2015/DEC/18 「スーダン人」

昨夜は夜にホテルのスタッフがエジプト人の客が悪さをするから、中で寝た方がいいと四人部屋を用意してくれ、結局室内に移ることになった。スーダン名物青空ベッドを楽しみにしてたがお預けだ。

スタッフは密造ウォッカを持って部屋に戻ってきた。随分臭いのするウォッカだったし、スーダンは厳格なイスラム教の国と聞いていたので驚いた。男は久しぶりにお酒の飲める客がきて喜んだのかドンドンついできた。45杯飲むと男は酔っ払い、ショウくんや俺の隣に座って身体を触ってきた。どうやら酒には別目的があったようだ。

翌朝腕時計の目覚ましで起きて、外へ出ると目の前のチャイ屋で数人の男がチャイを飲んでいた。一人の男が遠くから話してきたので寄ってみると「何処から来た?」と聞いてきた。「日本」と答えると「座れ座れ!」と言うので椅子に座るとみんなはチャイと一緒に揚げパンを食べているのに気がついた。男は「ザラビアだ」と教えてくれ、チャイとザラビアを彼のおごりで頼んでくれた。朝から揚げ物は好きではなかったが、揚げたてに砂糖をまぶしたザラビアはサクサクで美味しかった。ミルクティーにはこれでもかと言うくらい砂糖が入っていたがすでに甘さにも慣れていたので美味しかった。宿からショウくんが出てきたので声をかけて呼んだ。綾ちゃんも呼んでくるように頼んで、みんなで朝食をご馳走になった。

まだ2日目だがスーダンの人はかなりのおもてなし民族だ。町を歩くとみんな話しかけてくるし、昨夜も夕飯に出ると、初日に宿探しをしていたときに会った男が母親と歩いていて、ご飯に誘ってくれた。多分3人で100ポンド(1,330円)の宿で渋っていたのでお金がないと思ったのか、スーダンの焼肉を食べさせてくれると言い出した。サイコロくらいのラム肉を焼いただけのシンプルな料理とフールと呼ばれる豆のスープにチーズを載せて油をたっぷり入れたものを食べた。母親の持ち合わせが足りなくて結局半分は払ったが、気持ちはとても嬉しかった。

朝食のあと、パスポートコピーを作りに行き、そのまま滞在申請に行った。スーダンは高い金を払ってビザを取ったのに三日以上の滞在にはさらに申請(お金)が必要だ。金曜日でやってないので明日来いと言われた。今日はドンゴラというとこまで移動したかったので、申請はそこでやることにしてドンゴラへ向かうことにした。スタッフに行き方を聞くとホテルの前に停まっていたバンでミニバス乗り場まで送ってくれて乗ることができた。親切なスタッフだ。

スーダンはモンゴル並みに何もない景色が永遠と続いている。モンゴルでは何も無いのが観光の売りになっていたが、ここでは本当に何も無いだけだ。

5
時間くらいでドンゴラに着いたが、ロンプラに載っていたオールドドンゴラは町から100km以上も離れていて、さらに交通手段もなかった。よく読んで見ると「もし車旅なら」と書いてあった。ネットで見つけた写真を見て、それがオールドドンゴラだと思ったが、町の人は「それはカリマだ」という人もいてあやふやだ。結局余りに情報も曖昧で行くのも大変なのでカリマへ行こうと言うことになった。

二時間くらい待ったあとにミニバスは出発しカリマへ向かった。ナイル川とは離れた道で辺りは延々と砂漠が続いていた。バスの中から夕焼けを見終わり、遠くに明かりが見えるな~と思っているとそれがカリマだった。ワデイハルファやドンゴラよりもはるかに町っぽかったので3人とも興奮した。食べるとこもたくさんありそうだ。すぐに宿探しを始めた。1軒目は100ポンド(1,330円)と高かったので他をあたろうと宿を出るとワディハルファからの同じバスに乗っていた二人組の男が偶然いて、話しかけてきた。彼らは他の宿まで連れていってくれ、値段交渉もしてくれた。15ポンド(200)とかつてない安さだったが、クオリティは値段相応の気がした。

町に滞在するための届け出が必要らしく、その事務所に行くのも彼らの友達の車で連れていってくれた。本当に面倒見がいい人たちだ。ただし、車内でGoogle翻訳した文章をスマホで見せられ、なんだろう?と読んでみると「明日、遺跡をみるなら300ポンド(4,000円)で車を出します」とあった。遺跡まではタクっても10ポンド(133円)だ。どうやらここまでの親切は撒き餌だったようだ。

スーダン人はまだよく分からない。















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