2016/MAY/30 「最後の挑戦」

モザンビーク島には4泊して、次はマラウィへ向けて移動するので、ナンプラへ行くことにした。島からナンプラへは乗り合いバンが出ていたが、モザンビーク島の北の港町、ナカラに行って、多分これで最後になるであろう、コモロ/マダガスカルへの船の聞き込みをすることにした。やはり船でのマダガスカルはロマンがあり、諦めきれない。

乗り合いバンは朝四時くらいに近くの交差点で拾えると宿のオバちゃんが言ってたので、宿を三時半に出た。乗り合いバンには四時過ぎには乗れたが、そこから島中をぐるぐる廻る客集めが始まり、朝陽が見え始めた頃にようやく大陸との橋を渡り始めた。モザンビークのバスはいつも朝早く来いと言われるが、出発でまごついて一時間くらい無駄にすることが多い。毎回、朝の三時とかに起きるのは本当にツラいが、それは全く報われてないのがもっとツラい。

乗り合いバンは三時間くらいでナカラの町に着き、港の近くで降ろしてもらった。ゲートのすぐ近くの建物に海運会社のオフィスが数社入っていたので、全てあたってみた。初めはすこし躊躇していたこの突撃聞き込みも、ザンジバルから数えて30社以上は当たっているので、もはや迷いは一切ない。

ナカラはマダガスカルのマハジャンガ港に距離的に一番近いのでマダガスカル行きの船はあったが、やはりどこも乗せてはくれないという。港の中のMSCという会社が客船を運行してると聞いて、行ってみるが客船はなく、今度は、そこで聞いたMANICAという会社に行ってみろと言われて行くが、やはり乗せてくれる船はなかった。こういった不確かな情報のたらい回しにも何度もあった。

もはや、誰に聞いても他には船は知らないと言われ、ナカラからも結局船は見つからなかった。モザンビークからマダガスカルへは個人所有のヨット以外、旅人が海を渡る方法は無いということだろう。最後の挑戦も虚しく終わった。

と言って落ち込んでてもしょうがないので、気を取り直して、ナンプラへのバスを探し始めた。今からなら、まだ明るいうちにたどり着けるはずだ。

ナンプラへは乗り合いバンが頻発してるようで、乗り場へ行くと難なく乗ることが出来た。ナンプラはモザンビーク第三の都市で交通の要所になっているようだ。だが、着いてみるとここも都市というか小さな町で、ペンバやナカラよりは少しだけ高い建物が多いといった感じだった。

ナンプラからマラウィ国境近くのクアンバへは列車が運行されていて、ロンプラではモザンビーク観光のアトラクションの一つに挙げられていた。さっそく駅にチケットを買いにいってみると、ロンプラで毎日運行と書いてあった列車は、数年の間に土曜のみになっていた。スゴい衰退ぶりだ。なぜ本数がこんなにも減るのか分からない。ちなみに今日はまだ月曜で、このやることのない町に5泊もしないと乗れないことになる。

もう、暗くなってきていたので、宿に戻ることにした。宿は今までに見たモザンビークの宿の中では断トツに快適だったが高く、ドミで750メティカル(1500)もした。庭にテントを張れるので、テント泊にしたが、それでも400メティカル(800)も取られた。その日は頭痛がして、宿に戻ると飯も食わずにそのまま寝いってしまっていた。








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