2015/DEC/23 「ハサンさん」

金曜の夕方にオムドゥルマンの墓地でスーフィーの礼拝があるので、それまで何処か他の町へ行こうと思った。スーダンで他に行きたい場所はカッサラとベグラウィヤ、ヌーバマウンテンだったが、ベグラウィヤはカリマで見たのと同じようなピラミッドだし、ヌーバは国境扮装で「爆弾の雨が降っている」とNY Timesで揶揄されていたのでカッサラに行くことにした。

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時にバスがあるというので6時に宿を出たが、バスターミナルへのミニバスがまったく来なくて、結局8:30のバスになってしまった。

ロンプラに6時間と書いてあったバスは8時間半かかり、カッサラに着いたのは夕方5時だった。今回もそうだが、夜間のバスが禁止されているスーダンでは移動に1日を費やすことが多い。これから宿を探して、さらに予定していたタカ山に登るのは明らかに無理っぽかった。

バスは町から離れたターミナルに着き、そこからミニバスで町の中心の市場に着いた。とりあえず歩いて宿を探す。人に聞くとホテルを紹介され、ホテルでロカンダ(安宿)を聞くと1軒の安宿に着いた。そこは40ポンドと安くないので、さらに安い宿を教えてもらう。すると市場からは少し離れた、いかにもというロカンダにたどり着いた。値段は120ポンド。いい感じだ。

岩山近くのモスクを目指すことにして、宿の男にカトミヤ・モスクと聞くと通りまで一緒に来て、バスに乗せてくれた。カトミヤ・カディーマと言えと言われたので、バスの中の乗客に連呼すると周りの乗客全てが「このバスではない!」と言い切った。しばらく行ったことで降ろされて、他のバスに乗せてくれた。なんかみんな協力的だ。バスの終点で乗客に「アッチだ」と言われて、その方向へ進む。何やらゲートがあって、入ると岩山のすぐ下の公園のような場所でカフェや露店がたくさんあった。どうやらカトミヤ・カディーマはモスクでは無かったようだ。夕日を見に来たローカルがたくさんいて、飲み物を飲んでいる。まーいいかと座って一緒に夕日を眺めた。登ろうと思っていたタカ山はすぐ裏だ。

日没後、モスクを見に行こうと思って、違う道から降りると民家の隙間に出て、細い迷路のような路地に出た。奥へ進むと何やら音楽が聞こえてきた。それはある家から聞こえてきているようで、扉が開いていたので近付くと中の子供達がワーっと飛び出てきた。中を覗くと庭で女の子達がポリタンクをドラムがわりに手を叩きながら歌っていた。こちらに気がつくと皆すごい勢いで出てきて、さらに近所の子供も集まってきた。これは収拾がつかないと思い、モスクへ向かおうとすると、女の子が隣の家に来いと腕を引いた。中に入るとまた女の人と子供がたくさんいて、庭の奥のベッドに「座れ座れ!」と座らされた。すると一人の男が出てきて「自分はハサンだ」と名乗った。


彼は冷たい水を出してくれ、英語で話しかけてきた。JICAの研修を北海道の帯広大学で受けたと言い、今はカッサラの政府の農業技術支援の部署で働いているという。彼と彼の兄弟の子供とお母さん、姉妹が周りを囲み、興味の眼差しで見つめられる。

ハサンさんは日本人の来訪を喜んでくれ、しばらく話をした。「明日また来なさい」と言いハサンさんはバス乗送り場まで見送りに来てくれた。親切な人に出会えたなーとカッサラの滞在が楽しみになった。

カッサラに戻り、夕飯にフールを食べ、マンゴージュースを飲んだ。市場は夜まで賑やかで人で溢れていた。通りには座ってコーヒーやお茶を飲むひとが無数にいる。カッサラはどこかワクワクする町だ。





















2015/DEC/22 「ムハンマドの誕生日」

カリマで会ったメキシコ人のジェシカからメールが来て、今日の午後にオムドゥルマンで会うことになった。ジェシカはハルツームの大学でボランティアをしているといい、すでに5ヶ月になるという。ハルツームは3つの町から成っていて、オムドゥルマンはナイル川の西側に位置する町だ。町は高い建物は無いが、かなり広範囲でハルツームよりもボロボロで舗装無しの道が多いので埃っぽい。スーダンで一番大きなスークがあり、ジェシカが案内してくれると言っていた。

昨日はヒッチでオムドゥルマンへの橋まで来たので、今日はバスに乗ろうと思ったが、探すのに苦労して、結局、今日もヒッチで向かうことになってしまった。ハルツームはおそらく世界一ヒッチの簡単な町だろう。オムドゥルマンブリッジを渡り、北へ走ると何かのイベント会場のような場所に着いた。奥にはモスクのミナレットがいくつか見える。会場の回りにはお菓子を売る店がぎっしり並んでいる。中を覗いてみると、たくさんの人がいて、すぐに囲まれる。どこから来た?名前は?イスラム教か?写真を撮ってくれといつもの感じになる。待ち合わせに遅れるなと思って、すこし話をしてから打ち切り、待ち合わせ場所に向かうことにした。

ジェシカはAhfad Universityという彼女の職場の前のDREAMというアイスクリーム屋で会うことになっていた。店につくとジェシカともう一人、スペイン人の女の子が待っていた。彼女達はここがオムドゥルマンで唯一キレイなカフェだと言った。折角なのでアイスを食べたが味はスーダンだった。

トゥクトゥクを拾ってスークへ向かい、二人と気分の向くままにスークの中を見て回った。スークは町に溶け込んだ境界の曖昧な市場で、何でも売られていた。しかも日没後も活気に溢れて、買い物をする地元客で歩くのもままならない。彼女達の後を歩いていたが、色々な人から話しかけられ、質問攻めにあい、写真を撮ってとせがまれ、色々なものをタダで貰った。多分100人くらいと握手した、100人くらいと写真を撮った。スーダンの人の良さは本当にすごい。わりとしっかりした箱にはいった香水をわざわざ袋にいれて貰ったが、重いので荷物になるなーと考えてしまった。

明後日はイスラム教の預言者ムハンマドの誕生日で、それを祝うお祭りが10日くらい前から行われていた。明日が最終日で、今日と明日は夜通し、スーフィーの祈祷が行われるという。ジェシカ達はスーダン人の友達と一緒に行く約束をしているので一緒に行こうということになり、トゥクトゥクで入り口へ向かった。会場は昼間に来た場所だったが、昼間とは比べ物にならないほど人が溢れて、中に入れるのか分からないほどだ。ジェシカは周りのお祭り用のスイーツを買いたいと言うので見て回った。店の前を通る度にどんどんスイーツの試食を手渡された。どれもとんでもなく甘く、最近の砂糖の過剰摂取に拍車をかけた。

スーダン人の男の友人二人と合流して、会場の中を見て回った。なかは大きな通路の両側に色々なスーフィーグループのテントがあり、各々のやり方でお祝いをしているようだった。40くらいのグループがあり、通路も人でいっぱいだ。座って祈っているグループもあれば、スピーチをしていたり、歌いながら踊ったりしている。踊りと歌も色々な種類があり面白い。スーダン各地域のスーフィー達が一同に集まって各々の祈祷を披露していりらしい。まるでスーフィーの天下一武道会だ。

夜が更けるにつれ、人が増え、楽器を鳴らして歌いながら踊る輪がふえてきた。至るところで大音量の歌というか叫び声が聞こえる。輪の周りの人もどんどん躍りに加わり大きくなってゆく。それぞれのグループの輪から発せられる熱気が渦を巻いて空に昇っていくようで、それをハルツームの星空がどんどん吸収しているように見えた。これを気絶するまで続ける人もいるというから驚きだ。

ジェシカの友達曰く、この祈祷大会はスーフィーのもので、スーフィーはイスラム教の中でも異端視されているので、スーダンの過半数のスンニの人たちはここには来ないらしい。スーフィーに嫌がらせをして喧嘩になったりするので会場の警備も実に物々しい。スーフィーに触れるのはパキスタン以来だ。

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時くらいに会場を後にして、スーダン人の友達の車で夕食を食べに言った。彼らは裕福なスーダン人らしく、連れていってくれたのは、こんな場所がスーダンにあるんだ?って感じのナイル川沿いの高級レストランだった。川沿いにテラス席があり、とても雰囲気がいい。いかにも金を持ってそうな人しかいない。普段ならお金の心配するが、スーダンに入ってから予想以上にお金を使ってなかったので、たまにはいいものも食べようと気にならなかった。こういうスーダンを見るのも悪くはない。



















2015/DEC/21 「ナイルの合流地点」

スーダンにはナイルの合流地点があり、ずいぶん前から見てみたいと思っていた。昼に宿を出て、キリスト教会や民族博物館、町の中心のモスク、ハルツームの中心の市場のような通りを見て回り、夕暮れに合流地点が見えるというオムドゥルマンブリッジへ行くことにした。

歩いて行こうと思ったが、地図で見る以上に距離があり、眼のあったドライバーに乗せて貰った。スーダンのヒッチは恐らくパプアニューギニアと共に世界一簡単だろう。

橋の前で渋滞があり、橋に差し掛かったときには空は赤くなり始めていた。車にのったまま一端、橋を渡り、そこから歩いて橋を渡って、上から合流地点を眺めた。橋のしたで釣りをしていた男がこっちに気がつき大きな魚を抱えて、写真を撮れと言ってきた。こんなのが釣れるのかー。

橋からは青ナイルと白ナイルが交わる三角形の陸地の先端が見える。見ているとそこに立って見たくなった。橋の袂から階段で川に降りて、川沿いの畑の中をすすむ。既に太陽が地平線に消えていたが、空は残光で赤く照らされている。

しばらく行くと畑を抜け、陸の先端にでた。ここがナイルの合流地点だ。アマゾン川のように色が違うのかと思ったが両方とも茶色い。とても気持ちのいい風が吹いていて、先端に立ってしばらく流れを見つめた。

ヨウコさんとシオリンがハルツームに来ていると連絡があったので、夕飯は二人と食べに行った。ヨウコさんはスーダンで100ヵ国目と話したことを覚えていて、お祝いのケーキを買って来てくれた。スーダンでもこんなにしっかりしたケーキが手にはいるのに驚いたが、普通の店では売ってないので探してくれたのだろう。

現地人だけでなく、他の旅人からもいつも色々お世話になっているなーと国境越えで張り切ってくれた綾ちゃんや今だに色々な情報を送ってきてくれる本田さん、カイロでドルを換えてくれた人たちの好意を思い出した。人には出来る限り優しくしようと思った。












2015/DEC/19 「スーダンのマイケルジャクソン」

今日で入国三日目なので、今日中にスーダン滞在登録する必要がある。朝に役所っぽい所へ行ってみた。そこで「外国人滞在登録をしたい」と言うと「ここでは出来ないのでハルツームへ行け」と言う。カリマは居心地も良さそうだったから、何泊かしたかったが今日ハルツームへ行かなければならなくなった。綾ちゃんとショウくんはハルツームへ行く前にアトバラという町へ行くという。なのでこの町でお別れだ。

カリマにゲベル バルカルという遺跡があるのでそれを3人で見てからバスで移動することにした。歩いて入り口へ行くと誰もいないのでピラミッドへ向かって歩いていると、遠くから警備がやってきた。チケットを買えと言われる。もっともな話だ。

チケットオフィスは岩山な裏側でそこに着くまでには遺跡はおおよそ見れてしまった。しかもスタッフは「一人10ドルだ」とボッてくるので「じゃーいいよ」と引き返した。少し離れたところにあるピラミッドだけは見れてなかったので、隠れて岩山の上から見ようと思ったが、また警備に見つかった。しぶしぶ入り口から出たが、諦め切れないのでショウくんと綾ちゃんに「遠くから回り込んでピラミッドへいきたいから、もう一度試してもいいか?」と聞くと二人は了承してくれた。

敷地の周りの道をぐるっと回り込んで見るとピラミッドは実は街道のすぐ脇に建っていた。柵もなく出入り自由。ピラミッドはエジプトに比べれは小さいが角度が急で数も多く、砂漠の中に佇む姿はなかなか良かった。

町まではヒッチで戻ろうとすぐ近くの街道で車を止めると、難なく乗せてもらえた。車にはハイサムとルワイ、ウリードという3人の男が乗っていてハイサムとルワイは兄弟だと言った。「このあとは何処へ行く?」と聞かれて、「俺はハルツームで、二人はアトバラだよ」と言うと「俺たちも今日ハルツームへ戻る」と言うので、「じゃーハルツームまで乗せてくれないか?」と聞くと快諾してくれた。それを聞いた綾ちゃんは「じゃー私たちもハルツームへ行きたい」と言い出し、二人もハルツームへ来ることになった。ただし、車にはハイサム、ルワイが運転席と助手席に座り、後部座席に身体のでかいウリードと我々3人が並列で座らないといけなく長距離移動にはむかないように思えた。それでもハイサムに「ヤッパリ3人ともハルツームへ送って貰ってもいい?」と聞くと「ノープロブレムだ」と笑顔を見せた。

彼らはここからそう遠くないマラウィという村のナイル川にある中州に遊びに行くというので、このまま中州へ行くことになった。途中アバスさんという人の家により、他の人たちと合流し、飲み物や食料を積んで川へ向かった。みんなとても快く迎えてくれた。

ここのナイル川はエジプトで見るものより細く、緑と岩がたくさんありまるで違う川のようだった。暫くすると更にたくさんの人がやってきた。ヤギを肩にかけた男もきた。みんなで2隻の船に別れて乗り、すぐ先の島に渡る。島には砂浜があり、数人が料理の支度を始めて、あとはみんなでサッカーをした。砂浜サッカーは足を取られるのでかなりハードだ。みんな必死で走り、すぐにゼーハーゼーハー言って立ち止まり、また必死にボールを追った。こんなに走ったのは久しぶりだ。

サッカーを終えて戻ると数人の男がヤギを殺して捌き始めた。イスラム圏ではまず血を抜いてから捌く。後ろ足のアキレス腱にロープを通して吊るして皮を剥ぐ。トルクメニスタンの砂漠のユルトに泊めてもらっていたときに毎日1頭捌くのを手伝だわされたのを思い出した。

料理は大きな鍋にぶつ切りの肉を入れて香辛料と蒸す感じでモンゴルのホルホグにソックリだ。しばらくするとナスリーという男が合流して、みんなと握手をした。ウリードは彼は友達でスーダンの有名歌手だと教えてくれた。ハイサムは「スーダンのマイケルジャクソンだ」というが、少なくとも外観にはおおきな違いがあった。

ナスリーはタンブッラという楽器を弾いて謳い始め、みんなで囲んで手を叩いてリズムを取った。即興的な歌に聞こえたが、皆ナスリーの歌のほとんどを歌うことができたので有名な歌のようだ。どこか演歌のようなリズムとナスリーの渋い表情に皆酔いしれた。途中で料理が出来上がり、それを食べてまた、ナスリーのコンサートは続いた。気がつくと20くらいの人数になっていて、ナスリーを囲み、皆、身体を使ってリズムを取り、手拍子をした。どうやら独特の手拍子があり、いきなり別の手拍子になったりするのでしょっちゅう遅れをとったが、とても良い一体感が生まれ始めた。

4時にハルツームへ向かうと言っていたが、もう5時をまわっていた。ハルツームまでは6時間なので今出ても着くのは夜11時だ。だが宴会はなかなか終わらず、終わったと思っても船に乗る前にまた歌と踊りが始まるといった感じで、船の上でもナスリーは歌い続けた。これが本当にスーダンのマイケルジャクソンならすごい贅沢なことだがそれを確かめるすべは無かった。

ようやく車に戻り、走り始めたがハイサムの親戚の家に挨拶に行き、さらにはナスリーの家に行き彼が国から貰った表彰状やトロフィーを見せられた。7時半をまわってこちらはかなり焦っていたが、もうなるようにしかならないと諦めた。


ウリードは時速160kmで飛ばすから4時間で着くといったが、スーダンは道も悪く電灯もないので160km出したら吹っ飛ぶので80100kmと思った以上に安全運転だった。ハルツームには着いたのは2時でロカンダといわれる安宿が多くあるエリアでおろしてもらった。ようやくたどり着いたと思ったが安宿は何処も入れてもらえず、なんとか150ポンドで泊めてくれたツインルームのベットをくっつけて3人で川の字になり眠りに着いた。





















2015/DEC/18 「スーダン人」

昨夜は夜にホテルのスタッフがエジプト人の客が悪さをするから、中で寝た方がいいと四人部屋を用意してくれ、結局室内に移ることになった。スーダン名物青空ベッドを楽しみにしてたがお預けだ。

スタッフは密造ウォッカを持って部屋に戻ってきた。随分臭いのするウォッカだったし、スーダンは厳格なイスラム教の国と聞いていたので驚いた。男は久しぶりにお酒の飲める客がきて喜んだのかドンドンついできた。45杯飲むと男は酔っ払い、ショウくんや俺の隣に座って身体を触ってきた。どうやら酒には別目的があったようだ。

翌朝腕時計の目覚ましで起きて、外へ出ると目の前のチャイ屋で数人の男がチャイを飲んでいた。一人の男が遠くから話してきたので寄ってみると「何処から来た?」と聞いてきた。「日本」と答えると「座れ座れ!」と言うので椅子に座るとみんなはチャイと一緒に揚げパンを食べているのに気がついた。男は「ザラビアだ」と教えてくれ、チャイとザラビアを彼のおごりで頼んでくれた。朝から揚げ物は好きではなかったが、揚げたてに砂糖をまぶしたザラビアはサクサクで美味しかった。ミルクティーにはこれでもかと言うくらい砂糖が入っていたがすでに甘さにも慣れていたので美味しかった。宿からショウくんが出てきたので声をかけて呼んだ。綾ちゃんも呼んでくるように頼んで、みんなで朝食をご馳走になった。

まだ2日目だがスーダンの人はかなりのおもてなし民族だ。町を歩くとみんな話しかけてくるし、昨夜も夕飯に出ると、初日に宿探しをしていたときに会った男が母親と歩いていて、ご飯に誘ってくれた。多分3人で100ポンド(1,330円)の宿で渋っていたのでお金がないと思ったのか、スーダンの焼肉を食べさせてくれると言い出した。サイコロくらいのラム肉を焼いただけのシンプルな料理とフールと呼ばれる豆のスープにチーズを載せて油をたっぷり入れたものを食べた。母親の持ち合わせが足りなくて結局半分は払ったが、気持ちはとても嬉しかった。

朝食のあと、パスポートコピーを作りに行き、そのまま滞在申請に行った。スーダンは高い金を払ってビザを取ったのに三日以上の滞在にはさらに申請(お金)が必要だ。金曜日でやってないので明日来いと言われた。今日はドンゴラというとこまで移動したかったので、申請はそこでやることにしてドンゴラへ向かうことにした。スタッフに行き方を聞くとホテルの前に停まっていたバンでミニバス乗り場まで送ってくれて乗ることができた。親切なスタッフだ。

スーダンはモンゴル並みに何もない景色が永遠と続いている。モンゴルでは何も無いのが観光の売りになっていたが、ここでは本当に何も無いだけだ。

5
時間くらいでドンゴラに着いたが、ロンプラに載っていたオールドドンゴラは町から100km以上も離れていて、さらに交通手段もなかった。よく読んで見ると「もし車旅なら」と書いてあった。ネットで見つけた写真を見て、それがオールドドンゴラだと思ったが、町の人は「それはカリマだ」という人もいてあやふやだ。結局余りに情報も曖昧で行くのも大変なのでカリマへ行こうと言うことになった。

二時間くらい待ったあとにミニバスは出発しカリマへ向かった。ナイル川とは離れた道で辺りは延々と砂漠が続いていた。バスの中から夕焼けを見終わり、遠くに明かりが見えるな~と思っているとそれがカリマだった。ワデイハルファやドンゴラよりもはるかに町っぽかったので3人とも興奮した。食べるとこもたくさんありそうだ。すぐに宿探しを始めた。1軒目は100ポンド(1,330円)と高かったので他をあたろうと宿を出るとワディハルファからの同じバスに乗っていた二人組の男が偶然いて、話しかけてきた。彼らは他の宿まで連れていってくれ、値段交渉もしてくれた。15ポンド(200)とかつてない安さだったが、クオリティは値段相応の気がした。

町に滞在するための届け出が必要らしく、その事務所に行くのも彼らの友達の車で連れていってくれた。本当に面倒見がいい人たちだ。ただし、車内でGoogle翻訳した文章をスマホで見せられ、なんだろう?と読んでみると「明日、遺跡をみるなら300ポンド(4,000円)で車を出します」とあった。遺跡まではタクっても10ポンド(133円)だ。どうやらここまでの親切は撒き餌だったようだ。

スーダン人はまだよく分からない。















2015/DEC/17 「100か国目の国境」

朝、4時にヌルハンホテルのロビーに行くとショウくんと綾ちゃんはすでに待っていた。昨夜、念の為に二人のタクシードライバーに予約を入れていた。一人には4時にホテルにピックアップに来るように伝え、もう一人にはマーケットの入り口に来るように伝えた。
4:15
になってもホテルにドライバーは現れず、諦めてマーケットの入り口まで行くが、もう一人もいなかった。二人とも朝は苦手だったようだ。二人とも来たら悪いな~と心配したが、今は3人にしておけば良かったと後悔した。

仕方なくそこにいたタクシー運ちゃんと交渉をする。3人で30と言われたが25で落ち着いた。

バスターミナルに着くと男にチケットとパスポートを預けて、チャイを買ってベンチで待つことにした。男は何やら紙に書き込んでからパスポートを返してくれた。5:00くらいにバスに荷物を積み始めると、男は「荷物代25ポンドだ」といい始めた。「そんなもの含まれてるだろ!」と断るが、「荷物はバックパックとザブで2つだから払え!」とかなり高圧的だ。他の乗客も払ってはいるが、彼らはどう見ても超過料金を払うべき量の荷物を持っている。無視して乗り込むとバスの中にも荷物も積んでいて、後ろから4つの席と通路は完全に荷物で埋まっていた。中で積み荷をしている男も25払えといい続けた。近くのおばさんが通訳してくれて、「サブは膝の上だから預ける荷物は1つだ」というと積み荷の男は手でオッケーのジェスチャーをし、何故か一緒に写真を撮れと言うので撮ってあげた。

バスは三時間半でアブシンベルまで行き、神殿のすぐ近くの船着き場までいって小休止があった。飯を食いたかったが、あまりに酷いボリかただったので止めた。

船はバスが2台ちょうど乗るサイズで船を載せ終わるとすぐに出発した。期待していたアブシンベル神殿は船の上からは見ることが出来なかったが、乾燥したランドスケープと湖の景色は素晴らしかった。船は黄土色の大地に着岸し、みんな歩いて降りていく。ここには湖と黄土色の岩山、砂漠しか見当たらない。こんな国境はなかなかないだろう。

さらにバスに乗り込み1時間ほど走るとエジプト側のイミグレに着いた。綾ちゃんは興奮して「田付さん!国境越えちゃいますよ。起きてください!動画録り始めますか?」と言って何故かipodでドリカムのHAPPY HAPPY BIRTHDAYを流し始めた。誕生日祝いではないだろと思ったが彼女なりに考えて選んだ曲なのだろうとそのまま流した。アスワンで準備したパーティー用三角帽と100か国記念のボードを確かめる。いよいよか?と思ったがよく考えるとまだエジプト側のイミグレだった。

エジプト側のイミグレは聞いていた通り、バスから全ての荷物を降ろし、検査後にまた積み込んだ。普通のバスならいいが、車内にも荷物を満載したバスの荷降ろし、荷積みは2時間を要した。

次にバスはスーダン側のイミグレに向かった。ここが事実上の100ヵ国目の国境だ。本当は歩いて100ヵ国目の国境を越えたかったが当然バスからは降りることはできないので、そのままイミグレの敷地内に入り、バスを降りた。イミグレスタッフらしき人が見るなり、「コッチだ」といい、何もする暇を与えず建物の中へ誘導された。そこで優先的に入国審査をしてくれ、すぐ近くで入国税50スーダンポンドを払うように言われた。「横のベンチで寝ているおっさんが両替屋だから替えてもらえ」と言われたので、そこで全てのエジプトポンドをスーダンポンドへ替えて、入国税を払った。レートは100エジプトポンドが125スーダンポンド。公定レートよりも1.5倍は良い計算になる。闇レートのあるスーダンではATMは使えないので、この現金のみでスーダン滞在を乗り切らなければならない。

とりあえず、ダメもとでイミグレに100ヵ国記念の写真を撮りたいと頼んでみると、みんな出てきて並んで一緒に写真撮影をして祝福してくれた。写真は一緒に撮ってとは頼んでなかったがなんかスゴいいい人たちだ。国境はたいてい写真不可なのに。「本当は国境のゲートで取りたいんだけど?」と頼むと、「オッケーだ。行ってこい」と言う。バックパックを置いて、早歩きでアスワンで買ったパーティー用三角帽と自作のボードを持ってゲートへ向かうと兵士に止められる。「なにやってるんだ!」「スーダンで100ヵ国なんだ。国境で記念撮影したい」「100ヵ国か!スゴいな!撮れ撮れー」兵士もスゴいいいやつだ。スーダン国旗の上に`100ヵ国'と書かれた段ボールを見せるとみんな喜んで笑ってくれる。遠くの兵士もみんな興味津々だ。

綾ちゃんとショウくんに頼んで写真とムービーを撮ってもらい、最後にみんなで一緒に国境を歩いて渡るムービーを兵士に撮影してもらった。これは兵士の技量不足で途切れた映像になってしまったが、「シュクラン!」とお礼を行ってイミグレの建物を抜けて外へ出た。

これでついに100か国目スーダン入国だ。すでに4年近くを旅に費やしている。始めてパスポートを作った時にまさかこんなに旅する人生になるとは思いもしなかった。スーダンはきっと良い思い出の国になるだろう。今夜は絶対肉を食おう。

ワデイハルファの町には夕暮れ時に着いた。宿を探す前に近くの岩山に登り、スーダンで始めての夕日を眺めた。スーダンは本当に何もない乾燥した所だ。ワデイハルファの町はお世辞にもキレイではなかったが、夕日で町は赤く輝き始めた。まるで祝福を受けているようで気持ち良かった。

宿は3軒ほど回って、一人20ポンドで屋外のベッドに寝ることになった。星を眺めながら寝れるとは贅沢だ。水は錆びたドラム缶に貯めてあるのを使うしかなく、トイレに行くときにはそれを汲んでもっていく必要があった。こんなにプリミティブな宿は久しぶりだ。今夜はきっと星がすごいだろーなーと寝袋をベッドの上に広げた。スーダンが101ヵ国目だったと気がついたのはスーダンを出て、しばらく後のことだった。


















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