2016/JUN/25 「インフレ率2億3000万%の国」

ルサカの宿にいたジンバブエ人が言っていた通り、ハラレは都会だった。てっきりお国自慢で大袈裟に言ってるのだと思っていたが、なかなかの町だ。ルサカのように驚くほど現代的なショッピングモールがあるわけではないが、街としての骨格ができているように感じられた。コロニアルな建物が多く、由緒ある町のような風格がある。これはイギリス植民地時代、ここに現在のジンバブエ、ザンビア、マラウィにあたるローデシア・ニヤサランドという連邦政府の首都が置かれたことが大きいと思う。ローデシアとはザンビア(北ローデシア)ジンバブエ(南ローデシアのことで、ニヤサランドはマラウィだ。この中で白人が多かったジンバブエに主だった行政機能は置かれ、ハラレがその首都だった。そのためハラレの町はイギリスらしい建物が残っているし、都市計画も白人達がおこなったのでそれらしくできている。ルサカもマラウィから来れば驚かされるが、ハラレのような都市計画に基づく町づくりは感じられない。しかし、実質アパルトヘイト政策を取っていたハラレは白人のための町だったので、郊外に黒人居住区があり、今でも街並みはハラレ中心部とはまったく異なる。

ハラレに着いたときは日が沈んでいたので、タクシーで中心部から北へ7キロほどのところにある調べておいた宿に行きチェックインした。ハラレで最も安いであろうこのIt’s a Small World Hostelは、裏の庭にテントを張らしてもらうのに9ドルもかかるところで、やたらとNGO関係の宿泊者が多かった。芝生の庭には、プールやソファがあり、暖かい季節に来れば快適な滞在になるのだろうが、冬に来てしまうと1600mもある標高のおかげで信じられないくらいの冷え込みをみせた。庭のプールには何故か水が張られていて、夜の冷え込みを一層厳しいものにした。調べると夜の気温は7度。昨夜、寝袋に入るときに着込むのを怠ったせいで、寒さで目がさめ、それから一睡もできなかった。

ジンバブエと言えばスーパーインフレが有名だが、2009年にジンバブエがジンバブエドルを捨て、自国通貨を米ドルにしておさまったので体験することはなかった。当時はインフレ率23000万%という意味不明な数字に達してたらしい。今、日本では、インフレ率2%まで上げようと目標をかかげているのに、ジンバブエでは23000万%。いったいどうしたらそんなことになるのだろう。商店では1日に3回くらい値上げが行われ、スーパーのレジの列で待っている間に値段がどんどん上がってしまったというから想像を絶している。そんなときにジンバブエを旅をする人はいたのだろうか?

宿のキッチンで朝食を食べている時にJICA隊員に出会った。ジンバブエ第二の都市、ブラワヨで体育を教えていたらしい。あと数日で帰国なのでハラレに来たと言う。この体育隊員の森さんから、今、ジンバブエのATMがまったく機能してないことを告げられた。ジンバブエはそもそも自国通貨を米ドルにしているので、自分達で新札を刷れない。国民がたくさん下ろすとATMの現金が不足してしまうのだ。少し前に政府が新しいジンバブエ紙幣を発行すると発表して、またインフレになるのではと心配した国民が一斉に現金を下ろし始めた結果、ATMは空になり、銀行窓口でしか下ろせなくなったと言う。それでも1週間に500ドルまでという制限が設けられたという。しかも下ろせるのはローカルの銀行の口座を持っている人だけ。つまり、外人は下ろせない。窓口には連日、朝から長蛇の列ができている。JICA隊員も現金調達に苦労しているという。まったく困った国だ。

こういう情報は大抵、少し手前の国で入ってくるはずだが、ジンバブエに最近行った旅人がいないので知らなかった。財布には、以前タンザニアで調達したドルがまだ250ドルくらいあった。コモロ行きの船のキャンセル料をドルに変えたものだ。こんなところで役に立つとは。これなら10日くらいは滞在できるだろう。

ハラレの町は散策してみるとなかなか楽しかった。まず、ジンバブエ人がすばらしくいい。マラウィやザンビアも人がいいと言うが、ここはそれ以上だ。あまり人が良くないと聞いていたが、すごいフレンドリーだし、みんないろいろ助けてくれて、困らない。英語も通じるからコミュニケーションも楽だ。ツーリストが少ないので、もてはやされる。

宿の近くには白人がたくさん買い物に来るショッピングモールがあり、キレイなスーパーやレストランがある。ここのFood Lovers Marketのクオリティは半端ない。パンや惣菜がヨーロッパ並み。アフリカのチェーンのスーパーマーケットでは一番だと思う。でもバスで中心に行くと黒人だらけ。つまり、白人は決まったところしか行かないし、住んでいるところもかたまっている。ここではあまり混在している感じはない。この隔ててるのが、なんかへんな感じだ。だったらヨーロッパへ帰れば良かったのに。

中心へ向かうときに通るジャガランタ並木は10月になると紫のトンネルを造り、圧巻らしいが今はまだ花は咲いてなかった。当然そのために戻ってこようとは思わないが。

そんなジンバブエはウィキペディアによるととんでもない国になっている。独立以来、独裁を続けるムガベ大統領は、白人の土地を没収し、白人を国から追放。外資系会社の株式の過半数を黒人に譲渡する法律をつくったり、反白人感情丸出し。自分の批判をしたライス米国務長官を「白人の奴隷」と侮辱した。国際社会の批判を無視し続ける姿は北朝鮮のようだ。失業率94%、平均寿命36歳(世界最低)。23000万%のスーパーインフレを含め、そんなことがあるのだろうか?という数字ばかり並ぶ国だ。ただ、町を歩いているとさすがにこの数字はないだろうと思える。失業率や平均寿命も他のアフリカの国々とそこまで変わるようには見えない。いったいどうなっているんだろう。調べれば調べるほど不思議な国だ。そして妙に明るい国民。


統計でわかることもあれば、わからないこともある。しばらく旅をすれば、統計とは違ったジンバブエが見えてくるのかもしれない。
















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