2017/JAN/22 「クタマクの泥の塔の家」

トーゴとガーナの国境はロメの町から一キロと離れていない。宿からバイタクにのっても200CFA(40)でつける距離だ。この国境ではガーナビザが150ドル払うと取得できる。勿論最初から150ドルと言われるわけではなく、300ドルとか、250ドルとかその日の気分でイミグレが決めた金額から交渉して得られる最安の金額だ。

ガーナビザの取得が、思った以上に難しく、ここまでの道中寄った各国にあるガーナ大使館ではことごとく断りれ、残るはワガドゥクで取れるか取れないかといったレベルだ。ワガドゥクでは2年くらい前に取った人の情報があり、取れれば25,000CFA(5,000)なのだが今でも取れるかはかなりあやしい。実際、韓国人のクンやスペイン人のハビエルは、申請したが取れなかった。

それでも昨日までは国境で150ドル払ってガーナ入国が無難だなーと考えていたが、夜中に「チャレンジもなしに、150ドルを差し出すのは旅人としてどうなんだ?」と急にやる気が湧いてきた。そんな訳で急遽ブルキナファソを目指し、カラという町まで北上してきた。

この町の近くには、泥の塔を複数くっ付けたようなヘンテコな家に住んでいる人達がいるというので、一応建築デザインを生業としている者として、その建物を見に行ってからブルキナファソに抜けることにした。

ロンプラにはカラから日帰りで訪れることができると書いてあるだけあり、カラには英語の話せる自称ガイドがたくさんいた。だが、値段を聞くと30,000CFA(6,000)などとふざけたことを言うし、交渉しても7,000CFA(1,400)までしか落ちないので止めた。塔の家のある村クタマクの最寄りの町は更に北に50キロほど行ったカンテという小さな町なので、そこでバイタクを探すことにした。

7:30にカンテ行きのブッシュタクシー乗り場へ行ったが、乗客はゼロで満席にならないと出発しないという。トーゴの朝は遅い。アフリカの国は大抵6時くらいには人々が行動を始め、朝食の露店が賑わうのだが、トーゴの朝はのんびりしていて、8時くらいにようやくコーヒー売りが出歩きはじめ、露店が開きだす。と思っていたら実は時差が1時間あることにトーゴ出国間際に気がついた。

カンテでクタマクまでの往復バイタクを2000CFA(400)で雇った。ところがこのバイタクはカンテの町を出たところのチケットオフィスで、4000CFA(800)でなければ行かないと言いだし、断ると本当に帰ってしまった。クタマクはユネスコの世界遺産に登録されているようで、ここで入場料1500CFA(300)と強制的にガイドが付き、ガイド代5000CFA(1,000)を払った。(クタマク村以外のエリアも回りたければ10,000CFA)
バイタクが本当に帰ってしまい困っていると、チケットオフィスの男が、2000CFAで連れて行ってくれる事になった。彼はクタマク村出身でガイドも兼ねているという。ただし他にスタッフはいないので、このあとくるツーリストは誰からチケットを買えばいいのか謎だ。

入口から村までは15キロほどあり、道中小さな村が幾つかあったが、無視して一番大きな村へ向かった。

すこし離れた所にバイクを止めると、すでに向こうからクタマクの工芸品の角のヘルメットを被ったお土産売りの女のひとが歩いてくるのが見えた。さすが世界遺産、しっかりと観光化されている。

10~15軒の集落で、木の下で休んでいる男たちが見える。写真を撮ると、金払えーとか撮るなーとか叫んでくる。「え!ダメなの?」とガイドに聞くと「いや、問題ない。人以外は好きなように撮れ」と言う。確かガイド代の5000CFAは村の建物のメンテ費用に還元されると説明があったが、それにしては観光客への反応が異様に悪い。

いろんな所から「カネーカネー」と怒涛のように叫び声が聞こえてくるが、ガイドは問題ないの一点張り。集落で一番大きな家に行き、中を見せてもらう事になった。ガイドは家の主人にお金を渡しているようだが、それでも子供も女の人たちもこぞって、「カネー、カネー」と言ってくる。

この泥の塔の家は、小さな城のような外観で、入口から順番に、穀物を磨り潰す部屋、家畜の部屋、キッチンと続いている。そこから梯子を登ると屋上で、屋上には家族が寝る小部屋が3つと、穀物倉庫が2つほどあった。穀物倉庫は坪のような形で建物とは切り離されている。近くで見るとかなり大きく、中は仕切られていて、穀物を種類で分けることができる。一夫多妻なので、主人と二人の奥さん、娘、孫とかなりの人数が住んでいて、特に伝統的な衣装は着ていないが、女の人が被る角のヘルメットと男の人が被る鶏の頭のようなヘルメットがある。当然こんなのは普段被ってないのだが。

熱心なヴードゥー教の信者で、ロメの呪術マーケットで見た、呪術アイテムが数多く実用されていたのには感動した。家を守るとされる土偶のような人形の巨大なものが入口脇に地面と同化して造られていた。

彼らは11~13世紀にブルキナファソからベナンに移動し、さらにその中の一部が現在の場所に移動してきたらしい。移動の理由は人口が増えて農業に必要な土地が足らなくなったからだ。彼らはここに来た当初、バオバブの木の穴で暮らしていた。その後、外敵から身を守るため現在のような家を造ったという。

帰りにもうひとつ大きめの集落の前を通ると、白人を15人くらい乗せたバスが止まっていて、家の回りにはパシャパシャと写真を撮る白人の群れが見えた。村の男はこちらに気がつくと、「勝手に写真をとるなー!」と遠くから威嚇してきた。多分村ごとにお金を払わないといけないのだ。普通の家に比べて、建てるのに莫大な労力がいるし、メンテも余計にかかるであろうこの塔の家は、援助なしでは存続が難しい存在になりつつある。保存の為にお金を落とすこと自体は悪くないが、もう少し楽しく見学できるシステムを考えてほしいものだ。



 













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