れたなーとホッとしたが、よく考えると日の出まではあと1時間半はありそうなことに気がついた。


不安通り、15分もすると寒くて耐えられなくなってきた。すべての服を着て上から雨具を着る。そしてバックパックを敷いて上に寝て、バックパックのレインカバーを出して上半身をもぐりこませた。これが今できるすべてだと思った。頭の中で、なぜあんなに急ぐ必要があったのだろうという疑問が反復するだけの長い長い時間がすぎた。


気がつくと山頂はずいぶんにぎやかになっていて、レインカバーを取ると50人くらいに囲まれていた。うちのパーティーの皆も、おおかた目にはいった。東から最初の太陽の光が出てくるのが見え始め、まわりから歓声が沸く。次々とカメラのフラッシュが光る。みんな記念撮影や抱き合って喜びを分かち合っているが、こっちは1時間半も前からも山頂で待っていたので身体は芯から冷え、それどころではない。


早く降りてあのボルネオ一熱いシャワーを浴びたいと思った。




2015/MAY/12 「ボルネオ島一熱いシャワー」

コンテナの中の2段ベッドの上の段から、夜中に発病した下痢で3回起きてトイレに行かなければならなかった。日本から持ってきた下痢止めを飲み、なんとか朝を迎えた。

シャワーを浴びに外へ行き、シャワー/WC小屋に入る。肌寒いから水温が低ければやめようかなとひねると信じられない熱さのお湯がでた。「おおー!」と一人で盛り上がっていると、隣のシャワーからも似たような叫び声が聞こえてきた。しかし、いざ浴びてみると温度調節にはかなりのテクニックが必要で、しかたなしに我慢して高温で浴びることに。浴び終えて外に出ると、隣で浴びてたオランダ人も出てきて「ボルネオ島で一番熱いシャワーだ!」と笑ってこっちを見た。


登山の準備に着替えて外に出ると、コンテナの背景にキナバル山がそびえていた。昨日は雲で見えなかったが今朝は快晴だ。あまりの高さに本当にこれに登るのかと弱気になる。

ラウンジへ行き、朝食にオムレツを作り、トーストにチーズを乗せて焼き、コーヒーを入れて食べているとJungle Jackがきて、「キャンセルが出たから今日登れるぞ」と教えてくれた。まったく同じものをもう一度作り、今度はすべてトーストに挟んでサンドイッチにして、ランチ用の紙袋に入れた。テーブルにあったバナナ2本も一緒に入れた。


われわれのガイドは二人で、キナバル山の麓に住む原住民だった。先頭を歩く、見た目と名前のギャップが大きいジェニファーと名前は忘れてしまったが最後尾を歩く無口の男のガイドだ。ジェニファーは週に2回もキナバル山に登頂し、さらに山頂でSIMカードを売るというビジネスウーマンだ。ガイドの二人は登山口で合流し、本当に簡単に登山計画を説明した。そこで皆ジェニファーに続いて歩き始めた。

中腹の山小屋はラバン・ラタという標高3200mに建つ食堂小屋を中心に、いくつかの宿泊小屋が回りに建てられている。ほぼすべての小屋はステラ・サンクチュアリ・ロッジが所有し、例外的にひとつだけがJungle Jackの手配する登山者が泊るロッジだった。食事はビュッフェなので、どちらの登山者もラバン・ラタで食べることになっている。といってもJungle Jackの小屋に泊るのはせいぜい20名程度で残りはすべてステラなので、ほとんどはステラの客である。普通キナバル山登山=ステラという認識だと思う。

朝食の時にJungle Jackはみんなに60RMキャッシュバックできると言い出した。彼の説明だとラバン・ラタの食事(夕食×1朝食×2)は60RMで登山費用には、その60RMの食事券が含まれているという。そして、それは食事のときにほとんどチェックされないらしい。つまり、その食事券を買わなければ、われわれが払う登山費用から60RMを返すというのだ。ただし、見つかった場合は各自の責任となる。大抵、食事券のチェックは最初の数名だけであとはチェックされないらしい。なので1630から始まる夕食には、すこし遅らせて1730から行けというのが彼の作戦だった。


1日目の登山は軽いので1330には山小屋に着き、おのおの好きなように時間をつぶした。皆で時間を確認してから1730に夕食へ出かけた。首から下げる登山許可証はストラップの部分がステラの客のものとは違うので、食事には持っていかないように言われたのを思い出してベッドの上に投げた。


Jungle Jackの言ったとおりチェックはなく、ステラの客同様にビュッフェをいただくことができた。山で食べるものとしてはなかなかの食事だ。食事の後、夕日を堪能してから小屋に戻り寝る準備をした。せっかくの登山なので新調したMombelの寝袋も持ってきたが、残念ながら登山で日の目を見ることはなさそうだった。ぎゅうぎゅうに配置された2段ベッドはかなり攻めた構造になっていて、上の人が寝返りをうつと、上の段が落ちるんじゃないかというくらい大きなきしむ音をあげ、その恐怖に一晩中おびえるスリリングな山の夜を演出してくれた。





2015/MAY/11 「Jungle Jack」

翌朝起きるとイギリス人がすでにミーゴレンを食べていた。この宿は気持ち程度の朝食が付いている。麦茶のようなコーヒー(飲み放題)と食パン、良いときはジャムが付くが、これは滞在中2回しか見られなかった。イギリス人は用意されたものでなく、自分で調達してるらしい。

これからどうするかと聞かれて、キナバル山へ登りたいがステラ サンクチュアリ ロッジから返答がないと答えると、ステラに泊る以外でキナバル山に登る方法があるという。キナバル山は東南アジア最高峰で4095.2m、通常、中腹の山小屋で1泊して2日目に登頂、下山となる。中腹の山小屋というのがステラ サンクチュアリ ロッジでベッド数に限りがあり1日に登れる登山者が制限されている。この予約を個人で取るのが、かなり大変でホームページでは大抵空きはなく、メールしても返信が来ない。そして値段も高い。ツアー会社を通すと、予約を取れるが15001800RMくらい取られるらしい。


イギリス人曰く、ステラ以外にもう一社ロッジがあり、その窓口になってるのがJungle Jackという男だという。Facebookでのみ連絡が取れるという。早速Facebookで調べてみる。よく焼けたおっさんにたどり着く。とりあえずメールを送って登れるかきく。返事はランダムでいつ来るかはわからないらしいがすべて込みで600RM程度で登れるらしい。これは破格だ。


銀行へお金をおろしに行こうと下へ降りたときに無愛想な太ったレセプションに、「Jungle Jackを知ってるか?」と聞くと、「知ってる」という。「連絡してあげようか?」というので「できるの?」と頼むとケイタイから電話をかけて話しだした。「いつ登りたい?」と聞くので「明日は?」い言うと、明日はできるかわからないけど明後日は確実だという。そんなに急で登れるのか?とかなり疑問が浮かぶ。そして値段は680RM だという。聞いてた金額より80RM高い。「600だと聞いたんだけど?」と聞くと、「今は680だ」という。話をしているとイギリス人がちょうど降りてきて「2週間くらい前に登った旅行者が600と言ってた」と言うと、太ったレセプションは少し怒り出し、「そうしたら自分でJungle Jackに聞いたらいいじゃないか、私は親切で聞いてあげたのに」と話を聞かなくなってしまった。

Skypeで電話してみるかとPCをもって降りてくると、それを見たレセプションは携帯で電話をかけはじめ、こっちへ来て「Jungle Jackだ。自分で話してみろ」という。うーん。これでは話がすでにまとまってるだろうと思いながら電話を受け取る。予想通りJungle Jack680RMだという。「その値段がいやならステラで泊ればいいじゃないか。680でいいなら手配する」という。選択肢がなくなってしまった。

「いつ登れるの?」と聞くと「キャンセルが出れば明日、そうでなければ明後日」という。また登る前日と降りてきた日に彼のロッジに1泊づつする必要があるらしい。
「明日は不確定だから明後日に行くよ」と言うと「今から来たらいいじゃないか?明日だめなら、もう一泊泊ればいい。食事も宿泊費も込みだ。なにも心配は要らない。何泊しても問題ない」という。どんなロッジなんだ?と余計不安になる。だいぶめんどくさいやつに捕まってしまったかもなと思ったが「じゃー今から行くよ」と返事して電話をきった。

Jungle Jack Lodgeはキナバル公園の入り口から1キロ手前の道路沿いにあり、キナバル公園行きのバスに途中で降ろしてもらえた。ロッジというかコンテナハウスだ。迷彩色のコンテナが3つ置いてあるのとコンテナの間に屋根のかかったラウンジだある。外にはシャワーとWCもあるようだ。すでに標高は1800mなのでかなり涼しい。

ラウンジに入ると、すでに今朝登頂し、降りてきた6人が座っていた。その中のインド人は異常な疲れを見せているがそれ以外は皆元気そうに見える。同じバスに乗っていた韓国人の女性も、どうやらJungle Jackでキナバル山に登るようだ。他にも明日登るというイラン人がテーブルにいた。それからまもなくの間にどんどん登山者が到着した。カナダ人中年男性、スイス人中年女性、オランダ人カップル、かなり若いドイツ人カップル、俺を含めて9人になった。


Jungle Jackはかなりのハイテンションで人が到着するたびに本当に簡単に施設の説明をした。ラウンジにはガスコンロやトースターもありパン、卵、チーズ、コーヒー、ティーが食べ切れないほどあった。奇跡的に気持ち程度のwifiもつながる。Jungle Jackは「ここにあるものは何でも好きなだけ食べていいけど、使った皿は必ず洗え」と全員に伝えた。まったく同じことが壁にも大きく書いてあるし、ここではよっぽど大事なことのようだ。


夕方になるとJungle Jackは「夕食に行くぞ」と皆を連れて近くの中華料理の安食堂に連れて行った。明日の朝にあと3人合流すると言ったが、俺の分の山小屋予約だけはまだキャンセル待ちだと言った。大丈夫か?


Jungle Jackはタンクトップの中華系マレー人でかなり人の話を聞かないし、同じフレーズを何度も繰り返す50くらいの中背男だ。食事中に明日の朝の予定を説明し始めた。7時くらいにおきて、各自ラウンジにあるもので適当に朝食を食べて、さらに自分のランチもラウンジにあるもので適当に自分で用意することらしい。この辺で大きく予算削減に貢献してるように感じた。出発は9時とのことで登山としてはかなり遅い。

夕飯後に宿にもどり、Jungle Jack Lodgeで唯一有料の13RMの密輸入ビールを2本開けて、ラウンジでみんなで話をして過ごした。ビールはなぜかホンジュラス産だった。




Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...