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2016/FEB/9 「ブルジャンプ」

昨夜、ジョンがホテルに来たときにディメカまで乗せてもらえないかと聞くと二つ返事て快諾してくれた。

朝十時になるとジョンの車の音がして、中庭に車が止まった。車にはエチオピア人が数人のっていて、彼らも乗せて行くようだ。オモラテへ行くと言っていたアッレもやはり、ジンカへ戻るといい、ジョンに乗せて貰うことにしたらしい。

ディメカでは今日もマーケットが開かれていたが、土曜日のマーケットに比べると全く活気がなかった。ジョンにお礼を言って別れ、ブルジャンプの情報収集をすることにした。相変わらず、面倒な客引き達がすぐに寄ってくる来るので、近くのコーヒー屋に入り、コーヒーを飲みながら、ゆっくり店の人に聞こうと思ったが、客引きも入ってきてしまった。その店を後にして、先週土曜に来たときに入ったコーヒー屋へ移動し話を聞くと、ブルジャンプの行われる村までバイクで往復100ブルで行ってくれるという。その辺の客引きは一人500なので、かなり安い。ブルジャンプの見学料が500らしく、合わせて600ブルだ。ジンカの子供ガイドのバグが言っていた2000ブルと言うのは酷いボリっぷりだ。

お店の人にお礼を言って、1時に店に集合してブルジャンプへ向かうことにした。

昼飯を食べてから、約束の時間に戻るとバイクはまだ来てなかったので、コーヒー屋に電話で呼んでもらうと、しつこく付きまとってきた客引きも一緒に来て、「これは俺のバイクだ。値段は一人300でなければ乗せない」と言い始め、バイクの運ちゃん、コーヒー屋も300だと意見を変えてしまった。南部ではちょっと前までいいヤツだったのが、いきなり悪くなったり、話してた値段が変わったりはよくある。これに腹を立てるときりがないので、すぐにその場を離れることにした。もうダメなら歩いて行こうと街道へ出て、村の方へ歩き始めた。客引き達は「コッチヘ来て、話を聞け」と呼ぶが、歩きながら、「お前がコッチヘ来い」と言うと、バイクで追いかけてきた。客引きは「一人100でいいから、ブルジャンプの見学料も俺に払ってくれ」という。多分ブルジャンプのお金はもう少し安くでき、彼らがその差額を貰うということらしい。それでも一人600で済むなら安いなと思い、それで行くことにした。

さっそく、運ちゃんの後に乗り発進したが、バイクは道路から外れて、登り道に差し掛かったところでいきなり止まった。「どうした?」と言うと「エンジンがかからない」と言う。何度キックしてもエンジンはかからず、よく見るとタンクからガソリンがボタボタ漏れている。このバイクはもうダメだ。

すると、すぐ横をハマル族の女性が通りすぎてゆくのが見えた。「シンバル村?」と聞くと軽く頷き、アッチだと仕草する。付いてこいと言い、スタスタとサバンナの中を歩いてゆく。運ちゃんに「バイクが動かないなら、この人に付いていくからもういいよ」と言うと、「ガイドがいないとダメだ。俺も行く」と言って引かない。「バイク代は払わないぞ」「それでいい。ただしブルジャンプのお金は俺に払ってくれ」「本当のブルジャンプのお金はいくらなんだ?」「。。。400だ。100は俺のガイド料だ」やはり、ブルジャンプの値段は500ではなかった。ただし、それでも、言葉の通じないハマル族の女性に付いて行って、ブルジャンプに辿り着けるかは微妙だ。「よし、それでいいよ。ブルジャンプに案内してくれ」と言って、運ちゃんも徒歩で行くことにしたなった。

30
分ほど獣道を歩くと開けた所に40人くらいのハマル族が集合している場所に着いた。外国人は見当たらなく感動したが、一時間もするとランクルが4台くらいやって来て、外国人は10人くらいになってしまった。

大きな壺でコーヒーの殻を煮た飲み物を飲んだり、歳のいった男は酒を飲んだりして、くつろいでいる。女達は座り込んだり、踊ったりしている。柵で囲まれた小屋がひとつあり、そこに今日もブルジャンプをする若者がいた。かなりの長身で立派なモヒカンだ。以外にフレンドリーで握手をして、写真も取らせてくらた。

スケジュールがまったく読めないなか、着いてから二時間くらいが経ち、向こうでむち打ちが行われるとガイドが教えてくれ、若い女性と男衆、ツーリストが歩いて大きな木のある場所へ向かった。

数人の男性が女から渡された木の枝で女を打ちはじめた。ピシッという音がしたが、女は全く痛い素振りは見せないだけでなく、笑顔だ。他の女は笛を吹きながら回りを跳び跳ねて待っている。一人が打たれるとすぐに他の女が男に木の枝を渡す。そして男の前で両手を広げて「自分を打て!」と構える。3人ほどの男に対して女達は20人はいるから、男は囲まれ、次から次へとむち打ちを懇願される。暫くすると、男はむち打ちを拒み逃げるが、女達は追いかける。何度も繰返し打たれて背中には赤い血が滴っている。木の下では男衆が若い男が顔にペイントを施しはじめた。

ハッキリいって、むち打ちは見ていて気持ちいいものではない。暫くすると気分が悪くなりなり、もういいかなという感じになる。彼らは動物ではなく、同じ人間だ。痛くないわけがなく。打つ方にもやり過ぎないようにしている様子がある。女性達はトランス状態にも見える。目を虚ろにして男にむち打ちを懇願する姿は狂信的だ。

ひと段落して、元いた場所に戻ってきたが、その後も何度がむち打ちがあり、5時半位にようやく、ブルジャンプをやるという村へ移動し始めた。ハマル族達は一斉にその方向へあるきだし、ツーリストは途中まで車で移動し、そこから川を渡り、20分ほど歩いて小さな村に着いた。

太陽はだいぶ低くなり、遠くから牛が連れられてくるのが見えた。村人の人数は150人くらいに膨れ上がり、中央では女達は踊り、男達は素っ裸になったジャンパーを囲んで何やら、最後の儀式をしている。それが終わるとジャンパーと顔にペイントを施された若者は森の中へ走っていき、その間に男達は牛を引っ張って並べている。10頭ほどの牛が男たちに押されられてなんとか並べられた頃にジャンパーともう一人の男は戻ってきた。牛の前に立ち、牛の列を見つめて、タイミングを見計らっている。

牛を押さえている男達が、ジャンパーに道をあけると、素っ裸のジャンパーは牛に向かって走り出した。牛に乗りやすいように手前に子牛がいたが、ジャンパーは勢いよくジャンプして、大きな牛の背中に飛び乗った。190cmはあるモヒカンの長身ジャンパーが大きな牛の背中に立つのはすごい迫力だ。ジャンパーはそのまま牛の背中を走り抜けて、向こう側に飛び降りた。そして、今度は向こうからコッチヘ同じように牛の背中を飛んで、駆け抜けた。すごい身体能力だ。休むことなく、飛び込むタイミングを図って、またこっち側からジャンパーは牛に向かって走り出し、牛の背中に飛び乗った。牛の列の真ん中で牛が列から走り出した、男が牛の群れのなかに落ちるのが見えた。失敗だ。ブルジャンプではジャンパーは4回落ちずに牛を乗り越えなければならない。4回成功するまで何度もチャレンジする。また男衆が牛を整列させる。息を整えたジャンパーはまた牛に向かって走り出した。牛の背中を2回ほど踏んだところでジャンパーは牛の間に消えてしまった。


あたりは暗くなり始め、仲良くなってディメカまで送ってくれると言ってくれていたドイツ人が、もう出ようと言うので彼と一緒にブルジャンプを後にした。その後すぐに、後ろのほうでひと際おおきな歓声が聞こえた。きっとあのジャンパーがブルジャンプを成功させたに違いなかった。

あのハマル族の男は今日、無事に成人になることができた。これからもずっと、ハマルのおとこ達はこの成人儀式を乗り越えて成人になってゆくのだろう。























2016/FEB/8 「トゥルミのマーケット」

今日はトゥルミでマーケットの日だ。先週土曜にディメカのマーケットに行ってたので、同じハマル族のトゥルミはいいかなーと思ったが、ディメカで見れなかったブルジャンプを見れるのではと思い、トゥルミのマーケットに行くことにした。ムルシ族の村へ一緒に行ったアッレもマーケットに行くと言い、一緒にいくことになった。

このブルジャンプはハマル族、バンナ族の男性が成人になるための儀式で、これをクリアしないと結婚ができないらしい。ブルジャンプがいつ何処で行われるかはランダムだと聞いていたが、実際にはマーケットの日付、場所ににかなりリンクしていると思った。なぜならブルジャンプを見るにはツーリストは見学料が必要で、1500ブル程度払う。20人見学者がいれば10,000ブルの収入になる。他のツーリストのブログでは一度に100人ものツーリストが見学したというのもあった。これだと50,000ブルという大金だ。ブログの人の見たものは、明らかにツーリスト向けに行われたもので偽物の可能性もあるが、現金収入のない村人達の立場で考えると誰も見に来ないでブルジャンプをするよりは、ツーリストが少しでも着てくれたほうがお金になっていいはずだ。オモバレーに来るツーリストは必ずマーケットを見に行くので、マーケットの日に、その近くの村でブルジャンプを行うようにするのが、ツーリストを集めるには都合がいいというわけだ。

ジンカからトゥルミへのミニバスを探したが、ディメカまでしかなった。トゥルミでマーケットがあるのにそこまでの交通機関がない。オモバレーの交通はそれほどに脆弱だ。しかたなくディメカ行きのミニバスに乗り、そこからヒッチをすることにした。ヒッチは困難を極め、3時間くらい待ち続けた。途中エチオピア人の車やバイクが停まったが、バスの3倍以上を吹っかけてくる。ここでは親切なエチオピア人は皆無だ。

もう今日はディメカで泊るのかなーと思い始めたころに西欧人の運転するランクルが止まった。話をするとトゥルミまで行くといい、快く乗せてくれた。もちろんタダで。
60代にみえるその男はジョンというスイス人で奥さんがエチオピア人なので2年前からエチオピアに住んでいるという。話をすると実にいい人で、彼は他のヒッチをしていたエチオピア人も乗せてやるほど気前がよかった。ただ運転は荒く、トゥルミまでの道中、ヤギを一頭轢き殺した。

トゥルミはディメカからそんなに離れてなく、40分ほどで到着し、町の中心のツーリストホテルで降ろしてもらった。たぶん、ここはトゥルミに来る外人の殆どが泊る宿だ。ロンプラでオモバレー南部を周るためのハブと書かれてはいるが、町というよりも村で、ディメカのほうがまだ発展している。宿もたぶん2件しかないし、商店も2件くらいしか見当たらない。食事もホテルで取るしかなさそうだった。とりあえず、部屋を見せてもらいチェックインを済ませ、マーケットを見に行くとこにした。

トゥルミのマーケットはディメカ以上に小さく、本当にここで何か売り買いしてるんですか?という感じだったが、ここのほうがハマル族の衣装がより伝統的だった。ほとんどすべての女性が革の前掛けのようなものを着ているし、おっぱい丸出しの人もけっこういる。市場というよりは集会のような感じだが、お土産屋だらけのディメカのマーケットよりも素朴でいいなーと思った。

集まったハマル族の人達は、なにか買いに来たというより、世間話をしに来たという感じで、みんなかたまって座っている。このあたりはディメカでも同じで、異常におおきな集団が座り込んでいるのをたくさん見た。ハマル族のマーケットは案外そういうものなのかなーとなんとなくそういう風景にも見慣れてもきた。

宿にもどり、ブルジャンプがあるか聞くと、昨日近くの村であったので、今日は無いという。ただ、明日はディメカであるらしい。どうやら、トゥルミは空振りだったようだ。でも明日ディメカであるなら、かなり高い確率で見ることはできそうだ。問題はまた交通手段が無いことだ。ジョンは明日ジンカへ戻るといっていたので、また乗せてもらえるか頼んでみよう。
















2016/FEB/6 「アッレ」

約束の朝7時にバスターミナルへ行くと子供ガイドのバグは既に待っていた。ホッとしたが、頼んでいたディメカでのブルジャンプは一人2000ブル必要だと言ってきた。昨夜、出せるのは一人700までだと伝えたのに3倍ちかい値段だ。

これは交渉の余地が無いなと思って「ブルジャンプはもういいよ」と伝えた。だか、よく考えるとブルジャンプのアレンジができないのなら、彼とディメカへ行く必要はない。ディメカのマーケットだけなら、自分達でバスで行けば済む。バグに「マーケットだけだから、自分達だけで行くよ」と伝えると、突然怒りだし「日本人はいつもそうだ!約束してもすぐに破棄するし、変更する!もう二度と手伝わない!」と言い、向こうへ行ってしまった。「ブルジャンプもアレンジできるというから、頼んだけどマーケットだけになったので、昨日の話とはそもそも違うよね。それにまだジンカにはいるから、ムルシ族の村に行くときにガイドとして雇えるかもしれない」と言うが、全く聞く耳を持たずに「約束を破るのは日本人のカルチャーなのか?」といい、そっぽを向いてしまった。すこし悪いなと思ったが、ディメカ行きのバスはすぐに出るので、乗り込んだ。

ディメカに着くと、まだ時間が早いせいか、人もまばらだった。マーケットは予想よりはるかに小さく、ロンプラの勧める3大マーケット(ディメカ土曜、トゥルミ月曜、カイヤファール水曜)もあてにならないなーと思った。午後を過ぎるとハマル族がどんどんマーケットに現れ、市場は人でいっぱいになった。ハマル族はかたまって座り込んでいる人が多く、そんなに買い物をしてるようには見えなかった。

ディメカから戻ると、あんなに怒っていた子供ガイドのバグが現れ、「ムルシ族の村に行くのか?車を用意できるぞ」と笑顔で話しかけてきた。「バスで行きたいから手伝ってくれ」と言うと「今は警察のチェックがあり、見つかると逮捕されるのでできない。車と運転手を雇え」と言う。車はミニバンで1800ブル、彼のガイド料200ブル、国立公園を通るのでその入場料210、警察のエスコート110ブル、村の入場料200ブルとかなり高額になる。すると、他に二人組の客引きが現れ、「スペイン人が一人、一緒に行く人間を探している」といい始め、バグと揉め始めた。バグは二人組に小突かれている。しばらくすると、話しは着いたようでバグは何処かへ消えて、その二人組がスペイン人の所へ案内することになった。ここの客引きは弱肉強食だ。

スペイン人は、昨日夕飯を食べたオリット ホテルで夕飯を食べていた。彼はスペイン人ではなく、アッレというイタリア人で、6ヶ月間エチオピアだけを旅してるらしい。ムルシ族の村の話をすると、明日ではなく数日後に行こうと考えていると言い、「では、しょうがないね」といい、別れようとすると、名前とメールアドレスの書かれた紙をくれた。裏を見ると「Do not go with car. Wait for me for 5minutes . Will explain 」書かれていた。どうやら、この客引きに聞かれたくない話があるようだと思って、レストランを出た後に、客引きを置いて、また戻った。彼は「車で行く必要はない。バスで行ける」と言った。「ホントか?」と言うと、「客引きが来るのでホテルに帰ってから、どちらかのホテルで会って話そう」と言い、二人でレストランを出た。客引きはどうしたんだ?といった目で見ていたが、「彼もホテルへ帰るから一緒に帰ろう」と言って、皆でホテルの方へ歩き始めた。

ホテルの前で客引きに「もし明日車が必要なら、今夜電話するよ」と言ってまいた。暫くすると、アッレが訪ねてきた。彼は「ジンカで友達になったエチオピア人がバスで問題なく行けると言っていた。彼の兄弟はムルシの村に住んでるから、村ではその兄弟が案内してくれる」と話し、その友達に明日行っても問題ないか聞いてみると電話を始めた。電話が終わると「兄弟に連絡がとれないから、明日の朝8時にホテルまで来て説明すると言っている」と言った。8時に来て話をはじめたらバスに乗るのは早くても9時だ。そんなに遅くにバスはあるのだろうか?アッレに聞くと「友達はバスは頻発してると言っていたから大丈夫だろう」と言うので、その時間に会うことにして別れた。少数民族巡りは不確かな情報の積み上げたような上を歩かなければならない。彼を信じたのが吉とでるか凶と出るかは明日にならないとわからない。











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