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2016/SEP/10 「本土への帰還」

今日はヨハネスブルグに戻る日だ。フライトは午後4時なのでゆっくりできる。冷蔵庫にビールが残っていたので、サンドイッチと一緒にビーチへ運んだ。今日はいい天気だ。

砂の上にバスタオルを敷き、ビールを開けた。人は疎らで寝ている人や泳いでいる人、皆思い思いに過ごしているが、この時間からビールを飲んでる人はさすがにいない。今日帰ると思うと名残惜しい。モーリシャスは物価もそこまで高くはなく、思った以上に美しかったのでもっと長く居たかった。「神がまずモーリシャスを造り、そのあとに世界を作った」というのも満更ではない気がした。

フリック・オン・フラックから空港へは三時間以上を要した。どうりでオーナーにバスで行くと言ったときに驚かれた訳だ。空港でチェックインの時にOne Worldのマイレージカードを見せてマイレージの登録をしてもらうと、カードの有効期限がとっくに切れているのにラウンジの券をくれた。以前は仕事でエリート商社マン並に飛んでいたのでサファイアカードだったが、仕事をやめて以来、飛行機に乗る頻度が激減したので、きっと今頃、最下位のカードが家に届けられているはずだ。だが、このチェックインスタッフのおかげでモーリシャスの最後はブリティッシュエアウェイズのラウンジで優雅なものになった。

来るとき同様、海底の滝が見えるかなーと窓際の席にしたが、やはり見ることは出来なかった。それでも窓ガラスはマダガスカルエアーより遥かに綺麗に清掃されていたので海がよく見えた。

ヨハネスブルグの空港につくと、見覚えのある建物に、戻ってきたなーと懐かしくなった。島巡りでだいぶ緩んでしまったが、久しぶりの凶悪都市ヨハネスブルグの緊張感溢れる空気に少し不安になる。ここからまた気を引き閉めて行かなければと気持ちを切り替えた。


2016/SEP/9 「完 アフリカで一番の海」

昨日ようやくビシャラの家を出て、西海岸のフリック・オン・フラックへ移動した。何故あの家にあんなに長居したのか自分でも分からないが、今はどこか晴れ晴れとした気分だ。

フラック・オン・フラックには四キロにもおよぶ長いビーチがあり観光客が長期で滞在する場所だ。さぞかし宿代も高いのかと思ったが、意外にも800ルピー(2,160円)でサービスアパートが見つかった。キッチンも付いていて、部屋も広く快適だ。ビーチ沿いではないが、歩いて5分で着くので不自由はない。近くには大きなスーパーもあり、買い出しにも便利だ。

南側のビーチ沿いには高級リゾートホテルが並び、商店やレストランもないので、宿泊者専用のようになっている。ただ、フリック・オン・フラックのビーチは何処も綺麗なのでワザワザそこまでいく必要もない。

今日はモーリシャスの南東にあるラ・モーン山に登ることにした。ここが登れることは知らなかったが、旅行代理店に聞くと片道二時間くらいで登れるという。問題は登山口までのアクセスだが、近くまではバスで行けるということが判明した。

行き方はまず、バスでカスカベに行く。発音が埼玉県の春日部と全く同じで始め「え?」と聞き直したが、Cascavelleと書く。クレオール語と呼ばれるフランスの崩れた言葉を話すモーリシャスの地名は綴りと発音が英語とはかけ離れたものが多いので分かりにくい。この前までいたペニ・マニョはPlaine Magnienだ。


カスカベからはバスでラ・モーン行きに乗ればよいのだが、問題は何処で降りるかということだ。何処から山に登るか分からないし、バスがどれくらい登山口の近くを通るかも分からない。運ちゃんに「ラ・モーン」と伝えてあったからか、山を通りすぎて、南側の海沿いで降ろされた。そこにはラ・モーン ビレッジという看板がある。う~ん。村も同じ名前だったかー。遠くにラ・モーン山が見えるということは登山口は遠そうだ。

取り合えず村人に登山口を聞く。「英語が分からないからあっちの男に聞け」と言われて、話をしている二人組に聞くと「今から客を登山口にピックアップに行くからタダで乗せてやる」と言って登山口まで乗せてくれた。距離的には歩かなくて良かったーという距離だった。

お礼を言ってから、中に入った。他にもぽつぽつと観光客が登っている。ここで一人だけサンダルで来ていることに気がついた。てっきり階段でも整備されているのかと思ったが、皆運動靴だ。中にはトレッキングブーツの人もいる。まーそこは技術でカバーすることにしよう。

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分ほどでView Pointがあった。西側のラグーンが見える。スゴい色だ。モーリシャスのラグーンは半端ない。ブルーベイもそうだし、フリック・オン・フラックもビーチから1キロ以上も浅瀬が島を取り巻くように広がっている。

更に先に行こうとするとロープが張ってあり、横の看板には「DENGER EXPERIENCED CLIMBER ONLY」と書いてあった。サンダルで来たのは大間違いだったようだ。どうしようかなーと看板を眺めていると、後ろにいた観光客を連れているガイドらしき男が、顎で行ってこいと合図した。これはきっと脅しで大したことないのだろうと判断。ロープを跨いですすんだ。

少し茂みを進むと、急な岩場に出た。結構長い登りだ。岩にはロープが固定してある。これは登山経験がなければビビってしまう角度だろう。ロープを掴みながら足元に注意して登る。後ろには青いラグーンがよく見える。登りきると今度はロープのない登りをジグザグに進み、岩山の側面をトラバースした。また所々ロープがある急な登りがあった。この辺りで南側のラグーンが見えた。こっちのラグーンはすぐ真下にあり、よく見える。単にエメラルドグリーンというわけでなく、白っぽい所や、黒いドットなどかなり表情の豊かなラグーンで大きさも何キロにも及んでいる。

そこからまた西側へ折り返し、最後の登りを登りきると鉄のトラスでできた十字架が建つ頂上に達した。目の前には南側のラグーンが遮るものなく広がっている。ラ・モーンのある半島の先が見え、その先端付近の遠浅の海の模様は、まるで海底にある滝のように水が海の中に流れ落ちているように見える場所があった。これが噂に聞くモーリシャスの幻の海底の滝だ。本当は逆側から、つまり海に上からこちら側を見るとベストなのだが、それにはヘリに乗る必要がある。まだ、あまり外国人には知られておらず、たまに日本人がヘリをチャーターしてワザワザ見に行くらしい。こちら側からはちょっと滝には見えないが、滝に見えるかどうかどうでもよくなるくらい、ここからの景色は素晴らしかった。半島の先端の海底滝から右には島に沿ったラグーンが続き、左には大きな湾になったラグーンが、様々な模様を作り出している。ラグーンの外は地平線まで真っ青の海で、その上には水色の空が始まっている。こんな景色を見たのは始めてだ。

岩に腰かけると、誰もいない山頂は風の音しか聞こえない。ラグーンの上の雲の陰が、ゆっくりと動いてラグーンに模様をつくる。半島の左側にはカイトサーフィンを楽しむ人が沢山見える。きっとこの半島のビーチも素晴らしい事だろう。ここはアフリカで一番の海だ。
















2016/SEP/7 「続続続続アフリカで一番の海」

モーリシャス人にモーリシャスで一番のビーチと聞くと皆が口を揃えてイルオ・セルフだという。それくらいモーリシャスを代表する場所ということだろう。

これまで体調が悪かったのでビーチに行くことは控えていたが、ソロソロ行ってみることにした。ツアーが一般的らしいが、バスを乗り継いで行けば、最後にイルオ・セルフ行きの船に乗るまではたどり着けるらしい。

6時半に起きて、7時に家を出た。まずバスでマエプールに行き、そこからバスでセントラルフラックに向かう。さらにそこからトゥ・デ・オゥ・ドゥセ行きのバスに乗り、イルオ・セルフへのボート乗り場で下ろしてもらった。大した距離ではないのに、ここまで3時間もかかった。バスの乗り換えは待ち時間があるので、かなり時間のロスが多い。お金に余裕があるなら、モーリシャスはレンタカーで回るのがベストだと思う。

船着き場で降りるとすぐに客引きが来て、色々なツアーの話をしてきたので、「先週も来たから、イルオ・セルフだけでいい」と言うと「じゃー500だ」と言うので「先週は350で行けたよ」と言うと、他の客には内緒という条件で了承してくれた。勿論先週は来てない。

隣には子供連れの家族がいて、男に聞くと彼らはプライベートボートだから別の船だと言う。10分程で出発だと言われて船に乗ると他には誰もいなかった。こっちも十分プライベートボートだ。

船は立派なホテルの前を通り、マングローブの林の中を進み、桟橋がある所で止まった。どうやらここがイルオ・セルフのようだ。

広い砂浜があり、その横を浅い川が流れていて、その向こうも砂浜になっている。と言ってもこれは海の水だ。この川が島を分断する海が入り込んだもので、干潮の今が一番水が引いて小川のようになっているだけだ。そしてこの広い砂浜は干潮にだけ現れるという不思議なビーチということらしい。だがすでに足跡で一杯だ。

川に沿ってビーチチェアーが並び、その奥にバーとレストランがある。かなり観光客用に開発されているようだ。川づたいに歩き、外側の海へ出ると遠浅の海が広がっていた。水は驚くほど透明だ。小さな魚の群れが見える。残念ながら空には大量の雲で肌寒い。川を渡りその先のビーチへ歩いて行ってみる。黒い火山岩が所々にあり、その先にも長いビーチが続いていた。少し勘違いをしていたが、イルオ・セルフは干潮時に現れる砂浜よりも、島の周りに広がるビーチの方がはるかに魅力的だ。珊瑚の破片がごつごつ残る白い砂浜と火山岩。驚くほど透明な海。海草や葉っぱすら落ちてないビーチ。それがイルオ・セルフなのだろう。

昼近くになり、ようやく天気が回復してきた。ビーチは天気が大事だ。太陽の光の量は雲が少しかかるだけで、圧倒的に暗くなる。光が足りないとビーチは白くは見えないし、海も暗くなってしまい色が分からない。

今度は川の逆側に伸びるビーチを進み、人が少ないところで寝転がり、しばらく過ごした。海の色は来たときよりはるかに青く見えるくらいに天気は回復した。

しばらくしてレストランの方へ戻ると格段に観光客が増えていた。400人くらいはいるだろうか。川幅は広がり、砂地には水が入り込み始めていた。もうすぐここは海に戻ることだろう。

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時半くらいに迎えのボートに乗り、マエブール行きのバスに乗った。家に帰る前に欲張って、ブルーベイという大きなラグーンに面したビーチへ行ってみた。ここのビーチは小さく、メインはラグーンに浮かぶココアイランドへのボートトリップやシュノーケリングだろう。イルオ・セルフに比べるとビーチは物足りなく、コンクリートの桟橋が見た目を悪くしていた。イルオ・セルフはアフリカで一番のビーチの1つだろう。










2016/SEP/6 「金を持たない男 ビシャラ」

モーリシャスにきて、はや3日目。朝起きて、お湯を湧かしてコーヒーを入れた。ビシャラが起きてきて、パンとバナナをくれたのでそれで朝食になった。食器を洗うために外に出て、シンクで他の溜まった食器と共に洗った。中にもシンクと蛇口はあるが水は出ない。始めは広くてなかなか豪華な家だと思ったが、この家はかなり見かけ倒しだ。広いキッチンにはシンクが2つあるが、どちらも水が出ない。ガスオーブンも、ガスがなく、一口だけある電気のクッカーしか使えない。電気ケトルでお湯を沸かすのだが、ケトルも壊れて使えなかった。ビシャラはここに来たとき、食事も奥さんが作るから心配するなとか、wifiもあると言ってはいたが、奥さんは料理はしないし、そもそも家に食材らしきものもない。wifiもお金を払ってなく止められている。家に来る前は「ホントはタダでもいいんだけど」と言っていたが、実際には12回くらい「お金をくれないか?」と言ってくる。もう払ったろうと言うと、子供のミルクを買うとかバターを買うとか、1日毎に払うと決めた家賃をドンドン前払いさせようとする。この家はきっと親の物で、こいつは仕事もしてないからお金がないのかもしれない。隣にも兄弟が住んでいて、そこにはすごい数の車が並んでいると思ったら、レンタカーの仕事をしているだけだった。ビシャラは車を28台持っていると言っていたが、それはレンタカー屋の彼の兄の話だ。ビシャラはロンドンに住んでいたとか、ロンドンでテレビ局のカメラマンをしていたとか、どう考えてもおかしい話ばかりしたが、ようやく3日目でその殆どが嘘っぱちだと分かってきた。そうは言っても、モーリシャスの宿は最低でも1600ルピー(1,620円)はするなか、250ルピー(675円)で泊まれているので、暫くここにいるつもりだ。

昨日は無理してマハブールの町を見に行ったのでマダガスカルで崩れた体調が悪化した。すぐに帰ってきて、それから今朝まで寝っぱなしだったので、いくぶん体調は良くなったが、まだ少し気持ち悪い。ビシャラは「今日はヒンドゥーの祭りでガネーシャを皆で担いで川まで行くから一緒に参加するか?」と誘ってきたが、多分コイツらは見にもいかないだろうから断った。こいつは期待させるだけで、いつも口だけだ。このままペニマニョにいても、折角のモーリシャスがインド滞在と殆ど変わらなくなるので、首都ポートルイスに行ってみることにした。

家の近くからバスに乗り、1時間半で到着。道中はサトウキビ畑が見えた。モーリシャスの産業と言えばサトウキビの輸出だ。他に輸出出来るものは何もない。

ポートルイスに着いて、マックを見つけた。腹も減ったのでメニューを見ると日本と同じような100円マックらしきメニューがある。37ルピーなのでちょうど100円くらいだ。その中のチキンバーガーとポテトを頼むと、「あと1ルピーでコーラも付けられる」とレジの人が自動的にコーラも付けてくれた。これだと200円でセットになる。多分世界中のマックでも200円でセットが食えるのはモーリシャスだけだろう。初日に食べた全く旨くないチャーハンが270円もしたのにどんなカラクリがあるのだろう?モーリシャス着いて以来のwifiもあり、冷房も効いているので、ずっとここにいようかと思ったが、ビシャラの奥さんが「ポートルイスにはウォーターフロントがあるのよ」と言っていたので行ってみることにした。

ウォーターフロントはマックの目の前で、港に突き出た半島のような所にショッピングモールやホテル、博物館がある。そんなにはしゃぐような代物でもないし、買い物するわけでもないので、とくにやることはない。一通り見て回り、カフェでマキアートを飲んだ。これでポートルイス終了か?早すぎる。結構観光客っぽい白人がいるが、皆さぞかしガッカリした事だろう。

その後、世界遺産の元奴隷収用施設を見て、中華街を歩いたが、別にワザワザ1日を使って来るところでもないかなーという感じだ。

ちょっと帰るには早いので、帰りにキューピップという町に寄ることにした。ここがモーリシャスで一番きれいな町だという。が、着いてみると廃れていて、何処をとって綺麗と言っているのか全く分からなかった。しかもこの辺りは高原で一年中雨が降るらしく、例にもれず降ってきた。走ってバスターミナルへ戻り、マエブール行きのバスに飛び乗った。滞在15分。来なきゃ良かったなーと帰りのバスでずっと考えた続けた。

夕方に家に戻ると、ビシャラが部屋にやって来て、飯を誘ってきたが腹が減ってなかったので断った。すると五分後にまたやって来て「飯を食べたいから100ルピー貸してくれ」と頼んできた。少し呆れて「なんで100ルピーも持ってないんだ?車を28台も持ってるんだろう」と言うと、「俺の銀行はバークレーだから、マエプールまで行かないと下ろせないんだ」と言う。「子供いるのに現金を一円も持ってないのか?馬鹿か?どうやってミルクを買ってるんだ?一家の主なんだからしっかりしろ」とキレ気味で言うと「分かった」と言って部屋から出ていった。隣の部屋で何やら奥さんと話してる声が聞こえる。そして15分後、また扉をノックしてきて「お金は用意出来たか?」と聞いてきた。ちょっと意味不明だったので「いや、ダメって話だったよね」と答えると「あー ダメってことなの?ダメかー」とまた部屋を出ていった。そして、隣からまた相談する声が聞こえてくる。きっと夕食をどうするかの相談だろう。この家は俺が来なかったらどうなってたのだろう。











2016/SEP/4 「インド洋の貴婦人」

昨日ノシベから24時間かけタナへ戻り、一番始めに泊まったホステルアンダーグラウンドに戻った。相変わらず外人だらけだったが、日本人も三人ほどいた。マダガスカルでは、数えるほどしか日本人には会ってないがそのすべてがタナでだ。さらに遅くにナイロビやザンジバル、マラウィで会ったチアキちゃんカップルがやって来て再会を喜んだ。こんなに日本人が集まるのはいつぶりだろう。

朝、6時半に起き、シャワーを浴びてから屋台で朝食を食べに出た。残ったアリアリ紙幣もここで使いきった。もう、空港へのシャトルに乗るだけだ。

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ヶ月弱の滞在は移動が多かったが、なかなか良いものになった。次はインド洋の貴婦人と呼ばれるモーリシャスだ。

空港には二時間以上早く着いたが、カウンターが開いてないと言われ待つことに。タナの空港は国際空港とは思えないくらい小さく、ズラッと並んだカウンターの上には液晶モニターが取り外された後がある。普通はそこに航空会社の名前とエコノミーとかクラスが表示されるものだが、液晶がないので分からない。なので、カウンターが開くまでどこのカウンターかは分からないし、開くのもかなりギリギリで長蛇の列ができる。そもそも搭乗開始が出発の20分前で、先進国ならゲートが閉まる時間だ。そして、当然飛行機も遅れる。

後ろに並んでいたポーランド人の男、ダニエルと仲良くなり、飛行機に乗るまでずっと話をしていた。彼は2週間の夏休みで、マダガスカル、モーリシャス、セーシェルを旅しているという。日本人並みのスケジュールだ。マダガスカルはたった5日しかいなかったらしい。日本に行ったことがあり、とても気に入ったらしく、さかんに日本の事を褒め称えて、将来住みたいとまで言う。因みに彼の今までいった国で住んでもいい国は、日本、イラン、オマーンで、共通点は最後にンが付くことだけで、説得力がまったくない。

飛行機は一時間遅れで飛び立ち、インド洋の上を東へと向かう。モーリシャスに着陸するときにひょっとしたら、幻の海底の滝が見えるのではと窓際の席にしてもらっていた。それを聞いたダニエルも窓際の席をゲットしたのだが、ダニエルの席8Aは何故かそこだけ窓の無い壁の席だった。ダニエルは離陸前にスッチーに大声で、窓じゃなきゃヤダと駄々をこねて困らせた。こんなに恥ずかしいヨーロピアンも珍しい。彼は今年、44歳だ。

ホテルの予約をしてないので、セーシェルの時のように突っ込まれるかと思ったが、アッサリとイミグレを抜け、税関で幾つかの質問に答えると、空港を出られた。まだ同じ飛行機に乗っていた人は出てこない。何故そんなに時間がかかるのか分からない。ダニエルを待って、彼のレンタカーでマハブールまで送ってもらおうと出口で張っていたが、いっこうに出てこない。一時間位経ち、このままだと町につく前に暗くなるなと思い、バス停に向かった。100ヵ国以上は旅したと豪語するダニエルは、マダガスカルのビーチではサブバックを盗まれて、タナの空港のセキュリティーゲートで機内に持ち込もうとした延長コードを取り上げられ、スタッフにどなり散らしたりとその片鱗を全く見せない旅人だ。しかも、空港のレンタカーショップで車を予約してあると言っていたが、免許証はサブバックと共に盗難にあっていた。クレジットカードも失ったので手持ちのキャッシュでポーランドに帰るまでの1週間しのがないとならないらしい。そんな間抜けな彼のことだ、入国審査か税関で引っ掛かって出てこれない可能性は十分にある。

バス停は閑散としていて、バスが来る気配が全くない。ベンチに座っているカップルに聞くと、ここで間違いないという。時刻表もなく永遠と時間だけが過ぎて行く。するとカップルの男が、何処に泊まるんだ?と聞いてきた。「マエブールに行って、適当に探す」と答えると「ホテルは高いから、1週間家を借りた方がいい」と言った。「予算はどれくらいだ?1週間なら1500ルピーで、うちに泊めてやる」と勧めてくれたが断った。

ついに太陽が沈み、薄暗くなり始めた。暗くなってからの宿探しかーと憂鬱になったが、マダガスカルのタクシーブルースで風邪をひいて体調が悪いほうが深刻だった。

ようやく一台のバスが来たが、そのバスはマエブールには行かないという。カップルの男が運転手と話して、「これはマエブールには行かないけど、これでバスが拾いやすい場所までいこう」と言い、乗り込んだ。バスは空港を出て、近くのランダーバードで止まり、そこで降りた。そこで待てばマエブール行きのバスが来るらしい。

ホントに暗くなってきた。やはり今夜だけでも彼らの家に泊めてもらうかと思い、男に頼むと快諾してくれた。男はビシャラといい、彼女との間に六ヶ月の子供がいた。

彼らの家はそこから歩いて10分ほどのペニマニョという町の住宅街にあった。どこの住宅にもヒンドゥーの神様を祭った祠の様なものがあり、赤い照明が付いていて不気味だ。家はコンクリートに白やピンクの塗装で、作りかけで止まったような物や、崩れているものなど全体的に安っぽい。住人はビシャラ同様、皆インド人だ。そんな中、ビシャラの家はかなり立派で、家の前には沢山の車が止まっている。2階建ての1階部分に住んでいて、2階には従兄弟が住んでいるらしい。それでも使ってない部屋が2つあり、その内1つをあてがわれた。家の庭にはやはり、小さな家のような中にヒンドゥーの神々が置かれている。家の中にもクリシュナの像やシヴァのポスター、サイババのプロマイドが飾ってあり、ヒンドゥー一色だ。モーリシャスはインド洋の貴婦人と呼ばれる地球上の楽園だが、ここはまるでインド洋のインドだ。







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