サカイブ村を朝出発して、急な登りを進む。しばらく行くと大きな岩山があり、その頂上にくると周りが一望できた。
アントエチャには昼過ぎに着いたが、村からのバスは週に2日しかなく、次は明日出発だと判明した。仕方なく、村の入口にテントを張らせてもらい、食堂でここに来た時と同じ、豆の載ったびしょびしょのご飯を食べた。子供たちは今までにテントなど見たこともなく、日が暮れるまでテントのまわりで大騒ぎしていた。サジー弟は「じゃー俺は帰る」というので、やることもないので彼の家を見せてもらうことにした。彼は結婚して日が浅く、新居を建てたばかりだと言った。
サジー弟の新居は村の中腹くらいに家が密集しているエリアにあった。他の家同様、家の前に少しのスペースがあり、中はとても質素だった。いい家だと板の間だったりするが、全て土間で家具もベッドと調理器具くらいしかなかった。サジー弟は近所に「日本人の家がある」と言った。まさかこんなところにも日本人が?と驚いたが、その日本人は日本に住んでいて、この村で暮らしているわけではなかった。
「ここがタクの家だ」とサジー弟が連れて行ってくれた家の中には、歳のいったオジさんが一人住んでいて、「タクはこの家を無償で使わせてくれている」と話した。なかなか立派な家で床はすべて板の間で囲炉裏があり、奥にはゲスト用の部屋があった。窓には伝統的な彫り物が施され、入口脇にはほかの村で見た、鶏を夜入れておく小部屋がついていた。サジー弟の家も5万円くらいで建つと言っていたので、この家でも10万くらい出せば建ちそうだ。日本人からすれば少し高い買い物くらいの感覚だろうから、どうせならフルスペックの家を頼んだのかもしれない。(後でわかったがこのタク氏はここへ来ることを勧めてくれた友人が勤めていた博物館の研究員だった)
オジさんは「もし日本でタクに会うことがあれば、妻が少し前に亡くなったと伝えて欲しい」と言った。「わかった」と答えるとオジさんは安心したように笑った。
ザファマリニの女性の髪型は変わった結い方ををしていて、昨日それが2種類あることに気がついた。カラフルな帽子でわからなかったが、後ろで髪を別けれいる人と一つにまとめている人がいる。サジー弟に聞くと既婚者は別けるのだと判明した。また、ザファマリニの伝統家屋は壁を柱材と板材を交互に繋げて作っていることがわかった。2つに一つが柱なので、使用木材はかなり多いことになる。ところがザファマリニの家には筋交いというものが存在しないため傾いている家が多々ある。ここで筋交いを紹介したら、ザファマリニのエジソンとして後世に語り継がれる存在になるに違いないが、あえて言うのはやめておいた。いずれ彼らが筋交いを発明する日もやってくるのかもしれない。
翌日も朝から子供たちがテントを囲んだ。心配していたバスは無事11時くらいに出発し、サジーが運転手に話してくれ他おかげで、助手席を確保できた。道中、巨大ナマズを捕まえた村人がいて、人だかりが出来ていた。すごい大きさだ。運ちゃんも車から降りてきて見るのかと思ったらお買い上げだった。しかもそこからの道のりを片手でナマズの口に通した紐を持ったまま、アンボシチャまで運転しきった。なかなか根性のある運転手だ。そんな運転手の努力も虚しく、アンボシチャの町につくと、あれほど巨大だったナマズは干からびてふた回り小さくなってしまっていた。