2015/JUL/17 「リーフとプリウス」

クアラルンプールで再会を果たしたシェリーからアダムスピークという山があると勧められた。

どうも彼女たちはすこし誤解をしているふしがある。彼女たちに会ったのはインド、シッキムでカンチェンジェンガ・トレッキングに行ったときで、最後のカンチェンジェンガを見る峠まで登る手前の山小屋だった。彼女たちのパーティーとこちらのパーティーが同じ小屋で夕飯を作って食べた。峠は標高5000mくらいでそれまでにほとんどの人が体調を悪くしていたなか、ネパールでアンナプルナ内院、カラパタール、ゴーキュピークとトレッキングをしまくった直後で高度順応していたので誰よりも早く登り、戻ってきたのを見て彼女たちはとても驚いていたのを覚えている。その記憶があるので、彼女達はきっとすごい体力があり、山があれば登る人だと思っているようだ。山は好きだが山登りだけしてるわけではないし、あのときほどの体力はない。


そうはいっても勧められると気になるので調べてみるとキャンデーから南海岸のゴールに行く途中にあるようなので寄ってみることにした。

キャンディーから電車でハットンまで向かう。キャンディーは丘陵地帯で電車はさらに標高を上げていった。車窓からは斜面を覆い尽くす茶畑が見える。壮観だ。電車は3時間くらいでハットン駅に着いた。小さな駅で外にでると何もなったが、すぐにスリーウェラーの運ちゃんが寄ってきた。「デルハウスへのバスは?」と聞くと「今は巡礼期でないから無い」といい、「デルハウスまで2000Rsだ」と言う。駅構内に戻り、駅のスタッフに聞くと確かに巡礼期のバスは今は無いが、乗り換えればデルハウスまでバスで行けるらしい。駅から出ると今度は「バス停まで100でどうだ?」とスリーウェラーの運ちゃんたちは言葉を変えてきた。「もういいよ」と言ってバス停へ歩く。


デルハウスまでのバスは景色がよい山道を登り、ダムを過ぎて車道の行き止まりで折り返して止まった。雨が降っていたがゴアのジャケットを羽織って、調べてあった宿へ早足で駆け込んだ。

宿の奥さんは最初1200Rsと言ったが、すぐに1000Rsになった。客は他にはいなく、主人はレセプションのPCで車の画像に見入っている。パスポートを見せて日本人だとわかるとちょっと見てくれとなにやらパンフレットを持ってきた。自動車ディーラーのチラシのようでいろいろな車と値段が載っている。


「日産のリーフが欲しいんだ。スリランカはガソリンが高く、毎日娘を学校まで送るのにかなりお金がかかっている」という。「こんな山の中で電気自動車に乗っても充電する場所ないだろう」というと「日本ではみんな乗ってるんじゃないのか?」というので「だれも乗ってないよ」というと意外そうな顔をした。

「スリランカ政府は電気自動車を推奨してて、電気自動車は税金が安く設定されているので安いんだ」という。 「動画がすごいんだ。動画を見よう」といいPCで検索を始めた。だが山の中のネット速度はすこぶる遅く、動画は静止画のまま動かない。

「こんな山奥でリーフに乗ってもパワーが足りないし、電機スタンドができるまでにあと50年はかかるよ」と言うと「じゃー何がいいと思う?」と聞いてきた。特に車に詳しくもなく答えに困ったので「プリウスでいいんじゃない」と目を合わせずに答えた。彼はとても感謝して、「ありがとう」と言ってネットでまた画像を探し始めた。

明日は晴れてくれないかなーと日が落ち始めた窓の外をみたが、あまり期待はもてそうになかった。





2015/JUL/18 「アダムスピーク」

3時に起きたが外は雨だった。日の出はないなと思い、ベッドに戻る。7時に再度起きた。雨は止んでいる。ようし登るぞ!と思い着替えて外へ出た。

通りには誰もいないのでひとり、アダムスピークの参道へあるいていく。今は巡礼シーズンでないので基本的にローカルは登らないらしい。天気が怪しそうなので早歩きで登る。1時間くらい行ったとこで茶屋があったのでチャイとサモサのようなもので朝食をとった。

再び歩き始め、橋が見えたところで僧侶がなにやら呼んでいるのに気がついた。近寄ると手首に黄色い紐を巻いてきて、なにやら念仏のようなものを唱えた。そしてドネーションと言う。インドにたくさんいるやつだ!と思ったが100Rsあげる。スリランカは仏教国だから違うと思ったが、インドとそう変わらない。


そこからは急なのぼりになり、上に登るにつれ風がどんどん強くなった。途中インド人の3人組を追い越した。お腹の出た若い3人は本当に辛そうだった。そこから1時間くらい登ると建物らしきものが見えてきた。どうやらそこが山頂のようだ。近くに寄ると、建物影に7,8人の欧米人の若者がいた。建物はお茶屋のはずだが閉まっていた。かなりの強風で雨も降り出していた。建物の先には鉄の柵があり、その先がピークで仏像が祭られているっぽかった。欧米人に「入らないのか?」と聞くと首を横に振った。そこから先は靴を脱ぐ必要があり、なにも遮るもののないピークは暴風雨の様だった。


ここまで来て入らないのもと思い、靴を脱いで柵の先へすすむ。大理石でできた床は雨で濡れ、強風で煽られて滑りそうだ。そして容赦ない風が襲い続ける。奥に階段があり、その上に屋根がかかっていたのでそこに入る。壁には大きな扉があり閉められていた。たぶんここに仏像かなにかがあるのだろう。とりあえず長居は危ないと思いすぐに引き返した。塗れた足をタオルで拭いて急いで靴を履いた。振り返ると風がうなり声をあげている。まるで巡礼時期を守らないツーリストに怒っている様だ。やはり聖地は巡礼期にこないとダメだなと思った。


帰りはくだりを走って駆け下りた。途中別の場所でまた僧侶が呼び止めてきたが、手首の紐を見せて「もうあるから大丈夫」といって走りすぎた。

宿に戻ると宿の主人が出迎えてくれた。「どうだった?」と聞くので「暴風雨でなにも見えなかったよ」と答えた。それからシャワーを浴びて、出発の準備をしてレセプションに荷物をはこんだ。ちょうどいい時間にバスもあるようだ。宿の主人に「新車はどうなった?」と聞くと「トヨタのパッソにしたよ」と答えた。リーフでもプリウスでもない軽自動車だ。昨日のやり取りはナンだったんだと思ったが、「いいんじゃない」とだけ答えると主人は上機嫌そうだった。


2015/JUL/15 「ブッタの歯」

スリランカのもっとも重要な仏跡はアヌダーダプラの菩提樹とキャンディーの仏歯寺だろう。両者ともホントかなーというところはあるが、スリランカ人はまったく疑わない。
アルメニア、イエルバンにあるノアの箱舟の破片に比べれば、はるかに信憑性はあるが、とりあえず見てみないことにはとキャンディーに着いてすぐに仏歯寺へ向かった。

仏歯寺にはその名の通り仏陀の歯が祀られている。仏陀の死体が焼かれた際に隠してスリランカに持ち込んだという話だ。 仏陀の遺骨はそれが元で国家間の争いが起きるほどもめた末に8つの国に分けて譲渡されたと聞く。そんな中、歯を持ち帰ることなどできるのだろうか?

仏歯寺は敷地へ入るのにセキュリティーチェックがあり、仰々しい。寺の横で入場料を払って、靴を預けて中へ入る。お寺は増築がなされたようで、中央に古そうな建物があり、それを囲むように別の年代の建物が建てられていた。中央の建物に仏陀の歯は収められてるようで、2階に上がり、古い建物と連結された通路のような空間に巡礼者はきて、仏歯が納められた建物の扉へ巡礼していた。この扉は1日に3回プージャのときに開くという。あと1時間で3回目のプージャらしいので扉の前で待つことにした。

床に座って後ろの壁によりかかりスリランカ人巡礼者と一緒に待っていると、どんどん人が増えてきて、扉の前には欧米人と中国人で埋め尽くされてしまった。下の階から銅鑼が鳴り始めて、なにやら始まりそうだ。さらに人は増えて、部屋中に熱気がこもり始めた。なにやら別の列が壁沿いにできていて、その列の人は大きな供え物をもっている。まだ扉は閉まったままだが、その列の人達は扉の建物の中へ横から入っていく、彼らは奥まで行けるようだ。

すると、仏歯のある扉が開いた。欧米人、中国人は押し合いへし合いなんとか扉の前に行こうとする。ガイドと来ている観光客はガイドがなんとか仏歯を見せようと、ぐいぐい中へ入りこむのでたちが悪い。最初からいたローカルは完全に追いやられてしたっている。欧米人と中国人はケイタイで写真を撮ろうと必死でまったくゆずらない。大変なことになってるなーと後ろから扉の正面に立ち背伸びをして、扉の中を見ると。だいぶ奥に金色のコーン型の装飾されたものが見えた。「え?これ?」と思ったがすぐに横から欧米人に押されて出口のほうへ追いやられた。どうやら仏歯は通常入れ物に入っていて、見れるのは入れ物までらしい。


振り返ると扉は閉じられて、ハイここまでーという感じで、見れなかった人が肩を落としていた。扉があいてたのはものの10分程度だ。どうせ入れ物しか見れないなら、来た人全員にゆっくり見せてあげればいいのにと思いながら、お寺の参道を歩いて出口へ向かった。

日が落ちた後のライトアップされた仏歯寺は威厳が漂っていた。






2015/JUL/14 「シーギリアロック」

素泊まり13000円でAgodaで予約したカンダラマホテルは感動のあまり夕食、朝食をホテルで食べてしまったので18000円と結構高くついた。

来たときのスリーウィラーの運ちゃんに9時に迎えに来るように伝えていたので、レセプションで待っていると時間通りにスリーウィラーがタッタッタッタと軽い音をさせながら車寄せへの坂を登ってきた。運ちゃんは「どうだった?」と聞くので「最高のホテルだよ」と答えた。彼は値段交渉をするときにカンダラマに宿泊すると言っても信じずに「往復で1000Rsで待ち時間は1時間だ」としきりに往復での料金を言ってきて、なかなか信じてもらえなかった。

ホテルから町へもどり、今度はタンブッラの町中の安宿で降ろしてもらった。とりあえず溜まっていた洗濯物を洗い、持っていたパイナップル(大)を切って食べた。そして一休みしてからシーギリアへと向かった。

シーギリアにはシーギリアロックという巨大な岩があり、ぜひ見てみたいと以前から思っていた場所だ。

バスが近づくにつれシーギリアロックはバスの中からも見えてきた。相変わらず外はひどい暑さだったが、ここへは昔からきたいと思っていたのでテンションが上がる。さっそくチケットオフィスまで歩いて行き、入場料をしらべる。「Foreigner Adult-3980RS」と書いてある。ここまでの2時間のバス代が35Rsなのに、その100倍以上だ。なんて強気な外国人料金なんだと思ったが、しぶしぶ払う。

シーギリアはシーギリアロックの下も堀で囲まれた遺跡になっていて意外に広い。下から見るとどうやって登るんだと思える岩山は登ってみるとそうでもなく意外と簡単に頂上にたどり着いた。頂上の宮殿跡は建物こそ残ってないが、こんなとこによく王宮を建てたなーとしばらくの間ひたるには十分な景色が広がっていた。周りは見渡す限りのジャングルで今歩いてきた参道がジャングルの中に見える。風が強いが心地よい。

この宮殿遺跡は周りに高台がないので遠くから見る事はできないのが残念だ。もしシーギリアロックの全景とともに王宮も見れたら、きっとマチュピチュを凌駕する壮大な景色になったであろう。ナスカの地上絵のようにそれを見るためだけに大きな展望台が将来建てられるかもしれないが、今は絵葉書にある空撮されたシーギリアロックの写真で十分な気もする。





2015/JUL/13 「カンダラマ」

スリランカは本当に観光立国だ。仏教遺跡のあるアヌダーダプラ、ダンブッラなどは観光客だらけですこし嫌気がさしてきた。遺跡自体は見ごたえのあるものでアヌダーダプラにはブッダガヤで仏陀が悟りを開いた際にその下で瞑想していたという菩提樹の分木が植樹されてある。本当ならとても貴重なものだ。

スリランカに来る前からバワのホテルのうちいくつか泊ってみようと思っていた。ただし、値段も巨匠なのでいくつかを選んで泊ろうと考えていた。バワの建築には実は詳しくないので知っていたのはカンダラマホテルくらいだった。そのカンダラマホテルはタンブッラの街から10キロのカンダラマ湖のほとりに建てられていた。

タンブッラの岩窟寺院を見終わった後に昼食を食べてから、スリーウィーラー*と交渉して片道500ルピーでカンダラマホテルへ行ってもらった。未舗装の赤茶色の土の道を走ること20分、左に湖が見えてきた。右はジャングルとその後ろには岩山が見える。なかなかの自然だ。

車寄せにスリーウィーラーで横付けして、バックパックを背負って下りる。ここの宿泊者でスリーウィラーで来る人はいないようで、かなりはずかしい。レセプションのバックパックを背負った汚い格好の旅行者を見る目はとても冷たい。だが、予約が確認できると丁寧な対応でボーイがバックパックを部屋まで運んでくれた。


建物は岩山に擦り付くように建てられた片廊下のボリュームで客室はすべて岩山と反対側のカンダラマ湖を見下ろしていた。廊下は半外部で岩山との間には十分なスペースがあり菩提樹や大きな岩からなるダイナミックなランドスケープをつくり、廊下には岩がところどころ入り込んでいた。ボーイによるとこの建物は全長1kmくらいあるそうだ。これはインド、カラグプルにある世界一長い鉄道駅のホームやベネズエラ、ギアナ高地の世界一高い落差の滝エンジェルフォールと同じくらいだから驚きだ。


部屋はスタンダードなのでバスタブはなかったのが残念だったが、ところどころバワらしい個性を見て取れた。


カンダラマは外部の地形、自然の取り入れ方が絶妙で建物自体は張り出た水平スラブと箱だが、自然との調和が高いレベルで成し遂げている。これは自然との調和を謳った、ぐにょぐにょした建築とは対照的で、建物を曲げて緑化しても自然にはならないと物語っているようだ。不自然な自然を作るのではなく、建物と自然の境界を消すということに専心している。

岩の露出したエントランス、緑に埋もれるファアード、湖へ消えるプールエッジなどすべてが高い完成度を持っている。それらはすべての配置がとても良く考えられいる結果だと思った。バワは設計を始めるときにヘリで敷地を散策したらしい。それを聞いて納得するくらい良く計画されたホテルだ。それに増して周りには圧倒的な自然があり、湖のほとりで像が水浴びをしていたりする。部屋の窓を開けているとサルが何匹も入ってきて危ないくらいだ。廊下型のホテルでこんなにすばらしいものはちょっと思い出せなかった。


唯一、バワお気に入りアーティストによる巨大な安っぽいコンクリート製コブラが外部ラウンジ脇に置かれ、内部を見つめているのは理解不能だった。

*自分でググりましょう。








2015/JUL/11 「巨匠コーヒー」

スリランカは予想以上に観光客の多い国だ。空港に着くとロビーは観光客で溢れかえっていた。
50%がヨーロピアンで40%は中国人で残りが10%という感じだ。中国人はバックパックを背負った若者も大勢いたが、やはりなぜか中国人だと一目でわかるのがかわいそうだった。

空港からのバスがコロンボの市内へ着くと、バザール近くに停まったようで、いきなりすごい人ごみで圧倒される。フルーツや香辛料の屋台がところ狭しと並び、人が人を押し合うように細い路地を進んでいく。スリランカ人は見た目も南インド人と変わらないのでぱっと見、完全にインドだ。いいところなのかなーと宿までの道を歩きながら期待がふくらんだ。


中古で買った6年前のガイドブックがあるので、それに載ってる一番安いYMCAに向かった。


250Rs と書いてあったドミトリーは1500ルピーに値上がりしていた。6年で6倍は激しいなと思ったが、他も値上がりしてるだろうし、ここより安い宿はないだろうから早々にチェックインした。コロンボは相当な暑さでバックパックを背負って歩くと汗が一瞬で噴き出してくる。宿はなるべく1件目できめないと大変なことになるなと不安になる。


ここのYMCAは古い大きな銀行か郵便局のような建物を改装したもので、エントランスはかなり立派で、半外部の廊下に囲まれた中庭もある。スリランカのYMCAは単に宿泊施設というだけでなく、いろいろな活動もしていて毎日何かの市民向けのレッスンがあるようだ。いろいろなレッスンのチラシが張ってあり、筋肉ムキムキのヒゲのスリランカ人が道着をきて、大きく合気道と書いてあるものもあった。


1階に床屋があったので、久しぶりに髪を切った。5分で完了。150ルピー。安い。床屋で大切なのは停電がないことだ。インドネシアのラブアンバジョーの床屋で切ってる途中に停電になり、そのまま椅子に座ったまま30分待った経験がある。地元の人は慣れてるようで隣で散髪してるおじさんは停電中ピクリとも動かず、鏡を凝視していた。あれはなかなか嫌なものだ。ここは大丈夫なようで、Wifiも入るし、カフェも併設されている。値段は安くないがそんなに悪い宿ではないのかもと思った。


腹が減ったので来る道にあった食堂でメシを食べに出る。チキンビリヤニ*があったのでそれを頼むとインドと違って、ビリヤニ*とチキンカレーが出てきた。一口食べるとあまりにスパイスが効いててきつい。インドのビリヤニより全然辛いし、しょっぱい。そして大量だ。まいったなーと思い、コーラを頼んで中和しながらどんどんかき込む。とりあえずお腹は膨れた。値段は30040Rs。高い。宿も食事もスリランカはそんなに安い国ではないようだ。


疲れていたが帰って20人部屋のドミで、今から寝る気にはならなかったので、とりあえずジェフリー・バワの建てたお寺と彼のスタジオを改装したカフェに行くことにした。


お寺はどうでもいいものだったが、カフェのほうは、とても洗練された空間で巨匠のセンスの良さが感じられた。中庭を見ながら飲むコーヒーは格別で600ルピーと値段も巨匠だった。

*自分でググりましょう。




2015/JUL/10 「再会」

この旅の最初のほうで登ったキナバル山はその後、地震に襲われた。登ったほんの10日くらい後でニュースをみてびっくりした。有名なロバの耳と呼ばれる岩は片方崩れてしまったらしい。別の呼び名が与えられるのだろうか?

FaceBookで登頂したことを知った、前回の旅のシッキムトレッキングで会ったマレーシア人のシェリーからメッセージが来ていた。「キナバル山に登ったのか!地震の前で運が良かったね。KLに来ることがあれば知らせてくれ」。 トレッキングの山小屋でしか会ってなく、ずいぶん時間もたっていたのでためらったが「KLにトランジットで1泊する」と書くと、会ってご飯でも食べようとすぐに返信があった。空港まで迎えに来てくれるというが、さすがに顔も思い出せないので失礼なことにならないか心配だった。

目が合う人にはすべて笑顔を向け、誰がその人でも大丈夫なように360度備えて約束の店の前へ行った。店の前にいた女性の一人がこちらを二度見したので、この人かと思い近づくと向こうも「あなただよね?」と聞いてきた。想像していた人とはまったく違ったが、店から出てきた旦那のC.Pのほうは見覚えがあり「あーあなたたちかー!」と思い出すことができた。5年前に会ったときはすこし年上かと思っていたが、どうやらひとまわりは違うように見えた。


夕食には早かったので彼らは「有名な洞窟の中のヒンドゥー寺院があるので、そこを見に行こう」と提案してくれた。


洞窟は長い階段を上がった先にあり、思った以上にいいところだった。洞窟は大きく、その奥にヒンドゥー寺院があり、半裸のインド人の神官らしき男たちがいた。それらはインドで見るのと変わらず、久しぶりに見るヒンドゥー寺院はやっぱりインパクトあるなーと懐かしく思えた。


階段を下るともういい時間になっていたので、外のインド料理屋で夕飯をご馳走になった。彼らは彼らの家に泊ればいいと言ってくれたが、ちょっと気をつかうなと思い安宿のある中華街まで送ってもらった。


まさか5年前のトレッキングであったシェリーとC.Pにまたこうして会うとは思ってもなかった。キナバル山に登らなければ再び連絡を取って会うこともなかったかも知れない。別れる時にまた会うかもなーと思った。


ずいぶん久しぶりのKLは宿も安く、便利で旅しやすく感じた。早速、密輸入ビールとフルーツを買いに行き、久しぶりにマンゴーを食べながらビールを3缶開けた。明日はいよいよスリランカだ。



2015/JUL/9 「オペラハウス」

今まで85カ国以上は旅してきたが、何故かオーストラリアは来たことがなかった。ハワイもそうだがあまりに日本人が行くところはどうも気が進まなかった。オーストラリアも特に目的はなかったがせっかく来たのだからシドニーのオペラハウスくらいは見ておこうと思い、格安航空券を探してシドニーにたどり着いた。

昨夜、宿に着いたのはすでに深夜12時をまわっていたので寝る以外には何もできなかった。朝起きてダイニングに降りると多くの欧米人が朝食を作って食べていた。宿の客はほとんど欧米人で1割くらい中国人がいた。ブリスベンもそうだったが、欧米人の大半はワーキングホリデーの若者で、仕事を探していたり、すでに働いている人もいてバックパッカーはほとんどいない。オーストラリアはたぶん世界一簡単にワーホリのVISAが取れて、パイナップル刈りや農場などの肉体労働がたくさんあり、それらはオーストラリア人は嫌がりもうやらないので移住してきた外人かワーホリの若者がやる仕事として定着していた。わざわざヨーロッパから来て、何故オーストラリア人が嫌がる仕事をして1年を過ごすのか理解しがたいが、ブリスベンもシドニーも町としてはとてもきれいでコンパクトに計画された良い街だと思った。両都市とも水のある環境で親水空間の整備は日本のそれよりもはるかに良かった。基本的にはイギリスに倣った町並みだが、イギリスより気候もよく、清潔感のある街で永く住むならロンドンよりシドニーかなと思えた。なによりオーストラリアにはイギリスにはない自然がいろいろとそろっている。

宿はすこし遠い場所にあったが歩いてオペラハウスまで行くことにした。途中ハーバーブリッジがオペラハウスの後ろに見えるビューポイントに行き、そこからさらに水際を歩いてオペラハウスまで行った。オペラハウスは近くで見ると外壁の平凡なタイル貼りや大きな目地とRCシェルの施工精度や端部の厚みなどガッカリするところが多かった。そもそも写真で見るように真っ白ではなかった。ただ、シティースケープとしてのオペラハウスはすばらしく、十二分にシドニーの水際の景観を高めていると思った。



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