ラベル マダガスカル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル マダガスカル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016/AUG/31 「続続続アフリカで一番の海」

話に聞くノシベのビーチは言うほど綺麗ではなかった。沖に行けば水も綺麗なんだろうが、ビーチは海藻と落ち葉が波打ち際に黒く押し寄せられ、砂も火山性のため茶色かった。

ノシベでは色々なアクティビティがあり、今の時期ならクジラも見に行くことができる。それ以外にも近くの島へ行くシュノーケリングツアーやダイビングと1週間は遊んで過ごすのに退屈しない。

エジプト以降、全く潜ってないので、まずダイビングは外せないし、クジラも見てみたかった。あと、アンドリンギチャトレッキングで会った二年マダガスカルに住んでいるフランス人が「ノシイランジャへ絶対行け」と行っていたので、そこも行こうと思っていた。

だが、よく計算すると帰りも24時間の移動があり、9/4のモーリシャス行きフライトに乗るには、ここを9/2の朝に出なければならない。それでもタナに着くのは9/3の夕方だろう。マダガスカルの旅は移動でかなりの時間を失う。もっとノシベでゆっくりしたかったが、4泊しか出来ない計算だ。

着いた日は疲れて、飯を食べ、ビールを飲んで寝てしまい、昨日は洗濯して、ビーチを歩き、レストランやバーを見て終わってしまった。何処かへ行くなら今日と明日だ。

クジラは迷ったが、多分長い時間船に乗って、沖でクジラが跳ねるのを見て帰ってくるのだろうと考えると、そこまででもないなと切ることにした。今日はノシイランジャへ行き、明日はダイビングだ。

宿のあるノシベのアンバトロアカには細いメインストリートがあり、旅行代理店がたくさんある。昨日、幾つか回って値段を調べ、90,000アリアリで声をかけてきた所を85,000アリアリで申し込んだ。値段表にはノシイランジャ120,000アリアリと書いてある。この金額を払う旅行者は悲惨だ。

8:30
にビーチに来いと言われ、行ってみるとそれっぽいボートが二台とたくさんの人が待っていた。これかなーと思ったが、聞くと、別のツアーで30分ほどすると2つのボートは人を乗せて出発してしまった。代理店へ聞きに行くと、ビーチで待ての一点張り。他に待ってる人もいないのでかなり不安になる。

9
時過ぎにようやくスタッフが来て、そこから北へ歩いて向かった。すると、そこにはボートが沢山とまっていて、浜辺には大量の旅行者が乗船待ちをしている。「おーここか。良かった」と思ったが、次々と船に乗り込んで出発していく旅行者を横目に、さらに30分以上待たされる。スタッフに大丈夫か?と聞くと、「あれがうちの船だ」と指差した。その先にはあれは釣りに行くやつでしょ的な明らかに他よりも見劣りする船が並みに揺られていた。この辺が値段の差なのだろう。

うちらの船は一番最後に浜辺を出発した。ビーチから50メートルも行くと水が綺麗でシュノーケリング出来そうだ。飛び込んだら気持ちいいだろうな。が、ノシイランジャはこんなものではないはずだ。

ノシベを出て、一時間半が経ったかと思われること前に2つの島が見えた。左の方はビーチが見える。ボートが近づくと2つの島の間を真っ白なビーチが繋いでいるのが分かった。このビーチが引き潮の時に現れる2つの島を結ぶ道だ。ビーチにはパラソルと人が歩いているのが見える。ビーチに近づくと驚くほど水が透明なのが分かった。一気にテンションが上がる。船長の合図で皆、船から水に入り、歩いて浜辺に上がら。波も少なく真っ白な砂と透明な水がただただ眩しい。白い砂浜に上がるとその裏にも同じく、白からブルーへのグラデーションが広がる。こちら側の方が遠浅で、色が素晴らしい。白い砂の橋を小さい方の島に向かって歩くことにした。

両側にエメラルドのビーチをもった砂浜はくねりながら、小さな島まで伸びている。こんなに美しいビーチはアフリカで始めてだ。驚くことに大きい方の島には村があり、2000人もの村人が住んでいる。驚くべき綺麗なビーチは世界に沢山あるだろうが、ボートで日帰りで行ったりする無人島や、引き潮の時に顔を出す砂地だったりだ。人が住んでいる島のビーチで、こんなに綺麗なビーチは見たことがない。ここはアフリカで一番のビーチかも知れない。




















2016/AUG/29 「悲しみを越えて」

アンドリンギチャでトレッキングを終え、そのまま夜行タクシーブルースでタナに着いた。着いたときはまだ真っ暗闇。真っ暗の中、数百は止まっているタクシーブルースの間を縫って、ターミナルの外に出た。昨夜はひどい寒さで、窓際の席だったため、すきま風で冷えきってしまった。ダウンとゴアジャケットで乗り越えれると思っていたが、寝袋を出すべきだった。身体を暖めるためにコーヒー屋台を捜して歩くと、すぐにタクシーの客引きが寄ってきた。北部へ向かうタクシーブルースが発着するターミナルまで聞くと、25,000アリアリ(825円)だと言う。「15,000でどうか」と言うと「オッケーだ」といって、バックパックを担いで車に案内したが、その車には他にも客が乗っていて、シェアタクシーだった。「それなら10,000だろ」と言うと、「無理だ無理だ」と言い、他の客を捕まえに行ってしまった。車の外で待っていると次々と客引きが来るので、10,000で声を掛けると、一人だけオッケーする男がいた。マダガスカルではタクシーにはまだ乗ってないので、値段の相場が分からないが、これ以上ということは無いだろう。

北部ターミナルは通りの両側に沢山タクシーブルースのオフィスが並んでいるだけだった。通りには食べ物やコーヒー屋台があり、チケットを買ってから、朝食にした。次なる目的地のノシベに行くためにアンバジャとい所まで行って、別のタクシーブルースに乗り換え、さらに船に乗らなければならない。15時間と言っていたが、20時間といったところか。アンバジャ行きのタクシーブルースは午後1時発で、値段は60,000を値切って50,000アリアリだった。

昨日からの疲労と、3日間のトレッキング前からずっとシャワーを浴びてないので、ホットシャワーを浴びて、横になりたかった。近くのホテルで、クリーナーにチップを握らせシャワーを使わせてもらった。ホットと言ったのにギリギリ浴びれるくらいの温度でよけいに体調が悪くなってきた。そのあとは取り合えず、色々なものを食べ、ビタミン剤と風邪薬を飲んで、プレミアリーグの衛星放送の入るレストランで休んだ。

時間通りには出ないと思ったが、出たのは夕方4時だった。二列目を予約したのに、何故か3列目の中央右で、左には無口な歳のいったオジさんが座っていた。逆となりにはウォッカの瓶を手に持ったすでに出来上がったノリノリのオッサンだ。まーいいかと、取り合えず寝ることに専念した。気が付くと4時間くらいは経っていて、そろそろ飯かなーと遠くを眺めていると、左のおじさんが、いきなり「ヴーーー」と声を挙げ、両手を広げてプルプルさせた。運ちゃん含め、皆ビックリして、おじさんを見たが、そのあとおじさんは前のシートに顔を持たれて、動かなくなってしまった。「大丈夫か?」と声を掛けて、顔を上げさせると、後ろのシートに持たれて、斜め上を向いて目を閉じて、苦しそうな表情で「スーースーー」と寝息のようなものが聞こえた。逆隣のノリノリのオッサンが、「こいつ酔っぱらってるんだ」と言い、おじさんの顔に水を掛け出した。「何てことするんだ」と思ったが、何の反応もないので、運ちゃんに「車を走らせろ」と指事し、運ちゃんも車を走らせた。15分くらいして、村に差し掛かったときに車を止め、運ちゃんが医者を連れてきた。医者だという男が聴診器を片手に車にやって来たが、とても医者には見えなかった。男はおじさんに話しかけたり、頬っぺたを叩いたりしたあとに聴診器を胸にあて、手首の脈を調べた。そして、その医者は「もう亡くなってる」と告げた。皆ビックリして一気に車を降りた。ノリノリのオッサンはばつの悪そうな顔をしている。きっとさっきの叫びが心臓発作だったのだろう。

問題はおじさんは一人でタクシーブルースに乗っていて、誰だか分からない。財布や身分証的なものもない。唯一おじさんが握りしめていた携帯が手掛かりで、運ちゃんが、着信履歴から幾つか履歴発信して、親族を探しだした。さらに警察を呼び、事情説明をするとなんとタナへ戻れと言う。それには皆、かなり落胆した。警察の指示だし、運ちゃんは帰ると言うのでしょうがない。おじさんの遺体は起こしておくのも安定しないので、3列目全てを使って寝かせることにした。満席のタクシーブルースはさらに四人分詰めて乗ることになり、元来た道をタナへ向けて走り始めた。ギュウギュウの車内で3列目だけおじさん一人が寝るという不均一な密度のなか、誰一人口を開かなかった。

一時間位走ったところで、警察のチェックポストがあり止められた。死体を運んでいて警察に止められるといのは、良くない予感がする。運ちゃんが説明をする。すると警察はタナではなく、この先の町の病院まで搬送すれば、あとは病院がタナまで搬送すると言った。皆、タナまで戻らないで良かったと、声を出さずに安堵の息を吐いた。

病院に着くと、乗っていた男達でおじさんをストレッチャーに乗せ、中まで運んだ。手伝った一人の奥さんが、これで手を洗えと車の中からペットボトルの水を掛けて、他の男たちも一応洗っておこうかと手を流した。特に汚い物に触ったわけではないが、それなら俺もと一緒に手を洗った。

おじさんが声を挙げた時に心臓マッサージをすれば、助かったのだろうか?医者でもない限りその判断をあの場ですることは出来ないだろう。こんなときに建築家は役に立たないなーとアンバジャへ向け再出発した車のなかでずっと考えた。家族にも看取られず、タクシーブルースの中で心臓発作をおこし、酔っぱらいと思われ水をかけられて死ぬのは、あまりに不憫だ。旅を続け、いつか自分もこんな死に方をする可能性もなきにしもあらずだなと考えたりした。

その後もおじさんに水を掛けたオッサンは、アンバジャからのシェアタクシー、船、港からホテルまでのシェアタクシーとホテルの前まですべて面倒を見てくれた。飲みかけのウォッカのボトルは、それから別れるまで減ることはなかった。おじさんも懺悔の気持ちで人に優しくせずにはいられなかったのかも知れない。



2016/AUG/27 「下山後のハーフマラソン」

アンドリンギチャ最終日はタクシーブルースでアンバラバオに帰らなければならない。今日は市の立つ日なので、タクシーブルースは何本もあると言うので、少しは安心だ。ただし、出来れば今日、アンバラバオに着いたらそのままタナへのタクシーブルースに乗りたい。その為に昨日ガイドにJBに電話してタクシーブルースの予約をするよう頼んであった。このタクシーブルースは夕方4~6時に出発するので、それまでにアンバラバオに帰る必要がある。タクシーブルースが出ている村からアンバラバオまでは二時間。予定では今日は六時間のトレッキングだから6時に出れば12時に着ける計算で、何もなければ2時半には着けそうだ。ただし、チュニスと昨日発狂したフランス人の女の子次第だろう。

5
時半に朝食をとり、時間通り6時にキャンプサイトを出た。しばらくは平らな草原が続いた。平らだと皆、かなり早く歩く。コイツら昨日とはギアが違うな!と思えるほど、一言も話さずに歩く。

暫くして、下りに入った。やはり下りではチュニスと発狂フランス人が遅れてくる。でも、二人は昨日の事を申し訳なく思ってるのか、かなり頑張りを見せてくれた。大きな開けた谷に向かって降りて行く下りは、なかなか気持ちよかった。日がドンドン高く登り、太陽に照らされたいる大地のラインがドンドンこっちに近づいてくる。

何度か休憩を挟んだが、無事に下りを降りきった。そこから少し進むと一つ目の村があった。キャンプサイトから二時間半が過ぎていた。ここまで三時間と聞いていたので大分いいペースだ。

ここで、ガイドの一人が別れて、帰路に着いた。彼の家は今越えてきた山の反対側で、ここから五時間の距離だそうだ。毎回仕事の度に5時間歩いてやって来るというのもなかなかスゴい。

我々はここから次の村まで歩き、そこからタクシーブルースだ。もう一人のガイドに次の村までの距離を聞くと、22キロだと答えた。ハーフマラソンだ。そんなにあるとは思わなかった。ここからは平らだが、下山して、その直後にハーフマラソンをするようなものだ。

これは大丈夫なのかな?と心配していると、あの下りで足を引っ張りまくったチュニスが、他を寄せ付けない速度で先頭を走り出した。そしてその後も誰にも追い抜かれることなく、このハーフマラソンをゴールした。チュニス、スゴいヤツだった。実は昨日の夕食の時にチュニスが、タクシーブルースの村まで歩かず、最初の村で車をチャーター出来ないかと提案をした。こっちは二日目も余裕だったので、「俺は全然走れるから、わざわざ追加のお金を払って車をチャーターする必要はない」とはね除けてしまった。でも、チュニスも問題なくやり遂げた。しかも、誰よりも早く。

二つ目の村につくと、村では市がたっていて、スゴい人だった。15分もするとタクシーブルースも出発した。これで、今日、タナ行きのタクシーブルースに乗ることが出来そうだ。

アンバラバオに着くと、すぐにJB trekkingのオフィスに行き、JBに「タクシーブルースは何時ごろかな?」と聞くと、「え!ずっと連絡待ってたけど、来ないからチケットは買ってない」と驚きの答えが帰ってきた。何やらガイドとJBが話を始めて、言った言ってないのような話をしている。結局、チケット予約はされてなく、すぐに聞いたが、タナへの直通タクシーブルースは完売していた。JBが「フィナランツェまで行き、タナ行きのタクシーブルースに乗るしかないな」と言った。悪いと思ったJBは、すぐにフィナランツェ行きを手配し、すぐに出るから準備をしろと言った。顔が利くようで、席も助手席だった。出発の前にJBは「他のツーリストに会ったらJB trekkingを紹介してくれ」と頼んできた。紹介せずとも、アンバラバオでここ以外の旅行会社は無いので、一人勝ちのはずだ。だが、ここについてから、色々とお世話してくれたJBはやはりいいやつだ。トレッキング前、家に泊めてくれたり、ATMに行きたいと言うと、往復のトゥクトゥク代金までだしてくれ、JBと息子三人でカウンターで並んで食べた安飯はいい思い出だ。しかも、俺だけトレッキング代金もディスカウントしてくれた。旅人に会ったら、ツアーはともかく、JBというホスピタリティー溢れる男がアンバラバオで待っていると伝えることにしよう。





2016/AUG/26 「天ノ川は地球を巻いて」

6時前に目が覚めた。チュニスもすでに起きている。外はもう明るい。いびきが酷いと告白していたチュニスのいびきは彼の足の臭いに比べれば全く気にならなかった。

朝食は雑炊とコーヒー、パンにジャムが用意されていた。フランス人の一人は全く寝れなかったようで、ピークハントを断念すると話した。

6:45
にキャンプサイトを出発。直ぐにキツい登りになった。昨日は軽めだったので分からなかったが、この登りで体力の差が出始めた。肥満ぎみのチュニスはそもそもかなり歳がいってるし、フランス人も普段運動をしてないようで、一気にスピードダウン。最初の急登を終えるのにすでに二時間近くかかった。昨夜、ガイドの話だと、山頂までは登り二時間半、往復で四時間半と言われていたが、多分もっとかかるだろう。今日はキャンプサイトに戻ってから、中央山脈を越え、西側のキャンプサイトまで行かなければならない。長い一日だ。

ただでさえ重力の影響を人より受けるチュニスは、1.5リットルの水2本を持っているのでさらに重い。だが、チュニスはスゴい汗で上着はすでに乾いてる箇所が見当たらないほどびっしょりなので、その水は必須なのかもしれない。

急登を終えると、少し平らな岩場があり、緩い下りになった。ここで始めてマダガスカル第2の高さの山、ピック ボビーが見えた。なかなか険しそうに見えるが、左側が緩いので、そっち側から登って行くのだろう。アンドランギチャは草原の真ん中に切り立った岩山が連なっていて、それらの岩肌には雨水で侵食された幾つもの筋が縦に入っている。アンドリンギッチャの名前は実はこの縦に幾筋もの線が入った岩が、ドレッドヘアーに見えるからそう呼ばれるらしい。(ドリンギッチャが現地の言葉でドレッドヘアー)
かなり安っぽいネーミングだ。アンドリンギチャは英語だとアンドリンギトラと綴るので、キングギドラみたいだし、連なった岩山が恐竜の背にでも見えるからかなーと、勝手に想像していたが、全然違った。かなり残念なネーミングの仕方だ。

ピーク目指して、30分ほど登ると頂上に到達した。そんなに大したことはなかったが、景色は抜群だ。ピークの奥にはかなり侵食の進んだ岩達が一面に見える。多分こういうのがあと千年くらいしたら、ツィンギー(マダガスカル南西にあるトゲトゲした岩陵地帯)になるのかもしれない。天気も良く、青空が広がっていて気持ちよい。西側には茶色い大地が地平線まで見える。

30
分ほど休んでから、下山を開始。下りは早いかなと思ったが、チュニスは直ぐに膝に来てしまい、想像以上に時間がかかった。てっきり11時には戻れると思っていたが、キャンプに戻ったのは、なんと12時半を過ぎていた。今日はここから山を越えて、別のキャンプサイトまで行かなければならない。

昼飯を食べて、キャンプを片付けて1:45に出発。ガイドは今夜のキャンプまで四時間かかるという。更に遅れれば日が沈みかねない時間だ。ピック ボビーへの往復を見る限り、明るいうちに着けるかは微妙だ。

しばらく平らな草むらを歩き、二回ほど川を渡り、山越えの登りが始まった。このメンバーは平地は速いが、登りが以上に遅い。朝、ピック ボビーに来なかった女の子も、体力温存してた筈なのに、登りはからっきしダメだ。しかも、何もない草原でいきなり足を挫き、歩きに支障が出始めた。

それでもなんとか皆、登りきり、そのあとは平地なので、また元気になった。この辺りは岩ばかりで、なんとも言えない景色だ。こういう場所が一番好きだ。これだけの景色をこんなに手頃に見れるのは、有りがたい。この辺りはアンドリンギチャの中央稜線だが、以外にも懐があり、色々な岩山が見られる。この岩稜地帯を越えるとまた下りで、幅広い草地の渓谷になる。

下りに入る前に休憩をし、かたまって下り出した。時間はすでに四時を回っている。暗くなると危険なので6時にはキャンプサイトに到着したい。

下りが始まると案の定、チュニスと若いフランス人が遅れ出した。若いフランス人は時々足を着地させるときに、挫いた足をいたがった。チュニスは木の杖をガイドから貰ったが、それでも悲痛な顔で一歩一歩降りるのがやっとだ。これでは6時には着かないだろう。ヘッドライトはポーターの荷物に入れてしまったので、日がくれれば、進むのもままならないだろう。何度か若いフランス人が休みたいと言い座り込み、それでもチュニスは更に後方を歩いているといった具合だった。そして、恐れていた太陽が山の向こうに沈んでしまった。あと30分もすれば、真っ暗だ。

まだ、下りきらないのかと思いながら、それでもユックリと進み、ようやく薄暗い中、遠くにキャンプサイトが見えた。そろそろ明かりがないと岩場は危ない。携帯のライトを点け、他にも持っている人はトーチを出した。ガイドの一人が若いフランス人と歩き、もう一人はチュニスと歩いた。こっちはもう一人のフランス人と先を歩くことにした。すると突然後ろから、若いフランス人が泣き叫ぶ声が聞こえた。「こんなのもう歩けない!」とガイドに泣きながらキレている。こっちも携帯の明かりを便りに道を探さなければならないのに、ここでキレるか?と思ったが、そこまで戻り、携帯で足元を照らしてやり、ガイドが女の子の手を引き、なんとか下までおりた。そこで女の子は座り込んでしまい、泣き出した。更に呼吸をみだし、喘息発作のような発作をおこしだした。裏の川を渡ればもうすぐにキャンプサイトなのに。一緒に参加したもう一人のフランス人はわりと冷たくしっかりしろ的な言葉を投げ掛けてるし、おぶって運ぶにはこの子は太りすぎていた。

チュニスが追い付き、皆で若いフランス人をなだめ、水を飲ませてからなんとか歩かせた。辺りは真っ暗だ。

キャンプサイトに着いたのは7時だった。予想よりも3時間もかかっていた。ポーター達が先に調理を始めていたので、すぐに夕食が出てきた。ここは標高も低く、寒さもキツくないので外の石のテーブルで皆で食べることにした。昼食の時に「コーヒーはないのか?」と何度も言ったのでポーターはコーヒーをたんまり用意しておいてくれたが、この時間にこんなに飲んだら眠れなくなるだろう。

席につくと空は一面の星空だった。ヘッドライトを消すと星は更に明るくなった。なんて豪華なテーブルだ。西の山から滲み出たような明かりの天ノ川が出ていて、それは頭の上まで続いて、さらに東の山の裏まで続いていた。近くの岩の上に寝転がると天ノ川が地球の周りを環の様に途切れることなく巻いているのが分かった。こんな天ノ川を見たのは生まれて始めてだ。















2016AUG/25 「ユルいバラ族の儀式」

朝、目か覚めると、JBの息子が起きているようで、向こうの部屋でガサゴソと音が聞こえた。起きて、外に出るとJBも来ていた。JBは「よく眠れたか?」と挨拶してきて、「今、息子に言って、お湯を沸かしてやる」と言った。顔を洗うだけなのでお湯は必要なかったが、折角息子が用意してくれたので甘える事にした。JBは「出発は8:30だから、それまでにオフィスに来てくれ」と言って、また出ていった。トレッキングに持っていく荷物を分け、それ以外は纏めて、JBの家に置かせてもらった。

8
時にオフィスに行き、「前払いならお金が足りないからATMに行かないと行けないんだけど」と言うと、「じゃー急げ。ほらこれでそこのトゥクトゥクに言えば連れていってくれる」と言い、1000アリアリをくれた。

お金を下ろして戻ってくるとオフィスにはフランス人の女の子二人とチュニジア人のおじさんが待っていた。どうやら一緒に3日間歩くメンバーのようだ。フランス人の方は一人はかなり若く、もう一人は40位に見えた。後者はマダガスカルにもう二年も住んでいるといい、もう一人とチュニジア人は夏休みの旅行らしい。フランス語だけかな?と心配したが、歳いった方のフランス人はわりと英語が話せたので良かった。

オフィスからJBトレッキング所属のガイド一人が加わりランクルで公園入り口へ走り出した。公園入り口前には管理事務所があり、手続きをし、公認ガイドとポーターが二人加わった。

このトレッキングの行程は、中央にある山脈の東側の入り口から入り、二日目にマダガスカルで二番目に高いピック ボビーに登り、中央山脈を越えて、西側の出口から戻るというコース。一日目はピック ボビーのベースキャンプまで行きテント泊だ。

歩き始めてすぐに、目の前に滝が2つある場所に出た。なかなかの景色だ。左が女の滝で右が男らしい。ここから女の滝のさらに左をまいて登ってゆく。皆なかなか早い足取りだ。

しばらく登りが続き、登りきるとそこには草原が広がり、中央山脈の切り立った岩肌が見えた。途中の川の中洲の岩の上で休憩をとった。水はとても綺麗で冷たい。チュニジアのおじさん(以後チュニス)は、歩き回って写真を取り巻くっている。景色が終わると自分の写真も取ってくれと頼んできた。チュニスはその後、チュニジアの建築家だと分かり、建築家同士かなり盛り上がった。チュニスもここに来る前にザファマリニへ行ったと言い、「キドド良かったよね」とふると「本当に綺麗だった」と興奮して、他のフランス人達に説明を始めた。ああゆう伝統建築だけで出来た村は、建築家にはたまらない。チュニスはトレッキングがとてもハードだったと言ったが、トレッキング以外にも色々ハードだった気がする。

途中の休憩が長すぎたのか、たいして歩いてないのにキャンプサイトに着いたのは4時半をまわっていた。もう少しで日が山の向こうへ消えてしまいそうだ。自分のテントを持ってきていたが、ガイドが「風が強いから用意したテントにチュニスと一緒に泊まったほうがいい」と言ってきた。たしかにボツワナで買ったテントは迷彩はでカッコいいが、風が吹けば飛んでいってしまう代物だ。雨もNGだし。

ガイドは「チュニスにはもう話してあって、彼はイビキが酷いのでそれでも良ければ構わないと言っている」と言うので了承した。ここでテントを失うわけにはいかない。

キャンプサイトには調理をするための簡単なつくりの小屋があり、そこで夕飯の支度が始まった。その間、フランス人とチュニスとお茶を飲みながら、皆で色々な話をした。

ガイドは山の向こうに住むバラ族の話をし、「結婚する資格を得るための儀式として牛を盗まないとならない」と話をした。マサイ族は結婚するのにライオンを殺さなければならないと言うのに、だいぶユルい儀式だ。なにより村の人にとって迷惑この上ない儀式だ。そんなことで貴重な牛を盗まれた方はたまらない。アンティラベの近くの村で見た死体を掘り起こして踊る儀式といい、マダガスカルもアフリカ同様、不思議な儀式ばかりだ。






















Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...