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2016/AUG/27 「下山後のハーフマラソン」

アンドリンギチャ最終日はタクシーブルースでアンバラバオに帰らなければならない。今日は市の立つ日なので、タクシーブルースは何本もあると言うので、少しは安心だ。ただし、出来れば今日、アンバラバオに着いたらそのままタナへのタクシーブルースに乗りたい。その為に昨日ガイドにJBに電話してタクシーブルースの予約をするよう頼んであった。このタクシーブルースは夕方4~6時に出発するので、それまでにアンバラバオに帰る必要がある。タクシーブルースが出ている村からアンバラバオまでは二時間。予定では今日は六時間のトレッキングだから6時に出れば12時に着ける計算で、何もなければ2時半には着けそうだ。ただし、チュニスと昨日発狂したフランス人の女の子次第だろう。

5
時半に朝食をとり、時間通り6時にキャンプサイトを出た。しばらくは平らな草原が続いた。平らだと皆、かなり早く歩く。コイツら昨日とはギアが違うな!と思えるほど、一言も話さずに歩く。

暫くして、下りに入った。やはり下りではチュニスと発狂フランス人が遅れてくる。でも、二人は昨日の事を申し訳なく思ってるのか、かなり頑張りを見せてくれた。大きな開けた谷に向かって降りて行く下りは、なかなか気持ちよかった。日がドンドン高く登り、太陽に照らされたいる大地のラインがドンドンこっちに近づいてくる。

何度か休憩を挟んだが、無事に下りを降りきった。そこから少し進むと一つ目の村があった。キャンプサイトから二時間半が過ぎていた。ここまで三時間と聞いていたので大分いいペースだ。

ここで、ガイドの一人が別れて、帰路に着いた。彼の家は今越えてきた山の反対側で、ここから五時間の距離だそうだ。毎回仕事の度に5時間歩いてやって来るというのもなかなかスゴい。

我々はここから次の村まで歩き、そこからタクシーブルースだ。もう一人のガイドに次の村までの距離を聞くと、22キロだと答えた。ハーフマラソンだ。そんなにあるとは思わなかった。ここからは平らだが、下山して、その直後にハーフマラソンをするようなものだ。

これは大丈夫なのかな?と心配していると、あの下りで足を引っ張りまくったチュニスが、他を寄せ付けない速度で先頭を走り出した。そしてその後も誰にも追い抜かれることなく、このハーフマラソンをゴールした。チュニス、スゴいヤツだった。実は昨日の夕食の時にチュニスが、タクシーブルースの村まで歩かず、最初の村で車をチャーター出来ないかと提案をした。こっちは二日目も余裕だったので、「俺は全然走れるから、わざわざ追加のお金を払って車をチャーターする必要はない」とはね除けてしまった。でも、チュニスも問題なくやり遂げた。しかも、誰よりも早く。

二つ目の村につくと、村では市がたっていて、スゴい人だった。15分もするとタクシーブルースも出発した。これで、今日、タナ行きのタクシーブルースに乗ることが出来そうだ。

アンバラバオに着くと、すぐにJB trekkingのオフィスに行き、JBに「タクシーブルースは何時ごろかな?」と聞くと、「え!ずっと連絡待ってたけど、来ないからチケットは買ってない」と驚きの答えが帰ってきた。何やらガイドとJBが話を始めて、言った言ってないのような話をしている。結局、チケット予約はされてなく、すぐに聞いたが、タナへの直通タクシーブルースは完売していた。JBが「フィナランツェまで行き、タナ行きのタクシーブルースに乗るしかないな」と言った。悪いと思ったJBは、すぐにフィナランツェ行きを手配し、すぐに出るから準備をしろと言った。顔が利くようで、席も助手席だった。出発の前にJBは「他のツーリストに会ったらJB trekkingを紹介してくれ」と頼んできた。紹介せずとも、アンバラバオでここ以外の旅行会社は無いので、一人勝ちのはずだ。だが、ここについてから、色々とお世話してくれたJBはやはりいいやつだ。トレッキング前、家に泊めてくれたり、ATMに行きたいと言うと、往復のトゥクトゥク代金までだしてくれ、JBと息子三人でカウンターで並んで食べた安飯はいい思い出だ。しかも、俺だけトレッキング代金もディスカウントしてくれた。旅人に会ったら、ツアーはともかく、JBというホスピタリティー溢れる男がアンバラバオで待っていると伝えることにしよう。





2016/AUG/26 「天ノ川は地球を巻いて」

6時前に目が覚めた。チュニスもすでに起きている。外はもう明るい。いびきが酷いと告白していたチュニスのいびきは彼の足の臭いに比べれば全く気にならなかった。

朝食は雑炊とコーヒー、パンにジャムが用意されていた。フランス人の一人は全く寝れなかったようで、ピークハントを断念すると話した。

6:45
にキャンプサイトを出発。直ぐにキツい登りになった。昨日は軽めだったので分からなかったが、この登りで体力の差が出始めた。肥満ぎみのチュニスはそもそもかなり歳がいってるし、フランス人も普段運動をしてないようで、一気にスピードダウン。最初の急登を終えるのにすでに二時間近くかかった。昨夜、ガイドの話だと、山頂までは登り二時間半、往復で四時間半と言われていたが、多分もっとかかるだろう。今日はキャンプサイトに戻ってから、中央山脈を越え、西側のキャンプサイトまで行かなければならない。長い一日だ。

ただでさえ重力の影響を人より受けるチュニスは、1.5リットルの水2本を持っているのでさらに重い。だが、チュニスはスゴい汗で上着はすでに乾いてる箇所が見当たらないほどびっしょりなので、その水は必須なのかもしれない。

急登を終えると、少し平らな岩場があり、緩い下りになった。ここで始めてマダガスカル第2の高さの山、ピック ボビーが見えた。なかなか険しそうに見えるが、左側が緩いので、そっち側から登って行くのだろう。アンドランギチャは草原の真ん中に切り立った岩山が連なっていて、それらの岩肌には雨水で侵食された幾つもの筋が縦に入っている。アンドリンギッチャの名前は実はこの縦に幾筋もの線が入った岩が、ドレッドヘアーに見えるからそう呼ばれるらしい。(ドリンギッチャが現地の言葉でドレッドヘアー)
かなり安っぽいネーミングだ。アンドリンギチャは英語だとアンドリンギトラと綴るので、キングギドラみたいだし、連なった岩山が恐竜の背にでも見えるからかなーと、勝手に想像していたが、全然違った。かなり残念なネーミングの仕方だ。

ピーク目指して、30分ほど登ると頂上に到達した。そんなに大したことはなかったが、景色は抜群だ。ピークの奥にはかなり侵食の進んだ岩達が一面に見える。多分こういうのがあと千年くらいしたら、ツィンギー(マダガスカル南西にあるトゲトゲした岩陵地帯)になるのかもしれない。天気も良く、青空が広がっていて気持ちよい。西側には茶色い大地が地平線まで見える。

30
分ほど休んでから、下山を開始。下りは早いかなと思ったが、チュニスは直ぐに膝に来てしまい、想像以上に時間がかかった。てっきり11時には戻れると思っていたが、キャンプに戻ったのは、なんと12時半を過ぎていた。今日はここから山を越えて、別のキャンプサイトまで行かなければならない。

昼飯を食べて、キャンプを片付けて1:45に出発。ガイドは今夜のキャンプまで四時間かかるという。更に遅れれば日が沈みかねない時間だ。ピック ボビーへの往復を見る限り、明るいうちに着けるかは微妙だ。

しばらく平らな草むらを歩き、二回ほど川を渡り、山越えの登りが始まった。このメンバーは平地は速いが、登りが以上に遅い。朝、ピック ボビーに来なかった女の子も、体力温存してた筈なのに、登りはからっきしダメだ。しかも、何もない草原でいきなり足を挫き、歩きに支障が出始めた。

それでもなんとか皆、登りきり、そのあとは平地なので、また元気になった。この辺りは岩ばかりで、なんとも言えない景色だ。こういう場所が一番好きだ。これだけの景色をこんなに手頃に見れるのは、有りがたい。この辺りはアンドリンギチャの中央稜線だが、以外にも懐があり、色々な岩山が見られる。この岩稜地帯を越えるとまた下りで、幅広い草地の渓谷になる。

下りに入る前に休憩をし、かたまって下り出した。時間はすでに四時を回っている。暗くなると危険なので6時にはキャンプサイトに到着したい。

下りが始まると案の定、チュニスと若いフランス人が遅れ出した。若いフランス人は時々足を着地させるときに、挫いた足をいたがった。チュニスは木の杖をガイドから貰ったが、それでも悲痛な顔で一歩一歩降りるのがやっとだ。これでは6時には着かないだろう。ヘッドライトはポーターの荷物に入れてしまったので、日がくれれば、進むのもままならないだろう。何度か若いフランス人が休みたいと言い座り込み、それでもチュニスは更に後方を歩いているといった具合だった。そして、恐れていた太陽が山の向こうに沈んでしまった。あと30分もすれば、真っ暗だ。

まだ、下りきらないのかと思いながら、それでもユックリと進み、ようやく薄暗い中、遠くにキャンプサイトが見えた。そろそろ明かりがないと岩場は危ない。携帯のライトを点け、他にも持っている人はトーチを出した。ガイドの一人が若いフランス人と歩き、もう一人はチュニスと歩いた。こっちはもう一人のフランス人と先を歩くことにした。すると突然後ろから、若いフランス人が泣き叫ぶ声が聞こえた。「こんなのもう歩けない!」とガイドに泣きながらキレている。こっちも携帯の明かりを便りに道を探さなければならないのに、ここでキレるか?と思ったが、そこまで戻り、携帯で足元を照らしてやり、ガイドが女の子の手を引き、なんとか下までおりた。そこで女の子は座り込んでしまい、泣き出した。更に呼吸をみだし、喘息発作のような発作をおこしだした。裏の川を渡ればもうすぐにキャンプサイトなのに。一緒に参加したもう一人のフランス人はわりと冷たくしっかりしろ的な言葉を投げ掛けてるし、おぶって運ぶにはこの子は太りすぎていた。

チュニスが追い付き、皆で若いフランス人をなだめ、水を飲ませてからなんとか歩かせた。辺りは真っ暗だ。

キャンプサイトに着いたのは7時だった。予想よりも3時間もかかっていた。ポーター達が先に調理を始めていたので、すぐに夕食が出てきた。ここは標高も低く、寒さもキツくないので外の石のテーブルで皆で食べることにした。昼食の時に「コーヒーはないのか?」と何度も言ったのでポーターはコーヒーをたんまり用意しておいてくれたが、この時間にこんなに飲んだら眠れなくなるだろう。

席につくと空は一面の星空だった。ヘッドライトを消すと星は更に明るくなった。なんて豪華なテーブルだ。西の山から滲み出たような明かりの天ノ川が出ていて、それは頭の上まで続いて、さらに東の山の裏まで続いていた。近くの岩の上に寝転がると天ノ川が地球の周りを環の様に途切れることなく巻いているのが分かった。こんな天ノ川を見たのは生まれて始めてだ。















2016AUG/25 「ユルいバラ族の儀式」

朝、目か覚めると、JBの息子が起きているようで、向こうの部屋でガサゴソと音が聞こえた。起きて、外に出るとJBも来ていた。JBは「よく眠れたか?」と挨拶してきて、「今、息子に言って、お湯を沸かしてやる」と言った。顔を洗うだけなのでお湯は必要なかったが、折角息子が用意してくれたので甘える事にした。JBは「出発は8:30だから、それまでにオフィスに来てくれ」と言って、また出ていった。トレッキングに持っていく荷物を分け、それ以外は纏めて、JBの家に置かせてもらった。

8
時にオフィスに行き、「前払いならお金が足りないからATMに行かないと行けないんだけど」と言うと、「じゃー急げ。ほらこれでそこのトゥクトゥクに言えば連れていってくれる」と言い、1000アリアリをくれた。

お金を下ろして戻ってくるとオフィスにはフランス人の女の子二人とチュニジア人のおじさんが待っていた。どうやら一緒に3日間歩くメンバーのようだ。フランス人の方は一人はかなり若く、もう一人は40位に見えた。後者はマダガスカルにもう二年も住んでいるといい、もう一人とチュニジア人は夏休みの旅行らしい。フランス語だけかな?と心配したが、歳いった方のフランス人はわりと英語が話せたので良かった。

オフィスからJBトレッキング所属のガイド一人が加わりランクルで公園入り口へ走り出した。公園入り口前には管理事務所があり、手続きをし、公認ガイドとポーターが二人加わった。

このトレッキングの行程は、中央にある山脈の東側の入り口から入り、二日目にマダガスカルで二番目に高いピック ボビーに登り、中央山脈を越えて、西側の出口から戻るというコース。一日目はピック ボビーのベースキャンプまで行きテント泊だ。

歩き始めてすぐに、目の前に滝が2つある場所に出た。なかなかの景色だ。左が女の滝で右が男らしい。ここから女の滝のさらに左をまいて登ってゆく。皆なかなか早い足取りだ。

しばらく登りが続き、登りきるとそこには草原が広がり、中央山脈の切り立った岩肌が見えた。途中の川の中洲の岩の上で休憩をとった。水はとても綺麗で冷たい。チュニジアのおじさん(以後チュニス)は、歩き回って写真を取り巻くっている。景色が終わると自分の写真も取ってくれと頼んできた。チュニスはその後、チュニジアの建築家だと分かり、建築家同士かなり盛り上がった。チュニスもここに来る前にザファマリニへ行ったと言い、「キドド良かったよね」とふると「本当に綺麗だった」と興奮して、他のフランス人達に説明を始めた。ああゆう伝統建築だけで出来た村は、建築家にはたまらない。チュニスはトレッキングがとてもハードだったと言ったが、トレッキング以外にも色々ハードだった気がする。

途中の休憩が長すぎたのか、たいして歩いてないのにキャンプサイトに着いたのは4時半をまわっていた。もう少しで日が山の向こうへ消えてしまいそうだ。自分のテントを持ってきていたが、ガイドが「風が強いから用意したテントにチュニスと一緒に泊まったほうがいい」と言ってきた。たしかにボツワナで買ったテントは迷彩はでカッコいいが、風が吹けば飛んでいってしまう代物だ。雨もNGだし。

ガイドは「チュニスにはもう話してあって、彼はイビキが酷いのでそれでも良ければ構わないと言っている」と言うので了承した。ここでテントを失うわけにはいかない。

キャンプサイトには調理をするための簡単なつくりの小屋があり、そこで夕飯の支度が始まった。その間、フランス人とチュニスとお茶を飲みながら、皆で色々な話をした。

ガイドは山の向こうに住むバラ族の話をし、「結婚する資格を得るための儀式として牛を盗まないとならない」と話をした。マサイ族は結婚するのにライオンを殺さなければならないと言うのに、だいぶユルい儀式だ。なにより村の人にとって迷惑この上ない儀式だ。そんなことで貴重な牛を盗まれた方はたまらない。アンティラベの近くの村で見た死体を掘り起こして踊る儀式といい、マダガスカルもアフリカ同様、不思議な儀式ばかりだ。






















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