ウランバートルを出る前にアンドレイにシベリア鉄道でモスクワへ向かうことをメールしていた。すぐに会おうという返信があったが、モスクワに着くとさらにメールが来ていて、風邪をひいているので家まで来て欲しいとの事だった。
アンドレイの家は赤の広場から徒歩15分の救世主キリスト聖堂のすぐ近くにあった。市のかなり中心で観光客が歩き回るエリアだ。インターフォンを鳴らすと、相変わらすの無愛想な声で「カム イン」とだけ言った。エレベーターで一番上まで上がると、アンドレイは扉の外で出迎えてくれた。
体調は悪そうで分厚いセーターを着ていたが、とてもいい笑顔を見せた。奥さんも玄関まで出てきて挨拶を交わした。5人の子供たちは来客が来たとたん部屋にこもってしまったとアンドレイは説明した。アンドレイの家は100年以上の古いアパートを改装した2層で、玄関から階段と大きなリビングが見えた。何処もアンティークの調度品が置かれ、高級感があふれていた。思った以上にセンスがよく、きっと、何事もこだわるアンドレイが時間をかけて、一つ一つインテリア、家具を決めていったのだろう。
ダイニングに通されて、テーブルに着くと、奥さんは「ティーにしますか?コーヒーにしますか?」と聞いてきたのでティーをもらった。「なにも特別なものはないの」といいながら、テーブルに用意されたパンケーキに添える、イクラ、小さなハンバーグ、自家製ジャム、フルーツなどを用意した。どれもとれも美味しかった。1杯だけ自家製ウォッカで乾杯した。アンドレイは旅についていろいろなことを質問した。「何故旅をするのか?何処にいったか?どれくらい旅をしたか?何処が良かったか?家族はもたないのか?また建築はやるのか?」37歳で、まだ旅してるというのはロシアではまずないだろう。まー日本でもそんなにいないけど。
多くの人は将来のことを考えて、人生計画を立てる人生が当たり前の先進国のくらしの中で、発展途上国の人のように今しか考えずに生きることはなかなかエキサイティングな人生だと話した。でもそろそろ変える必要があることも。
アンドレイは自分のことを話し始め、人生のことをおおく話した。とても興味深いはなしだった。モンゴルもそうだったが共産主義だった国の話はそれを知らない人間には実におもしろい。異なった価値観を生み、違った考えを共産主義時代を通して持って、そして民主化後に見た欧米化が進む今のくらしがある。その中でロシア人としてはかなり多くの国を見たアンドレイが日本が一番だというのを聞いてとてもうれしかった。
話の途中で子供たちが順番に挨拶に来た、みんな照れ屋で遠くから挨拶をするだけで近くまでは来なかった。汚い格好だったので近寄らなかっただけかも知れない。
気がつくと2時間も話をしていた。「トランジットVisaで時間がないので、そろそろモスクワを見にいくよ。」と言うと、川沿いの公園を歩いてモスクワ大学までいって救世主キリスト聖堂まで歩いて戻るといいと教えてくれた。
モスクワ川沿いはメープルの木がおおい茂り、紅葉がきれいで気持ちよかった。モスクワ大学の前からはモスクワ市内が一望でき、多くの人でにぎわっていた。川の対岸を歩いて戻り、救世主キリスト聖堂へかかる橋の上から夕焼けの教会やクレムリンを眺めた。モスクワは思ってたよりずっとよいところだ。