2015/JUL/2 「カルカル島の病院」

6時くらいに教会から歌い声が聞こえて目が覚めた。電気事情もありパプアの人は早起きだ。6時に起きて10時には寝るという暮らしだ。この国の日本との時差はパプアが1時間早い。これまでの国はすべて日本より遅かったが、この国は日本より早く朝を迎える数少ない国だ。実は今まで腕時計の時刻は日本の時間のままでその国との時差を差し引いて時刻を計算していた。日本は日付変更線からそう遠くないのでほとんどの国は日本の時刻に数時間を足すわけだが、ここでは1時間差し引く。なにか新鮮だ。

まだ電気が使えないので近くの市場へ行ってみた。持っている食料は丸いパン×1、魚の缶詰(小)×1、クッキー×1パック、ゆで卵×3、カップ麺×1とコーヒー、紅茶で、できればもう少し足したかった。市場は小さく20人程度売り手がいる程度で、売ってるものは洗剤、ビートルナッツ、芋、塩、砂糖、古着、魚燻製、揚げパン程度だった。魚はすごく古そうで値段も12キナと馬鹿げていたので揚げパンを2つ買って帰った。電気が使えるようになってから電気ポットでお湯を沸かし、コーヒーをいれてパンとゆで卵を2つ食べた。

近くの村にでも歩いて行ってみるかと外に出るとちょうどパウロに会い、これから工事してるバスケットコートへ行くというので見に行くことにした。パウロは病院の施設の改善に取り組んでいて、その一環でバスケットコートを作っているそうだ。3人のパプア人が働いていたが、パウロ含め知識のある人間はいなさそうだった。アドバイスを頼まれて水勾配をつけること、コンクリート床に誘発目地を入れたほうがいいと伝えたがそれ以前に道具や資材に限界があり、それなりにしかできないだろうと思った。建築設計をしていたと聞くとパウロは自分の仕事を見せたいようで病院を案内するといって、病院の中を見せてくれた。彼の行っていることは基本的には修繕で掃除して塗装や壊れた棚を直したりと言った感じだだったが、手を入れてない箇所はあまりにひどく彼の仕事で大幅に改善されたことがよくわかった。どうやらパプア人はメンテナンスを一切しないようで病院にも掃除をするスタッフはいないし、清掃用具もなかった。コンスタンは病院に頼んだが相手にされなかったらしい。病院には医者、看護婦、洗濯スタッフしかいなく、スタッフ詰所は看護婦が掃除するが他の場所は患者家族がしない限り掃除されないそうだ。面白いことに患者は入院すると必ず家族や親戚の一人が一緒にきて身の回りの世話をする。その親族はベッドの下の床で寝泊りし、病院にある共用のキッチンで入院中の食事も作るという。ある親族は病院に小さな子供も連れてきて子供の面倒も見たりと、病院には入院患者以上に親族がたくさんいた。

一通り見終わると、パウロは「今日はドイツのルートラン教会がパプアに来て125年で村でセレモニーをしていて、ドイツの教会から顔を出すように言われているから後で行くけど一緒に来るか?」というので見てみたいと返事をしていったん家に戻った。腹がへっったので朝買った揚げパンと魚の缶詰、ゆで卵で昼食にした。


セレモニーは車で30分ほどいった丘の上の125年前にやってきたドイツルートラン教会のミッショナリーのお墓のある場所で行われていた。着くとパプア人のパスター*が丁寧に案内してくれた。すごくたくさんの人が集まり、想像以上にちゃんと準備されていて驚いた。コンスタンは「彼らは自分たちがやりたいと思うことだけは努力するんだよ。」と皮肉を言った。確かに病院運営と比べるとすごい組織力だ。

その日もパウロたちは夕食に招待してくれて、野菜やチーズ、ツナを入れたベトナム生春巻きを手巻き寿司のように自分たちで巻いて食べた。PNGにきてこんなものをこんな食べ方で食べるとは思わなかった。次の日にマダンに帰るのでその夜は発電機が止まった後も2人と遅くまで話をした。








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