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2015/SEP/11 「Trans Siberian Train」

シベリア鉄道に乗って旅するのは昔からの憧れだった。鉄道の旅は情緒があって、常に好きだ。

ウランバートルを出た列車は深夜に両国の国境駅で停まり、出国、入国審査があった。ロシア側は入国審査官、税関スタッフ、危険物チェックの軍人、麻薬犬を連れた軍人が代わる代わるとコンパートメントに入ってきて、仰々しかった。笑顔は一切見られない。

翌朝起きると、同じコンパートメントのモンゴル人学生カップルは同じベッドでいちゃついていた。このコンパートメントで45日かーとすこし気が重くなった。それでも彼女のほうはすこし英語が話せるので、ロシア語が必要なときには通訳してくれたり、食料を分けてくれたりといろいろお世話になった。

昼過ぎくらいに右側の車窓に海のような一面の水面が見えた。バイカル湖だ。3,4時間、果てしなく続く光景に最初は感動したが、30分もすると飽きた。だが、その後、3日くらい永延と続いたタイガの光景を考えると、3,4時間の湖の光景はとてもいいアクセントだった気がする。

途中いくつかの駅で停まり、外に出たが、ロシアの地方都市はどこもかなり寂しくみえた。気温も低く、歩いている人もなにかとてつもない不幸を背負い込んだようにしか見えない。プラットフォームには物売りのオバチャンがスーパーのカートに食べ物を入れて、乗客相手に商売をしている。すごい話しかけてくるが、何も買わない人には冷たい。笑顔は一切見られない。

列車は各車両に2人のスタッフがいて、彼らもスタッフ用のコンパートメントに5日間寝泊りする。彼らははじめは制服を着てるが、途中からポロシャツにジャージと、かなりアットホームな格好になり、ぱっと見、センスのないロシア人乗客に見える。大きな駅に着くときはしっかり着替えてくるのが、どこかコミカルだったが、笑顔は一切見られない。

一度だけ食堂車にも食べにいった。10車両くらいを通過しなければならない大遠征だったが、食堂は映画セットのようなクラシックなデザインで、かなりの年代物だった。スタッフはスキンヘッドのマフィアのようなおじさんが、客が入ってくるとキッチンから出てきて注文をとった。笑顔は一切見られない。

3日目からはあまりの暇で気が狂いそうになったが、停車駅でビールを買えることに気がついて、車内は一気に快適になった。







2015/SEP/8 「最後の夕陽」

モンゴルの18日間は本当にあっという間だった。

朝、ATMで現金をおろして、その足でノミンデパートへ買い出しに行った。モスクワまでは45日だから、かなりの食料が必要だ。カップラーメン、パン、魚の缶詰め、ツナ、クリームチーズ、ビスケット、卵、コーヒー、紅茶を買い、トマトや三色ピーマンも入れた。ノミンデパートの袋はパンパンになった。

3
時過ぎに宿のオーナーに宿代を払い、お礼を言ってからバス亭に向かった。最後までいたアンディは昨日の電車で既に中国国境へと発った。リサとパトリックはもう中国のどこかの町だろう。ひとり最後に残された気分で妙にさびしい気分になった。

電車のコンパートメントのベットは二段でかなり広かった。列車は定刻をすこし過ぎてから多くのモンゴル人の見送りを受けて発車した。車両の入り口でチケットとパスポートをチェックするロシア人の車掌を見て、いよいよロシアかーと思った。

電車は相変わらず蛇行しながら草原のなかをすすむ。気がつくと8時近くになっていてお腹が減ってきたので、ノミンデパートの袋から辛ラーメンを出した。ザミン・ウードからの列車同様、車内でお湯が手にはいるからラーメンは作り放題だ。宿でボイルしておいた卵を一つ入れて少し豪華にした。

コンパートメントの窓からは日没近い太陽とそれに照らされ輝く草原が見える。所々にある水面が太陽を反射して光っている。ゲルの煙突からは夕飯の準備の煙があがっている。本当に美しい光景だ。モンゴル最後の夕陽はゆっくりと地平線に消えていった。

ラーメンは卵を入れただけとは思えないほど豪華なものになった。





2015/SEP/5 「軽い遠征」

ダンバは外から戻ってくると猟銃を抱えていた。驚いて尋ねると「マーモットだ」と答えた。確かにこの辺は地面にマーモットの巣のような穴が開きまくっているが、たくさんのゲルがあるのでこのあたりで猟は危険だ。間違ってゲルを撃ち抜かなければよいが。

ジャガーは昼飯にマトンチャーハンを作った。馬使いも来たので皆でたべる。久しぶりの米は実にウマい。食べ終わると馬使いに行こうと合図して外に出た。今日はすこし離れた火山の火口まで馬で行く。往復三時間。軽い遠征だ。

火山近くは岩場なので馬はゆっくりとしか歩かないので、ほぼ自動操縦だ。馬使いのあとを勝手についていく。登り口手前で馬を停めて歩いて火口へ登った。相変わらず人影もなくこの国のツーリズムが不安になる。


帰りは丘を回って湖の遠くから帰ってきた。だいぶ駆け足に慣れてきた。馬使いもとなりで並走するので、それに合わせてこっちの馬もスピードを上げるのでムチは不要だ。馬は草原を好むようで草の上に来ると駆け始める。帰りは湖沿いをずっと駆け足で帰ってきた。不思議なことに駆け足から走り始めると馬の揺れは無くなる。駆け足で歩くときの方が細かく揺れて大変だ。だが、走り出すと馬使いは止めるよう言うのでそれ以上は未知の世界だ。もっと馬で走れるようになりたい。







2015/SEP/4 「ダンバとジャガー」

標高2000以上にあるホワイトレイクは9月ということもあり、ゴビとは比べ物にならないほど寒い。モンベルの寝袋はここにきてようやく本当の活躍の場を得た。おじさんがつけてくれた暖炉の火は夜中に消えたようで朝の冷え込みは寝袋に入っていても寒く感じるくらいだった。

9時過ぎに扉がノックされて昨日のおじさんが入ってきた。「大丈夫かー?」という。起き上がって「大丈夫だ。ここはずいぶん寒いね」と答えた。ラッキーなことにこのおじさんは英語の単語を幾つか理解できる。おじさんは隣のゲルで朝食を食べようと言った。隣のゲルはおじさんと奥さんの寝るゲルで食事もそこでとっていた。

お湯をもらいコーヒーをつくって、出されたクッキー、チーズ、バター、ヨーグルトを固めた物を食べた。すべてゴビで食べたのもよりはるかに美味しかった。奥さんはヤクのミルクから作ったと説明してくれた。おじさんはダンバといい、奥さんはジャガーだと教えてくれた。

ジャガーは実にテキパキと動き、次にミルクから作るモンゴルウォッカを作り始めた。鍋でお湯を沸かし、その中に布に詰められていたヨーグルトのようなものを入れて混ぜ始めた。しばらくすると、外に持っていってまた布袋の中に移して、吊るして水分を切っている。すこしアルコールの臭いがするが完成ではなさそうだ。

外の天気は相変わらず曇りだったが湖を歩いてまわった。他にツーリストはいないようで、湖の周りに建てられたゲルは寂しく見えた。

帰ってくると昼飯ができていたのでみんなで食べる。すこし晴れてきたのでダンバとジャガーと外に出て松ボックリから松の実を取り出す作業をした。よく露店で売っているやつだ。まさか自分がやるとは思わなかった。手は松ヤニで酷いことになっている。

晴れまが広がり始めたころに馬に乗るために馬使いを呼んでもらった。ダンバは「ワンタイム10000tgだ」と言い「ワンタイムかツゥータイムか?」と聞いてきた。かなり間違った英語だが、どうにかタイムはアワーだと理解できた。「ワンタイムだ」と答えるとオッケーと指で返事をしてきた。特に時計も確認する事なく、馬に乗り湖の周りを歩き始めた。時間はだいぶあいまいそうだ。


前回同様チューチューと言って腹をすこし蹴ると早足で進んだ。わりと行けそうだ。湖を見るために丘の上に上がりたいと言うと馬使いは了承して登り始めた。そのあとを着いて登り、頂上付近で馬を止めた。降りようとすると左足から鉄の環が抜けないで転びそうになった。なんとか足は抜けたが手綱を離したので馬が走って坂を下っていってしまった。あーあーあーと眺めていたが、馬使いは何やら怒って文句を言っている。馬を追うがスピードが全然違う。見かねた馬使いは馬を走らせて捕まえに行ってくれた。馬上で弓を引けるようになるのは無理かもしれない。









2015/SEP/3 「ホワイトレイク」

朝起きて、顔を洗いに洗面所へ行くと同じ階の殆どの部屋は清掃をしていた。みんなすでにチェックアウトしたのだろう。ポットのお湯でコーヒーを作って、ウランバートルで買ったビスケットで朝食にした。荷詰めして、レセプションにバックパックを預けて昨日閉まってて見れなかった博物館とガンデン寺を見に行くことにした。

博物館はコミュニストに壊されずに残ったお寺を使用しているので、なかなかよい建物だ。真ん中にゾクド文字の掘られた石碑があり、これは紀元前のモンゴルを知る上でとても貴重なものだろう。だが、それ以外の展示は今一つで、途中からモンゴルの近代の展示になってからは足を止めることは一切なかった。

ガンダン寺は小さいが地元の人が熱心にお参りしていて好感がもてた。ガンダン寺の裏にもうひとつ小さなお寺があったがそっちの建物はなんとゲルだった。ゲルの前にすこし悪そうな僧侶がいて、話しかけてきた。「何処から来た?」「日本だ」「僧侶か?」「違う」「何をしてる?」「ツーリストだ」こちらの答えをどれだけ理解したかは分からないが、僧侶でないことは伝わったようだった。

昼前に宿にもどり荷物をとってから乗り合いバンが出るという市場へ向かった。市場の前は買い物に来た人の車でうめつくされていた。一通り見て回るが、それらしいバンは見当たらない。しばらく歩いていると、ヒュンダイのバンの中で足を出して寝ている男がいた。その男を起こして「タリアト?」と聞くとそうだと頷いた。ほんとかなーと思ってもう一度聞くとまた頷く。「値段は?」とジェスチャーすると15000tgと携帯に数字を表示した。悪くないなと思い「何時に出るの?」とジェスチャーすると12:10と紙に書いてくれた。10分後だ。

なかに乗り込んで待っていると夫婦のような男女が乗り込んできて、運転席の若い男に指示をだした。どうやら家族のようだ。そして車は出発した。買い出しに来た家族のようで、みんなで運転中に話をしている。親父はガンガン話しかけてきて、身振り手振り説明してくる。そしてビューポイントのたびに説明をしてくれた。何を言ってるかは分からなかったが、その心意気が嬉しかった。

14:30
くらいに町について車は止まった。どうやらここがタリアトのようだ。ゴビで見たなんの魅力もない町の草原バージョンだ。モンゴルの地方の町はほんとに魅力に欠ける。何日かいると、あのウランバートルが恋しくなるほどだ。

財布を見ると細かいのは13000tgしかなかったが、親父はいいよと言って受け取った。
お礼を言ってから、ホワイトレイクに向かって歩き始めた。町を出ると雲行きが怪しくなり、二キロほど歩いたところで降り始めた。レインウェアを着て、さらに歩くと車が後ろからやって来た。なんかたくさん人を乗せてる車だ。運ちゃんにホワイトレイクと連呼するとドアを閉めて走り去っていった。現地の名前で言うべきだったかなーと考えながらまた歩く。するとまた車が来た。今度は現地名でテルヒーン ツァガーンと言うと運ちゃんは「ホワイトレイクか?」と英語で答えた。「そうだ」と答えて、「雨降ってるから取り合えず乗せてくれ!」と頼む。運ちゃんは「10000tgだ」という。「高過ぎだろ!5000でいいか?」と聞くとオッケーが出た。安く泊まれるゲルまで連れていって欲しいと言うと、「英語はあまり分からないが、何が言いたいかは理解した」と笑顔で答えた。
そして、ホワイトレイク一のリゾートに到着した。ほんとに英語はあまり分からないようだ。

取り合えず値段を聞くと「98000tgだけど、安くするとよ」言われた。そこから安くなってもたかが知れているとおもい、「近くの安いゲルに泊まるよ」と伝え、雨が止むまで中にいれてもらうことにした。二時間ほどして雨が止んだので歩いて、ゲルを探しに行こうとすると向こうの丘からザミーン ウードで会ったカナダ人カップルがやって来た。彼らも驚いた様子でお互いの行った場所や、これからの旅程を話して盛り上がった。暗くなる前にゲルを探さないとまずいので別れをつげて、湖沿いに歩き始めた。最初の三件のゲルはどれも返事がなく、かなり焦り始めた。9月に入りツーリストはいなくなったので、人気がしない。また雨が降りだしそうだ。すでに7時半を過ぎている。

しばらく歩くと前からバイクに乗ったモンゴル人のおじさんが来た。手をふって止めて、泊まれるゲルはないかと必死にジェスチャーをすると、「ゲル持ってるぞ」と言う。「ほんとかー!」と喜んで値段を聞くと15000tgという。飯は?と聞くと6000tgと携帯に表示してきた。飯は6000でいいから、泊まるのは10000にしてくれと頼むとすこし考えてからオッケーと言った。ようやく今夜の宿が決まった。

おじさんは2ケツでゲルまで乗せてくれて、「this is your ger」といって一つのゲルの前で止まった。他に客はいないようで、おじさんはさっそく煙突を天井から出して、暖炉に木を入れて火をつけた。部屋はみるみる暖まり、雨で濡れたレインコートを乾かした。

夕飯はマトンとジャガイモ入りのスープパスタだった。紅茶を作ろうとお湯を貰うと、ティーパックを入れる前からお湯が何故かすこし茶色かった。深く考えるのはよしてティーパックを入れてぐるぐるかき混ぜると、すぐに分からないくらい茶色くなった。







2015/SEP/2 「ツェツェレグの岩山」

夜トイレに行くと空は一面の星空だった。相変わらず山際は明るかったが、ゴビと変わらず天の川や人工衛星が見えた。

朝起きてダイニングへ行くと台湾人の女性が一人静かに朝食を食べていた。話を聞くとハラホリンに3泊して、これからウランバートルへ戻るそうだ。

朝食を済ませて、エルデニ・ゾーへ向かった。朝日を浴びるモンゴル帝国のお寺群はドラマチックで巡礼するモンゴル人がとても美しく見えた。近くにある日本が建てた博物館は建物のデザインの意図が分からなかったが、なかなか興味深い展示だった。日本のODAで建てた海外の建物はたいてい酷いデザインだ。センスがないなら、現地の建物を忠実に建てればよいと思う。

ハラホリンには稼働しているATMが一つしかなかったが、なんとか現金を下ろすことができた。宿にもどり、GAYAにツェツェレグまでヒッチで行くと伝えると町外れの橋まで送ってくれた。あとはひたすら通る車に手を挙げるだけだ。
だがモンゴルの交通量は少ない。すぐそこはもう草原で地平線まで動くものは何も見当たらない。

これは長期戦かなーと思ったら、目の前に一台のバンが止まった。「ツェツェレグ?」と聞くと頷いた。すぐに中に乗り込みお礼を言った。40くらいの男と助手席に座るそのお父さんらしき男、その膝の上に小さな女の子がいた。英語は全く通じないが、悪い人ではなさそうだ。

二時間半ほどでツェツェレグについた。車を降りて、お金を払う必要があるか聞くと頷くのでいくらか聞く。男は右手で4をだした。4000なのか40000なのか不明だ。4000なら安いし、40000ならすごく高い。細かな紙幣は無かったので20000tg札を渡すとニンマリと頷いた。御釣りは?と思ったが男は笑った顔で固まっている。仕方ないと車を後にした。
ここには安宿が見当たらないし、客引きもいないので、ロンプラで絶賛されているFairfieldという宿へいってみることに。しかし、そこは値上がりしていて1泊42000tgと言うので隣のNaran Hotelへ。こっちは完全にローカル用のホテルで朝食も付かないが30000tgとまだましだった。

荷物を置いて、シャワーを浴びてから歩きに外へ出た。博物館はもう閉まっていたのでその裏山に登ることにした。町のシンボルのような岩山は上の方がかなり急斜面に見えた。しばらく行くと二人の子供が遊んでいて、一緒に行くか?とジェスチャーすると着いてきた。彼らはぐんぐん岩を登っていく。かなり登ったところで、岩肌にグル・リンポチェの絵が大きく描かれたところに出た。そこはもう傾斜45度はあり、落ちれば残念なことになるのは明白だった。サンダルで来たこと後悔したが、絵の縁は岩に溝が掘ってあってそこに指を入れてなんとか登った。その上の岩に登ると町がすべて見下ろせた。素晴らしい景色だったが、その奥にはさらに高い岩山が見えた。まだあるのかーとヘコんだが子供たちは行くぞとジェスチャーする。仕方ないなと登れそうなルートを探して子供たちに指示をだした。

奥の岩山の頂上に立つとほんとにすべてのものが見えた。向こうの丘に広がる住宅群が夕焼けに照らされてとてもシュールだ。ただ、残念なことにさらに奧にもっと高い岩山があった。すでに7時半を回っていたので子供たちに下山の指示を出して下り始めた。サンダルでの下りは困難を極めた。
なんとか暗くなる前に降りなければ!







2015/SEP/1 「カラコルム」

昨夜はベットでビールを飲みながら寝入ってしまったので、カラコルムヘのバスの時間を調べわすれた。朝起きて時計を見るとすでに9:00過ぎだった。朝食をとりながら、アンディのロンリープラネットを借りて見るとカラコルムヘのバスは毎日11:00発とあった。ぎりぎりだなと思ったがすぐに準備にとりかかった。8時に荷詰めを終えて、レセプションに行きチェックアウトを伝える。不要な荷物を預かってもらい、バスターミナルへの行き方を教えてもらった。

宿を出たときはすでに10:15だった。早足でノミンデパート脇のバス停に行き、バスを待ってる間に露天でビスケットを買った。バスに乗り、運ちゃんに「ドラゴンバスターミナル」と3回告げた。運ちゃんは頷く。多分大丈夫だろう。

バスが止まり、運ちゃんがここだと合図した。すでに10:52だ。走ってバスを探す。大きなバスターミナルの建物の前に大型バスが何台か留まっていた。すると突然英語で「どこへ行きますか?」とモンゴル人女性に話しかけられる。驚きつつも「ハラホリン」と答えると、「このバスです」と教えてくれた。値段も運ちゃんに聞いてくれて、17000tgだと教えてくれた。良かったーと安心すると女性はハラホリンで姉がGAYA's Gerという宿をやってると言ってチラシをわたしてきた。どうやら客引きだったようだ。値段は朝食込みで8ドルと安いので「そこに泊まるよ」伝えた。名前を教えるとその子は姉に電話してバスターミナルに迎えに来てくれるよう手配してくれた。現金があまりなかったので、ターミナルのATMへ行くと他のモンゴル人のがハラホリンの宿の勧誘に来た。そこも値段は同じだったのでチラシをもらい、「考えるよ」とだけ伝えた。名前を聞かれたので「タツキ」と答えた。ATMはどこも中にお金が無く引き出せなかったので、バスに乗り込んだ。11時を10分ほど回っていたが、運ちゃんは待っててくれて、その後すぐにバスは出発した。

ウランバートル近郊の景色はやはり、イマイチで好きになれなかったが、二時間も走ると草原とゲルの景色になった。ハラホリン手前で黄色の花が一面に咲く草原がみえて綺麗だった。

ハラホリンに着いて、バスを降りるとネームプレート持った人が二人いて、片方は「TATSUKI」でもう一方は「KATSUKI」だった。あの二人の客引きだなと思った。しかも片方は名前を間違えてる。TATSUKIと書かれたネームプレートを持ってる人に話しかけると「私がGAYAだ。クルマで宿まで行こう」と答えた。GAYAの宿は、町から離れていたがカラコルム遺跡のエルデニ・ゾーからは近く、すぐ裏に丘があり草原へと続いていた。
宿にはゲル以外に建物もあり、どちらに泊まっても8ドルだった。ゲルは飽きていたので建物の方に荷物を運んだ。まだ工事中のようで一階部分のみ使ってるようだが、部屋はとても綺麗だった。

GAYA
に夕食を頼んで、裏の丘に登った。一番上に亀石とオボーがあり、そこから見下ろすエルデニ・ゾーは素晴らしく冷たい風がとても気持ち良かった。


2015/AUG/31 「それぞれの旅」

心配していたロシアのVISA申請はなんなく受理された。金曜の午後に受け取れるらしい。
ここのロシア大使館はモンゴル人と外国人の申請時間が別れていて、外国人は午後2時から3時の間の一時間だけだったので一回で受理されてほっとした。

宿に戻るとリサが出発の用意をしていた。彼女は北京での軍事パレードのせいで外国人が滞在できないというので中国に抜けたあと西安まで一気に移動するという。3連泊夜行はシンドイ旅になるだろう。

リサは速乾性タオルが二枚あるからと一枚くれた。持ってなかったのでとてもありがたかった。お礼に速乾性でないタオルをあげようと言ったが断られた。

リサはみんなにサヨナラを告げ、彼女の旅の最後の国となる中国へと旅立っていった。
しばらくするとアンディが戻ってきた。中国VISAの申請には間に合わなかったようで、水曜にまた出直すらしい。ここの中国大使館は月、水、金しかやってなく、今週は金曜が祝日なので月、水のみと狭き門だ。彼は今日申請して金曜に受けとりたかったが、祝日のせいで月曜受け取りになり、それではモンゴルVISAが切れてしまうので今度はモンゴルVISAの延長が必要になってしまうという悪循環に陥っていた。

アンディは不機嫌そうに自分のベッドに戻るとジップロックに入った、ビスケットとカラフルなドイツのグミを見つけて、「誰のだ?」と聞いてきた。その不気味な色のグミはリサがゴビツアーでいつも食べていたものだった。きっと彼女が西安までの車中で食べるために用意した食料だろう。

無事を祈る。


2015/AUG/30 「旨くないウマ肉」

昨日はすこし町を歩いた程度で宿でのんびりして過ごした。写真の整理は気が進まず、手がつけられなかったが洗濯は無事ランドリーから戻ってきた。

遅めの朝食をとって、宿のオーナーにテレルジの行き方を教えてもらった。もうツアーはいやだったので自力で行く方法を教えてもらった。リサを誘うと来るといい、一緒に行くことにした。

宿の近くから市バスで東端にあるバスターミナルへ向かった。そこから別のバスで発音のスゴく難しい町へ行き、そこの食堂で昼飯を食べた。焼肉定食のような物を頼みたかったが、値段の違う3種類があり、文字が読めないので困っていると右隣から日本語で「助けましょうか?」と不意に話しかけられた。見ると、言われなければ分からないほどモンゴル人の日本人が立っていた。彼は「その3つは肉が違うよ。一番高いのが牛で、次が馬、一番安いのが羊」と教えてくれた。馬が旨いと言うので馬肉の定食にした。彼は40くらいにみえたが、ウランバートルの大学でモンゴル語の勉強をしてるという。
お礼を言ってテーブルについた。しばらくして馬肉定食が来たが、臭いがキツかった。ウマがウマいと言うのは、ただのギャグだったのかも知れないなーと馬肉にしたのを後悔した。

テレルジへはさらに乗り合いのバンで30分ほどで着いた。観光地らしくたくさんのホテルとゲルが通り沿いにあり、すこしガッカリした。
ここへ来たのは馬に乗るためと気分を切り替えて、馬がとまっている場所へ向かった。ガイドもつけてもらい、3人で馬に乗り近くにあるというお寺に向かって歩き始めた。ゴビでは常に縄で引かれていたので、今度は一人で乗せてくれるように頼んだ。モンゴルではチューチューと言うと馬が進む。早く行くには足で腹をければいい。しかし、ここのガイドはバンバンムチを入れる。こっちの馬が進まないと後ろからムチを入れるので、びっくりする。大丈夫かと心配になったが、「問題ないからムチを入れろ」とジェスチャーをすっる。

ムチを入れると馬は早足で進む。大丈夫そうだ。リサは危険を察知したのか、しばらく縄で引いてもらっていたがそのうち一人で乗り始めた。寺で一度降りて鞍を締めなおして、

また同じ道を帰った。途中で近くのツーリストキャンプの敷地に馬が勝手に入り、そこから暴走し始めた。ガイドが素早く前にきて、「ストップ!」と叫んだ。手綱を目一杯引いてなんとか止まったが、一瞬まったく言うことを聞かなくなりびびった。
モンゴルでは馬に乗りながら弓を引けるようにまでなる予定だったが、どうやらそんなに簡単にはいかないようだ。そこからはかなり押さえめで乗って帰った。


2015/AUG/28 「いとしのウランバートル」

朝起きるとまだみんな寝てるようで、バイサのイビキ以外は何も聞こえなかった。
朝日が低い角度から町を照らしているので、すこし歩きに外へでた。朝日を浴びた町はドラマチックで何の魅力もないこの町を綺麗に見せた。

戻るとアンディ以外はみんな起きていて、1階で朝食を食べた。

バイサはトクサの娘二人もウランバートルに戻るから一緒に乗っていっていいか?と尋ねた。誰も反対しなかった。遊牧民は夏、人手がいるので学校の夏休みは3ヶ月とながい。その間子供たちは実家のゲルに帰り、家族の手伝いをするのだ。

いよいよウランバートルへ帰る日だ。あのウランバートルへ帰るのがこんなに待ち遠しくなるとは考えもしなかった。娘二人含め全員が乗り込みトクサはバンを走らせ始めた。

道は相変わらず悪路で草原の轍のない草の上を走ることが多かった。ただ、アンディの携帯のGPSによると四キロほど右に行けば、ウランバートルまで続く舗装された道が平行に走っていた。なぜずっとこの草むらを走るのかはトクサ以外は理解できなかったが誰も文句を言わなかった。

途中最後のストップで大きな岩山で止まった。そこは聖なる山として崇められているようだった。とりあえず登ってみたが、途中からあまりの急斜面で引き返してきた。この山は見た目ほど平和な山ではなかった。トクサはその間車の点検をして、タイヤのシャーシをとめているボルトが2本残して全て切れているのを見つけた。なんとかワイヤーで縛り上げて、出発する事ができたが、走行中に外れなくて本当に良かったと思った。

ウランバートルの郊外に差し掛かったのは、夕方前だった。遠くから見るウランバートルは灰色の雲に覆われていかにも空気が悪いように見えた。後で知ったがウランバートルは冬、北京の2倍空気が悪くなるらしい。恐ろしい町だ。

車は懐かしいピース大通りを進み、ノミンデパートの前を過ぎた。帰って来たなーと感無量になった。宿に戻るとまた前使っていたベッドに戻れた。アンディとパトリックも元いたベッドにもどり、リサはみんなと同じ部屋に移ってきた。みんな6日間も一緒だったので、だいぶ仲良くなり、だいぶ仲悪くなった。ツアーはあまり好きではないが、たまには悪くないなと思った。



2015/AUG/27 「トクサ邸」

昨夜はまた宴会で砂の上にマットを敷いて、寝袋で寝てしまった。明け方大量の蚊に気がついたが、面倒でテントに入らなかったのでかなりヤられた。そもそもテントは風で遠くに飛ばされていた。この蚊は刺されると腫れるようで、刺されたところはしこりのように膨らんできた。この辺りにやたらと動物の骨が散乱しているのと関係があるかまでは分からなかった。とりあえず、早く朝食を食べて、そこから出ることにした。

その日は世界で初めて恐竜の卵の化石が見つかった有名な谷へ寄ったが、2日目に立ち寄った場所とそう変わらい景色だった。

今日の夕飯はモンゴル遊牧民の伝統料理ホルホグを食べることになっていた。これはツアーとは関係なく食べたいということになり、バイサに手配してもらうことになったものだ。途中の町でマトン四キロを調達して、トクサの義理の弟のゲルで調理をするとこになった。

トクサ弟のゲルは観光客用ではないので、リアル遊牧民仕様だ。ゲルの中で馬乳酒をどんぶりいっぱいに出された。かなりの酸味で美味しいものではなかったが、子供たちもごくごく飲んでいた。それ以外も遊牧民乳製品のオンパレードだった。ヨーグルト以外は日本で目にするものとはかなり違った味と見た目だ。そして、そのあとはチンギスウォッカが出てきた。

きっとかなりのもてなしなのだろう。隣のゲルでホルホグの調理用の焼け石をつくり、細かく切り分けたマトンとジャガイモと一緒に鍋に入れた。待ってる間、彼らの飼ってる馬に乗せて貰えることになり、義理の弟は外の馬のほうへ向かって行った。馬は放し飼いで、必要なときに捕まえてくるようだ。バイサは「ここは観光客を乗せるとこではないから、半野生だよ。気を付けて」と言ったが、どう気を付ければいいかさえ分からなかった。結局、馬に乗った少年が馬をロープで引いて辺りを廻っただけなので特に危険はなかったが、見渡す限りの草原で乗る馬はかなり気持ちよかった。

ホルホグはいわゆるバーベキューのようなものなので、想像通りの味がした。脂肪の塊もいただいたが、モンゴル人以外は食べなくて良い思った。

それからまた宿泊地へ移動をしたが、その日の宿はトクサの家だった。トクサ邸は町のなかの立派な家だった。トクサ邸につくと家族がビールやらホーショールやら用意をしてくれていて、また飲み始めた。トクサはゴールデンチンギスを開け、また各国語での乾杯が始まった。

テラスで酒を飲みながら羊の足首の骨をサイコロ代わりに使う遊牧民のゲームを家族と遅くまで楽しんだ。見上げるとここでもやはり満天の星空が広がっていた。







2015/AUG/26 「Hidden Gem」

今朝は朝イチからラクダに乗ることになっていた。あの元気のないラクダかーと不安だったが、乗るとしっかりとした足取りで歩き始めた。サハラ砂漠でも乗ったがラクダは臭い!ロープで繋がれているので操縦は不要でツーリストアトラクション感が強いのであまり好きではなかった。

ラクダは昨日とは別の砂丘まで行き、そこからは歩いて砂丘を堪能して、またラクダでゲルに帰った。

そして、また景色の変わらない移動が続いた。揺れが酷く眠ることもできないので暇だ。リサはシリトリをしようと言い出し、どーでもいいシリトリがしばらく続いたが、どちらかと言うと山の手線ゲームの方が盛り上がった。ランチで止まると、もはや何もないことに慣れてしまったみんなは時間をもて余し、車の影で寝て調理完了をひたすら待った。
この日の移動は長く、道も悪かった。

しばらくして、景色のなかにモニュメントバレーのような山が見えた。その山はさらに低い岩山に囲まれていて、岩山の切れ目からなかに入れそうだった。バイサに今日はそこでキャンプできないか聞くと、降りて確認しに行った。入り口に深そうな砂があり車がそこを越えれればキャンプできそうだった。トクサはまずまっすぐに砂を越えようとしたが諦めて、砂の左を廻ってなんとか越えた。

真ん中の山の目の前に車を停めてテントを張った。素晴らしいロケーションだ。バイサもトクサもキャンプしたことのない場所だった。

山の頂上へ登れそうなルートを探しに行った。裏側からすこし垂壁を登る必要があったが登れそうなルートを見つけた。試しに登ると上からは囲んでいる岩山の向こうまで360度見ることができた。夕日の時間にアンディを連れて再度登ると、そこからは遥か彼方の地平線に消えていく夕日が見えた。本当に良い場所を見つけたと満足感が込み上げてきた。

 




2015/AUG/25 「砂丘の裏側」

今日もあいかわらず景色の変わらない悪路をひたすら進む。もはや車の轍も無視して、何もない草の上を走ってる。

バイサにどこで日本語を学んだか聞くと、7年間日本にいたと言う。千葉の銚子港で漁師をしてたらしい。どうりで言葉が男らしいわけだ。「おらがよー」とか「だっぺよー」と言うが千葉の人がホントにそういう方言かは不明だ。

バイサは離婚歴のある35歳だが、すごい腹が出ていて身長160くらいなのに95キロあった。
昨夜、酒を飲んでるときにモンゴル相撲の話になり、試しにアンディと相撲を取ってもらうとバイサは見た目からは想像できない速さで動き、アンディは宙に舞った。

車の左側にはアルタイ山脈が延々と続き、その手前に砂丘が山に沿って続いていた。
砂丘の近くには数キロおきにゲルのツーリストキャンプが見えた。もうこの辺でいいんじゃないというところを何度か過ぎて、車はようやく本日のゲルに着いた。ゲルの前には疲れた顔のラクダが何頭も繋がれていた。ラクダのコブはなぜか垂れていて、大丈夫かと心配になった。バイサは夕飯後に砂丘にいって日没を見ると言ったが、今すぐに出た方がよさそうだった。

調理を手伝ったが、案の定、砂丘に着いたときには日は落ちていた。それでも明るいうちに砂丘の向こう側を見ようとみんな駆け足で登り始めた。アンディは日没が見れないのですぐに引き返した。砂丘はかなり急で登りづらかったが、なんとか明るいうちに登りきった。振り返るとリサとパトリックが登っているのが遠くに見えた。
砂丘の頂上からは裏に広がる低い砂丘群が見えて、沈んだ太陽に照らされて西の空が赤く染まっていた。なかなか壮大な眺めだ。

裏側へと続く砂の稜線に座り、刻々と暗くなる景色をしばらく眺めた。






2015/AUG/24 「モンゴルの星空」

朝起きると、まだみんな寝ているようだったので静かにゲルをでて散歩をした。モンゴルの景色は朝と夕方はとてもドラマチックだ。草原にはわりと多くの花や色のついた草があり、朝日や夕日を浴びた草花は陰影を増し、風に揺られてどこか寂しげな景色をつくる。それはとても美しかった。

戻るとバイサが朝食の準備をしていて、リサも起きていた。バイサは昼飯用のサンドイッチも作って、それからみんなで朝食をとった。バイサの作る飯は蒙洋折衷のようなものが多かったが、必ず肉が入っていた。モンゴルで肉と言えば羊のことで、「肉の入ってない料理は草だ」とモンゴル人が言っていた。

その日はかなりの移動距離で道も未舗装になった。昼過ぎに荒野の真ん中で止まった。そこは永遠と続く大地が崖のように切り落ちていて、グランドキャニオンのような岩肌で赤土を含んだ谷下の地面は幾つもの隆起があり、さらに先の大地へと続いていた。
ゴビは砂漠だけでなく、色々な所があるようだ。

さらに、いっこうに変わらない景色を見ながら何時間も進み、夕方に差し掛かるころに鷲の谷と呼ばれる渓谷の入り口に着いた。バイサは渓谷を歩くのは明日にして、今日は博物館だけ見て、キャンプ地へ行こうと提案してみんな賛成した。


その日は丘が続く草原でテントを張って寝た。周りにはゲルもなく、風の音以外は何も聞こえない静かなところだった。夜、月が沈むと夜空の星は数を増して輝きだした。天ノ川や人工衛星も見える。バイサは日本にいたときに天ノ川の話を聞いたが、モンゴルでは毎日見えるので腑に落ちなかったらしい。寒くなってきたのでモンゴルの着物を借りた。中央アジアのローブに良く似た着物はとても暖かく、星を見るには最適に思えた。








2015/AUG/23 「トクトイ」

朝お金を払いに行くとアンディが再プッシュしたらしく、ツアーの値段が一日56ドルになっていた。部屋代とツアー代をオーナーに払い、荷物をロシア製のバンに詰め込んだ。ドライバーはアンディ、パトリックが前回ツアーで一緒だったトクサで、ガイドは結局日本語のできるバイサだった。オーナーは「バイサは英語が苦手だから日本語を英訳してあげてね」と言った。別に日本語のできるガイドを頼んだわけではなかったのでなんで?と思ったが、まーいいかと了承した。

ロシア製のバンの中は広くて6人なら快適に思えた。ウランバートルを出る前にスーパーにより、ビールとウォッカ、スナックを仕入れた。ドイツ人は迷わず2.5Lのビールを6本買った。こんなに飲むのかと思ったが2日目にはまた酒を調達する事になった。

そのあとずっと走り続け、何もない草原の真ん中で車を停めて昼飯を食べた。バイサは車の後ろで手際よくマトンと野菜の入ったペンネを調理した。ただ、何にもない草原には隠れる場所もなく、リサはトイレ探しに遠くまで遠征が必要だった。

昼食後、4,5時間進んで岩山で止まった。ここは本日の見所のようだ。コミュニストから逃れた僧侶が身を隠した洞窟があり、その周りは荒々しい岩山が広がっていた。そこからしばらく行ったとこでゲルが4棟建っていて、そこが今夜の宿だった。まず家族のゲルに入り、ミルクティーとヨーグルトが振る舞われ、それから寝るためのゲルに通された。真ん中にテーブルがあり、外周に沿ってベッドが4つあった。なかなか快適そうだ。


バイサが夕飯の準備をしてる間に周りを散策し、夕方、家族が羊を追っているのを眺めた。そして、生ぬるいビールとウォッカを飲み始めた。アンディは宿からショットグラスを持ってきていて、何度も乾杯をした。日本語で乾杯をして、そのあとドイツ語で「プロースト」と言って杯を開け、モンゴル語で「トクトイ」と言ってまた杯を開けた。トクトイはモンゴル滞在中に覚えた数少ないモンゴル語になった。




2015/AUG/22 「ツアー前日」

アンディ達にゴビツアーに加わると伝えて、オーナーにツアー内容を聞きに行くと、一緒に行く予定だったスペイン人カップルがキャンセルしたと言われた。その代わり着いたばかりの日本人が一人加わると言う。計四人だ。5人なら1日55ドルだったが、4人だと58ドルだと言う。6日間のツアーだから結構な額だ。

新しく加わった日本人はリサという女の子で、空路でウランバートルに来たらしい。半年間の世界旅行でモンゴルのあと中国へいって帰国するそうだ。とりあえず、アンディ、パトリックと他に参加者がいないか、別の宿を見に行くことにした。

三件廻ったがどこも自分のとこの宿泊客を他のツアーに参加させたくないようで、宿泊客とも会わせてくれなかった。仕方ないなーと諦めて、モスクワ行きの電車のチケットを買いに鉄道駅に行った。モスクワ行きは週に3日しかなく、VISAに1週間かかるとすると一番早いのは98日発だった。ゴビツアーから帰ってきてから10日もある。モンゴルは結構長くなるなーと思ったが、馬乗って過ごそうと気分は上々だった。

チケットを買って、宿に戻りみんなで明日の出発スケジュールの確認をオーナーとした。
そのあとアンディ、パトリックと近所の韓国料理屋で遅めの夕飯を食べた。韓国料理を知らないアンディは食べてる時に信じられないほどの汗をかき、箸を使えないパトリックは頑張って箸でビビンバを食べたため、必要以上の長居になった。

明日はゴビツアーだ。



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