2016/JUL/12 「アフリカ縦断の終わり」

ハボローネのバスターミナル脇のミニバス乗り場でヨハネスブルク行きのミニバスに乗った。5時間ほどでヨハネスに着くと言う。ハバローネはフランシスタウン並みに見所のない町だった。ショッピングモールと工事中の建物たち。ツーリストにはまったく興味のない場所だ。安宿がないのが、不安だったが、そこまで高くない宿があり、難を逃れることができた。さらばボツワナ。今度はキャンピングカーでリッチにまわってみたいものだ。

ヨハネスブルクには午後に着いた。宿は念のためにBOOKING.COMで予約を入れておいた。宿はメルビルというエリアにあり、ダウンタウンとは少し離れている。なぜ町の中心のダウンタウンに泊らないかというと単純に危険だからだ。ヨハネスブルクのダウンタウンは紛争地以外ではアフリカの町で一番危険だろう。これまで通ってきたナイロビやダルエスサラームが、安全地帯に見えるレベルだ。強盗が多発し、昼間でもダウンタウンを歩くのは危ないと言われる。そのため日本人旅行者ははたいていヨハネスブルク滞在を避ける。

南アフリカはアフリカ一の先進国なのに、なぜこんな危険な町ができてしまったかというと、アパルトヘイト廃止後に仕事を求めて、周辺国から不法移民が殺到したためだ。特にナイジェリア人はヨハネスの麻薬取引を仕切っているといい、ヒルブロウというダウンタウンの一角を根城にしていて、そこはダウンタウンの中でも危険レベルが飛びぬけている。

宿のあるメルビルは安全なエリアのようで、近くにスーパーもあり、なかなか便利そうな場所だった。宿は今までにないクオリティで、設備の整ったキッチン、速いWifi、文句のつけようのないシャワーと先進国と変わらない環境だった。欧米人のツーリストやNGO関係者が多く、日本人は見なかった。

翌日からは、宿のオーナーにダウンタウンの危険エリアを聞き、散策をしてみることにした。さすがにダウンタウンの犯罪率は有名なので、観光客用にフリーウォーキングツアーや、途中で乗り降りできるアパルトヘイト博物館などの観光スポットを巡回するバスなど、危険に配慮した観光サービスがある。これらを使えば問題なく観光可能で、この後、数日間ダウンタウンを歩き回った経験からいうと、そこまで恐れる必要はないように思えた。ただ、結局ヒルブロウには一度も入ることはなかった。ヨハネスブルクは南部アフリカ最大の町というだけあり、高層のビルが建ち並び、これまでに見たアフリカのどの町よりもモダンだ。

コンスティチューションヒルという、昔、ネルソン マンデラが収容されていた監獄の建物が、ダウンタウンの北部の丘にあり、夕方に行ってみた。今は整備された博物館になっていて、特に危険もない。その監獄の土手の上を歩くとすぐ東にヒルブロウが構えていた。手前の公園には男達がたまっている。そこから先が悪名高いヒルブロウだ。奥にはヒルブロウのシンボル、ヒルブロウタワーが見える。ここから見るヒルブロウは他と変わらないように見えるばかりか、夕日を浴びて輝いてさえ見える。 夕日に照らされたヨハネスブルクの町を見ていると、南アフリカに着いたんだなと感じることができた。そして、それは上海以来、陸路と船で続けてきた旅が、南アフリカまで達したことを意味していた。















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