昨夜の雨は朝には止んでいた。ウグン村はすこし離れたところにも集落があり、こちら側からみると谷に突き出た丘の上に集落が集まっていてとても絵になる村だ。若い娘が石の塀に腰かけ編み物をしていた。
調理小屋にいき、コーヒーを頼んだ。ガイドとポーターはやたらとコーヒーを飲むので、コーヒーと砂糖はもうなくなりそうだった。最初砂糖は入れなかったが、疲れてくると砂糖はスプーン3杯が当たり前になった。
また白米、野菜炒め、焼きそばが朝食にでた。基本的に飯は常にこれだ。この焼きそばにコンビーフが入ったり、豚の缶詰が入ったりするがそれ以外の料理が出たことはなかった。食べ終わり荷物をまとめて調理小屋に戻るとポーター達が朝食を済ませたところだった。ふと見ると魚の缶詰をみな片手に持ち中身をすすっていた。その中にはゆで卵のようなものも見えた。ポーターは固まりなんとなく気まずい雰囲気が流れたが、昼にはワメナに戻るしもう食材も不要だと思い、「早く出よう」とだけ告げて外へでた。外ではイケジーがコテカの老人にポーズと取らせようとして家族ともめていた。
また白米、野菜炒め、焼きそばが朝食にでた。基本的に飯は常にこれだ。この焼きそばにコンビーフが入ったり、豚の缶詰が入ったりするがそれ以外の料理が出たことはなかった。食べ終わり荷物をまとめて調理小屋に戻るとポーター達が朝食を済ませたところだった。ふと見ると魚の缶詰をみな片手に持ち中身をすすっていた。その中にはゆで卵のようなものも見えた。ポーターは固まりなんとなく気まずい雰囲気が流れたが、昼にはワメナに戻るしもう食材も不要だと思い、「早く出よう」とだけ告げて外へでた。外ではイケジーがコテカの老人にポーズと取らせようとして家族ともめていた。
最終日だと思うと足取りも軽くどんどん進んだ。途中、谷からワメナの盆地が見える絶景ポイントがあり休憩したが、それ以外は歩き通して帰りのバスを拾うところまで着いた。そこからはガイドが「バスはないのでチャーター車を呼ぶしかない」と予想通りのことを言い出して、チェコ人たちともめ、結局呼んだ車を他の人たちとシェアしてワメナまで戻った。
ホテルのロビーでガイド料の清算をしてガイドたちと別れた。またひと悶着あるかと思ったがガイドはあっさりと2日分差し引いた額で納得した。
ホテルのロビーでガイド料の清算をしてガイドたちと別れた。またひと悶着あるかと思ったがガイドはあっさりと2日分差し引いた額で納得した。
マーチンはホテルに3人部屋がないか聞いてくれたが満室だった。あの汚くて高くて水も出ない現地人用ラブホテルにまた戻るのかと思うとトレッキングの疲れが倍増した。マーチンたちのホテルは一人だと1泊300,000Rsでそれはないなと思い、宿に預けた荷物をもらいにいくと宿の中華系の女オーナーはあっさり200,000Rsにまけてくれた。心からお礼をいい、荷物を部屋に運びベッドに横になった。シャワーを浴びるとなんとお湯がでた。そんなに熱くはないが水に比べれば100倍良かった。
ワメナは標高が高く夕方以降は寒くて水シャワーは修行にちかかった。夕食には早かったが昼飯を食べてなく、腹が減って気分が悪くなってきたので外へ出て以前食べた食堂でサテー*を10本注文した。この4日間は炭水化物ばかりだったので久しぶりのたんぱく質は身体に力が戻ってくるような味がした。オバチャンに「もう10本ね!」というと任せておけという感じで炭火の上に新しい串を並べて団扇でバタバタと扇ぎ始めた。
ワメナは標高が高く夕方以降は寒くて水シャワーは修行にちかかった。夕食には早かったが昼飯を食べてなく、腹が減って気分が悪くなってきたので外へ出て以前食べた食堂でサテー*を10本注文した。この4日間は炭水化物ばかりだったので久しぶりのたんぱく質は身体に力が戻ってくるような味がした。オバチャンに「もう10本ね!」というと任せておけという感じで炭火の上に新しい串を並べて団扇でバタバタと扇ぎ始めた。