朝6時くらいに目が覚めたので、とりあえず外にでて歩くことにした。まだほとんど外に人はいなかったが、下のほうからコテカをつけた男が上がってきた。挨拶をして握手するとその男はまだ30代のように見えた。今までみたコテカマンはかなり高齢のおじいさんだけでもう長くはなさそうな人が多かったが、彼くらいの年齢のコテカマンは見たことがなかった。10年くらいしたら年寄りたちはみんな亡くなって、コテカをつけてるのは彼だけになっているんじゃないだろうか。ラストコテカマンだ。
写真を撮ろうとするとダメダメという感じの仕草を面倒くさそうにして、颯爽ときつい登りを上がっていった。しばらくすると子供たちも起きたようで周りに寄ってきた。みんなニコニコしているが言葉が通じるわけではないので微笑みあってるだけだ。
ガイドブックにインドネシアの地図が付いていたのを思い出して、子供たちに見せてやるとすごい反響で、みんな釘付けになった。そこでインドネシアの主要な島を指差して名前を言うと、子供たちは復唱した。小さな子供はたぶん地図を見たことがなかったろうし、自分が何処に住んでるかもわからないだろう。最後にニューギニア島の真ん中あたりを指してバリエム谷だと言うとみんな大きな声で「バリエムバレー」と復唱した。マーチンが起きてきて「今日は地理の授業か?」と笑いながら遠くから話しかけてきた。
朝食を食べて、ガイドと今日の宿泊地の確認をした。このペースなら4日でワメナに戻れそうだ。たぶんガイドたちは日数が減り、ガイド料も減るのであまりうれしくはないだろう。
その日は昨日よりも景色がよい道を歩き、橋を渡り谷の対岸に渡り、谷を折り返してウグン村まで歩いた。最後は雨にあい、駆け足で宿泊小屋に駆け込んだ。雨はところどころで晴れ間が見えてバリエム谷には大きな虹がかかっていた。身体が冷えたので調理小屋で火を起こして温まってポーター達が着くのをまった。
この小屋は真ん中で仕切られていて、反対側からは豚の叫び声がたえず聞こえた。つまり豚と一つ屋根の下というわけだ。
6日の予定が4日になり食料が余るのでその日の夕食は豪華にコンビーフの缶詰を全部開けた。残りは卵と魚缶詰、野菜、米、インスタント麺くらいだ。夕食後はまたポーターたちとトランプをしてから部屋にかえり寝袋にもぐりこんだ。雨が降ったのですこし寒い夜だ。