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2016/NOV/4 「アフリカで一番汚い市場」

結局キンシャサではどこの国のビザも取らなかった。取れなかったのではなく、取らなかったのだ。実際キンシャサでは取ろうと思えば、カメルーンもガーナもガボンも取れたが、他国でとるのにくらべ値段が高すぎて、止めたのだ。その代わりブラザビルでガボンビザを確実に取るために日本大使館からレターを貰っておいた。

11時に日本大使館の領事担当の上田さんと約束したのだが、時間の読めないキンシャサの市内移動は、5キロと離れていないはずのヴィクトワール広場から大使館を二時間半という意味不明な所要時間を要して、午後の訪問になってしまった。

上田さんは三度目の訪問で大分打ち解けていて、遅れたにもかかわらず、全く嫌な顔を出さなかっただけでなく、宿が蚊が酷くて寝れないと言うと日本の蚊取り線香をわけてくれた。

アンゴラ入国以降、この3週間ほど日本人はおろか、外国人ツーリストに一切あってないので、この大使館に来ると日本人に会えてほっとする。この大使館はそんなに忙しくないようで、上田さんは早くコンゴ民主共和国から出ていってほしいというオーラを出しつつも、無駄話に毎回付き合ってくれていた。コンゴに入ってから、フランス語が出来ないので人とマトモな会話をした覚えがない。アンゴラはまだスペイン語でこちらの意思を伝えられたが、フランス語ではそうはいかない。そんなわけで大使館にくるとついつい余計な話をしてしまう。

明日はダウンタウンでカビラ大統領の続投に対する抗議集会が予定されているので、朝イチに船でブラザビルに行くようにと忠告された。前回選挙延期のときは暴動で100人以上の死者を出しているだけに、こういったイベントはかなり危険が高まる。

コンゴ民主共和国はモブツ、カビラ、カビラjr.とダメなリーダーが続いている。カビラ父の方は本気で国を良くしようと思ってたらしいが警護に暗殺され、引き継いだjr.にその気は全くない。アフリカで難しいのは、じゃーそいつが辞めて、別の人がやったら上手くいくかというと、そうはならないところだ。アフリカ人は権力の座につくと、利権に邁進してしまうとてもシンプルな人達だからだ。

帰りに港を確認して、中央市場を見て帰った。中央市場はアッパータウンとダウンタウンの間くらいにあるが、周りの道は水びたしで酷いことになっていた。市場に近づくと道の真ん中に延々とゴミがたまっていて、通行不能になっていた。さらにそのゴミの中も水路のように水が続いていて、遠くにトラックがハマって身動きが取れなくなっているのが見える。水は生活排水とゴミが混ざり、とんでもない異臭を発しているが、それでも道の両側には地べたで物を売る人で埋まっている。こんなに汚い町は見たことがない。そこを写真取ろうとカメラを出して構えると、四方八方から一斉に叫び声がした、これだけ素早くカメラを構えたのに、こんなにたくさんの人が一斉に叫ぶということは、歩いているときから、見られていたのだろう。ここには黒人以外はいないので、かなり目立ってしまう。カメラをしまったが、近くにいた3人くらいの若者が寄ってきて、服やバッグを掴んだ。「いや、写真は取らないよ」と言ってもエスカレートしていて、大声で怒って何かを言っている。近くの男がそいつらの腕を掴んで、行かせてやれ的な事を言って、なんとかその場を離れられた。市場の人達の目には全くウェルカム感はない。


更に進むと、ボロいストールが迷路を作っていて、人の密度がMAXまで上がった。大使館の上田さんが、現地にすむ外国人もここには絶対近寄らないと言うだけあり、買い物どころではないし、現地人もほぼ全員がバッグを前にかけて歩いているので、ヨッポド引ったくりが多いのだろう。また道路に出たが、やはり道は泥んこだ。道の広くなったところに野菜を売るひとや、洋服を売る人が、地面に座って品物を広げている。良く見るとなかなかの光景だが、それに感動してる暇はない。両足は既にあの真っ黒の泥まみれだ。キンシャサ中央市場はアフリカで一番汚い市場だろう。














2016/NOV/3 「黒いチンパンジー」

コンゴ民主共和国にはボノボという霊長類がいる。霊長類は全部で4種類しかないのだが、オラウータン、ゴリラ、チンパジーとこのボノボだ。ボノボはコンゴにしか生息していない。キンシャサの郊外にボノボの保護施設があり、野生に近いボノボを見られるというのでいって見ることにした。

宿で散々行き方を聞いたのだが、皆言うことが適当だし、そもそもここの奴らがボノボの保護施設など行ったことあるはずもない。

保護施設Lola ya BonoboKimwenzaという町の近くということで、その町を目指すことにした。キンシャサの市民の足のミニバスにはハイエースともう一種類コンゴの国旗の色に塗られた古い車種が走っているのだが、後者は恐ろしくボロく、車内には露天の椅子のような木のベンチが5列床に釘で固定されている。この椅子の間隔が膝を斜めにしないを収まらないくらい狭く、それでも超満載でオフロードを走るので、まるで我慢大会のようだ。キンシャサの外は道も悪く、こんな車ではたどり着けないのでは?と思ったが、現地人たちは慣れているのか一言も喋らず座っている。この日以降この水色のバスには絶対乗らないことにした。

Kimwenzaには昼前には着くことができたが、MapsMeを見るとここからまだ距離がありそうだ。通りでバイタクを捕まえ行ってもらった。

Lola ya Bonoboはわりとキチンとした施設のようで、ガイドをつけて数人のグループでまわる。出発前にビデオでボノボの説明まであった。

ボノボはフェンスで区切られたエリアに住んでいて、フェンス越しに見ることができるのだが、ボノボはなかなか厄介でフェンスの近くにいると土を投げてきたりする。しかもわざわざオシッコをして湿らせた土を投げつけてくるので容赦ない。故意でやってるならなかなかの知能だ。

ボノボの見た目は黒いチンパンジーといったところだ。園内にはボノボしかいないので正直ローカルバスを2回も乗り継ぎ、2時間もかけて来たので、ボノボの感動よりまたあのバスで帰るのかーというネガティブな気持ちの方が多い。オラウータンは無理でも(オラウータンは東南アジアにしか生息していない)せめてゴリラやチンパンジーも一緒にいればもう少し満足度もあがるだろう。


帰りもミニバスターミナルのランダーバードで乗り換えをしたが、来たとき同様すごい人ごみだった。宿のあるダウンタウンといい、アッパータウンの繁華街といい、キンシャサは異常なくらい人で溢れている。昨日、日本大使館の上田さんが郊外を含めると2000万くらいはいるんじゃないかというのも頷ける。この町の活気は今まで見たアフリカの町と比べても、更に上をいく。








2016/NOV/2 「キンシャサでとるビザは何故か高い」

キンシャサで取れるビザはなるべくとっておこうと、着いた翌日朝から色々な大使館を回った。航空券が無くてはビザが取れないと聞いていたカメルーン、居住国でしか取れないガーナ、そして既にビザを持っているコンゴ共和国の次に行くガボン。日本大使館にも行き、これらの国のビザのためのレターも頼むことにした。

しかし、上記三か国のビザは、アフリカ大陸陸路一周の熱意を語るとアッサリ取れることになった。ただし、どこも値段がベラボウに高い。コンゴ民主やアンゴラも高かったが、カメルーンは195ドル、ガボンは160ドル、ガーナに関しては250ドルと今までに聞いたことのないほど高額だった。ドル払いしか出来ず、手持ちのドルは300程度しかない。全て取るには金が足らない。

これはワイロ込みの金額かな?と、日本大使館に頼んで、大使館から電話で聞いてもらったが金額は変わらなかった。日本大使館の領事担当、上田さんはかなり協力的で、ブラザビルのカメルーン大使館やガボンのカメルーン大使館にもわざわざ電話をして値段を調べてくれた。その結果、カメルーンビザはガボンで取ると51,000CFA(85ドル)、ガボンビザもブラザビルでは35,000CFA(59ドル)だと分かり、キンシャサでは取らないことにした。
ガーナビザもブラザビルではそこまで安くないので、ガボン以降で取ることにした。

上田さんは「キンシャサでは今、カビラ大統領の事実上の続投が決まり(コンゴ憲法では大統領の3選を禁止しているがカビラ大統領はそれを無視して続投を表明)、かなり情勢が不安定なので、なるべく早くコンゴから出て欲しい」と説明した。ダウンタウンは特に危険で、ひと月前にも選挙の延期に対する抗議運動がダウンタウンであり、警官が発砲し100人を越す死者を出したばかりだという。キンシャサ在住の外国人には外出しないよう各大使館から通達が出ているという。宿のあるヴィクトワール広場はまさにダウンタウンの中心だ。

上田さんはキンシャサの事情をいろいろとアドバイスしてくれ、ここでは警察も全く信用できないこと、コンゴの外務省も三ヶ月前からストライキをしていて日本大使館からコンゴ政府へのコンタクトも取れない状況なので、何かあっても助けられないことを教えてくれた。アフリカ全土の外務省の治安レベルを1枚にまとめたものをくれ、最後に「用事が済んだらなるべく早く、隣国コンゴ共和国のブラザビルへ渡ってほしい」と話した。

確かにコンゴの警官にワイロ攻撃を受けて、「日本大使館に連絡するぞ!」と言うと必ず「やってみろ」と強気な態度を取られる。もはや、日本大使館がどうこうできる状態ではないのだろう。

キンシャサではネットカフェにもwifiがなく、しかたなくキンシャサでもっとも高級なプルマンホテルのバーでビールを飲んで、wifiをつなげた。CASTER ビールの中瓶が6ドルもしたが、空調の聞いた綺麗なラウンジでネットをしながら飲むビールはうまかった。

キンシャサはコンゴ川に面してあるのに、川沿いに大統領邸などが立てられているせいで、川が見れる場所はかなり少ない。川沿いには道路もあるが、そこには軍隊が配置されていて、追い返される。本当に気のきかない町だ。その限られた川沿いの道で行ける場所からは、川の向こうにブラザビルの町が見える。こんなにすく近くに首都があるというのもコンゴだけだろう。

夕方にアッパータウンからダウンタウンへ帰国する人たちのラッシュができた。舗装された片側4車線の道に高層ビルが建つアッパータウンに住めるのは、ほんの一握りの人達だ。皆、あの暗くて汚いダウンタウンへとミニバスにギュウギュウに乗り込んでかえって行く。


ヴィクトワール広場に戻るともう真っ暗で、路上の牛肉の串焼きとビールを買って夕飯にした。これ程電気事情が悪いのに、何故かビールだけはどこでもキンキンに冷えているのは不思議だ。この蒸し暑さで飲むコンゴのビールは本当に旨い。PRIMSSKOLはサッパリとしていてこの気候には抜群の相性だ。今のところコンゴ民主で唯一のおすすめだ。








2016/OCT/31 「コンゴの荒廃ぶり」

こんなに緑が濃くなったのはいつ以来だろうか?信じられないほどの悪路をジープが蛇行しながらすすんでいる。2日間繋がることのなかったインターネットカフェの男がコンゴは今、雨季に入るところだと言っていた通り、空はグレーの雲でおおわれている。昨夜の雨の残り水が、道を更に悪くして、底の見えない茶色い水溜まりが続く。アンゴラ側が、国境まで舗装路だったのに、コンゴ民主側は酷いどころではすまないレベルだ。雨が降れば通行不能だろう。運転手とは別にもう一人の男が、深そうな水溜まりでは先行してチェックをするといったことを繰り返さねばならない。アフリカで見てきた数々の悪路がアスファルトの舗装路に見えるほどコンゴの山の中の道は悪い。

昨日は国境を越えた後、町に出て、残ったクワンザをフランに替え(レートは1クワンザが2.5フラン)、キンシャサへの車を探した。公共の交通手段はなく、もうすぐに出発するというキンシャサ行きのランクルが一台見つかったが、結局その日は天候が悪いので出発せずに、国境に泊まることになった。

夜は発電機で電気がついたが、朝は電気はなかった。コンゴ側は国境まで電気がきてないようだ。何もない小さな国境の町で朝御飯を探しに出た。昨日の夜に食べたキャッサバをすりつぶして煮て固めたマニョーキは、酸っぱくて美味しくなかったが、どうやらここではあれが主食のようで他には見当たらなかった。

7時に出発と聞いていたが、出発したのは結局午後3時。道が悪すぎて時速20km程度でしか進まない。時折倒れるんじゃと思えるほど車体が傾く。道には雨水が流れて造られた小さな渓谷のような裂け目があり、ランクルと言えど一切気が抜けない。5時間くらい走ったところで、大きめの集落で夕飯を食べた。パンと焼き鳥だ。これは旨かった。ビールも1本飲んだ。この辺りまではまだアンゴラのビールが出回っている。多分、この悪路を考えるとキンシャサからわざわざコンゴのビールを送るより、アンゴラからアンゴラのビールを送った方がはるかに楽なのだろう。とてもコンゴ側の物流がここまで伸びているとは思えない。ここにくるまで幾つもの村を通ったが、電気が通っている村は1つもなかったし、ランクル以外は走行不能だ。

8時間くらいしたときに、大きな道に合流して未舗装だが道がよくなった。そこからは2回の故障を除けば、比較的楽な道のりだった。外は真っ暗で何処を走ってるのか分からなかったが、ウトウトしていると、町の中らしき所で止まった。運転手は「着いたぞ」とかすれた声を発した。時計を見ると朝の5時だった。国境からキンシャサまで14時間もかけたことになる。地図では300kmちょっとのはずだが。35ドルは高いなとおもったが、ここまでの道を考えるとその価値は十分あるような気がした。

周りは明るくなり始めて、道を歩く人が見える。運転手達が荷物を下ろし始めた。それを道の端で眺めていると、警官が寄ってきて、パスポートを見せろと言うので、ビザを見せると「オッケーだ」と言って手のひらを出してきた。「10ドル」だと言う。なんでオッケーで10ドルなのか分からない。この10分後にも全く同じことを、今度は私服警官からされた。私服警官は運転手にも金をせがんだが、誰一人取り合わなかった。こんな早朝から立て続けにワイロ攻撃を受けるとはさすがにキンシャサは一味違う。多分私服の方は非番だが、ツーリストを見かけたのでタカりに来たのだろう。キンシャサまでも何度か車が警察のチェックポストで止められ、運転手がその度にお金を渡していた。外国人をターゲットにしてないのか、暗くて見えなかったのか、運転手がお金を払うと他には何も請求されなかったので良かった。

Mapsmeで安宿の集まるヴィクトワール広場を調べるとここから1kmほどの所なので、歩いて行くことにした。朝方少しふった雨のせいで、道は水浸しで歩きにくい。町中は大きな道以外は全て未舗装で、生活排水が流れ出たところに、雨が降り、その他、道に廃棄されたゴミや機械のオイルで道の土は異臭を発し、どす黒い色をしていた。足につくと石鹸を使わないと落とせないほどだ。そんな泥を車がはねてすぐ脇を走る。至るところにゴミを溜めた山が見える。朝方には道でゴミを焼いていて、あちこちで煙が上がっている。まさかモハメド アリがジョージ ホアマンとタイトルマッチを行ったキンシャサがこんなにも汚い町だとは思わなかった。

ヴィクトワール広場はものスゴい人混みと車で歩くのが大変なくらいだった。道路の両側は路上の物売りで溢れ、両替屋がやたらと多い。広場中央には意味不明な手のオブジェが柱の上にあり、その回りはフェンスで囲まれていた。フェンスの中にはオブジェ以外にギターを持った金色のオッサンの銅像だけが端の方にあり、何処かを眺めている。交差点には、信号の代わりなのかMade in DRCと書かれた人型ロボットが真ん中に立っていて、一方向には青、他方には赤のLEDを出しているが、こんな信号ロボットの指示は誰一人守っていない。そもそもこれだけインフラ整備が遅れた国でなぜ信号だけロボットなのか分からない。

事前に調べていたMAISON YAKIは看板もなく、見つけるのに苦労したが、何故か泊めてもらえず、別のホテルに連れていかれた。ちなみにホテルの名前はYAKIでなくYALAのようで、連れていかれたホテルはYALA2と書いてあったので、2号店といったところだろう。こちらもYALA同様に完全にラブホテルで料金にはご休憩とお宿泊の二種類があった。お宿泊は14,000フラン。1号店が11,000だったので、値切ると12,000まで落ちた。闇両替のレートだと1ドル1200フランくらいなので、だいたい10ドルということになる。キンシャサではこのへんが最安値だろう。

このYALA2に決め、荷物を部屋にいれた。部屋は狭く、ベッドのシーツが汚かったが、寝ることは出来そうだった。ラブホテルだけあり部屋にトイレシャワーは付いてたが、水が出ないので、バケツで汲んでこないといけなかった。電気もつかなかったが、夜には発電機を回すとレセプションが話した。この宿で10ドルも払うのが、かなり腹立たしかったが、アンゴラのルバンゴのホテルも10ドルでこんなだったなーと思い出した。中部アフリカは宿のクオリティがアフリカの中でも底辺だ。

厄介なのが言語で、リンガラ語かフランス語のみだし、観光客は皆無でインフォメーションなどあるはずもない。雨で荒廃した道、首都の汚さ、役人のワイロ攻撃とコンゴの荒廃ぶりは、今までのアフリカ諸国と比べても、更に酷い。















2016/OCT/30 「悪名高きコンゴ入国審査」

朝、外から聞こえる声で起きると、アウゴスト達は既に起きていた。お湯を作ってくれ、それで顔を洗って、歯を磨いた。久しぶりにぐっすり寝たので体調がよく感じる。

奥さんが、ホットミルクと食パンの朝食を用意してくれ、それを食べると出発した。今日は、ウイジェからマケーラまでバスで移動し、時間が早ければコンゴ民主へ入国、遅ければそこで1泊という感じだ。現金が残り4000しかなく、マケーラで泊まるには厳しいので、すこしだけ両替しておく事にした。アウゴストと乗り合いタクシーで両替屋へ連れていってもらい交渉したが、1ドル400クワンザにしかならないので、20ドルだけ替えた。そこからさらに乗り合いタクシーでバス会社へいき、人が集まるのを待った。

アウゴストと一緒にサンドイッチとジュースを飲んでから、お礼とお別れを告げてバスに乗り込んだ。バスといっても、ハイエースだ。まー小さい分待ち時間はすくなく、40分もすると出発した。

道は整備されていて、5時間くらいでマケーラに着いた。着くなり壮絶な客引き合戦が始まり、なんとか満員寸前のハイエースに乗ることができて、滞在は30秒とかからなかった。ただし、ここまでのバスが2500クワンザとこっから国境までが500クワンザなので、今朝両替したクワンザは丸々残ることになってしまった。これは、アンゴラの9日間の滞在でかかった費用が、ナミビアドルから両替した1万円程度で済んでしまったことを意味する。アフリカのなかでもスーダン並みの出費の低さだ。

国境はマケーラから30キロほど離れた所にあり、国境の向こうにはコンゴ民主の
キンバラという町がある。ここは悪名高いコンゴの国境。気を引き閉めなければならない。

まず、アンゴラのイミグレに行く、小屋の窓口に列ができていた。何故か現地人はお金を払っている。ワイロを払わないといけないのか?と思ったが、通りがかった職員が中に入れてくれ、アンゴラ人を待たせて優先的に審査をしてくれた。勿論ワイロ請求もなく。しきりに、上司が部下に「ツーリスト、ツーリスト」と急かしている。税関もほぼノーチェック。ただ、ゲートから緩衝地帯に出ようとすると兵士が「1000クワンザ」と立ちはだかった。「もうキャッシュはないよ」と言うが、道を開けない。どうしようかと思ったが、イミグレ職員が警備に道を開けるように話して、無事出国完了。

50m歩くと別のゲートがあり、すぐ横にイミグレの小屋があった。こっちは全てのスタッフが金出せオーラを出していて、いつ来るか?と構えているとまず、名前やら生年月日を質問して、それを用紙に記入した女性が、書類を書き終えた所で手のひらを出して「10ドル」と言った。「何でだよ」と言うと「代筆してもらうと皆払うんだ」と言うので、「そもそも、お前がこっちの言ったことを聞き取れないから、殆ど自分で書いたじゃんか」とツッコミ、さらに「高いビザ代払ったんだから、他は金取るな」と言うと終わった。暫く待たされてから、チーフと面接。このチーフは英語は話さないが、すごく丁寧でワイロのワの字もでなかった。そして、部下に必要書類を書くように告げて、別室へ移動。その部下は机に座るなり「20ドル」と言い出した。なんだこの隙あらば的な、散発的なワイロ請求は。払わないと突っぱねると「ビザとは別に入国に金がかかるんだ」と見え透いたウソを言うので「コンゴ民主のビザがいくらか知ってるのか?110ドルだぞ!それ払ってここにきてんだよ!」と言うと諦めた。その後はビールを買ってくれとしつこかったが全て無視。作った書類は、また別の人に渡り、そこで軽い賄賂請求をかわして無事に入国スタンプが押された。

そのあと税関へ行き、荷物を全て出して調べられ、続いて黄熱病のワクチン接種証明のチェックがあり、終わったーと安心していると、別の小屋からコッチヘ来いとお呼びがかかった。これが想像以上の時間を費やされた。ボロい机に座ったおじさんが、色々質問してきて、言葉が通じないので、英語ができる人が呼ばれた。おじさんは南アフリカでビザを取ったのに、ナミビア、アンゴラを経由して入国したのが問題だと言い出した。本来なら南アから飛行機で入国しなければならないと話した。そんなこと聞いたことがない。ビザ申請で旅程まで提出してるのに今さらそれはない。しかもパスポートには入国スタンプが押されたのに、彼が文句言ってそれをひっくり返せるとは思えない。これは一体なんの為の面接だ?

ところがおじさんはしだいに怒りだし、時間が経ってもいっこうに収まらず、終いにはさっき入国スタンプをおしてくれた職員が呼ばれてイスに座らされた。おいおい、まさか今さらダメでしたはないよなーと心配していると、英語の通訳が、おじさんの言ったことを訳した。それは「あなたはこの問題をお金で解決する気はありますか?」だった。「しねーよ!なんで金なんだよ!ワイロ請求にしたって前置きが長すぎだよ」と怒ると皆黙ってしまった。


そしてなにやら身内話を始め、最後は「今回は特別に入国」となった。おじさんは部下の一人にパスポートを渡し、ビザの内容を書き写すように指示をした。だが、おじさんの指差したページは隣国コンゴ共和国のものでコンゴ民主共和国のものではない。この部下も言われた通りに隣国コンゴ共和国のビザの内容を写している。ほとんどコメディだ。何はともあれ国境を渡ってから2時間を要した入国審査はこうして幕を閉じた。








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