2016/JUL/8 「余るコールスロー」

朝起きると、すでにグロリアたちが来ていて、そとから声が聞こえてきた。まだ6時過ぎなのにかなりのハイテンションだ。顔を洗ってから、挨拶をしに彼女たちのもとへいった。敷地の端のキッチンですでに調理を始めている。どうやらバスターミナルで売る飯の下ごしらえのようだ。いくつも鍋を火にかけている。いったい何品作るのだろう。

グロリアは「昨夜はよく寝れたか?」と聞くので「部屋を使わせてもらったおかげでよく寝れたよ」と答えると上機嫌だった。「なにか手伝おうか?」と言うと「じゃーコールスローは作れるか?」と言って、キャベツとにんじんを渡された。コールスローは野菜をひたすら千切りする必要があり、彼女達の準備するおかずの中では一番面倒な品だ。「問題ないよ」と答えて、庭にある台の上で野菜を切ろうとしたが、まな板がないのでグロリアに聞くと「まな板はないからテーブルの上で直に切ってくれ」という。グロリアはどう見ても、きれいではない布でテーブルの上をさっと拭き「これでいいだろ」と仕草した。自分が食べるわけではないと割り切り、まったくキレイになってないテーブルの上で野菜を刻み始めた。皿もないのでテーブルの上で切ったものは、手で集めて鍋に移し、その中でマヨネーズとあえて完成だ。グロリア達は何か切るときは常にテーブルの上で直に切り、火を通さないものもある。昨日食べた弁当もこうやって作られていたのかと思うと気が重くなっきた。

コールスローの次はビートルートのサラダを作った。茹でたビートルートを汚れたテーブルの上で刻み、マヨネーズを混ぜた。これも茹でたあとにテーブルで切ったのであまり衛生的ではない。グロリアとお姉さんは手際よく、次々とおかずを作ってゆく。メインはチキンとビーフがあり、主食はライスとシーマと雑穀シーマが用意された。すべてが終わったのは11時近くだった。4時間にも及ぶ調理を終え、テーブルに並べるとなかなか壮観だった。

タクシーを呼び、料理を運ぶので、シェアして町まで出ることにした。トランクは料理でいっぱいになり、プラスチックの椅子とテーブルは分解して、抱きかかえて乗り込んだ。バスターミナルに到着すると、指定の場所でテーブルをセットして料理を並べた。グロリアに「頑張って売ってね」といって、町の散策へ出かけることにした。自分で作った惣菜もあるので、うまく売れるといいなと思った。

フランシスタウンは噂どおりにまったく見所がなかった。ショッピングモールが数件あり、それが町の中心部を形成していた。わりとオシャレをした人もいて、ボツワナの発展具合がうかがえたが、やはり食べ物以外は殆ど中国製だ。アフリカが中国のフランチャイズになる日もそう遠くはないだろう。

昼飯を食べて、町を一回りして戻ってくると、グロリアは「4時半になったら引き上げよう」と言った。あと30分だ。売れ行きを見てみると今日はあまり売れていないようだった。その中でもダントツに残っていたのが、コールスローだった。自分で作ったものが残っているとやはり、どこか責任を感じる。時間的に見て、今日はもう、これ以上売れないだろう。

グロリアは売れ行きが悪いことはたいして気にしてないようで、時間になるとさっさと片づけを始めた。周りの露天も常に同じメンバーで、きっと丸一日売っていてもたいした売り上げにはなってないだろう。それでも皆、陽気に話をして、夕方がくるとそれぞれの家に帰ってゆく。きっと、ここではこれでなんとか回っているのだろう。こういうのがどこかアフリカだなーと思う。帰りもプラスチックチェアーを抱えてタクシーに乗り込んだ。










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