2016/AUG/15 「過酷な移動とおもてなし」

バオバブ街道での朝は幻想的だった。薄暗いうちから村人は動き始める。子供たちが火をおこす用に木の枝を引きずっている。もっと小さな子供は朝から走って遊んでいる。遠くから牛車がなにか運んでくる。ここでは毎日の光景なのだろう。

その日はモロンダバへ戻りホテルで一泊した。この辺から体調が悪くなってきたのを感じた。1日ゆっくり休もうと思ったが、タクシーブルースのチケットを買いに行ったり、サマーがロブスターを食いたいと言い、レストランを探したりと忙しかった。それでも、翌朝は少し良くなったかと思ったが、バスターミナルへ行くと体が重くなってきた。昨夜から飲んでる下痢止めもあまり効いてないようだ。モロンダバまでのタクシーブルースは乗り心地も悪くなかったが、今度のはかなりボロくて狭い。一列5人は変わらないが、隣がポッチャリサマーで、そのとなりは結構大きな子供を抱いたオバチャンが座っているので、一層狭く感じる。


行き先のアンツェラベは来た道と同じでアンタナナリボの少し手前だ。朝8時発のはずが、10時に出発。町を出てからもすぐに止まったり、パンクしたり、全然進まない。道中の町で止まったときに時計を見ると午後3時だったが、まだモロンダバから30キロしか進んでなかった。夕方六時に着くと言っていたが、残りは450キロ以上ある。時速120キロで進んでくれれば不可能ではないが。

薬を飲むために何か食べようと思ったが、衛生的な物は手に入りそうにない。バナナを1本食べて、薬を飲んだ。体調はドンドン悪くなっていく。夕方に着くと思ってたから、暖かい服もバックパックにいれてしまって、取ることは出来ない。夜になったら寒いだろうなーとボーッとする頭で考えた。乗客達も体調が悪いのに気がついて「大丈夫か?」と話してくるが、「大丈夫ではない」と答えて終わり。バックパックを屋根から下ろしてくれと頼んでも、「かなり奥にあるからダメだ」と断られた。

何度目の休憩か分からないが、夕方に止まっているときに、前に座っていた家族連れの男が、「I save you」と言って上着を貸してくれた。隣には奥さんと娘らしき女の子が座っているので、モロンダバへ遊びにいった帰りなのだろう。男は名をジョン エメといい、アンツェラベで英語を教えているらしい。

日が沈むと風が冷たくなってきた。もう何処を走ってるかも分からないが、ここからは寒さとの戦いになるだろう。借りた上着を着て、窓を閉めた。そこからは、うっすら寝たり起きたりの繰り返しで、気がつくと少し大きな町のような所を走っていた。時間は夜中の12時。途中何人か降りていったが、宿は調べてなかったし、何処で降りればいいかも分からなかった。タクシーブルースは町の中心を過ぎて、郊外らしきところに入っていった。「あれ?アンツェラベは過ぎちゃったのか?」と思ったが、しばらくいったところで車が止まり、ジョン エメが「ここで降りろ。今からホテルを探すのは無理だから、今日はうちに泊まれ」と言った。助かった。この時間にこの体調で宿探しは無理だから、道端でテントを張ろうかと思っていたところだ。ジョンエメは見た目もアジア系でいいやつだなーと思っていたが、本当にいいやつだった。

大きな鉄の門が開いて、使用人が出てきた。すごく大きな家だ。使用人が荷物を部屋に運んでくれた。体調がすごく悪いし、疲れていたので、家族とろくに話すこともなくすぐにベッドに横になってしまった。あとはサマーに任せよう。











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