2016/JUL/22 「ソウェト」

南アフリカの大都市郊外にはタウンシップと呼ばれる地区が多くあり、それらはアパルトヘイト時代の有色人種隔離政策の負の遺産だ。当時白人達はホームランドという不毛の地に有色人種を移住させ、そこを独立させようとしていた。そうすることで有色人種は外国人だから南アフリカの諸々の権利は受けれないと差別を正当化する狙いがあったらしい。有色人種、主に黒人は安い労働力とみなされて、大都市では郊外にタウンシップと呼ばれる有色人種のスラムに押しやられ隔離された。そのタウンシップの中で一番有名なのがヨハネスブルグ郊外のソウェトだろう。なにせ、このソウェトで起きた学生蜂起で多くの犠牲者が出て、それがきっかけとなり抗議運動が広がり、アパルトヘイト廃止へと繋がったのだから。

ソウェトは有名なだけあり観光課が進んでいる。とはいえ安全とは言い切れないのがヨハネスブルグだ。乗合ワゴンで15分のソウェトへはツアーや、観光客用シャトルバスでいくのが定番となっていた。

ヨハネスブルグのダウンタウンも一通り歩き、ようやく町に慣れてきたこともあり、ソウェトも黒人の乗る乗合バンで行くことにした。ちなみにヨハネスブルグには南ア最大の町だけあり相当数の白人やその他外国人が住んでいるはずだが、乗り合いバンに乗るのは黒人だけだし、ダウンタウンも黒人しかいない。そのためダウンタウンは荒れていて見るからに治安が悪い。白人はダウンタウンン郊外の限られた安全なエリアに電流の流れるフェンスのめぐらされた塀に囲まれた家に住んでいて、外出は車のみ。治安の良いエリアなら昼間、近所を出歩くくらいはするが、夕方以降、外を歩くことは決してない。これが世界最悪とも言われる治安の街の現実だ。この治安の悪さが、また白人と黒人の隔離を生んでいるように思える。今度は中心に黒人が住んでいるのだが。

ソウェトにはヨハネスブルグのパークステーションから乗合バンでいけるらしい。このパークステーションは近代的で新しく、異常な数の警備がいるので危険は全く感じないが、立地は悪名高きダウンタウンのど真ん中で、一歩外に出るといままでのアフリカで通ってきた街とは明らかに雰囲気が違うのがわかる。少し行くと悪名高きヒルブロウもあり、外国人には危険極まりないエリアだ。そんな荒れたダウンタウンと近代的であたらしいパークステーションのコントラストはどこかおかしい。駅の入口が見えなくなるところまでくると歩くときも厳戒態勢だ。外国人にとってこのパークステーションはまさに安全地帯の役割を果たしている。

パークステーションの警備に聞いて、ソウェト行きのタクシーランク(乗合バン乗り場)へ行き、運転手に行き先を告げると、助手席に乗せてくれた。これは乗合バンでは一番の席だ。乗合バンは10分くらいで出発したが、全くわからない郊外のタクシーランクで止まり、そこで別のバンの運ちゃんにあずけられた。このあたりが実にアフリカだ。

だが、2台目は無事ソウェトについた。ソウェトの地理は全くわからなかったが、降ろされたのが観光客が皆訪れる、ヘクター・ピーターソン博物館前で、運ちゃんも観光客だからここで降ろせば間違いないと思ったのだろう。このあたりも実にアフリカだ。

ソウェトでは見所は集中していて、昼飯を食ってから、ヘクター・ピーターソン博物館、マンデラの家をまわり、近くの岩山に登った。岩山は人気がなく治安が気になったが、道の男に聞くと、「危ないから一緒に行くので金をくれ」をというので一人で登ることにした。このあたりが実にアフリカだ。

大して高くない岩山からはタウンシップが見渡せ、遠くには火力発電所が見えた。煙突にはカラフルで陽気なペイントが施されている。これも実にアフリカだ。



  







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