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2017/FEB/22 「ドゴンのマスクダンス」

バンディアグラにいたときに、ある朝たくさんのドゴン族がバスに荷物を積み込んでいた。荷物の形が棒状だったり変わっていたので聞くと、バマコへマスクダンスを見せに行くと答えた。どうもモロッコの王様がマリを訪問中らしく、マスクダンスを観賞してもらうために召集されたらしい。

ティレリに到着した時にエリーにダンスの話をすると、翌朝の8時に見られる手筈になっていると言った。

朝食を食べ終え、745分にエリーと宿を出て、村の広場へ向かった。エリーは既に民族衣装で、彼もダンスに加わると話した。広場に着くとまだ人は疎らで、それらしい人もいない。いるのはエリーと同じ格好の老人たちと子供だけだ。

暫くするとマスクダンサーらしき人が広場を横切って階段の所に集まってきた。エリーの息子バルゴが広場の左端に来るように言い、ここが特等席だと教えてくれた。エリーと同じ傘帽子に紺色の服を着た老人がかなりの数になった。いつ始まるのかなーと眺めていると、太鼓をもった老人たちがいきなり太鼓を叩きだし、端から傘帽子の男たちが出てきた。それに続いてマスクダンサー達が躍りながら現れた。

太鼓隊を中心に円を描くように次々と違うマスクのダンサーが出てくる。一人ものすごく縦長なマスクの男が目を引く。高さが5mくらいはありそうだ。すると今度は外からその円の中に竹馬みたいな棒を足に付けた二人組が入っていった。これが噂に聞くドゴンの竹馬ダンサーだ。ブルキナファソで会った女の子はこれを見た瞬間涙を流したという。傘帽子とマスクダンサーが太鼓隊の回りを躍りながら回り、その円の中で竹馬ダンサーが踊る。広場の後ろにはバンディアグラの絶壁が朝日を浴びている。スゴい光景だ。

マスクダンサー達は右手に集まって座り、傘帽子は他の老人たちのいる左手におさまり、マスクダンサーのソロダンスが始まった。ただ皆で踊るだけではないらしい。先ずは一番目立つとてつもなく長いマスクの男が出てきた。多分マスクが傾くと重さで倒れてしまうので、体が激しく動いても顔は全くぶれない。しかもこのマスクは相当重いはずだ。縦長マスクが躍り終えると他のマスクダンサーか順番にソロダンスを披露する。同じマスクを付けた人は同じグループらしく、マスクによって2人だったり、3人だったりする。ダンスはなかなか激しい動きで、跳躍したりもする。

全員ソロが終わるとまた全員で円を描くような動きにもどり、グルグルと回りだした。

マスクダンサーは20人くらいだが、傘帽子のおじいさんたちも入れると総勢40人以上がこのダンスのためにかりだされている。まさの村総出という感じだ。他に観光客もいないので観ているのは村の子供たちだけだ。まさかドゴンの仮面ダンスを一人でチャーターすることになるとは思わなかった。何人で観ても謝礼は100ドルなので一人ではもったいないし、村総出のダンスを一人で見るのはなんだか申し訳ない気分になる。バマコでマスクダンスを観賞したモロッコの王さまもこんな感じだったのかも知れない。


























2017/FEB/21 「ドゴンカントリー」

マラリア治療薬をマラキュアに変えてから2日が経った。昨日は体調が1日良かったので、今朝起きて体調が良ければドゴントレッキングを始めることにしていた。宿の近くの商店の男が、ティレリ村のチーフを知っていて、仮面ダンスの手配を出来ると言うので、その男にバイタクも合わせて頼むことにした。

ドゴンカントリーと呼ばれる場所にはドゴン族の住む村がバンディアグラの断崖に沿って、100キロにわたり散らばっている。当初は南のカニコンボレから中央北端のサンガまで歩こうと思ったが、これには最低でも5日は必要で、途中でマラリアが再発するリスクを考えると危険な気がした。そこでその中間のドゥロゥという村からスタートして、サンガまで歩くことにした。カニコンボレからドゥロゥというのもあるが、ドゴンカントリーは北側の村の方がアニミズムが残っていると言うので前者にした。これなら23日で戻って来れるし、再発してもバンディアグラまで戻るのにそこまで時間がかからないはずだ。
朝の7時には出発する予定だったが、起きたのがそもそも7時だったので、8時半になってしまった。

ドゥロゥに着いたのは9時半で、村の中を見てから次の村ノンボリへの道を歩き始めた。この村は崖の上にあり、ノンボリは下なので何処かで崖を下るはすだ。

道は分かりずらかったが、子供たちが案内してくれ、道なき岩場を子供たちがいう方へ歩いた。暫くすると深さ5メートルくらいの渓谷のような地形にぶつかった。谷の下には畑の跡がある。多分雨季にはここは畑になるのだろう。

すこし悩んだが、降りて谷を進むことにした。すると巨大な岩があり、その隙間に獣道のような下りがあった。岩の隙間を下っていくと、隙間の先に断崖の下の乾燥した大地が見えた。間違いないここが降り口だ。さらに進むと景色は開け、300mはあろう崖が続いているのと、その下に村があるのが見えた。ノンボリ村に違いない。村の上には崖に掘り込まれた中に泥の建物が並んでいるのが見える。あれが有名な断崖の建築郡だ。

崖を下りきり、ノンボリ村の方へ向かう。村の手前には柵で囲まれた大きな畑があり、柵と柵の間の道を抜けて村に入った。川さえ干上がってしまっているというのに、こんなに緑の畑があるのが奇妙だ。どうやって育ててるのかと眺めていると、男たちが井戸から汲んできた瓢箪に入れた水を畑にまいているのが見えた。畑の外は砂漠のようにサラサラの砂だ。一体どれだけ水をまけば野菜が取れるようになるのかわからない。気候的には全く農業に適してないはすだ。雨も降らず川も干上がったなか、井戸を掘りひたすら瓢箪で畑に水をまく。こんなに厳しい農業は始めてみた。畑には玉ねぎ、トマト、グリーンリーフ、丸い唐辛子がなっている。まったく信じられない光景だ。

村の中を歩いていると村人から「サブァ?」と声がかけられた。ほぼ全員の人が話してくる。ちょうど畑から出てきた女の子が畑で取れたトマトを手渡してくれた。なんかいい感じだ。

若い男に頼んで村のチーフの所へ案内してもらった。村に入るときはまずチーフに会い、入村料を払うのが礼儀と聞いていたからだ。

チーフは思ったよりも若く、入村料を払い村を案内してもらった。崖のくぼみに建てられた建物は殆どが穀物倉庫で、あとはアニミズムの神官的な人が暮らしている家があったが、村人はここには暮らしてなかった。崖の更に上にはティレム族の住居跡が岩の隙間にびっしりと張り付いている。ティレム族は元々この地に住んでいたが、ドゴン族がやってきて追い出されたという謎の民族だ。ティレム族はもう絶滅してしまったらしいが、彼らの住居跡はドゴンの墓として今でも使われている。住居跡の大きさからして、ピグミーよりもさらに小さな民族だったに違いない。

チーフは村の案内を終えると食事を出してくれた。大きなタライに白米にスープがかかっていて、それをチーフと一緒に手で食べた。チーフは日中は暑いので3時くらいまで休んでいけといい、それに甘えることにした。

日陰に敷いたゴザでゴロゴロして、3時になるとノンボリ村を出発した。今夜の宿のあるティレリ村は8キロ先だ。道は砂で足がとられるので余計に体力を奪うし、日陰もないので太陽が容赦なく照らしくらくらする。8キロは思った以上に大変だった。

ティレリ村に着くと、まず紹介されたエリーさんの宿へ向かった。そして、明日仮面ダンスを見る段取りができているか確認をして、寝床を確保した。テラスにマットレスを敷いて、蚊帳をかけてもらった。なかなか快適そうだ。

エリーさんの息子が、村の案内をかって出てくれ、日が暮れるまでいろいろと連れていってくれた。ドゴンの神様アマを奉ったインドのシヴァリンガのような石、男だけ中に入れる神殿のような建物、女性が籠る石の家、祭事を行う広場、それ以外にもツーリストが入れない場所があり、興味深い独自の文化が見られる。

昨日、今日と年に一度の豊作を祝うサラガという祭りがあり、昨夜は特別なミレットビール`ブルグ'が振る舞われ、深夜まで太鼓を叩き歌ったらしい。連れていってもらった民家でそのミレットビールを飲ませてもらった。


ティレリ村は予想していた通り神秘的で美しいところだ。




















































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