2016/AUG/26 「天ノ川は地球を巻いて」

6時前に目が覚めた。チュニスもすでに起きている。外はもう明るい。いびきが酷いと告白していたチュニスのいびきは彼の足の臭いに比べれば全く気にならなかった。

朝食は雑炊とコーヒー、パンにジャムが用意されていた。フランス人の一人は全く寝れなかったようで、ピークハントを断念すると話した。

6:45
にキャンプサイトを出発。直ぐにキツい登りになった。昨日は軽めだったので分からなかったが、この登りで体力の差が出始めた。肥満ぎみのチュニスはそもそもかなり歳がいってるし、フランス人も普段運動をしてないようで、一気にスピードダウン。最初の急登を終えるのにすでに二時間近くかかった。昨夜、ガイドの話だと、山頂までは登り二時間半、往復で四時間半と言われていたが、多分もっとかかるだろう。今日はキャンプサイトに戻ってから、中央山脈を越え、西側のキャンプサイトまで行かなければならない。長い一日だ。

ただでさえ重力の影響を人より受けるチュニスは、1.5リットルの水2本を持っているのでさらに重い。だが、チュニスはスゴい汗で上着はすでに乾いてる箇所が見当たらないほどびっしょりなので、その水は必須なのかもしれない。

急登を終えると、少し平らな岩場があり、緩い下りになった。ここで始めてマダガスカル第2の高さの山、ピック ボビーが見えた。なかなか険しそうに見えるが、左側が緩いので、そっち側から登って行くのだろう。アンドランギチャは草原の真ん中に切り立った岩山が連なっていて、それらの岩肌には雨水で侵食された幾つもの筋が縦に入っている。アンドリンギッチャの名前は実はこの縦に幾筋もの線が入った岩が、ドレッドヘアーに見えるからそう呼ばれるらしい。(ドリンギッチャが現地の言葉でドレッドヘアー)
かなり安っぽいネーミングだ。アンドリンギチャは英語だとアンドリンギトラと綴るので、キングギドラみたいだし、連なった岩山が恐竜の背にでも見えるからかなーと、勝手に想像していたが、全然違った。かなり残念なネーミングの仕方だ。

ピーク目指して、30分ほど登ると頂上に到達した。そんなに大したことはなかったが、景色は抜群だ。ピークの奥にはかなり侵食の進んだ岩達が一面に見える。多分こういうのがあと千年くらいしたら、ツィンギー(マダガスカル南西にあるトゲトゲした岩陵地帯)になるのかもしれない。天気も良く、青空が広がっていて気持ちよい。西側には茶色い大地が地平線まで見える。

30
分ほど休んでから、下山を開始。下りは早いかなと思ったが、チュニスは直ぐに膝に来てしまい、想像以上に時間がかかった。てっきり11時には戻れると思っていたが、キャンプに戻ったのは、なんと12時半を過ぎていた。今日はここから山を越えて、別のキャンプサイトまで行かなければならない。

昼飯を食べて、キャンプを片付けて1:45に出発。ガイドは今夜のキャンプまで四時間かかるという。更に遅れれば日が沈みかねない時間だ。ピック ボビーへの往復を見る限り、明るいうちに着けるかは微妙だ。

しばらく平らな草むらを歩き、二回ほど川を渡り、山越えの登りが始まった。このメンバーは平地は速いが、登りが以上に遅い。朝、ピック ボビーに来なかった女の子も、体力温存してた筈なのに、登りはからっきしダメだ。しかも、何もない草原でいきなり足を挫き、歩きに支障が出始めた。

それでもなんとか皆、登りきり、そのあとは平地なので、また元気になった。この辺りは岩ばかりで、なんとも言えない景色だ。こういう場所が一番好きだ。これだけの景色をこんなに手頃に見れるのは、有りがたい。この辺りはアンドリンギチャの中央稜線だが、以外にも懐があり、色々な岩山が見られる。この岩稜地帯を越えるとまた下りで、幅広い草地の渓谷になる。

下りに入る前に休憩をし、かたまって下り出した。時間はすでに四時を回っている。暗くなると危険なので6時にはキャンプサイトに到着したい。

下りが始まると案の定、チュニスと若いフランス人が遅れ出した。若いフランス人は時々足を着地させるときに、挫いた足をいたがった。チュニスは木の杖をガイドから貰ったが、それでも悲痛な顔で一歩一歩降りるのがやっとだ。これでは6時には着かないだろう。ヘッドライトはポーターの荷物に入れてしまったので、日がくれれば、進むのもままならないだろう。何度か若いフランス人が休みたいと言い座り込み、それでもチュニスは更に後方を歩いているといった具合だった。そして、恐れていた太陽が山の向こうに沈んでしまった。あと30分もすれば、真っ暗だ。

まだ、下りきらないのかと思いながら、それでもユックリと進み、ようやく薄暗い中、遠くにキャンプサイトが見えた。そろそろ明かりがないと岩場は危ない。携帯のライトを点け、他にも持っている人はトーチを出した。ガイドの一人が若いフランス人と歩き、もう一人はチュニスと歩いた。こっちはもう一人のフランス人と先を歩くことにした。すると突然後ろから、若いフランス人が泣き叫ぶ声が聞こえた。「こんなのもう歩けない!」とガイドに泣きながらキレている。こっちも携帯の明かりを便りに道を探さなければならないのに、ここでキレるか?と思ったが、そこまで戻り、携帯で足元を照らしてやり、ガイドが女の子の手を引き、なんとか下までおりた。そこで女の子は座り込んでしまい、泣き出した。更に呼吸をみだし、喘息発作のような発作をおこしだした。裏の川を渡ればもうすぐにキャンプサイトなのに。一緒に参加したもう一人のフランス人はわりと冷たくしっかりしろ的な言葉を投げ掛けてるし、おぶって運ぶにはこの子は太りすぎていた。

チュニスが追い付き、皆で若いフランス人をなだめ、水を飲ませてからなんとか歩かせた。辺りは真っ暗だ。

キャンプサイトに着いたのは7時だった。予想よりも3時間もかかっていた。ポーター達が先に調理を始めていたので、すぐに夕食が出てきた。ここは標高も低く、寒さもキツくないので外の石のテーブルで皆で食べることにした。昼食の時に「コーヒーはないのか?」と何度も言ったのでポーターはコーヒーをたんまり用意しておいてくれたが、この時間にこんなに飲んだら眠れなくなるだろう。

席につくと空は一面の星空だった。ヘッドライトを消すと星は更に明るくなった。なんて豪華なテーブルだ。西の山から滲み出たような明かりの天ノ川が出ていて、それは頭の上まで続いて、さらに東の山の裏まで続いていた。近くの岩の上に寝転がると天ノ川が地球の周りを環の様に途切れることなく巻いているのが分かった。こんな天ノ川を見たのは生まれて始めてだ。















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