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2015/SEP/16 「丸亀製麺サンクトペテルブルグ店」

サンクトペテルブルグはアンドレイが世界で一番美しい街と言うだけあって、本当にきれいな街だ。街には運河が流れ、その両脇に古いクラシックな建物のファサードが並ぶのはどこかベネチアを連想させる。これだけ大きな街でこれだけ古い建物しかないというのは、なかなかないだろう。まるで街全体が博物館のようだ。

ロシア一のエルミタージュ美術館はとんでもない広さで、元々ビョートル大帝の冬の宮殿なので中を見てまわるのも順路がなく、とんでもなく豪華な部屋が永延と続く。3時間以上歩き回っても3階の展示にはたどり着くことはなかった。とある部屋の自立式の展示パネルの前にひどい人だかりができていて、覗いてみると、小さな絵の右下にLeonardo da VinciMadonna and Child’と書いてあった。この美術館はなぜか写真撮影が許されているので中国人は大声で押し合いながら絵の写真を必死で撮っている。それを怪訝そうな目で見ながら、負けじと身体を入れるヨーロピアンでメジャーリーグの乱闘のようだ。パネルは両面展示で裏側にも良さそうな絵が飾ってあるが、だれも見向きもしない。この作者はさぞかし辛いだろうに。

運河沿いに歩いていると、モスクワの有名なボフロフスキー聖堂と似た、玉ねぎ建築の教会があった。ただ、近寄ってみるとモスクワのものよりも作りが大雑把でそれほど古くもないようだった。中に入ると大きな空間はすべてモザイクタイルで書かれたイコン*で埋め尽くされていた。あまりの物量と細かなモザイクタイルの粒子からなる物質感を帯びたイコン*で覆われた空間は鳥肌が立つほど神々しかった。

夕方宿に戻り、街の地図を見ているとネフスキー大通りに丸亀製麺を見つけた。まさか吉野家もセブンイレブンもないロシアに丸亀製麺があるとは思わなかったのでうれしくなった。ハワイでも丸亀製麺が大人気と聞いたことがあるので、ロシアでも大行列かもなーと想像を膨らませた。明日エストニアへ抜けるので今日食べにいくかと宿を出て、ネフスキー通りへ歩き出した。20分くらいで通りに出て、地図の場所へ向かった。この辺だろうという場所につくと、そこには丸亀製麺の代わりにケバブ屋が構えていた。どうやら日本代表の釜揚げうどんはケバブ屋に駆逐されてしまったようだ。


夜のネフスキー通りはライトアップされた古い建物のファサード群が輝き、多くのロシア人で賑わっていた。この街はヨーロッパにいくつも残る観光用の旧市街ではなく、人々が暮らし、働く場所なのだと思うとサンクトペテルブルグは、より一層輝きを増して見えた。







2015/SEP/13 「アンドレイ」

ウランバートルを出る前にアンドレイにシベリア鉄道でモスクワへ向かうことをメールしていた。すぐに会おうという返信があったが、モスクワに着くとさらにメールが来ていて、風邪をひいているので家まで来て欲しいとの事だった。

アンドレイの家は赤の広場から徒歩15分の救世主キリスト聖堂のすぐ近くにあった。市のかなり中心で観光客が歩き回るエリアだ。インターフォンを鳴らすと、相変わらすの無愛想な声で「カム イン」とだけ言った。エレベーターで一番上まで上がると、アンドレイは扉の外で出迎えてくれた。

体調は悪そうで分厚いセーターを着ていたが、とてもいい笑顔を見せた。奥さんも玄関まで出てきて挨拶を交わした。5人の子供たちは来客が来たとたん部屋にこもってしまったとアンドレイは説明した。アンドレイの家は100年以上の古いアパートを改装した2層で、玄関から階段と大きなリビングが見えた。何処もアンティークの調度品が置かれ、高級感があふれていた。思った以上にセンスがよく、きっと、何事もこだわるアンドレイが時間をかけて、一つ一つインテリア、家具を決めていったのだろう。

ダイニングに通されて、テーブルに着くと、奥さんは「ティーにしますか?コーヒーにしますか?」と聞いてきたのでティーをもらった。「なにも特別なものはないの」といいながら、テーブルに用意されたパンケーキに添える、イクラ、小さなハンバーグ、自家製ジャム、フルーツなどを用意した。どれもとれも美味しかった。1杯だけ自家製ウォッカで乾杯した。アンドレイは旅についていろいろなことを質問した。「何故旅をするのか?何処にいったか?どれくらい旅をしたか?何処が良かったか?家族はもたないのか?また建築はやるのか?」37歳で、まだ旅してるというのはロシアではまずないだろう。まー日本でもそんなにいないけど。

多くの人は将来のことを考えて、人生計画を立てる人生が当たり前の先進国のくらしの中で、発展途上国の人のように今しか考えずに生きることはなかなかエキサイティングな人生だと話した。でもそろそろ変える必要があることも。
アンドレイは自分のことを話し始め、人生のことをおおく話した。とても興味深いはなしだった。モンゴルもそうだったが共産主義だった国の話はそれを知らない人間には実におもしろい。異なった価値観を生み、違った考えを共産主義時代を通して持って、そして民主化後に見た欧米化が進む今のくらしがある。その中でロシア人としてはかなり多くの国を見たアンドレイが日本が一番だというのを聞いてとてもうれしかった。

話の途中で子供たちが順番に挨拶に来た、みんな照れ屋で遠くから挨拶をするだけで近くまでは来なかった。汚い格好だったので近寄らなかっただけかも知れない。

気がつくと2時間も話をしていた。「トランジットVisaで時間がないので、そろそろモスクワを見にいくよ。」と言うと、川沿いの公園を歩いてモスクワ大学までいって救世主キリスト聖堂まで歩いて戻るといいと教えてくれた。

モスクワ川沿いはメープルの木がおおい茂り、紅葉がきれいで気持ちよかった。モスクワ大学の前からはモスクワ市内が一望でき、多くの人でにぎわっていた。川の対岸を歩いて戻り、救世主キリスト聖堂へかかる橋の上から夕焼けの教会やクレムリンを眺めた。モスクワは思ってたよりずっとよいところだ。







2015/SEP/12 「ウェルカム トゥー ロシア」

5日目の午後158分に列車はモスクワに到着した。ウランバートルとは6時間の時差があるので体内時計は夜の8時だ。

同じ車両にいたイギリス人が駅の近くのホステルを予約したと言うので、そこに一緒に行くことにした。ホステルの名前は‘Crazy Flogs’と言って、他どのホステルよりも安かった。ただ、何も標識もなく、アパートの一室だったので、近くで偶然道を聞いたのがそこのスタッフでなかったら一生彷徨っていただろう。

中に入るとオーナーらしき中年女性がいて、「予約は1人だけど、もうひとつベッドは空いてないか?」と英語で聞くと、「ノーイングリッシュ!」と大きな声で叫んだ。きっとこれは、ウェルカム トゥー ロシアと言っているんだと自分に言い聞かせた。

客は100%ロシア人でみんなずいぶん長く住んでいるようだった。出稼ぎっぽい人が多い。
ロシア語でいろいろ説明を受け、まったく理解できなかったがチェックインできたようだ。

とりあえず赤の広場をイギリス人と見に行くことにした。鉄道駅に隣接する地下鉄の駅へ歩いていって、地下鉄に乗る前にカフェででっかい骨付き肉の入ったスープを飲んだ。まわりのロシア人はやはりみんな悲壮感たっぷりの表情だ。身内の不幸があったようにしか見えないが、全員同じ日に亡くなるのはおかしいのできっとこれが自然体なのだろう。

モスクワの地下鉄駅はアンティーク博物館のような内装で列車も映画セットのように古かった。赤の広場に着くと、フェンスが張られていて中に入れない。近くに看板があり‘International Army Tatoo Festival’ と書いてあった。10カ国くらい参加国の国旗がみえる。なぜか日本に国旗もある。日本は軍隊はないのになーと思っていると、鉢巻にはっぴ姿で笛を吹く男の写真があった。他の国はすべて軍服なのに日本だけはっぴだ。
これでは日本の自衛隊は鉢巻に半被姿だと思われてしまう。しかも、どう見ても夏祭りの格好なので一人だけすごく寒そうだ。

何はともあれ今日、明日はそのイベントで広場には入れないようだ。ずいぶん悪いタイミングで着てしまった。仕方なくもう少し広場が見えそうなモスクワ川のほうへ歩いてみた。モスクワ川にかかる橋からはクレムリンの姿が見え、川には観光船が絶えず行き来している。夕日の逆光を浴びたモスクワのスカイラインにはゴシック建築の突き出た尖塔のシルエットが印象的だった。



2015/SEP/11 「Trans Siberian Train」

シベリア鉄道に乗って旅するのは昔からの憧れだった。鉄道の旅は情緒があって、常に好きだ。

ウランバートルを出た列車は深夜に両国の国境駅で停まり、出国、入国審査があった。ロシア側は入国審査官、税関スタッフ、危険物チェックの軍人、麻薬犬を連れた軍人が代わる代わるとコンパートメントに入ってきて、仰々しかった。笑顔は一切見られない。

翌朝起きると、同じコンパートメントのモンゴル人学生カップルは同じベッドでいちゃついていた。このコンパートメントで45日かーとすこし気が重くなった。それでも彼女のほうはすこし英語が話せるので、ロシア語が必要なときには通訳してくれたり、食料を分けてくれたりといろいろお世話になった。

昼過ぎくらいに右側の車窓に海のような一面の水面が見えた。バイカル湖だ。3,4時間、果てしなく続く光景に最初は感動したが、30分もすると飽きた。だが、その後、3日くらい永延と続いたタイガの光景を考えると、3,4時間の湖の光景はとてもいいアクセントだった気がする。

途中いくつかの駅で停まり、外に出たが、ロシアの地方都市はどこもかなり寂しくみえた。気温も低く、歩いている人もなにかとてつもない不幸を背負い込んだようにしか見えない。プラットフォームには物売りのオバチャンがスーパーのカートに食べ物を入れて、乗客相手に商売をしている。すごい話しかけてくるが、何も買わない人には冷たい。笑顔は一切見られない。

列車は各車両に2人のスタッフがいて、彼らもスタッフ用のコンパートメントに5日間寝泊りする。彼らははじめは制服を着てるが、途中からポロシャツにジャージと、かなりアットホームな格好になり、ぱっと見、センスのないロシア人乗客に見える。大きな駅に着くときはしっかり着替えてくるのが、どこかコミカルだったが、笑顔は一切見られない。

一度だけ食堂車にも食べにいった。10車両くらいを通過しなければならない大遠征だったが、食堂は映画セットのようなクラシックなデザインで、かなりの年代物だった。スタッフはスキンヘッドのマフィアのようなおじさんが、客が入ってくるとキッチンから出てきて注文をとった。笑顔は一切見られない。

3日目からはあまりの暇で気が狂いそうになったが、停車駅でビールを買えることに気がついて、車内は一気に快適になった。







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