こんなに緑が濃くなったのはいつ以来だろうか?信じられないほどの悪路をジープが蛇行しながらすすんでいる。2日間繋がることのなかったインターネットカフェの男がコンゴは今、雨季に入るところだと言っていた通り、空はグレーの雲でおおわれている。昨夜の雨の残り水が、道を更に悪くして、底の見えない茶色い水溜まりが続く。アンゴラ側が、国境まで舗装路だったのに、コンゴ民主側は酷いどころではすまないレベルだ。雨が降れば通行不能だろう。運転手とは別にもう一人の男が、深そうな水溜まりでは先行してチェックをするといったことを繰り返さねばならない。アフリカで見てきた数々の悪路がアスファルトの舗装路に見えるほどコンゴの山の中の道は悪い。
昨日は国境を越えた後、町に出て、残ったクワンザをフランに替え(レートは1クワンザが2.5フラン)、キンシャサへの車を探した。公共の交通手段はなく、もうすぐに出発するというキンシャサ行きのランクルが一台見つかったが、結局その日は天候が悪いので出発せずに、国境に泊まることになった。
夜は発電機で電気がついたが、朝は電気はなかった。コンゴ側は国境まで電気がきてないようだ。何もない小さな国境の町で朝御飯を探しに出た。昨日の夜に食べたキャッサバをすりつぶして煮て固めたマニョーキは、酸っぱくて美味しくなかったが、どうやらここではあれが主食のようで他には見当たらなかった。
朝7時に出発と聞いていたが、出発したのは結局午後3時。道が悪すぎて時速20km程度でしか進まない。時折倒れるんじゃと思えるほど車体が傾く。道には雨水が流れて造られた小さな渓谷のような裂け目があり、ランクルと言えど一切気が抜けない。5時間くらい走ったところで、大きめの集落で夕飯を食べた。パンと焼き鳥だ。これは旨かった。ビールも1本飲んだ。この辺りまではまだアンゴラのビールが出回っている。多分、この悪路を考えるとキンシャサからわざわざコンゴのビールを送るより、アンゴラからアンゴラのビールを送った方がはるかに楽なのだろう。とてもコンゴ側の物流がここまで伸びているとは思えない。ここにくるまで幾つもの村を通ったが、電気が通っている村は1つもなかったし、ランクル以外は走行不能だ。
8時間くらいしたときに、大きな道に合流して未舗装だが道がよくなった。そこからは2回の故障を除けば、比較的楽な道のりだった。外は真っ暗で何処を走ってるのか分からなかったが、ウトウトしていると、町の中らしき所で止まった。運転手は「着いたぞ」とかすれた声を発した。時計を見ると朝の5時だった。国境からキンシャサまで14時間もかけたことになる。地図では300kmちょっとのはずだが。35ドルは高いなとおもったが、ここまでの道を考えるとその価値は十分あるような気がした。
周りは明るくなり始めて、道を歩く人が見える。運転手達が荷物を下ろし始めた。それを道の端で眺めていると、警官が寄ってきて、パスポートを見せろと言うので、ビザを見せると「オッケーだ」と言って手のひらを出してきた。「10ドル」だと言う。なんでオッケーで10ドルなのか分からない。この10分後にも全く同じことを、今度は私服警官からされた。私服警官は運転手にも金をせがんだが、誰一人取り合わなかった。こんな早朝から立て続けにワイロ攻撃を受けるとはさすがにキンシャサは一味違う。多分私服の方は非番だが、ツーリストを見かけたのでタカりに来たのだろう。キンシャサまでも何度か車が警察のチェックポストで止められ、運転手がその度にお金を渡していた。外国人をターゲットにしてないのか、暗くて見えなかったのか、運転手がお金を払うと他には何も請求されなかったので良かった。
Mapsmeで安宿の集まるヴィクトワール広場を調べるとここから1kmほどの所なので、歩いて行くことにした。朝方少しふった雨のせいで、道は水浸しで歩きにくい。町中は大きな道以外は全て未舗装で、生活排水が流れ出たところに、雨が降り、その他、道に廃棄されたゴミや機械のオイルで道の土は異臭を発し、どす黒い色をしていた。足につくと石鹸を使わないと落とせないほどだ。そんな泥を車がはねてすぐ脇を走る。至るところにゴミを溜めた山が見える。朝方には道でゴミを焼いていて、あちこちで煙が上がっている。まさかモハメド アリがジョージ ホアマンとタイトルマッチを行ったキンシャサがこんなにも汚い町だとは思わなかった。
ヴィクトワール広場はものスゴい人混みと車で歩くのが大変なくらいだった。道路の両側は路上の物売りで溢れ、両替屋がやたらと多い。広場中央には意味不明な手のオブジェが柱の上にあり、その回りはフェンスで囲まれていた。フェンスの中にはオブジェ以外にギターを持った金色のオッサンの銅像だけが端の方にあり、何処かを眺めている。交差点には、信号の代わりなのかMade in DRCと書かれた人型ロボットが真ん中に立っていて、一方向には青、他方には赤のLEDを出しているが、こんな信号ロボットの指示は誰一人守っていない。そもそもこれだけインフラ整備が遅れた国でなぜ信号だけロボットなのか分からない。
事前に調べていたMAISON YAKIは看板もなく、見つけるのに苦労したが、何故か泊めてもらえず、別のホテルに連れていかれた。ちなみにホテルの名前はYAKIでなくYALAのようで、連れていかれたホテルはYALA2と書いてあったので、2号店といったところだろう。こちらもYALA同様に完全にラブホテルで料金にはご休憩とお宿泊の二種類があった。お宿泊は14,000フラン。1号店が11,000だったので、値切ると12,000まで落ちた。闇両替のレートだと1ドル1200フランくらいなので、だいたい10ドルということになる。キンシャサではこのへんが最安値だろう。
このYALA2に決め、荷物を部屋にいれた。部屋は狭く、ベッドのシーツが汚かったが、寝ることは出来そうだった。ラブホテルだけあり部屋にトイレシャワーは付いてたが、水が出ないので、バケツで汲んでこないといけなかった。電気もつかなかったが、夜には発電機を回すとレセプションが話した。この宿で10ドルも払うのが、かなり腹立たしかったが、アンゴラのルバンゴのホテルも10ドルでこんなだったなーと思い出した。中部アフリカは宿のクオリティがアフリカの中でも底辺だ。