2016/JUN/29 「ウェルカム隊員」

夜中に寒さで目が覚めた。今夜はドミなので室内だが、気密がわるくテント泊並みの寒さだ。結局それからは寝ることが出来なかった。ジンバブエは内陸部で標高があるのでかなり寒い。アフリカ=暑いと思ってる人は、アフリカを旅したら、さぞ驚くことだろう。アフリカといえど、気候は様々だ。朝、8時過ぎにシャワーを浴びようと思ったが、バスルームに行くと、バスタブとバスタブ用の蛇口しかない。「蛇口で浴びるのかー」と今までにない展開にすこし不安になる。お湯はちょろちょろ出るが、蛇口がお湯と水で別れているので、混ぜないと熱くて浴びれない。でも、このバスタブを満たすには二時間以上かかりそうだし、待っていたらお湯も水になってしまうだろう。ちなみに貯めようにもバスタブに栓は無い。レセプションのオバチャンに話すと、「オーライ」と大きな声をあげ、奥からペットボトルの蓋と布切れを持ってきて「私の栓を貸してあげる」と言った。ペットボトルの蓋に布を巻いて、それを排水溝に詰めて栓をしろということか。「いや、そもそもお湯が弱くてバスタブには貯まらないよ」と言うと、また「オーライ」と大きな声をあげ、奥へ消えていった。隣にはチェックアウトらしき男性が立っていた。男はワセリンを顔に塗りたくり始めた。「乾燥防止かな?」と思ったが、男はそのまま、髪にも塗りたくり、最後に五ミリくらいしかないその髪を櫛でとかした。肌、髪兼用のようだ。オバチャンがバケツを持って戻ってきた。「私のバケツを貸してあげる」と言ってバケツを手渡された。小さめのバケツだったので、苦労しそうだったが、これ以上は望めないなと思った。髪をとかし終えた男は、ワセリンと櫛をオバチャンに差し出し「ありがとう」と言った。なんと、このワセリンも櫛もオバチャンのだった!オバチャンはいつものことといった感じで「オーライ」と返事した。きっと言えば何でも出てくるんだ。オバチャンに「借りたバケツと栓でなんとかやってみるよ」と告げると、オバチャンは「オーライ」と答えて笑顔を向けた。

ハラレの宿にいたときに会ったJICAボランティアの森さんは、マシンゴとブラワヨにいるJICAボランティアを紹介してくれた。彼女はジンバブエでの二年間のボランティアを終え、数日後に帰国する。ジンバブエの前にもザンジバルで二年間のボランティアをしていたらしいのでベテラン隊員だ。アフリカが長いだけあって、しっかりした人のようで「もし、会いたければ連絡したらいいよ。私からも連絡を入れておくから」といって、最後に連絡先を教えてくれた。

その内の一人、坂本隊員がちょうどブラワヨでサッカー指導のボランティアをしていているので、連絡してみることにした。

トゥルルルーという電話の音の後に「ハロー?」という日本人らしき声が聞こえてきた。ハラムで会ったJICA隊員の森さんから紹介してもらった事を伝え、「迷惑でなければお会いしませんか?」と伝えると「全然会いましょう。旅してるならお金ないですよね?ウチに泊まりますか?いいですよ」といきなり勧めてくるので戸惑っていると「しょっちゅう人を泊めて麻痺してるので全然オッケーですよ」と、あっという間にお世話になることが決まった。森さんが話をしておいてくれたのかなと感謝したが、聞いてみると森さんからは連絡は来てないと答えた。ということは事前連絡もなく、いきなり知らない人から電話がきて、家に泊まってくださいと勧めたということだ。どれだけ受け入れがいいんだ。坂本さんは半端ないウェルカム隊員だ。

近所のスーパーで待ち合わせをしすことにした。午前中にたまった洗濯物を洗ってYWCAの庭に干してしまっていて、とても乾かないのでレセプションに「明日取りにくるよ」と言うと、例の「オーライ」が返ってきた。なんでもありだ。

坂本隊員はサッカー隊員らしく、よく日焼けしていた。家はかなり広く、十畳くらいのリビングに寝させてもらうことになった。電話ではサッカー指導のボランティアに出掛けるところだと話していたが、家に着くと「あー。今日は止めにしました。気にしないでください」に変わっていた。自己紹介を終え、活動の事を聞くと、「サッカー指導を見たいですか?
と言い「本当は今日は行かないでいいかなと思ってたけど、行きましょうか?」となった。活動は流動的のようだ。

坂本さんはJICAからジンバブエサッカー協会に派遣されてきたのだが、協会に行ってみると汚職が原因でで職員が誰もいなくなっていて、事務所はもぬけの殻だったらしい。協会自体もほとんど機能を失っていて、どうしよう?的なスタートだったと言う。そもそもJICAは成果を求めてないので、その辺のコーディネートもなく、結局自分でブラワヨの少年サッカーチームをいくつか見て、ここかなというところで教えているらしい。信じられない話だ。

坂本さんの教えているチームは近所の子供が集まってきて、サッカーを教えると言う感じだった。年齢もばらばらで、靴を履いている子もいれば裸足の子もいる。参加したければ誰でも参加できるので、暇な子供達はボールがあるというだけで集まってくる。コーチは他に仕事を持ってて、6時まではこれないので、それまでの時間を坂本さんが見ているらしい。教え方はかなりしっかりしてるが、アフリカの子供はまず話を聞かない。あと誰かが何かをやっているのを待つことができない。皆、常にボールに触りたい感じだ。しかも小さな子供は英語ができないので、説明も伝わらない。ここでは日本では当たり前の秩序を作ることがとてつもなく難しい。サッカー隊員は坂本さん以外いないし、スーパーバイザー的な人もブラワヨにはいないと言う。なにか問題が起きたときはどうするのだろう?



久しぶりにリフティングをして、体が暖まったので練習に参加させてもらった。アフリカの子供はボールへの執着心がとてつもなく強い。身体能力もあるし、未来は明るそうだ。だが、坂本さん曰く、プロリーグでもほとんど戦術はないらしい。とにかく突進だという。アフリカにはアフリカのサッカーがあるということかも知れない。10年後が楽しみだ。














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